DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

この階級、この選手(レノックス ルイス:ヘビー級②)

2020年05月10日 08時34分58秒 | ボクシングネタ、その他雑談

1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

前回から最後の階級となるヘビー級となっています。イベンダー ホリフィールド(米)がその第一弾。続く第二弾は、ホリフィールドと2度拳を交えたレノックス ルイス(英)に登場して貰いました。

(今回の主人レノックス ルイス)

ルイスがこの四半世紀を代表するヘビー級選手の一人であることに疑いの余地はありません。プロ入り前、2度のオリンピックに出場し、1988年に行われたソウル五輪では見事にスーパーヘビー級で金メダルを獲得しています。プロでも世界ヘビー級王座に就く事3度。そして主要3団体の王座統一にも成功し、最期は王者のまま引退するという輝かしいキャリアの持ち主です。現在でもその実力は大変評価されているのですが、その割には地味な存在ですよね。何でだろ?そのキャリアがあまりにも順風満帆、あっさりとし過ぎなためでしょうかね?

1988年に韓国で行われたソウル五輪の決勝では、後の統一ヘビー級王者リディック ボウ(米)に勝利を収め金メダルを獲得したルイス。そのルイスがプロでの初陣を飾ったのはオリンピックの翌年にあたる1989年6月。ルイスは2003年の6月までリング活動を続けました。前回登場したホリフィールドは、ソウル五輪の前のロサンゼルス五輪に出場し、その年の11月にプロデビュー。2011年5月までプロのリングに上がり続けました。このようにルイスとホリフィールドのプロキャリアを比べてみると、ホリフィールドのそれがいかに長かったかが分かります。

(ソウル五輪で金メダルを獲得したルイス。右は銀メダルに終わったボウ)

私(Corleone)がボクシングに興味を覚えたの1990年代初頭。その時ルイスは、次期世界ヘビー級王者候補の一人として挙げられていました。それもそうでしょう、五輪金メダリストで、プロ入り後もその強打で連勝街道を進んでいたのですから。

プロ転向後、英国と北米(カナダとアメリカ)のリングを行き来しながらキャリアを積んでいったルイス。プロデビューを果たした1989年の戦績は6戦全勝(5KO)。翌1990年は8戦全勝(7KO)。その年の最終戦には、すでに欧州王座を獲得しています。1991年には英国王座を獲得すると同時に、元WBA王者マイク ウェーバー(米)や、1984年のロスアンゼルス五輪の金メダリストで、同大会でルイスを破っているタイレル ビックス(米)等強豪を米国のリングで立て続けにKO。その評価と世界ランキングをドンドン上げていきました。

ソウルで金メダルを獲得してからちょうど4年。ルイスがいよいよ世界の頂点に立つ時がやってきました。この年(1992年)は英連邦王座も吸収し、WBC王座への挑戦者決定戦では強豪ドノバン ラドック(カナダ)を3分46秒で撃退。後は世界挑戦を待つばかりとなっていました。しかし緑のベルトは、ルイスの腰に意外な形で巻かれることになりました。

ルイスがラドックを粉砕してから2週間。ボウがホリフィールドとの激戦を制し、3団体の統一ヘビー級王座を獲得しました(当時はWBOはまだまだマイナー団体として認可されていました)。「ルイス対ボウ」という新世代のヘビー級王者を決める一戦が行われると思いきや、ボウはルイスとの再戦を拒否。WBC王座を放棄すると同時に、そのベルトをごみ箱に捨てるという暴挙に出ました。これを見たWBCのホセ スライマン会長(現会長の実父)はカンカン。ボウが保持していたWBC王座を剥奪することは勿論、彼をWBCから除名してしまいました(まあ、当然でしょう)。それと同時に、すでにWBC王座への挑戦権を獲得していたルイスをそのまま王者に認定しました。

(WBCのベルトをゴミ箱に捨てるボウ)

