DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

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続「ボクシング 10年」PartXVI(ホリフィールド、タイソン、ルイス)

2022年07月31日 05時46分02秒 | ボクシングネタ、その他雑談

このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)の、その後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。

2020年9月に、夢にまで見たSuperchamp1991というものを入手。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして、各階級の世界王者たちを簡単に紹介しています。

(マイク タイソンの陥落から始まった1990年代のヘビー級。タイソンも、ドン キング(左)氏も、そして前WBC会長のホセ スレイマン氏も、みんな若い!)

今回は、タイトルを見れば分かるよう最重量級のヘビー級となります。現在は、90.72キロ/200ポンド以上の階級ですが、当時は86.18キロ/190ポンド以上の階級でした。現実はもちろん、漫画やアニメでも日本人選手が世界のベルトを獲得した事のないクラスです(多分そうだと思います)。

まずは1991年春先時点での同級王者たちの顔ぶれを見てみましょう。防衛回数は当時のものになります。

WBAウェルター級:イベンダー ホリフィールド(米/防衛回数0)
WBCウェルター級:イベンダー ホリフィールド(米
/0)
IBFウェルター級:イベンダー ホリフィールド(米/0)

この時点から半年前の1990年10月25日に、ジェームス ダグラス(米)に圧勝し3つのベルトを獲得したホリフィールド。ちょうどこの雑誌が発売された時期に、42歳となっていたジョージ フォアマン(米)の挑戦を受け、歴史に残る大激戦を演じています(試合はホリフィールドの判定勝利)。常に激しい試合を繰り広げ、激戦王として人々の心を掴んだホリフィールド。このフォアマンとの一番、そして翌1992年から数年に渡り繰り広げられた、リディック ボウ(米)との3度の対戦は、彼の代表する試合と言ってもいいでしょう。

しかし1990年代初頭には、世界王者ホリフィールド以上に実力が認められ、世間の認知度も高かった選手がいました。その選手とは、後にホリフィールドと2度拳を交えるマイク タイソン(米)です。1990年2月に東京ドームで世界王座から転落していたタイソンは、順調に再起路線を歩み、一歩一歩ホリフィールドへの挑戦へと近づいていました。この時期のタイソンは、もう一人の実力者であったドノバン ラドック(カナダ)との大激戦シリーズの真っただ中にいました。

(1990年代ヘビー級の実力、注目度トップ3はやはりこの3人:左からレノックス ルイス、タイソン、そしてイベンダー ホリフィールド)

ホリフィールド、フォアマン、タイソン、そしてラドック。この4人が、1990年代初頭の4強だったことは有名な話です。ホリフィールドがフォアマンに判定勝利を収め、タイソンはラドックとの初戦で早すぎるTKO勝利。しかし初戦から僅か3ヶ月後の6月に組まれた再戦で、明白な判定勝利を収めライバル戦に決着をつけたタイソンは、究極のホリフィールド戦へと向かっていきます...。しかし、正式に対戦が決まるも、先ずは自身の怪我で延期に。そしてその後はレイプ事件が発覚し収監されることに。結局両者の対戦は、1996年11月まで待つことになりました。今振り返ってみると、5年待たされたとはいえ、「ホリフィールド対タイソン」戦がよく実現したと思います。

(実力は超一流だったドノバン ラドック。世界戦でその雄姿が見たかった)

戦国時代とも言われていた当時のヘビー級ですが、4強に加え、それに続く第2グループも充実していたのがその所以でしょう。1988年のソウル五輪のスーパーヘビー級の金メダリストで、後にホリフィールド、タイソンと死闘を繰り広げることになるレノックス ルイス(英)。ルイスに敗れ、銀メダリストに甘んじたリディック ボウ(米)。当時まだまだマイナー団体だったWBOのタイトル保持者レイ マーサー(米)。現在までの、最後の米国ホワイトホープとなったトミー モリソン(米)。彼からも4強に追い越せと言わんばかりに急激な成長過程を歩んでいました。

(米国ヘビー級の最後のホワイト ホープ、トミー モリソン)

「東京ショック」から始まった、当時のヘビー級戦線の戦国割拠時代。最終的な勝者はルイスだったと言っていいでしょう。ソウル五輪でボウを破り、アマチュアで頂上を極めたルイス。1992年10月には、当時「ひょっとしたらヘビー級最強では?」と言われていたラドックを226秒で沈め、プロボクシングの世界王座ヘの挑戦権を獲得。その後、戦わずしてWBC王者に認定されました。ポカ負けを喫してしまい、王座から陥落するも、モリソン、マーサーに勝利を収め、その後あっさりと王座に返り咲き。引き分けの後、再戦にホリフィールドに勝利を収め、ヘビー級王座を統一。2度目のポカ負けの後、ここでもあっさりと王座に復帰したルイスは、タイソンに引導を渡すと共に、自身がその時代の最強のヘビー級戦士であることを証明しました。

(1990年代、タイソンの影と戦い続けたホリフィールドとルイス)

2003年6月に行った最後の試合では、その後一時代を築く事になるクリチコ兄弟の片割れで、現在、ウクライナの首都キーフの市長を務めているビタリに負傷TKO勝利を収める事に成功。41勝(32KO)2敗(2KO負け)1引き分けという素晴らしい戦績を残し、世界王者のまま勇退しました。ルイスの功績は、彼の前時代の代表選手であるタイソン、ホリフィールドに勝利を収めると同時に、次の時代のクリチコ兄弟(厳密には兄のビタリ)に、しっかりとバトンタッチをしたということでしょう。

(タイソンからビタリ クリチコまでが活躍した1990年代のヘビー級)

プロでの活動期間が1984年から2011年と、ルイスを大幅に上回ったホリフィールドですが、キャリア後半になると、一級戦での戦いでは敗戦に次ぐ敗戦。負けても戦い続ける闘志は認めますが、純粋な世界ヘビー級王者としての実力は1.5級というのが妥当ではないでしょうか。

パンチがあり、ボクシングの枠を超え話題性満載のタイソンは、既に一時代前、ここでは一時代=10年ぐらいとしておきましょう、の選手。フォアマンに関して言えば三次代前。西部劇時代の大俳優ジョン ウェイン(米)の甥っ子で、映画「ロッキーⅤ」にも出演したモリソンは、あくまで名前だけの選手でした。ルイスには歯が立たず、マーサーにもボコボコにされています。

(レイ マーサーにボコボコにされたモリソン)

タフが売りのマーサーは、ルイス、ホリフィールドに善戦するも、あくまでマイナー団体の世界王者がお似合いの選手。後にウラジミール クリチコ(ウクライナ)に完敗。しかし何といっても惜しまれるのがボウ。マネージメントの問題や、情緒不安定といった面がありましたが、リング内での実力はピカ一。もう少し辛抱強さがあれば、歴史に残る選手にもなれたでしょうね。

ルイス、ホリフィールドの後にクリチコ兄弟が大時代を築いたヘビー級。現在はタイソン フューリーとアンソニー ジョシュアの英国コンビ、そしてクリチコ兄弟の後輩オレクサンデル ウシク(ウクライナ)に受け継がれています。来月末にウシクとジョシュアによる再戦が行われます。当然ながら結果は分かりませんが、ウシクのボクシングには、30年前には見られなかった新鮮味が感じられます。当時はまだ、世界ヘビー級にサウスポー(左構え)の世界王者はゼロ。そういえば1991年春の時点では、ソビエト連邦が存在していたため、ウクライナという独立した国家は存在していませんでした。


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