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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

表情

2012年12月09日 12時32分07秒 | えいこう語る
12月8日、大雪が降った。湿り気のある重い雪だ。
除雪はもう少し先の事と思っていたが、突然降って来たので身体が反応しない。それに猛吹雪だ。車のライトも近づかなければわからないので、精神的にも疲労を覚える雪かきだった。
降雪地帯の雪かきは、明日晴れてからなどと流暢なことはいっていられない。夜中でもある程度除雪しなければ、翌朝が重労働になるからだ。
隣の老夫婦にはこの湿った雪は無理だ。
「去年までは何とか父さんと二人で雪かくことが出来たのに、今年はもう無理だから、お願いしますね」と、おばさんはしきりに頭を下げる。
この台詞はこの数年、毎年同じだ。隣の夫婦は、二人で172歳だからだ。
でも几帳面なおばさんは、そういいながらも外に出てきて除雪を始める。
始めて数分もたたないのに「やっぱり歳だから、無理だわ」というのも、恒例の台詞だ。
「外に出て風邪でもひいたら、あの世いきだぞ」というのも、毎年欠かさない私の台詞の1つなのだ。
※降るも降った、今朝の雪。


その隣の家の奥さんは、70代前半でおじさんは80代だ。
おじさんは心臓の手術をしているので、マイペースの除雪だ。おばさんは朝の挨拶を交わしたが、重い雪のためいつもの笑顔はない。
「腰は痛くないの」と聞くと「痛くてしょうがないんだ」と顔をゆがめた。
その顔の表情がどんな言葉より、苦悩を表現していた。
普通の人は役者になんてなれないと思っているが、自分の思いを表現する力は誰にもあるのだ。
「自然体の演技」とは、そんな事を言うのだろうと、おばさんの表情にちょっとした感動を覚えた。
除雪が終わりストーブの前で、かじかんだ指を温めていると「おとうさん」と、隣のおばさんが玄関で私を呼んでいた。
「さっきはすまないね。うちの父さんも喜んでいたから、これ飲んでちょうだい」といい、ビールをいただいた。
「この程度の雪で、こんなにもらって」という私の顔は、言葉より、笑顔が雄弁に語っていたに違いない。
私だって役者の才能はあるようだ。
ブログを書き終えて思い出したのだが、昨日8日は、真珠湾攻撃の日だったのだ。
歳末の選挙戦「自衛軍の創設」「憲法改正」も飛び交う世相の中で、雑事にかまけて大事なことを忘れてしまう、そんな日本人の中に、私もいたのだ。


光回線

2012年12月08日 13時05分44秒 | えいこう語る
函館市と市町村合併してから、8年が過ぎようとしている。
合併直後は情報格差を是正するため、合併した旧4町村まで光回線を導入するというような話があった。
しかし、函館市の負担割合が大きいという理由で、頓挫してしまったようだ。
一昔前とは違い、最近の高速情報化時代では、情報が早いか遅いかでは、地域振興にとって大きな障害となるということは、私たち高齢者と呼ばれるに近い世代でも、肌身に感じるこの頃だ。
※雪雲が立ち込める、グレイな朝だ。


現在私が使用しているISDN回線と光回線では、速度からすると高齢者とウサイン・ボルトが走るほどの差がありそうだ。
国の補助基準が変わったのかどうかわからないが、来年の2月頃には我が村も光回線で世界につながる予定だ。
今まで、これほど政治に失望した時代はなかったが、新年に光が見えるということは、ささやかだが幸せを感じる昨日今日である。
「脱原発、過疎の村にもっと光を」と叫びたい気持ちだ。
でも、過疎地振興に光通信網をどのように利用するかが、問題だ。その問題提起は私たちの世代が行い、その実践は若い世代に任せようと思う。
また、行政側も光回線による地域振興を考え、相乗効果を上げる政策を打ち出してほしいものである。
昨日私の店に、東京から3人の方が見えた。私の母の幼馴染の子供たちだ。
母親の納骨にやって来たという。
母とその友達のことは、2年ほど前「キミちゃんとよし子ちゃん」いう題で、私のブログに書いたことがある。よし子は、私の母だ。
大正14年生まれ、近所で過ごした二人は、共に母親を早く失った。
キミちゃんは東京に出て結婚したが、死んだら故郷の墓に入りたいと、私の母の隣に墓を建てたほどの仲好しだ。
縁は不思議なもので、私のブログをキミちゃんのお孫さんが見たという。病床のキミちゃんから電話が入り、懐かしい故郷のことを語り合ったことがある。今から2ヶ月ほど前だから、10月頃のことだ。私がブログを書き終え保存しようとクリックすると、タイトルが「キミちゃんとよし子ちゃん」と出るのだ。2年ほど前のタイトルがなぜ出てくるのか、それが数日続いた。
もしかして、キミちゃんが亡くなったのではと、思った。
キミちゃんは、やはり10月に亡くなっていたのだ。
※やっぱり雪が降ってきた。


