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カンボジア経済

カンボジアの経済について、お堅い数字の話から、グルメ情報といったやわらかい話まで、ビジネス関係の方にお役に立つブログです

クメール正月2023

2023年04月16日 | 社会・風土
 カンボジアではお正月が3回あります。1月1日の「インターナショナルニューイヤー」、2月の「中国正月」(旧正月)、そして、4月のクメール正月です。クメール正月が一番大きなイベントです。今年は、4月14日から16日が3連休でした。例年、お役所や工場では前後あわせて実質2週間ほど開店休業となるところも多く、地方出身者は田舎に帰る人が多いので、クメール正月の間は、プノンペンも静かになります。
 新型コロナの影響で2020年のクメール正月は、8月に延期されました。2021年は、新型コロナの影響で、夜間外出が禁止となり、州を越える移動も規制され、仏教行事やイベントも自粛、更に途中からロックダウンも加わって、「ステイホーム」のお正月でした。2022年は3年ぶりに「通常」のクメール正月となり、今年はすっかりコロナ明けの雰囲気でした。牛車レースや伝統的な遊び等、各地でいろいろなイベントが行われたとのことです。プノンペンでは、ワットプノン周辺やリバーサイドに多くの人出がありました。水かけも結構派手にやっていたようです。カンボジアの若者がはじけて楽しんでいるのは、見ているだけでも元気になる気がします。
 日本のお正月ですと、午前0時を越えると新年を迎えますが、カンボジアでは、毎年時間が変わります。今年は4月14日16時00分に新年となりました。7人姉妹の女神のうちの一人が降りてくるとされています。今年は、女神ケミリアテヴィが降臨したとのことです。
 クメール語での「あけましておめでとう」は「スオスダイ、チュナムタマイ」です(これはカタカナ読みでも結構通じます)。
(写真は、5万枚のおりがみハートで飾られたアンコールワット。AKPより)



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プノンペンも花の季節2023

2023年04月02日 | 社会・風土
 プノンペンは、花の季節を迎えています。ノロドム通りの並木の「プノンペン桜」も満開です。クメール語名は、トロバエク・プレイというそうですが、だれが呼んだか「プノンペン桜」という響きも大好きです。ロシア大通りのプルメリア(フランジパーニ)もきれいに咲き誇っています。ゴールデンシャワーという黄色い花も大変に美しく、プノンペンのあちこちで見られます(写真上)。

 新型コロナもようやく終息しつつあり、一息つかれている方も多いかと思います。プノンペンできれいに咲き続ける花の写真で、少しでも皆様の気持ちに「ほっと一息」となれば幸甚です。

きれいに咲いたプノンペン桜



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春分の日のアンコールワットの朝日が人気 東南アジア競技大会の聖火も採火

2023年03月26日 | 社会・風土
 3月21日の春分の日、世界遺産のアンコールワットの中央の尖塔の先端から昇る朝日を見に1万人近くの観光客が集まったとのことです。アンコールワットの日の出は、最近、観光の目玉となりつつあり、多くの観光客を集めていますが、春分・秋分の日は特に人気となっています。アンコールワットの正面は、正確に西側を向いており、春分・秋分の日は、アンコールワットの中央の塔の先端から昇る朝日を見るのに最適と言われているためです。アンコールワットの初日の出も、日本人としてはぜひ見たいのですが、東西南北をきっちりと出しているアンコールワットでは、春分・秋分の日もぜひ訪れたいものです。
 また、今年は、5月に開催予定の東南アジア競技大会(SEA Game)の聖火の採火式典も、同日にアンコールワットで行われました。式典には、シハモニ国王陛下もご臨席されました。聖火は、レンズで太陽光を集める方法で採火された模様です。聖火リレーはこれから、競技大会に参加する国々を回り、5月のプノンペンでの開会式に合わせて、カンボジアに戻ってくる予定とのことです。
(写真は、AKPより。資料)

アンコールワットから始まった聖火リレー(AKPより)



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人気のメキシコ料理 リバーサイドに Mexicano Riverside