戦わずして世界王者になったルイス。その王座を元IBF王者トニー タッカー(米)、英国の英雄フランク ブルーノ、中堅選手フィル ジャクソン(米)を破り順当に王座の防衛記録を伸ばしていきました。特に2度目の防衛戦となったブルーノ戦は英国では大変な反響を呼びました。

 

(英国ダービー「ルイス対ブルーノ」)

安定王者への道を歩み始めていたルイスが、思わぬところで落とし穴にはまることになってしまいました。1994年9月、指名挑戦者オリバー マッコール(米)を迎えて行われた4度目の防衛戦。ルイスが得意とする右パンチの打ち合いで撃ち負けてしまいKO負け。虎の子のタイトルを手放すことになってしまいました。マッコール戦後、ルイスは「無名のマッコール相手に油断していた」と批判されましたが、試合を振り返って見ると、ルイスの出来は悪くはなく、単純にマッコールが見事なパンチでルイスを沈めたように見えましたが...。

 

(マッコールの右に沈んだルイス)

当時私は、このルイスをそれほど評価していませんでした。体は大きく、一発で相手を仕留める強打もある。しかし体は固く、動きはぎこちない。何でこの選手が勝ち続けられるのか不思議でなりませんでした。その逆に、私はボウを非常に高く評価していました。しかし先に述べたようにWBCのベルトをごみ箱に捨てるなど、リング外での態度に大きな問題を抱えており、結局はそれが原因となり、大成することは出来ませんでした。

プロで初黒星を喫したルイスに大きな転機が訪れます。世界王座への復帰を目論むルイスは、その陣営に伝説のヒットマン トーマス ハーンズ等を育てた名伯楽エマニュエル スチュワート氏(米)を迎え入れ、ボクシングに幅を持たせます。スチュワート氏がチームに加わった後、ルイスのボクシングには安定度がグッと加わり、再起路線を順当に歩いていきます。

名俳優ジョン ウェインの甥っ子で、ロッキー5にも出演した元WBO王者トミー モリソン(米)や、タフが売りのレイ マーサー(米)等強豪を相手に連勝を重ねていったルイス。王座から転落してから2年半、ようやく世界の檜舞台に再び立つことになりました。

ルイスが2度目のヘビー級王座獲得を目指し世界戦に出場したのは1997年2月。マイク タイソン(米)が放棄したWBCのベルトを賭け、宿敵マッコールと再び拳を交える事になりました。スチュワート氏に指導を仰ぐことになって以来、左ジャブをより有効に使い、試合の組み立てが格段に向上していたルイス。ライバルを完全にアウトボクシングし、棄権に追い込むことに成功。雪辱を果たすと同時に、WBC王座への返り咲きを果たしています。しかしこの試合、マッコールがルイスの強打を恐れるあまりに逃げまくり、最期はリング上で泣き出すという有り様。マッコール曰く、「アリのようにロープアドープでルイスを疲れさせ、最期はKOするつもりだった」そうです。まあ、自分をモハメド アリに、そしてルイスをジョージ フォアマンに例えるのは自由ですが、決してアリは逃げ回らなかったように記憶しているのですがね...。

(マッコール、何を泣く!?)

何はともあれ世界王座に返り咲いたルイス。順当に防衛回数も伸ばし、統一ヘビー級王座になること次なる目標に掲げました。

ルイスが獲得した王座(獲得した順):
欧州ヘビー級:1990年10月31日獲得(防衛回数3)
英国ヘビー級:1991年3月6日(2)
英連邦ヘビー級:1992年4月30日(1)
WBCヘビー級:1992年12月14日(3)(WBC認定される)
IBCヘビー級:1995年10月7日(0)
WBCヘビー級:1997年2月7日(9)(2度目)
IBFヘビー級:1999年11月13日(3)(3団体統一ヘビー級)
WBAヘビー級:1999年11月13日(0)(3団体統一ヘビー級)
IBOヘビー級:1999年11月13日(3)(一応統一)
WBC/IBF/IBOヘビー級:2001年11月17日(2)(WBCは3度目の獲得)

