ホテイアオイの群生が見られる休耕田、本薬師寺跡周辺ってことで目標は
本薬師寺跡(もとやくしじあと)。
聞き覚えはありますが、詳しいことは知りませんでした。ちなみに薬師寺は
奈良市西ノ京町にある世界遺産にも登録されている寺院です。
で、本薬師寺はというと、何とも長閑な田園地帯。
暑い日だったので、まだ夏が頑張っています。
近くに畝傍山(うねびやま)が見えます。ぽこんとした山ですが天香久山、
耳成山とともに大和三山と呼ばれ、国の名勝に指定されています。
蓮が一輪、季節を間違えたのか遅刻したのか・・・
稲は順調に頭を下げ出して・・・まだ青いですが。
曼珠沙華、咲き始めた頃でした(9/15)
萩が咲いていたので布袋葵とコラボ、萩の花を綺麗に撮るのは苦手w
こりゃダメだとボツにしようとしたら、大きなカマキリさんが写っていたので
採用♪・・・撮影した時は全く気がつきませんでした。(^_^ゞ
さて、本薬師寺跡ですが、それらしい建造物はありません。
金堂跡?に石碑がたっているだけ・・・
小さなお堂はありましたけど。
そもそも、薬師寺は天武天皇(大海人皇子)が、妻である鸕野讚良皇后
(うののさらら・後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を発願(680年)。
ところが完成を待たずして、自分の方が病気になり崩御されてしまう。
残された皇后の方は病気が癒え、持統天皇として即位。夫の遺志を継ぎ
完成(698年)させた。
同時期に造営された藤原京へ飛鳥浄御原宮から遷都されている(694年)。
この頃は激動期、わずか16年で平城京へ遷都(710年)され、それに伴い
主要な寺院は移設されることとなり、ここも現在の薬師寺へと移される(718年)。
ただ、伽藍ごと移設されたのではなく、別に建立されたという説が有力です。
旧薬師寺と言わず「本(もと)」薬師寺と呼ぶのもそんなことからかな?
石碑は「元」になっていますけど・・・(^_^ゞ
西塔土壇跡の礎石
東塔土壇跡の礎石
金堂跡の礎石
ハイキングだろうか、子供たちのお弁当をひろげるテーブルになって
いましたけど・・・史蹟でっせ!
この金堂跡のところに1本の大きな木が・・・
この木の下で何やら木の実を拾われている方がおられたので、お話を訊くと
この木の実、「羽根つき」の羽根の黒い球の部分になるのだそうです。
木の名前も聞いていたのですが、忘れてしまい。帰ってから「羽子板の羽根」
とかで調べてみたら、すぐに分かりました。「ムクロジ(無患子)」という
木で、この実の中にある黒い種子に鳥の羽を刺して作るのだそうです。
羽根つきは「魔除け」の意味もあるそうで、読んでの字ごとく
「子が患わ無い」という意味で、無病息災の縁起をかついだとか。それに
大きな黒い目に見える、飛んでいる姿がトンボに似ていることから
疫病などを媒介する蚊にさされないおまじないの意味もあったとか・・・
デング熱予防対策に羽根つきは如何でしょう?(^_^ゞ
ちなみに種子を被う果皮の部分には泡立ち作用のあるサポニンを多く含み、
昔は石鹸として使われていたようです。学名も「Sap indus mukurossi」
Sap indusはインドの石鹸という意味、mukurossiはムクロジですね。
たまたま出逢って声を掛けてみたお蔭で、面白い勉強ができました♪
声を掛けたといえば、こちらも・・・
我が家のにゃんこさん、サラ君にそっくりの白猫さんが散歩していました。
写真を撮らせていただきましたが ちょっと迷惑そうですね・・・(^_^ゞ
外に連れ出しても飼い主さんの側を離れないんだそうです。おりこうさん♪
ウチのにゃんこなら逃げ回って捕まらなくなりそうですが・・・
にゃんこさん、目線の先は・・・いわし雲? お腹空いたのかな(笑)
空には入道雲がちらっと、まだ夏が頑張っていました。