2023年03月12日 | 社会・風土
 プノンペン中心部バンケンコンにある人気のメキシコ料理店「Mexicano」のリバーサイド店が開店しました。店内は明るい雰囲気で、ポップな壁画がユニークな感じです。テラス席もあります。メニューは、オーソドックスなメキシコ料理です。あまりメキシコ料理に詳しくないので、ポークのタコスとチキンのファジータ、セビーチェ等を頼んでみました。ボリューム満点でした。飲み物は、コロナビールと名物のマルガリータを楽しみました。マルガリータは、グラスのふちに塩を付けたスノースタイルで、すごいボリュームです。お客さんは、西洋系の方が多いようでした。すぐに満員になってしまって入れずに帰るお客さんもいたので、予約したほうがいいかもしれません。お試しください。

Mexicano Riverside
https://web.facebook.com/MexicanoRiverside

定番のタコスです。



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日本カンボジア絆フェスティバル2023 南野陽子親善大使も

2023年03月04日 | 社会・風土
 「日本カンボジア絆フェスティバル」が、今年も2月23日(木)から26日(日)までカンボジア日本人材開発センター(CJCC)で開催されました。様々な企画が盛りだくさんで、いろいろな日本に触れることのできるイベントです。今年のテーマは、日本・カンボジア友好70周年ということもあって、「Blossoming Friendship」。会場には、日本から南野陽子親善大使も来訪され、盛り上がりました。
 今年の目玉は、親善大使の南野陽子さん、雅楽、くっくまとメコン太鼓の共演によるスペシャルコンサートです。また、ネイルアートで世界チャンピオンになった日本人お2人によるワークショップも開催されました。26日には、ベルサイユのばらの作者で声楽家でもある池田理代子さんも参加しての初心者向けオペラコンサートも行われました。また、The Phnom Penh Singersによる合唱も披露されました(ピアノの伴奏に合わせたバレエやダンスも)。また、浴衣体験、折り紙、生け花、習字といった日本文化紹介や体験等のイベントもありました。この他にも、様々なイベントや展示が盛りだくさんでした。
 いろいろなお店も出ています。フィギュアやアニメグッズ等のお店もあったようです。例年通り、多くのカンボジアの若者たちがコスプレを楽しんでいたそうです。こういった若い力がいろいろなものを動かしてくれると強く感じます。
(写真は、カンボジア日本人会様ご提供)

日本カンボジア絆フェスティバルのサイト
https://web.facebook.com/kizunafestival/


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アーチ橋の遺跡 スピアン・コンポンクディ

2023年02月26日 | 社会・風土
 国道6号線沿い、シェムリアップ州にあるアーチ橋の遺跡です。通称は、場所の名前から「スピアン・コンポンクディ」ですが、正式には、スピアン・プラプトス(Spean Praptos、プラプトス橋)というようです。石造りのアーチ橋は、延長87m、幅17m、高さ10mという巨大なものです。12世紀末~13世紀初頭、王ジャヤーヴァルマン7世の統治中に建造されたとのことです。びっくりするのは、2006年まで国道6号線の橋梁としてそのまま使用されていて、この遺跡の橋の上をバスやトラックが走っていたということです。個人的には、好きな遺跡の一つです。国道6号線のすぐわきにあって。見やすいのも良いところです。プノンペン~シェムリアップを車で移動される際には、ぜひお寄り下さい。

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%88%E3%82%B9

この遺跡の橋の上をバスやトラックも行きかっていたそうです。現在もバイクは通行可能なようでした。



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中国正月2023

2023年01月28日 | 社会・風土
 1月22日は旧正月で、アジア各国ではお休みのところも多かったと思います。カンボジアでは、1月1日のインターナショナル・ニューイヤーに加えて4月にクメール正月があります。この2月の旧正月も「中国正月」と呼ばれ正式なお休みでは無いのですが、華僑系の方々を中心になんとなくお休みだったり、お年玉が行きかったりと言うところが多いようです。プノンペンの街中は車やバイクも少なくなっていて、閑散としています。
 街には中国舞踊団が繰り出し、鉦や太鼓に合わせて獅子舞や龍の舞を披露して回っています。ご先祖様のために、家の前で紙のお金や車を燃やしています。燃やす紙のお札が100ドル札だったり、紙の車がレクサスだったりします。
(写真は、イオン1号店の中国正月用品売り場)


