朝、鎌倉の客先へ最後の挨拶へ行った。
大船で須賀線に乗り換えたらやけに混んでいたが、鎌倉に着いたら人が多いので吃驚した。
学生が卒業をして仲間と示し合わせて鎌倉散策を愉しんでいるのに加え、オバサンのグループも多く、女は暇でいいなあとつくづく思う、おっといけない、世は平和でつくづくいいなの言い間違いでした。
八幡様から金沢へ抜ける道の途中に一軒の客先があり、道の反対側の路地の奥が永井龍男の家で、彼が取り寄せて植えた多彩な桜が庭に沢山植わっているのだが、まだ花を持っていなかった。
花時になると、この酒屋からピンクの幕が張り巡らされたように見えるとのことで、あと10日ほどでその幕が張り巡らされることだろう。
夜、テンダロッソで送別会を開いてもらい、3人でワインを7本飲んだ。
さすがに二日酔いである、起きずにベッドで横になってうだうだしていよう。
なるべく休んで嵐が体内を過ぎ去るのを待つしかない。
酒を飲み始めて40年以上経つが、未だに飲み過ぎるのはどうした訳か、飲酒は経験が知恵にならない。
世はお彼岸である、父が眠る墓に秋の彼岸以来長らく行っていない、寂しがっているだろう。
毎日仏壇には茶と飯と花を供えて線香を上げているが、位牌と写真があるだけなんだが、親父の何かが漂っているように感じるから不思議だ。
墓には骨が入っていて、実態はそこにあるのだが、毎日墓参できないから仏壇を作って拝むのだろう。
西部邁と佐高信は左右の論客と目されているが、この二人の掛け合いは漫才より面白い。
あまり意見が対立しないのは右であれ左であれダメなやつはダメで、その点で意見が合うからであり、右から行っても左から行っても行き着くところは同じなんだと云うことだ。