竹馬の友で、退職前に脳梗塞を患いリタイヤした男性がいる。
左側の手足に麻痺が見られるが、日中一人で散歩に出かけ、会話もほとんど支障がない。
もともと勝気な性格で、リハビリにかける様子は、周囲から見ても健常人以上だと感心する。
身体の不自由な彼は、暖房に保温性のある蒔きストーブを使用している。
夏から秋にかけて、彼は蒔き割りを右手一本で行う。
戦後生まれの私たち世代、蒔き割りはお手のものだが、鉈を振り下ろす気合とタイミングは、隙がない。
彼に尋ねると、精神の集中がリハビリに適しているのではないかという。
そこには、人に頼らずリハビリを怠ることのない、向上心を垣間見るのだ。我が友人ながら、立派な生き様だと感服する。
※村で中で「湘南通り」と私が名付けている場所。

ところが我が友人、私と同様幼い頃からのわがまま者だ。三つ子の魂は、いまだに健在なのだ。
傍で支える夫人は、容易なことではないと察するが、この夫人、永い夫婦生活で免許皆伝したようだ。わがまま者の扱いは名人技だ。
家の中で二人きりになると、ちょっとした言葉使いで戦いのゴングが鳴るという。
友人と夫人では、言葉数はピストルと機関銃の差だ。
そこで友人の武器は、鍛え上げられた腕力だ。
しかしこの夫人、相当な試合巧者だ。
「家の中じゃ物壊しでもったいない、表に出ろ。徹底的に喧嘩しようじゃないか」と、夫人から“先制口撃”をかけるそうだ。
夫人は“八艘飛び”の如く、すばやく外に出るが、夫は外に出るのに手間取るので、ほとんど戦意喪失状態になると、奥さんは笑っていた。
友人はというと「こいつは歳の割には皺がないんだ。太っているから皺がのびて皺が見えないんだ」などと、応酬する。
まるで演芸場の夫婦漫才だ。
2014年、私したちは地元中学校を卒業してから50年を迎える。
正月には「半世紀の集い」という同期会を開催する。
半世紀とは、もちろん「反省」という意味も含む。
私は彼に「乾杯の音頭」を依頼した。
彼は、身体が不自由なことで固辞したが「君のパワーをみんなに与えてほしい」と懇願し、承諾をいただいた。
ホテルでの宿泊には、付き添いに免許皆伝の夫人もご一緒するそうだ。
「夫婦、善き哉」。
半世紀の中には、深い愛情で結ばれている人生もある。
左側の手足に麻痺が見られるが、日中一人で散歩に出かけ、会話もほとんど支障がない。
もともと勝気な性格で、リハビリにかける様子は、周囲から見ても健常人以上だと感心する。
身体の不自由な彼は、暖房に保温性のある蒔きストーブを使用している。
夏から秋にかけて、彼は蒔き割りを右手一本で行う。
戦後生まれの私たち世代、蒔き割りはお手のものだが、鉈を振り下ろす気合とタイミングは、隙がない。
彼に尋ねると、精神の集中がリハビリに適しているのではないかという。
そこには、人に頼らずリハビリを怠ることのない、向上心を垣間見るのだ。我が友人ながら、立派な生き様だと感服する。
※村で中で「湘南通り」と私が名付けている場所。

ところが我が友人、私と同様幼い頃からのわがまま者だ。三つ子の魂は、いまだに健在なのだ。
傍で支える夫人は、容易なことではないと察するが、この夫人、永い夫婦生活で免許皆伝したようだ。わがまま者の扱いは名人技だ。
家の中で二人きりになると、ちょっとした言葉使いで戦いのゴングが鳴るという。
友人と夫人では、言葉数はピストルと機関銃の差だ。
そこで友人の武器は、鍛え上げられた腕力だ。
しかしこの夫人、相当な試合巧者だ。
「家の中じゃ物壊しでもったいない、表に出ろ。徹底的に喧嘩しようじゃないか」と、夫人から“先制口撃”をかけるそうだ。
夫人は“八艘飛び”の如く、すばやく外に出るが、夫は外に出るのに手間取るので、ほとんど戦意喪失状態になると、奥さんは笑っていた。
友人はというと「こいつは歳の割には皺がないんだ。太っているから皺がのびて皺が見えないんだ」などと、応酬する。
まるで演芸場の夫婦漫才だ。
2014年、私したちは地元中学校を卒業してから50年を迎える。
正月には「半世紀の集い」という同期会を開催する。
半世紀とは、もちろん「反省」という意味も含む。
私は彼に「乾杯の音頭」を依頼した。
彼は、身体が不自由なことで固辞したが「君のパワーをみんなに与えてほしい」と懇願し、承諾をいただいた。
ホテルでの宿泊には、付き添いに免許皆伝の夫人もご一緒するそうだ。
「夫婦、善き哉」。
半世紀の中には、深い愛情で結ばれている人生もある。