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2022年 地雷による死者数 10名に

2023年01月20日 | 社会・風土
 カンボジア地雷対策庁(Cambodian Mine Action and Victim Assistance Authority: CMAA)の発表によりますと、2022年の地雷・不発弾による被害者数は、死者10名、負傷31名(うち手足切断7名)と、2021年の死者11名、負傷33名(うち手足切断9名)から減少しました。1996年には、死者911名、負傷者3409名(うち手足切断443名)に達していましたが、26年間の関係者の努力により、死者数を100分の一にまで減少させたことは高く評価されるものです。
 1979年から2022年までの累計で、死者は1万9818名、負傷4万5187名となっています。これまでに115万1232個の対人地雷、約3万個の対戦車地雷、約298万個の不発弾等を処理し、2531平方キロメートルの土地の処理を完了したとしています。CMAAは、国家地雷対策戦略2018年~2025年(National Mine Action Strategy (NMAS) 2018-2025)に沿って、引き続き地雷・不発弾対策及び被害者への支援に取り組んでいくとしています。なお、農村部での地雷・不発弾の取り扱いに関する啓蒙活動は、引き続き重要なものと見られます。CMAAでは、今年も「国民地雷認知の日」の式典を開催し、啓蒙活動に努めていく計画です。
 日本政府も長年に渡り、カンボジアの地雷処理に協力してきています。カンボジアで地雷処理に携わっている日本地雷処理を支援する会(JMAS)の活動のための無償資金協力等を実施しています。また、カンボジア政府は、日本と協力して、ウクライナの領土にロシア軍が設置した地雷の除去を支援するため、ウクライナの地雷除去要員15人を招いて、最新の地雷探知機の使い方などを身につける訓練を実施しています。
(写真は、日本とカンボジアによるウクライナ支援の開始式。AKPより)

カンボジア地雷対策庁(CMAA)のサイト(英文です)
http://www.cmaa.gov.kh/


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カンボジアのお正月2023

2023年01月03日 | 社会・風土
 カンボジアにはお正月が3回あると言われています、1月1日はインターナショナルニューイヤーと言われます。旧正月(今年は1月22日)も華僑系の人たちを中心に大いに祝うので、中華正月とも言われます。最大のお祭りは4月中旬のクメール正月です。このときは、プノンペンに働きに出てきている人たちも皆故郷に戻ってお祝いします。
 1月1日はカンボジアでも祝日ですが、1日だけのお休みです。12月31日のカウントダウンパーティはカンボジアでも盛り上がりを見せてきています。
 元旦も営業している日本料理店もあります。プノンペンでも日本のお正月が楽しめるようになっていて、ちょっと嬉しいお正月です。
(写真は、くずし割烹 安達のお節料理)

お雑煮もいただきました。



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アンコールワットの日の出

2023年01月02日 | 社会・風土
 アンコールワットの日の出を見ました。素晴らしい景色で感動です。朝5時にホテルを出て、アンコールワットに車で向かいます。駐車場から真っ暗な中を歩いて、お濠を渡ってアンコールワットに入場します。本当に真っ暗なので、懐中電灯やスマホのライトモードをご利用下さい。次第に白々と夜が明けていき、朝焼けとなる時間帯も神秘的です。12月24日の日の出の時刻は、6:24でしたが、アンコールワットの上に太陽が顔を見せるまで更に10~15分くらいかかりました。当日は、西洋人を中心とした観光客が多数訪れていて、観光回復の兆しも感じられました。昔は、日の出を見に来るのは日本人だけと言われていましたが、すっかり観光コースの定番となっているようです。
(写真は、昨年12月24日撮影)

朝焼けのアンコールワットも素敵です。


多くの観光客が集まりました。この後更に増えていました。



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南国のクリスマス カンボジアで涼しいクリスマス

2022年12月25日 | 社会・風土
 カンボジアは、仏教国ということもあって、クリスマスはまだ一般に浸透しているとは言い難い状況です。「サンタクロース」を知らないカンボジア人もまだ相当に多いものと見られます。ただ、外国人やプノンペン等の若い層は、クリスマスパーティやコンサート、プレゼント等のクリスマスのイベントを楽しむようになってきています。クリスマスを前にして、バザーやクリスマスフェアも開催されています。イオンモールでもクリスマス用品売り場が設置されています。また、ラッフルズホテルやソフィテルホテル等では、クリスマスツリーの点灯式が華やかに行われていました。
 カンボジアでは、新型コロナを何とか乗り越えて、クリスマスを迎えられる状況となっています。この時期は、プノンペンやシェムリアップでは最低気温が20度ほどにまで下がります。南国のカンボジアでのちょっと涼しいクリスマスもなかなか良い感じです。 
(写真は、バタナックタワー前のクリスマスツリー)


