昼は何時ものように「駒」に行き、ちらしを喰った。
親方から、昔居た弟子が、鎌倉に店を出すのでと案内状を貰った。
もう7,8年前になるのだろうか、そのこが店をやめたのは、銀座の鮨割烹に移って修業を続け、バーテンダーの伴侶を娶り、二人で長谷観音から大仏に行く道の途中に、和食を肴にカクテルも出す店をやるようだ、〆はもちろん蕎麦だろう。
店にいたときは昔気質の親方に怒鳴られていたのに、一度店に入って教えたこは、何時までも面倒を見るところが凄い。
薬を飲んでいるので足の調子が少しだけ良くなり、伊勢佐木町を歩きBOへ行った。
矢沢永一「百言百話」中公新書1985年初版 1996年23刷 これは11年で23刷だからロングセラーで大したものだ。
語り 森繁久弥 文 久世光彦「大遺言書」新潮社 2003年は、確か出た時によっぽど買おうと思って止めた記憶がある。
読みたい本がたくさんあるのだが、仕事の性格上、飲みに行かなきゃいけない店があり、ここのところ中々纏まった時間が取れず、電車の中と朝早く起きた時に読むだけだ。
こないだの日曜日のように、一日中読む時間があると、とてもうれしいのだが、4,5時間も読むと飽きてしまう。
寸暇に集中して読むほうが楽しみが大きいのかもしれない。
親方から、昔居た弟子が、鎌倉に店を出すのでと案内状を貰った。
もう7,8年前になるのだろうか、そのこが店をやめたのは、銀座の鮨割烹に移って修業を続け、バーテンダーの伴侶を娶り、二人で長谷観音から大仏に行く道の途中に、和食を肴にカクテルも出す店をやるようだ、〆はもちろん蕎麦だろう。
店にいたときは昔気質の親方に怒鳴られていたのに、一度店に入って教えたこは、何時までも面倒を見るところが凄い。
薬を飲んでいるので足の調子が少しだけ良くなり、伊勢佐木町を歩きBOへ行った。
矢沢永一「百言百話」中公新書1985年初版 1996年23刷 これは11年で23刷だからロングセラーで大したものだ。
語り 森繁久弥 文 久世光彦「大遺言書」新潮社 2003年は、確か出た時によっぽど買おうと思って止めた記憶がある。
読みたい本がたくさんあるのだが、仕事の性格上、飲みに行かなきゃいけない店があり、ここのところ中々纏まった時間が取れず、電車の中と朝早く起きた時に読むだけだ。
こないだの日曜日のように、一日中読む時間があると、とてもうれしいのだが、4,5時間も読むと飽きてしまう。
寸暇に集中して読むほうが楽しみが大きいのかもしれない。