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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

情けは人の為ならず

2013年12月16日 14時34分14秒 | えいこう語る
格言を間違って解釈していたというのの代表的なものは「情けは人の為ならず」だろう。
人に親切にしていれば、めぐりめぐって自分にもよい報いがあるという解釈が正しい。
しかし、私たちのように戦後生まれで生活が困窮していた時代は、人に情けなど掛けると、人は甘え、かえってその人の為にならない。見てみぬ振りしたほうが、その人の為という解釈をしていた。
苦しみを乗り越えれば人間は強くなる、それも一理あるので解釈を間違っていたのだ。
※今年の1月23日の朝。


北朝鮮で、NO2と称されていた張成沢が、逮捕後すぐに処刑されたという、ショッキングな事件が報道されている。
さらに、他の側近たちも大勢処刑されたのではないかという憶測まで飛んでいる。
あの国の経済事情は、我が国の戦後を思い出す光景だ。それ以上かもしれない。
困窮している人は道端に転がるほどいる。いちいち情けなど掛けていれば、自分が生きていけないのだ。それに、国の政治に反対するものなら、直ちに連行されそうな国情である。
まさに疑心暗鬼の国、北朝鮮だ。
この国でも「情けは人の為ならず」というのは、間違った意味が正しいとされているに違いない。
王道としては。本来の意味で善政をひくことにより、国民の尊敬を増すに違いない。
だが軍事政権下のこの国では、恐怖政治から抜けきれない。それが、弱体化すれば、政権が崩壊する。
北の僕ちゃんは、真実が何かをかなり混同しているようだ。周囲も正しいことを教えていないのだろう。
すぐ牙をむく裸の王様は、我が国の周辺に住んでいるのだ。
こうなれば防衛体制を強化しなければならないというのが、アベ政権の常套手段だろう。
集団的自衛権の行使とやらで、米国に肩を並べる軍事力を、世界に披露する時期がやってきたのだ。
特定秘密保護法などというもの、そんな事態を想定しての法整備に違いない。
秘密保護法など、行き着く先は北朝鮮の「粛清」ではないか。
政府にとって都合悪い存在は、世間から抹消しようということだ。
北朝鮮と対峙する韓国では、秘密保護法案なるものは、以前議会で否決されたという。
軍隊のある国でありながら、この法案が否決されたというのは、よほど非人道的な法案なのだろう。
我が国の僕ちゃんも「情けは人の為ならず」という格言を、間違って理解しているのではないか。
TPPさらに消費税。国民をいじめるのは、北の僕ちゃんとそう変わりはないようだ。
アベちゃんを支える側近にも、日本語を相当間違っている人物がいるから心配だ。
今時、戦争する国にするなんて、核戦争という「ミゾユウ」の惨劇を見るからだ。
それ以上の続きは見たくないと思ったところで、マインド・コントロールが作動し、夢から覚めた。
今日も低気圧の影響でウニ漁は中止だ。
世界中が異常気象のようだが、福島第一原発事故がその原因ではないかと、ちょっと心配にもなる、北風が身にしみる寒い朝だ。


環境倫理学

2013年12月15日 12時34分48秒 | えいこう語る
地球規模での環境破壊が問題になり始めた70年代、米国を中心にエコロジー運動の哲学的・倫理学的基礎の解明を目指して生まれた思想が「環境倫理学」だ。
人類10万年の歴史の中で、わずか150年間の世代が、化石燃料を使い果たしてしまいそうな勢いだ。さらに化石燃料による、地球温暖化が問題になる。
そこで、新エネルギーのエースと持てはやされたのが、原子力エネルギーだ。
しかし、この地球環境を守ろうとするエース、倫理観がまったく欠如していたのだ。
福島第一原発事故は、電力会社と国の倫理観のなさを実証した。
50年代から半世紀で、地球の人口は2倍になったという。
人間が生きるために、自然破壊が加速したのは間違いない。
自然が破壊されると、人間は生きづらくなる。だが、人間は間引きをおこなわない。
地球のどこかでは、戦争という名の間引きに近い行為はあるが、自然との均衡を保つほどのものではない。
北海道の自然環境を守るため、増えすぎた鹿の間引きが行われている。昔は狼がいて鹿の天敵になっていたが、狼が人間の生活を脅かすので、人間が絶滅させたため、鹿が増えたのだ。
その鹿を間引きし、人間の食料にしようと北海道を挙げて推奨している。
「自然との共生」という美名の下で繰り返す、倫理観の欠片もない事例ではないか!?。
※今年の1月9日の恵山(618M)。