2014.9/15、奈良県橿原市 本薬師寺跡にて。
本薬師寺跡(もとやくしじあと)。
聞き覚えはありますが、詳しいことは知りませんでした。ちなみに薬師寺は
奈良市西ノ京町にある世界遺産にも登録されている寺院です。
で、本薬師寺はというと、何とも長閑な田園地帯。
暑い日だったので、まだ夏が頑張っています。
近くに畝傍山(うねびやま)が見えます。ぽこんとした山ですが天香久山、
耳成山とともに大和三山と呼ばれ、国の名勝に指定されています。
蓮が一輪、季節を間違えたのか遅刻したのか・・・
稲は順調に頭を下げ出して・・・まだ青いですが。
曼珠沙華、咲き始めた頃でした(9/15)
萩が咲いていたので布袋葵とコラボ、萩の花を綺麗に撮るのは苦手w
こりゃダメだとボツにしようとしたら、大きなカマキリさんが写っていたので
採用♪・・・撮影した時は全く気がつきませんでした。(^_^ゞ
さて、本薬師寺跡ですが、それらしい建造物はありません。
金堂跡?に石碑がたっているだけ・・・
小さなお堂はありましたけど。
そもそも、薬師寺は天武天皇(大海人皇子)が、妻である鸕野讚良皇后
(うののさらら・後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を発願(680年)。
ところが完成を待たずして、自分の方が病気になり崩御されてしまう。
残された皇后の方は病気が癒え、持統天皇として即位。夫の遺志を継ぎ
完成(698年)させた。
同時期に造営された藤原京へ飛鳥浄御原宮から遷都されている(694年)。
この頃は激動期、わずか16年で平城京へ遷都(710年)され、それに伴い
主要な寺院は移設されることとなり、ここも現在の薬師寺へと移される(718年)。
ただ、伽藍ごと移設されたのではなく、別に建立されたという説が有力です。
旧薬師寺と言わず「本(もと)」薬師寺と呼ぶのもそんなことからかな?
石碑は「元」になっていますけど・・・(^_^ゞ
西塔土壇跡の礎石
東塔土壇跡の礎石
金堂跡の礎石
ハイキングだろうか、子供たちのお弁当をひろげるテーブルになって
いましたけど・・・史蹟でっせ!
この金堂跡のところに1本の大きな木が・・・
この木の下で何やら木の実を拾われている方がおられたので、お話を訊くと
この木の実、「羽根つき」の羽根の黒い球の部分になるのだそうです。
木の名前も聞いていたのですが、忘れてしまい。帰ってから「羽子板の羽根」
とかで調べてみたら、すぐに分かりました。「ムクロジ(無患子)」という
木で、この実の中にある黒い種子に鳥の羽を刺して作るのだそうです。
羽根つきは「魔除け」の意味もあるそうで、読んでの字ごとく
「子が患わ無い」という意味で、無病息災の縁起をかついだとか。それに
大きな黒い目に見える、飛んでいる姿がトンボに似ていることから
疫病などを媒介する蚊にさされないおまじないの意味もあったとか・・・
デング熱予防対策に羽根つきは如何でしょう?(^_^ゞ
ちなみに種子を被う果皮の部分には泡立ち作用のあるサポニンを多く含み、
昔は石鹸として使われていたようです。学名も「Sap indus mukurossi」
Sap indusはインドの石鹸という意味、mukurossiはムクロジですね。
たまたま出逢って声を掛けてみたお蔭で、面白い勉強ができました♪
声を掛けたといえば、こちらも・・・
我が家のにゃんこさん、サラ君にそっくりの白猫さんが散歩していました。
写真を撮らせていただきましたが ちょっと迷惑そうですね・・・(^_^ゞ
外に連れ出しても飼い主さんの側を離れないんだそうです。おりこうさん♪
ウチのにゃんこなら逃げ回って捕まらなくなりそうですが・・・
にゃんこさん、目線の先は・・・いわし雲? お腹空いたのかな(笑)
空には入道雲がちらっと、まだ夏が頑張っていました。
2014.9/15、奈良県橿原市 本薬師寺跡にて。