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独立記念日2022

2022年11月13日 | 社会・風土
 11月9日は、カンボジアの第69回の独立記念日でした。1953年11月9日に、故シアヌーク前国王陛下のご尽力(「独立十字軍運動」と呼ばれています)により、フランスからの独立を果たしました。独立を目指して1953年4月から5月にかけて、故シアヌーク前国王陛下は、フランスから、カナダ(モントリオール)、アメリカ(ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、ホノルル)を経て、日本(東京)まで、各国で独立キャンペーンを行われました。日本では、昭和天皇陛下ともお会いになっています。日本も外務省を中心に様々な協力を行いました。この東京滞在中にフランスから大きな譲歩を勝ち取り、5月13日に帰国され、半年後に独立宣言に至りました。なお、ご帰国当日にシハモニ国王陛下が誕生され、故シアヌーク前国王陛下は「東京は素晴らしい」として、お生まれになったばかりのシハモニ国王陛下の幼名を「トーキョー」と名付けられたとのことです。
 第二次大戦末期の日本軍による仏印処理(1945年3月~)により、インドシナ3国は独立を認められ、カンボジアも1945年3月12日に故シアヌーク前国王陛下が王位につかれて、独立を宣言しました。しかし、終戦後にフランスに再進駐され、再度フランスの保護国となってしまいました。それでも、故シアヌーク前国王陛下は、日本の支援を受けた1945年のこの独立が果たした役割は大きかったと述懐されていたそうです。
 独立記念日には、独立記念塔で記念式典が開催されました。シハモニ国王陛下、フンセン首相は、暑い中ずっと歩かれ、お疲れになられるのでは無いかと心配になるほどでした。今や、米中冷戦の狭間にあって、綱渡り外交を続けているカンボジアですが、覇権国に飲み込まれることなく、真の意味での独立を維持していくことが重要と見られます。
(写真は、AKPより。プノンペンの独立記念塔で開催された記念式典)


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水祭り2022 今年もプノンペンでのイベントは中止

2022年11月12日 | 社会・風土
 11月7日から11月9日までは「水祭り」の連休でした。今年は、直後にASEANサミットを控えているため、プノンペンでのボートレース、夜のエレクトリカル船や花火等のイベントが中止となりました(最終日の11月9日は独立記念日と重なったため、花火が実施されました)。水祭りのイベントは、これまでも様々な理由で中止されており、ここ12年で7回目の中止となります。2010年の水祭りの最終日の晩に将棋倒し事故で300名以上が死亡したことや、シアヌーク前国王陛下御逝去等も重なって、2011年から3年間はイベントが行われませんでした。2015年は干ばつの影響で、プノンペンではまたボートレースは中止となりました。2020年と2021年は新型コロナの影響でイベント中止となりました。なお、シェムリアップやカンダール等では、イベントが実施され、小規模なボートレースも開催されたところもあり、多くの人出で賑わっていました。
 プチュンバン(お盆)とは逆で、通常ですと地方からたくさんの人たちがプノンペンに集まります。今年は、プノンペンでのイベントは中止でしたが、リバーサイドや王宮前は多くの人出で賑わっていました。出店や物売りが集まり、楽しい雰囲気でした。芝生に座って楽しむグループや家族連れも数多く見られました。トンレサップ川は、例年通り順流に戻り、流れも相当に早くなっていました。
 カンボジアは、アフターコロナの様相で、様々なイベントが復活しているのは、本当にうれしく思います。


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今年も洪水被害広がる2022

2022年10月30日 | 社会・風土
 カンボジアでは毎年のように雨期の終わりに洪水となっています。今年は、10月初旬から降り始めた雨で、大きな被害が出ています。多くの州で田畑が水没し、農産物への被害が懸念されており、コメの輸出にも影響があるとの見方も出ています。また、国道も、数カ所で水没し、通行不能となった個所もありました。更に、カンダール州では、増水した川でフェリーが沈没し、通学中の生徒10名以上が死亡するという痛ましい事故も起きています。こうした中で、フン・セン首相は、洪水対策への取り組みが不十分として、ベン・サコン農業大臣を突然更迭しました。
 プノンペン中心部では、日本が支援した洪水対策事業が効果を発揮し、以前であれば膝まで水位が上がり、何日も水が引かなかったようなところも、浸水が浅くなり、水もすぐ引くといった状況です。他方、開発が進む郊外では、これまでの自然の排水経路や遊水地が埋め立てられ、水位が上がり被害がひどくなっているところもあるようです。
 なお、水田が水につかり、稲が被害を受けたところも多いのですが、その一方で、洪水によって栄養分のある土も運ばれ、洪水の水を使った洪水農法による収穫もあります。洪水でできた一時的な池で魚取りをしている人も見かけました。洪水と言う自然の脅威をも恵みに変える、カンボジアの人々の知恵とたくましさには感銘を受けます。
(写真は、AKPより。シェムリアップ近郊)

