キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

紀元節に

2020年02月12日 | Weblog
朝、下の息子がどうやったらいいんだと云いながらも、何時も観ていたので一人で国旗を掲揚した。
母のところへ一緒に出かける時にみたら風が割とあり綺麗に靡いていた。
上の息子が右巻きの考えに共鳴して、一時は政党に入り活動をしていたがその時に門の左側の庭に支柱を立てて国旗を買って掲揚するようになった。
僕も基本的には保守の考え方を持っていて、2000年以上続いた国の中心にいた天皇家は国柄の重要な部分を占めていると思うので、日の丸に対して否定的な考えは全くない。
それに先の大戦で父が予科練から海軍航空隊に行っているので、旭日旗に対しても敬意を抱いている。
国家に一たび存亡の危機があれば命を投げ出すつもりでもいる。
今回の自衛隊のペルシャ湾への調査の出動、実際は日本の民間船の護衛防御の任務だろうが、左巻きの人たちが反対している意味が理解できない。
民間人が無防備で運んで来た石油の恩恵をのうのうと享受していることを何とも思わないのだろうか、タンカーに乗っている人たちの家族の事を考えたことがあるんだろうか。
せめて非力だが護衛を付けてやろうと考えるのが人間の心ってもんじゃないのかねえ。

話しが何時ものように横道にそれたが、下の息子と母のところへ行って二人で足のマッサージをやった。
富士山が綺麗だったので山の中の道を通って存分に眺めた。
秦野は二宮と違い感覚として北側に大きく富士が観えて把握力がある。
丹沢山系も麓から観えるので素晴らしい眺めなんだ。

昼に帰って来ると妻がメンチカツを作っていた。
飯を炊いてないので聞いたら、野菜おじやを作るという。
メンチカツはやっぱり炊き立ての白米と味噌汁、漬物がいいねえ。

1時からNHKでドラマを観た。
少し観たら前に観たことがあるやつだった。
戦争中、戦争を鼓舞する絵を描いたことで戦後批判され生き辛さを感じる画家の話だが、国民であれば協力をするのが当然な訳で、権力の要請で過度に呷ったのは大衆だったんだけどねえ、そういった人達は手のひら返しでそんな事は無かったこととし戦後民主主義を称賛した。
戦前を全否定するGHQに依拠した戦後民主主義者の安易なやり方でなく、昭和の前半の歴史の意味をきちんと検証して行くことをしなければいけないのだが、まだ、それを指揮する大きな器を持ったジェネラリストが出ないんだなあ。

夕刻、下の息子と葛川に沿って北へ向かって散歩した。
祝日のせいか吾妻山に上る人が多く秦名街道は混んでいた。

晩は妻が昼にメンチカツを多量に食べたせいで飯を作る気力が減退していて、鯵の酢締め、白菜と豚肉のミルフィーユ鍋、ひじき煮と云ったシンプルなものだったが、ストーブで「菊正純米生酛辛口」をぬるく漬けてゆっくりと呑んだ。
最後はカルバドスを出してきて飲んだが、乾きもののつまみを多量に仕入れたので長く飲んでしまった。
9時から新日本プロレスのドキュメンタリーの再放送があり、今度は見逃してはならじとブランデーグラスにつまみを持って母の居間に移動した。
新日本プロレスは1972年アントニオ猪木によって作られたが、父が猪木ファンだったのでテレビ放映が始まった時から観ていた。
大分前からゴールデンタイムから消え、団体そのものが消滅したのかと思っていたが、時々深夜枠でやっていることが分り、まだやっているんだと思っていた。
ところが、オランダ出身のハロルド・メイがCEOになってV字回復したようでその様子を追った番組であった。
東京ドームの正月興行で2日で7万人集客したんだから全盛期と同じレベルなのに驚いた。
この人上品な教養ある優しい感じの紳士で、とても不調企業を再生してきたやり手とは思えなかったが、現状分析と的確な施策が企業はよみがえるわけだから勇猛果敢である必要はないわけだ。
かつてはTVがキーだったが、SNSでの情報発信を基軸にしていた、ここでも地上波の衰退は顕著だ。
もう一つこの人が優れている点はアメリカに進出した点で、もう40年まえから日本プロレスのレベルはアメリカを凌駕していたが、如何にプレゼンするかについてのノウハウが無かった。
2000人規模の会場で始めたばかりでこれからだが、この人の冷静で果敢な戦略が功を奏する可能性は高いと観た。
日本は2000年以上同一国家、同一民族が国を維持してきた世界最古の国で、そこで培われた伝統と文化は時間に耐えた優れたものなのだから、それが現代的な衣装を纏うプロレスであれ、アニメであれ、ショコラティエであれ、この優れた文化に裏打ちされているわけだから、プレゼンの方法を間違わなければ世界を席巻するだけのレベルなんだということをいい加減に自覚したほうがいいと思う。

という訳で10時からはパリ・デュ・ショコラのドキュメンタリー番組を観た。
日本人の優れた味覚と器用な腕、繊細な感覚をして右に出るものはなく、新しいカテゴリーの事柄でも時間をいただければ石灰位置になって何ら不思議はない。
世界のショコラティエ100人に14人の日本人が選ばれたが、20年もすれば50人になるんじゃないかな。





コメント
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