大阪では難波のホテルスイス南海に泊まりましたが、朝散歩に出たらホテルの前に蓬莱があり、九時から豚まんを蒸かし販売しておりました。もうかれこれ十五年になるでしょうか、関西の友人がこの蓬莱の豚まんを喰わせてくれた事があり、そのときはやけに甘い豚まんだなあと、私の口に合わず当然感銘も受けず、その後蓬莱には新大阪の駅のお店の前に人だかりを見るのみで興味を抱きませんでした。
横浜中華街にはかれこれ二十五年前から贔屓にしている中華まんがあり、と言いましても最初その店は中国の雑貨店で店主である親爺は商売に不熱心で、中国語新聞を発行することに情熱を傾けるジャーナリストでした。二十五年前の或る日店の前を通ると、親爺が一生懸命小型麺棒をつかって餃子の皮を伸ばしておりました。何やってるのと聞きましたら新聞にお金がかかるので、饅頭、しゅうまい、餃子などを売って足しにするとのこと、それ以来彼が作る饅頭しか食べなかったので、その味に馴れ、またそれが美味いと思うようになっていたのです。豚まんもあんまんも一個150円で長いことやって、5年ほど前に180円に値上げをしました。良くこねて作った皮が美味く、中身のアンが少ないと子供たちから文句をよく言われましたが、彼らが味が分るようになったときには、中華まんは皮が命だと言うようになり、しかり、と実に嬉しく思ったものでした。その親爺が二年ほど前から姿を見せなくなり、饅頭の製造販売も終わり、店先には二三人の占い師が陣取っております。その占い師に親爺は何処へいったと聴いても知らないらしく、こんな占い師じゃ失せ人探しなんか絶対無理だよなあ。親爺の行方は妖として分らず、親爺の肉まんも幻となって二冬が過ぎようとしています。
親爺の肉まんが幻となってから、正華楼、万陳楼、清風楼等々色々な店の肉まんを買って食べるのですが、多くは機械生産で、あの親爺のしつこく練り上げた皮の歯ざわりと味わいが出ておりません。それに価格も多くは300円前後と価格にシビアな中国人がつける値段としては高すぎます。今回蓬莱の豚まん140円也を食して、味が以前のように甘く感じない事、価格がリーズナブルな事、これなら横浜中華街の肉まんを食べるたびに思う憤慨を感じなくて済み、食い倒れの街の面目躍如たるものを感じました。
横浜中華街にはかれこれ二十五年前から贔屓にしている中華まんがあり、と言いましても最初その店は中国の雑貨店で店主である親爺は商売に不熱心で、中国語新聞を発行することに情熱を傾けるジャーナリストでした。二十五年前の或る日店の前を通ると、親爺が一生懸命小型麺棒をつかって餃子の皮を伸ばしておりました。何やってるのと聞きましたら新聞にお金がかかるので、饅頭、しゅうまい、餃子などを売って足しにするとのこと、それ以来彼が作る饅頭しか食べなかったので、その味に馴れ、またそれが美味いと思うようになっていたのです。豚まんもあんまんも一個150円で長いことやって、5年ほど前に180円に値上げをしました。良くこねて作った皮が美味く、中身のアンが少ないと子供たちから文句をよく言われましたが、彼らが味が分るようになったときには、中華まんは皮が命だと言うようになり、しかり、と実に嬉しく思ったものでした。その親爺が二年ほど前から姿を見せなくなり、饅頭の製造販売も終わり、店先には二三人の占い師が陣取っております。その占い師に親爺は何処へいったと聴いても知らないらしく、こんな占い師じゃ失せ人探しなんか絶対無理だよなあ。親爺の行方は妖として分らず、親爺の肉まんも幻となって二冬が過ぎようとしています。
親爺の肉まんが幻となってから、正華楼、万陳楼、清風楼等々色々な店の肉まんを買って食べるのですが、多くは機械生産で、あの親爺のしつこく練り上げた皮の歯ざわりと味わいが出ておりません。それに価格も多くは300円前後と価格にシビアな中国人がつける値段としては高すぎます。今回蓬莱の豚まん140円也を食して、味が以前のように甘く感じない事、価格がリーズナブルな事、これなら横浜中華街の肉まんを食べるたびに思う憤慨を感じなくて済み、食い倒れの街の面目躍如たるものを感じました。