▼豊洲問題は、世界最高水準の文明都市、東京都だけの問題ではなく、戦後、我が国の高度経済成長政策の過程で「政・官・産」の三位一体体制があまりにも親密化し、さらなる経済成長を目標として、そこから生まれる税金を、我がものように使用できる仕組みが出来上がった結果ではないだろうか。特に財政の潤沢な東京都では、都市計画の大型プロジェクトは産(大手ゼネコン)が企画立案し、それを知事と同時に都議会最大会派へもプレゼンする。それを職員が実行するというシステムが磐石になってきたのが現状なのだろう。そこにオリンピックという、無制限に儲けるプロジェクトが始動する。だが、三位一体の脇が甘くなって露呈したのが、豊洲問題ではないかと、この頃そのように、勝手に推測するところに至っている。
▼興味が豊洲に注がれている間に、民進党の党首選が始まった。野党第一答の党首選だというのに、豊洲問題のほうに、圧倒的に興味が惹きつけられてしまった。小池知事の人気に乗じての蓮舫さんの登場なのだろうが、蓮舫さん、小さなは箱車の中で一人で喜んで走り回る、ハムスターにしか見えてこないというのが、私の印象だ。そんな最中、アベ内閣の支持率は55,7%に上昇した。そのアベ総理、12月にもプーチン大統領を地元山口県に招待し、北方領土返還を匂わしている。それを受けてか、鶴保沖縄北方担当相が、北方4島の視察に根室を訪れている。前担当相は4島の中の島名を読めなかった。今度の鶴保さん、最近スピード違反で捕まっている。担当相が変わるたびの視察で、まったく返還の希望すらもなければ、地元は視察に来なくてもいいと思っているはずだ。
▼豊洲問題や沖縄基地問題、日本を揺るがす問題が山積しているのに、アベ総理は国連総会出席のため、ニューヨークに向かっている。羽田での談話が勇ましい。「今こそ国際社会が一致結束して北朝鮮に毅然と対応していかなければならない。新たな国連(制裁)決議の採択に向けて、リーダーシップを取っていく考えだ」と、絶好調だ。この自信ありげな態度が内閣支持率につながっているのだろうか。北朝鮮の制裁に世界のリーダーシップを取るなど宣言したら、北朝鮮は、すべてのミサイルを日本に向けるだろう。アベ総理は拉致問題など眼中にないと、世界に発信するようなものではないか。その強硬姿勢を背に、稲田防衛相も米国のカーター国防長官に、安保関連法での日米共同作戦行動の実行を約束した。次期南スーダン派兵に向け、青森の第9師団は、実弾訓練などの実践即応訓練をしているという。
▼我が国は、最高法規という憲法が放棄した戦争を、憲法を改正しないままに、戦争をする「安保関連法」を成立させた。多くの憲法学者がそれを違法と唱える。だが、周辺からの軍事脅威を煽り、声高に自衛権は正当と主張する。自衛権は国際法上認められているが,海外での武力行使は禁止されてきたのが我が国の常識だ。この常識を崩し、PKO活動で、米軍との一体行動をとると、アマゾネス・トモミ防衛相は動き出した。我が国が戦後初めて、戦争に加担する可能性が目の前に迫ってきたのだ。先の戦争でも、世界初の原子爆弾を2発も落とされても、なお戦いの意志を示していたのが軍隊だ。勝つまで戦うのが軍隊の宿命なのだ。アベ総理は自衛隊を「国防軍」にすると明言している。それでも国民の支持率が下がらないのが、最近の日本の、最大の不思議ではないかと思う。
▼自民党改憲草案の第13条だ。現憲法では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、“公共”の福祉に違反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」とあるが、改憲草案では「・・・・“公益”及び“公”の秩序に反しない限り・・・・」とある。公益や公というのは、国の利益や国と解釈していいだろう。だが、私たちが普段慣れ親しんでいる“公共”とは、どんな意味なのだろうか。簡単に削除できるものなだろうか。
▼戦争への匂いが我が国に漂い始めたのは、、小泉元総理の時代から顕著になってきたような気がする。米国のテロとの戦いに異常に反応し、後方支援という戦争に巻き込まれる行動に出た。さらに、アベ総理も我が国の憲法学者をも無視する、憲法解釈だ。この頃、日本の政治・経済・教育などさまざまな領域で、哲学の不在が続いているような気がする。イラク戦争に参加した英国では、その検証が行われ、間違いだという結果が報告されている。我が国では、それがまったくなされないので、アベ総理のような哲学不在の総理の出現につながったような気がする。
▼自民党改憲草案で、削除する“公共”という概念、それに変わる“公益”や“公”という意味が持つ国民への影響はなにか。公共とは、国と国民が作り出す「統一概念」というように理解する。だが、アベ総理は「国民主権」という憲法の大原則を「国家主権」に変更しようとする考えがちらつく。改憲草案の前文には「自助・共助」も謳われているというから「国家主権」だった時代の「滅私奉公」という言葉もちらついてくる。
▼「公共哲学」という学問の分野があるという。公共という概念に哲学を持ち込むというものだろう。かつて米国では、なかなか実を得ない環境問題に、倫理学を持ち込み「環境倫理学」という分野を確立した。公共という言葉が削除される改憲草案。今まで国民が親しんでいた公共という言葉に、あらためて哲学を持ち込んで考える時代がやってきたような気がする。
▼アベ総理は日本にとどまらず。海外に飛んで、メッセージを発する。それを我々国民が言い過ぎではないかと叩いても、またどこかに出没してメッセージを発する。国民をそちらに気を引かせ、国内では、野党の体たらくと国民の高い支持を後ろ盾に、着々と長期政権への道をまっしぐらに走っているようだ。なんだか私もアベ総理には、
モグラ叩きをさせられているように、気分を分散されているのかも知れない。
▼私がブログを書いているのは庭のそばの部屋だ。誰かが窓ガラスを叩いたので、顔を向けたら野鳥のヤマガラが、すぐ側でガラスをくちばしで叩いていたのだ。ブログが長たらしくなって来たので、いい加減に終わったらという合図のようだ。素直に従うことにしよう。ヤマガラが飛び去った向こうには、日本晴の鮮やかな秋空が広がっていた。