カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

もうひとつ、コンクリもの。

2016-07-14 23:18:51 | レトロ建築
昭和初期のコンクリート造住宅遺産を見学したついでに
琵琶湖疎水(山科疎水)に架かる日本で初めてのコンクリート橋を
見に行きました。

その前にちょっと、1890(明治23)年に、日本人だけの手で完成させた
疎水には明治の遺構ともいえるトンネルが残されていて、
それらにつけられた扁額もまた見逃せません。


〈第2トンネル・東口〉



「扁額でたどる琵琶湖疎水」の案内板が必ずあるので、楽しめますよ。






〈第2トンネル・西口〉



西郷従道(じゅうどう)は、西郷隆盛の弟ですね。西南戦争には加担せず、
明治政府に留まり海軍大臣や内務大臣を歴任した政治家です。
名前を登録する際、本名「隆興」をリュウコウと口頭で登録しようとした
ところ、訛っていたため役人に「ジュウドウ」と聞き取られ、「従道」と
記録されてしまった。しかし本人も特に気にせず、結局「従道」のままで
通したそうです。兄弟ともに太っ腹?(^_^ゞ


〈第3トンネル・東口〉



他にも『疎水の扁額』いろいろ。


琵琶湖疎水は、幕末の「禁門の変」で市中の大半を焼かれて、明治維新で
天皇を連れ去られ首都の座から転落した京都。その後、急激な人口減少と
産業衰退に直面。そこで、起死回生のため発案されたのが、琵琶湖疏水の
建設という大事業でした。

琵琶湖の水を京都市内に引き込み水運や発電、灌漑や上水道に利用しよう
というこの計画は、前例のない壮大な土木建築工事を必要としました。
それをやってのけたのは、工部大学校(東京大学工学部の前身)を
卒業したばかりの弱冠22歳、田邉朔郎(たなべさくろう)でした。
そんな田邉が、世界の最新工法だった鉄筋コンクリートを試したくて、
1903(明治36)年に手掛けたのが、第11号橋です。


これは、山ノ谷(黒岩)橋と呼ばれる第10号橋。
栗原邸のすぐ近くの橋です。



日本初といわれる第11号橋の8ヶ月後に出来た橋ですが、第11号橋は
試作的なものであり、本格的な鉄筋コンクリート製アーチ橋は、
これこそ日本初ではと言われたりもします。
いずれにしろ「鉄とコンクリートの時代」と言われる20世紀の、
その初頭に世界でもまだ最先端だった鉄筋コンクリートの橋が、
110年以上の年月を経て、今でも山科疎水の遊歩道の一部として
使われているのは凄いです。(鉄柵は後に付けられたもの)



さて、第2トンネルの東側から迂回路を通って西側へ出ると、比較的
新しい橋が架かっていますが、これは後に日ノ岡船溜を埋め立てて
造られた新山科浄水場取水池へ渡るための橋です。
その先に見えるのが「第11号橋」。



ここも今でも歩道として利用されているので、補強と安全のため柵などが
設けられているため、全貌が見にくいのが残念。

手前には〈日本最初の鉄筋コンクリート橋〉の石碑が。


渡ると立派な「本邦最初鉄筋混凝土橋」の石碑が建っています。
1932(昭和7)年に建てられたものですが、橋が出来てから30年後に?
実は前年に疎水の大改修工事が行われた際、京都大学教授となっていた
田辺朔郎が立ち会った時に
「そうそう、この橋は日本で最初の鉄筋コンクリートですよ」って言った
もんだから、それまでそうとは知らなかった関係者が「そんなんやったら
記念碑たてなあかんやん!」ってことになったようです。(^_^ゞ




当時、日本人だけの手で行なわれた琵琶湖疏水建設という世紀の難事業。
田邉にとって、世界でも最先端だった工法、鉄筋コンクリートを使った
この橋の設計施工は、技術者としての探究心を満たしてくれる、楽しい
トライアルだったのかも知れませんね。