さて我々の近未来、2020年東京オリンピック。
丹下健三氏が設計した国立競技場が立て替えられる。新設計を見ての私の直感は、メタルっぽい「空飛ぶカブトガニ」だ。「未来都市東京」を誘引させるに充分なプレゼンテーションのようだ。
その設計に異を唱えるのが、社会学者宮台慎二。
新競技場は、周囲の環境を破壊する大きさだという。
明治神宮という歴史的環境を尊重した今の国立競技場だが、その配慮がないのが新たな構想だという。模型もない写真だけの設計で、審査委員長は安藤忠雄氏だという。
新たな生活環境を創造することは、建築家の役割かもしれない。
しかし、人間本位の行き過ぎた環境破壊に警鐘を与えるのも、建築家の役割ではないだろうか。
その役割に、倫理学が合築されてもいいのではないかと、考えてもみる。
大阪万博の「太陽の塔」。そのモニュメントの製作を多くの芸術家が断り、最後に岡本太郎に行き着いたという。
「みんなに嫌いなものを作ってやる」と製作し、結果、その塔だけが残った。
岡本太郎は「醜悪な未来」に、警鐘を鳴らし続けたのだろうか。
「世界初のフルモックス燃料の大間原発」。
これは、倫理が差し込むなにものもない、人間を間引きする存在のようだ。
人間が他の生物に対し、行ってきた悪行の数々。
その罪の償いは「原発ゼロ」を実現することではないか。
そうでなければ、人間として「懺悔の値打ちもない」はずだ。
加藤尚武の「環境倫理学のすすめ」というのを読み返してみたが、倫理観の曖昧な私は、この程度の理解だけだ。 


費用対効果

2013年12月14日 12時14分59秒 | えいこう語る
新年度予算編成時期がやってきた。
財政難の中で、担当者はいかに自分の部署の予算を獲得するかに腐心しているだろう。
だが、限られた予算の獲得の前に、それは国民の血税だという自覚があるのだろうか。
1千兆円を超える世界一の借金国に加え、福島原発事故の復旧費。
気が遠くなりそうな悲観的な財政事情にもかかわらず、国防軍の創設に向かって、関連法案の整備だけが進む。
軍隊を保有する国は、最新鋭の武器が必要だ。当然福祉予算は削減され軍事予算が増えてゆく。
どちらも国民の生命を確保するための予算である。北朝鮮のような周辺事態の緊張が増せば、軍事予算の配分は大きくなるに違いない。
血税で自国民を守るため他国民を犠牲にするなど、亡くなったマンデラさんなら、そんな非人道的な予算配分などしないはずだ。
※今年の1月4日の写真だ。今朝もこの川に鴨がいた。先祖代々受け継がれているのだろう。


役所の予算にしてみれば小さな額かもしれないが「ウニの育成強化予算?」なるものがある。
漁業のまちには、毎年決まった額が当然のように配分される。
例えば、予算額が百万円とし、ウニの漁獲高が1億円としよう。
これだけを捉えると、何の問題もない数字だ。
ところが、問題はウニの採取時期だ。ウニの金額が高値になる、適切な時期に採取されているかということである。
ウニ漁ばかりではなく、他の漁もあるで採取の優先順位があるようだ。それは漁業関係者の中での常識だ。
でも時期をずらすことができれば、1億円をさらに超える可能性がある。漁師にとっても良いことだと思う。だが、長年の慣習で採取時期は決まっている。
予算配分する役所もそのことを知っているが、漁業組合の自主性を重んじ、口を挟むことがはばかれるのだろう。
「ウニの採取時期の変更も指導し、費用対効果をさらに高めるのが、予算のより有効な配分ではないか」と、役所の担当者に進言したら
「理解しています」と答えが返ってきた。
予算を配分される側も既得権益のように、当たり前だという感覚ではなく、真の「費用対効果」を意識してもらいたいと思う。
私も以前は、ウニの漁獲高が少ないと予算が少ないためではないかと思っていた。
最近ウニ漁の手伝いをして、現場からの目線に立つと、考えも多少変化してきた。
「費用対効果」は、数字でのみ立証されがちだが、数字の中に隠れる行為を読み解く目線を磨かなければ、到底我が国の財政健全化は、困難のような気がする。
昨夜は、寒さで夢も凍結したようだ。
したがって目覚めたら、あまりにも現実的な目線で、世の中を見てしまったようだ。


イシバ幹事長情報

2013年12月13日 11時53分33秒 | えいこう語る
今年の世相を一字で表すと「輪」だという。
2020年の東京五輪の開催で「輪」というのだろうか。
政府が国民に情報を隠す法案が通過したので「秘」という人もいたが、私はこのような法案が通過する世の中は、民主主義の破壊の序章なので「破」が適切ではないかと感じる。
「破」とは石破幹事長の「破」でもある。
そして、就任から1年のアベ総理の言動も「はぁー」と、首を傾げたくなるからだ。
この二人の言動、♪はぁー戦前へーと、戦前へーと草木もなびくよ♪と、佐渡おけさのメロディーを、思わず口ずさんでしまう。
アベ政権の幹事長、なかなかの寝業師のようだ。
柔道で言えば、技を掛けて相手に逃げられても寝技に持ち込む、合わせ技が得意のようだ。とにかくしぶといタイプだ。
政治の泥沼に、ちょっぴり姿を潜め政局をにらんでいる政界のスッポン。小沢一ちゃんのような噛み付きの強さを表面に出さないが、不気味さからいえばイシバちゃんの方が、断然キモ過ぎる。
秘密保護法について「デモもテロ」といい、「知りえた秘密は、報道が責任を負うべきものだ」と報道規制も匂わせる。
※写真がPCに取り込めなくなったので。今年の1月3日の写真です。今朝も数センチ積もりました。


