車が流氷研究所に着いたとき、あたりはすでに夜になっていた。この前来た時、丘から夜目にも白く見えた氷原は、いまは氷がとけ、黒一色の闇である。
(中略)
オホーツクの果てにもようやく春の息吹が伝わってきて、人々の気持ちも、どことなく華やいでくるらしい。
(流氷研究所でのコンパが)一時間もすると、みな勝手に歌を歌ったり、議論をしている。議論は学術調査隊のあり方や、教室の研究体制の問題など、かなり堅い話である。紙谷はこの研究所の実質的な責任者だけに、みなに取り囲まれて、次々と話しかけられている。
「その点をはっきりいってやってくださいよ」と一人がいうと、別の男が「断固追求すべきですよ」とテーブルを叩く。どうやら若い研究員たちが紙谷をつきあげているらしい。
美砂はそんな話になると皆目わからない。
(中略)
九時を過ぎた時、藤野が美砂の横にきてささやいた。
「これから飲みに行きます。一緒に行きましょう」
「どこへですか」
「駅の近くの“オホーツク”という飲屋です。そこまで行けば旅館もすぐです」
“オホーツク”という店は、入った左手にスタンドがあり、右手にボックスが四つほど並んでいる。地方のせいか全体にゆったりとして、東京のような狭苦しさはない。
(中略)
座はまた、賑やかになる。もう前のような難しい話はなく、研究途中でのゆかいな失敗談などを話している。酔ってはいても、若い男たちの席はすかっとして気持ちがいい。
(渡辺淳一『流氷への旅』より)
流氷の街紋別で、『オホーツク』という飲み屋を捜してみたのですが、見つからず、残念。しかし、「はまなす通り」って、何だか親しみの持てるネーミングですね。
そう言えば、『チェンジング・ブルー』の第11章の冒頭に寺田寅彦の言葉が記されています。
科学はやはり不思議を殺すものではなく、
不思議を生み出すものである。
寺田寅彦