ブログ「カンボジア経済」2008年12月23日「洪水農法」
https://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh/e/a2be1b91f118fd5a9d8c4a951443f17e


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シアヌーク前国王陛下 ご逝去されて10年

2022年10月22日 | 社会・風土
 波乱の人生を送られたノロドム・シアヌーク前国王陛下が2012年10月15日に逝去されてから、今年で10年となりました。10月15日は、シアヌーク前国王追悼記念日であり、独立記念塔近くのシアヌーク前国王陛下の銅像前で、追悼行事が行われました。

 少々長くなりますが、前国王陛下は、カンボジアの歴史そのものですので、その歴史をさかのぼってみたいと思います。

1922年10月31日 ノロドム・スラマリット国王とシソワット・コサマック皇后の間に生まれる。
1941年4月23日 カンボジア国王となる。(当時はフランス植民地時代)
1945年 日本軍が撤退時にカンボジアを独立国家とするが、日本敗戦により、再びフランス領とされる。前国王陛下は日本のこの対応を後の独立に欠かせないものとして後々まで感謝したと言われている。
1953年11月9日 「王国十字軍」と呼ばれる前国王陛下による世界各国を回る行脚の末、フランスからの独立を達成。前国王陛下は独立への日本の協力を高く評価されていた。なお、同年に生まれたシアモニ王子(現国王陛下)の幼名を「トーキョー」と命名され、日本への感謝を示されている。
1955年3月2日 政界に進出することを決意し、国王を退位し、父であるスラマリット前国王に譲位する。(この後は、「シアヌーク殿下」と呼ばれる)
1955年9月 首相に選出される。この後、外交的には中立、政治的には社会主義を取り入れた体制を目指す。
1970年3月 アメリカの支援を受けたロン・ノル将軍のクーデターで国を追われる。アメリカはベトナム戦争の真最中であり、南ベトナム・アメリカのいうことを聞かないシアヌーク殿下に反発を強めていた。
1975年4月 シアヌーク殿下は、ロン・ノル派を追い出すために中国の支援を求める。この年、中国の支援を受けたポル・ポト派がロン・ノル派を破り、政権を取る。
1976年4月 ポル・ポト派により王宮に幽閉される。この後のポル・ポトによる大虐殺で、殿下御自身の子供5人を含む王族多数が殺害されてしまう。
1978年 ベトナムの支援を受けたヘンサムリン派(フン・セン首相も含まれている)が、カンボジアに侵攻する。シアヌーク殿下はこの際にプノンペンを脱出。アメリカに逃れる。
1979年 ベトナムと戦うため、敵であったポル・ポト派、ロン・ノル派と3派連合を組む。その後の泥沼の内戦を招いたとも言われるが、自分の子供を殺した「昨日の敵」を「今日の友」としたものであり、大胆な決意と評価されている。
1991年 パリ和平会議。日本の「和平工作」を高く評価される。
1992年 再び国王の地位に就く。
1993年 フンシンペック党を実質的に率いて総選挙で勝つ。息子のノロドム・ラナリット殿下とフン・セン首相の二人首相体制を構築する。その後、フン・セン首相の人民等に押され、王党派は次第に弱体化していく。
2004年 王室を政治から切り離すため、国王を退位し、シハモニ国王陛下に譲位する。
2012年10月5日 逝去

 前国王陛下こそ「修羅場を潜った大人物」と言えましょう。国を統べるという重い責務の下で、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、面子を捨て、必要ならどんな妥協でもする一方で、国への愛は決して曲げない、その決断と人生は、常人からは想像もつかないものであったと思います。その一方で、芸術への造詣も深く、映画の製作を行ったり、様々な斬新なデザインの建物を建築されたりしています。日本語でカラオケを歌われることもあったと言われ、本当に親しみやすい国王陛下であられたとのことです。
(写真は、ご逝去を知って王宮前に集まった人々。2012年撮影)



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