イシバちゃんの論法はこうだ。
否定+否定(=肯定)+否定(=否定)+否定(=肯定)・・・この繰り返しなのだ。
要するに聞く側は、否定なのか肯定なのか、どこで区切ってよいの判断し辛い状態にさせられてしまうのだ。
聞き耳を立てているうちに、彼の雰囲気に飲まれてしまうという、一種の「煙巻き作戦」だ。
テレビの討論会を見ていると、イシバちゃんの発言時には、相手が静かに聞き入るではないか。
そして、相手が聞き入った時を見計らい、時々見せる「イシバスマイル」。キャンディーズのフアンを自認するだけあって「忍法・微笑返し」だ。
「一郎と茂」政界の泥沼を生き抜くには、不敵な笑いがいつしか身についてしまうのだろう。
世間話はこのぐらいにして、秘密保護法に目を向けていただきたい。
自民が、あちこちに布石を打っていたのが、ようやく効いてきたようだ。
今朝の新聞を開くと、国民にとってきわめて重要なことがたくさん記載されているが、激流に流されていくという状況だ。
どうやら、自民圧勝の流れは、民主的ではない方向に国民を導いているようだ。
その流れから、原子力関係について一つだけすくってみる。
原子力基本法附則が「原発は安全保障に資する」と改訂された。
なぜなら秘密指定の対象だからだ。
この頃、再稼動や核廃棄物処理関係の記事が多くなった。
特定秘密保護法が成立されたので、様々な政府の思惑が、泥沼から顔を出しやすくなったということだろう。
野党もちりちりばらばらでは、与党に布石を許し、囲みこまれてしまい、兵隊も陣地もすっかり奪われてしまいそうな雲行きだ。
と、今日もウニの出漁がなかったので、早朝からブログを書いていたら、国会議事堂のあたりから、国民が打ち鳴らす太鼓ではなく、それらをかき消す様な大太鼓が聞こえてきた。
微笑返しをしながら打ち鳴らすのは、イシバちゃんだ。
早朝だったので、ブログを書きながら夢を見てしまったらしい。
イシバちゃんの鋭い視線が、国会の上から国民を監視していていた残像が、いまだに消えない。
夢から覚めても追いかけてくるようなタイプだ。
日本版FBI初代長官なんて役職を狙っているとしたら、あまりにもキモ過ぎる。
外も寒いが、心も寒くなってきたこの頃の我が国だ。


いじめの本質

2013年12月12日 11時58分25秒 | えいこう語る
子供たちのいじめがなくならない。
なくならない理由を、最近のテレビ報道が語っている。
猪瀬東京都知事が、徳田議員から無利子無担保で5,000万円を借りた事件だ。
著名な作家でもある猪瀬知事、誰しもがまさかというような非常識をさらけ出した。
もはや逃れることのできぬ状態で、辞職は時間の問題のようだ。
作家であるわりには都議会での追及に、答弁があまりにもしどろもどろだ。
汗が滝のように背広に滴り落ちる。東京都知事だけに背広も高級な素材なのか、汗が吸収されず光って見えるのが、なんとも侘しい。
視聴者の多くは、知事がばればれの嘘をついているのは、理解できる。
今まで、政治家の汚職事件は何度も見ているが、これほど嘘の下手な正直者を見るのは初めてだ。
政治家には不似合いな人物だったのだ。
そんな人物が世界の東京都知事では、このような落とし穴に簡単に落ちてしまうのだろう。
5,000万円の仲介人が右翼の代表というのも、政治家としても小説家としても、あまりにも粗末なストーリーを選択したものだ。
言い切ってしまえば、猪瀬知事はまるで子供じみた知事なのだ。
それを選んだ都民、村民よりは知的レベルが高いと思っていたが、そうでもないようだ。
※ウニ漁を待つ磯船。港は整備したが漁師が少なくなった隣町の港


アベ総理とイノセ都知事。どうやら有権者の目も曇ってきた様だ。「清き一票」という言葉も死語かもしれない。
都議会もその子供のような知事を、いじめ放題だ。
詰め寄る議員に対し、周囲の議員はもっといじめろと囃す。
校内でいじめを傍観している子供たちより、さらに悪質な都議会議員だ。
議長は、これほどのいじめを、どうし制止しないのか。見て見ぬふりの教育現場のようだ。
ボクシングで言えば、ドクターストップかタオルを投げなければ、脳にダメージを与える状態だ。
議長は、学校でいえば校長だ。タオルを投げ、命を救うという配慮はないのか。
確かに原因は知事にあるが、我が国最大の知事選に様々な人々の思惑が働き、そこに乗せられたというのが事件の筋ではないだろうか。
石原慎太郎と猪瀬直樹という二人の作家知事の共著「2020年東京オリンピック」は、東京崩壊、さらには日本崩壊という結末になりやしないかと、片田舎から心配する。
前回の「1964年東京オリンピック」は、過密と過疎という、酷いいびつな国土を作りあげた作品であり、それにより「中央による地方いじめ」が横行していたからだ。