当時ルイスが欲しかったIBFとWBAのベルトを保持していたのは鉄人ホリフィールド。老舗英国の代表ルイスと、現在のボクシング大国米国の牽引車であったホリフィールドが対戦したのは1990年3月、場所はボクシングの殿堂ニューヨーク州にあるマジソン スクエア ガーデン。闘志むき出しのホリフィールド対それをさばこうとするルイス。最重量級に似合わない技術戦に終始したこの戦いは、不完全燃焼な引き分けという結果となってしまいました。試合後、この判定に対し大きな論争が起こりましたが、それもその年の11月に行われた再戦で決着。ルイスが僅差ながらも明白なの判定勝利を収め、3団体統一ヘビー級王者の座を獲得しました(これまでに何度も書いてきましたが、WBOが主要団体として認められるようになったのは、つい最近の事です)。

(ホリフィールドを下し、3つの王座を統一したルイス)

20世紀最後の年はヘビー級絶対王者ルイスにとって、充実極まりない一年となりました。まず4月に、マジソン スクエア ガーデンのリングで、次世代の米国ヘビー級を引っ張っていくだろうと期待されていたマイケル グラントを2回で沈めます。7月には母国イギリスで、人気者フランソワ ボタ(南ア)をこちらも2回で圧勝。11月にはラスベガスのリングに立ったルイス。そこで南太平洋の刺客デビット トゥア(サモア)に大差判定勝利。ルイスにとって、まさに最高の形で20世紀を終える事が出来ました。

しかしここがルイスらしいというところでしょうか、南アフリカの地で中堅選手ハシム ラクマン(米)に足元をすくわれてします(ルイスのKO負け)。この番狂わせが起こった時、だれもが「またか、油断でもしたんだろう」と呆れ返っていました。案の定8ヶ月後に行われた再戦では、ラクマンを圧勝しあっさりと王座に返り咲き。ポカをやってもすぐに立ち直るというのもルイスらしいと言えばそれまでです。

この後、念願のタイソンとの一戦を実現させ、ピークをとうに過ぎたライバルをKO。そして2003年6月に行われたビタリ クリチコ(ウクライナ)に負傷TKO勝利を収めた後、王者のまま現役から退いています。

 

(タイソンには快勝、クリチコには辛勝したルイス)

ルイスの終身戦績は41勝(32KO)2敗(2KO負け)1引き分け。第一戦で勝利を収められなかった相手には、すべて再戦でケリをつけています。ヘビー級王座を3度獲得し、3団体のベルトの統一にも成功。ホリフィールドやタイソンといった歴史に残る名選手たちのも勝利を収めたルイス。しかしそのボクシングがあまりにも堅実過ぎるためでしょうか、ホリフィールドやタイソンほどファンを沸かせることが出来ませんでした。

そういえばルイスは、現役時代からかなりのチェスの腕前があったと聞きます。そのあたりもルイスのボクシングや普段の行動にも反映されたのかもしれませんね。

(チェスを楽しむルイス)

引退後はボクシング・アカデミーを設立する話もありましたが実行せず。移り住んで米国のフロリダ州でミス・ジャマイカにもエントリーした経験を持つ美妻と3人の子供たちとのんびりと暮らしているようです。

(ルイスと別嬪妻)

(ジャマイカには豪邸を持っているルイス)

ルイスは中々国際色豊かな人物で、カリブに浮かぶジャマイカにルーツを持つ英国人。12歳の時に移り住んだカナダの代表として2つの五輪に出場。プロ入り後は米国でトレーニングを積むという生活を送っていました。

(引退後のタイソン、ルイス、ホリフィールドの三つ巴!)

現在はタイソン フューリーやアンソニー ジョシュアを筆頭に非常な盛り上がりを見せている英国ヘビー級戦線。しかし当時のヘビー級は、米国勢に支配されていました。現在の英国の興隆の礎になったのがルイスだったと言っても過言ではないでしょう。


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