セメントと鉄筋は輸入しながらも、他の建設資材は現地・山科に
煉瓦工場を造るなど工夫を重ね、国内から調達しました。
この橋を造るにあたっても、鉄筋は専用の材料がなかったため、
疏水工事で使ったトロッコのレールが代用されているそうです。




今でこそ補強はされているものの、充分使用に耐えられる100年越えの
耐久性は実証されていますね♪



2016.5/28、琵琶湖疎水(山科疎水)にて。


10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アネッティワールド)
2016-07-15 00:29:27
大河ドラマで琵琶湖疎水の
詳しくを知りました。
京都知事役が高嶋政伸でしたかね?
「八重の桜」だったかな?

すごい決断にはすごい人物の存在があるんですね。

ラストの写真いいですね。
返信する
すごいなぁ (京男)
2016-07-15 07:03:33
おはようございます。
いまある高層ビルもこんな風に残るのかな・・・。
疎水が出来た時の京都に行ってみたいですね。
かなり未来都市的だったのでしょうね。
返信する
Unknown (7駆)
2016-07-15 09:36:02
知らずに普通に散歩してる人が多いのかな?
「なんや古い橋やね~」って。
「日本最初の・・・」石碑も草に埋もれてるし。

一日立ってて知らない人には解説せなあかん
返信する
☆アネッティワールドさん、ありがとうございます。 (路渡カッパ)
2016-07-15 11:47:44
「八重の桜」ですね。京都の近代化、復興に尽力したのは意外と京都の人間じゃ無く、京都を愛した人たちのお蔭だったのですね。
ラストの写真、この辺りは桜並木、5月の末でしたからサクランボが生っていたので、ついでに・・・
返信する
☆京男さん、こんにちは。 (路渡カッパ)
2016-07-15 11:48:20
高層ビル、耐用年数はどのくらいなんでしょうね。京都はともかく東京や大阪で耐用年数を迎えたらどうするんだろ・・・
明治の京都は活気があったでしょうね、市街電車も走っていたし♪
返信する
☆7駆さん、ありがとうございます。 (路渡カッパ)
2016-07-15 11:48:57
まだ石碑が建っている橋は、分かって通る人も居るでしょうが
「日本で二番目」の橋は知らない人がほとんどだと思います。
私も知らんかったし・・・二番目ってそんなものかな?
返信する
Unknown (Tansk)
2016-07-15 13:06:03
こんにちは

おおらかさのある時代ですね。
このころの施工はがっちりですからね。

今のコンクリ工事は。。。。
データ化され、しゃばいです。

いやはや、素敵な写真ありがとうございます。


ええ、T2。予約しましたよ。

X-T2と かけまして、メガネと ときます。
そのこころは。。。。

伊達じゃない。
返信する
☆Tanskさん、こんにちは。 (路渡カッパ)
2016-07-15 16:05:20
X-T2、箱根の坂を越えてしまいましたか・・・(笑)
予約販売価格、メーカー直販では183,060円になっていますね。
X-T1は135,000円くらいだったかな?

X30はシリーズ終了で、後継機が出ないみたい。
この分だと、X-T10も一代限りで終わるかも?
私的にはそこんとこが狙い目だったりして。
返信する
Unknown (ピィ)
2016-07-16 11:09:42
京都って日本発が多いですよね。
しかし鉄筋コンクリートですか。
ビルとかじゃなく橋が最初だったんですね。
現代までもっているんだから、すごいものです。
返信する
☆ピィさん、ありがとうございます。 (路渡カッパ)
2016-07-17 00:05:41
この頃の京都は特に新しいもの好きだったようですね。(^_^ゞ
と言うか、やはり学術の街だったから先端技術の情報や人材も集まったのだと思われます。
日本初では無いでしょうが、この9年後(明治45年)に高島屋京都店が鉄筋コンクリート造で建てられています。
返信する

コメントを投稿