キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

爽やかな一日

2018年06月02日 | Weblog
6時過ぎに目が覚めたが、首が疲れて重く目覚めが悪い。
昨夜は零時過ぎに目が覚めて鈴木としお「浅草のおんな」冬青社を読了した。
一番面白かったのは北野武の章で、師匠の深見千三郎について書かれたところだった。
あまり深見について書かれた物を読んだことがなく、初めてかなり詳しく生い立ちを知った。
TVに行かずに最後まで浅草の板の上に立ったので、浅草に通わなかった人には知られなかった。
鈴木としおが、北野武が受けた理由として、世間の人達の最終学歴が高くなったことを挙げているが、渥美清から北野武へ芸の質が変わっことに成る程と合点がいった。
今朝は合田道人「昭和歌謡の謎」を読み始めた。

7時半に起きて雨戸を開けて風呂に入り、朝飯を作った。
昨日妻が作ったスナップエンドウと隠元のポタージュスープを温め、塩鮭を焼き、高野豆腐、納豆、胡瓜の糠漬け。

10時までシェルリ・クロウを聴き、東へ向かい散歩に出掛けた。
途中、梅を少しいただき、見晴らしのいい畑がひろがっているところで北を観たら、近くの山の緑が青空に映えてくっきりとして、大山が蒼く白い雲がその上にたなびき、本格的な夏が来たなあとつくづく感じた。
ヤオマサでは鰤が大漁で1メートル近いのが1本1,000円で無造作に樽に頭から突っ込まれて売られていた。
さすがに持って帰れないので男節を買い、いかにも新鮮で美味そうな朝どれの鯵4尾を買った。

帰りは東海道の南まで歩き、葛川沿いを西へ歩いたが、途中で農家のオヤジさんに暑いだろうと声を掛けられたのを切っ掛けに、オヤジサンがビニールハウスで作っている谷中を分けてもらった。

昼は豆ご飯、叉焼、鰤刺身、谷中となり、何れも実に美味かった。
息子二人は伊豆に車で出掛けたが、娘がやって来て一緒に食べた。
食後プレシネを母の部屋で見ていたら美味い珈琲を淹れてきた、僕はチョコレートからブランデー、ワインへと生業が変わって、それぞれ世界一美味いものを口に入れてきたが、娘が珈琲をやりだして美味い珈琲というものが分かった。
息子二人が寿司屋と蕎麦屋になっていれば云うことなしだったんだがね。

プレシネはダスティン・ホフマン監督の「カルテット」、音楽家が集まる老人ホームでかつての名演奏家や歌手が衰えたと云えども、昔とった杵柄、ガラパーティでその技量を魅せる。
ヴィヴァルディの最高傑作と云われるリゴレット四重唱を巡る物語。
台詞の少ない脇役には実際に年老いた音楽家を使ったところが面白い、ホフマン監督のアイディアなのかな。

2時半過ぎに2階に上がり昼寝をし4時に目が覚める。
晩飯に呼ばれるまで、「昭和歌謡の謎」を読む。
渡辺はま子「あゝモンテンルパの夜は更けて」は涙なしには読めなかった。
モンテンルパが捕虜収容所であったことは知っていたが、そこでこのような経緯があったことを正確に知らなかった。
渡辺はま子は、40年も前にこの歌や「支那の夜」を聴いたことがあり、李香蘭のように支那で活躍していた歌手だと思っていたが、その行動原理は全く違った。
戦中慰問で何度も訪れた支那で終戦を迎え、捕虜として辛酸をなめ、引き上げ後も国のために戦った兵隊が捕虜となっていたにもかかわらず、ほとんどの日本人が一夜にして手のひらを返したように見殺しにし、敬意をもって遇さなかった時に、歌で元気づけようと孤軍奮闘した立派な人なんだなあ。

晩飯は鰤の刺身、鯵のなめろう、キャベツベーコン炒め、谷中、胡瓜糠漬け、隠元、叉焼だった。
焙じ茶を淹れて飲んだ。

野球、新日本風土記松本、Dasiy Luckを観る。
今の若い人の恋愛は率直なんだなあ、無駄に傷つけ合うことが少なくなるなあと観ていた。
きちんと向き合わず話を十分しないで、カッコつけて別れてばかりで、後悔の多い人生を思った。
コメント
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