私の母が亡くなる寸前、母の病室で書いた私の母への詩「カンシャカンゲキアメアラレ」が、北海道新聞の特選に選ばれた。母はその詩を読むことなく旅立ったのだ。
キミちゃんは自分が亡くなったらその詩を天国に持っていって、よし子ちゃんに読んであげるといっていた。
3人が帰る時、母の墓参りの時は、キミちゃんのお墓も一緒にきれいに掃除することを、私は約束した。
手がかじかむ真冬、キミちゃんはよし子ちゃんのすぐ隣に、東京から永住した。
生まれた時から、家が向かい合わせだったから、そのまんまに。
光る回線が間もなく我が村にもやってくる。
キミちゃんもよし子ちゃんも遠い世界に行ってしまったが、あの世も光回線でつながれば、なんだか身近なような気がしてくる。
今度は二人で私のブログを読んでくれるかもしれないと思うが、二人はおしゃべりばかりして、そんな暇はないに違いない。


日々雑感

2012年12月07日 15時02分54秒 | えいこう語る
衆院選が始まった。初日はは雨2日目は雪、昨日は台風並みに突風だった。
今日はとてもシバレがきつい。明日は槍が降ってくるかもしれない。政党乱立の国家混乱の戦況を呈している、今回の選挙だ。
わずか12日間の戦いだが、戦後の我が国にとって、21世紀の中盤の未来を決定する戦になってきたようだ。
国民の多くはどの陣営に就くか、戦場の中でいまだ迷っているという状態だろう。マスコミの報道が偏れば、勝敗が大きく動きかねない、そんな不安定な状態だ。
そんな中で,自公300民主70議席という、新聞報道が流れる。
どうやら戦後67年を境に、右傾化の方向に流れそうだ。この右傾化は、今までにないスピードで進むに違いない。
選挙民としては、否応なしに戦いの中に引き込まれ、迷惑至極という今回の戦いだが、戦場から離れて高い山から見下ろしてみると、原発誘致問題が発生した小さな町の住民の選択に似ている。
原発賛成派は、町の経済発展のため、命の危険があるにもかかわらず現実を重視する。
反対派は、恒久の平和と、つつましくも安全で幸せな故郷での暮らしを維持しようとする。
原発を誘致すれば、爆発事故が起きるまでそれを維持し続ける。先の大戦と同じで、原爆を落とされないければ、やめれないのだ。
そんな判断で考えれば今回の選挙、口当たりのよい言葉に惑わされず、人間が住める国をどう選択するかではないだろうか。
候補者や政党に袋をかぶせ、その声から真実を聞き分けることが、有権者の力量に違いない。
経済低迷地域下北半島が、原子力基地として国家の標的になる。
昭和41年青森県議会が、東北新幹線盛岡以北の早期着工について、間断なく政府、党、国鉄等関連機関に対して県民と共に早期着工、早期完成を訴え続けて来たと、原子力船「むつ」衆議院論議集の中に、当時の青森県議会議長の古瀬平次氏が記している。
古瀬氏は昭和26年から、北海道椴法華鉄山興業所長の職にあった。
「むつ」の衆参論議集は、古瀬氏が編集し私の父がいただいたものを、今私が読んでいる。
歴史に目をつぶれば未来に盲目になるという言葉があるが、今回の選挙は戦後の歴史に流れをよく思い返しながら、一票を入れなければならないと思う今日である。


有権者の意地

2012年12月04日 12時02分33秒 | えいこう語る
私は選挙権を得てから40数年経つ。
その中でも最も緊張を強いられる選挙が、今回の衆議院選挙だ。
我が函館市の対岸、下北半島大間町では、民主党が容認した原発が建設中だ。
対する自民党は、原発推進の大元締めだった。
第3極といわれる維新の党は、いずれは廃止するというような感じで、核武装を主張する国粋主義的な輩も出てきた。
函館市民としては、原発を即時停止しないこの3つの党は、命の安全のためには支持してはならないと思うのだが、有権者は3期目を狙う民主の候補か、自民の新人による保守奪還か、この二つで揺れているようだ。
有権者の大半が、福島原発事故後の今の状況では、原発はそのうち止まるに違いないと人任せに思っていれば、自民勝利もありそうだ。
さらに危険なのは、函館市長が国を告訴するので、大間は中止されるだろうと楽観視をする市民が多いと、危険極まりないのだ。
函館市長は、反原発とも脱原発ともいっていないからだ。
※目的を達成しないまま息絶えた鮭が、海の方に向かって横たわっているのは、過疎の村の淋しい風景だ。


民主は党の方針に従わず、大間反対を主張する現職候補だが、民主が票を大幅に減らし、政権与党から脱落しそうな状況を想定すると、民主・自民の連合政権が誕生する可能性も否定できない。
そうなると、民主の候補に票を入れても自民に入れても、大間原発は廃止にはならない。
そうであれば、市民は民主、自民どちらにも票を入れてはならないということになる。
だが、それ以外の党を選べば、間違いなく死に票になる。大間原発は断固阻止しなければ、死刑囚のように毎日脅えて暮らさなければならない。
市民は法を犯したわけではない。
国が国民に嘘をつき間違ったエネルギー政策を推し進めたため、騙された国民が死刑囚のように、脅える生活を余儀なくされてしまったのだ。
主犯者は、原発を国策とした自民党であり、福島事故以後も再稼動を目指す民主党なのだ。
だが、維新の会にも、その自民と民主からの脱藩者がいる。
まさしく、魑魅魍魎の政界なのだ。
ところで、大間町民の心境はいかがだろうか。
原発誘致の振興資金で裕福な暮らしを続けるか、時限爆弾装置のスイッチを自らセットするのかの、命の選択だ。
進むも地獄、退くも地獄。地獄の一丁目とは、大間町のことなのだろう。
近くには恐山もそびえ、この山には地獄の様子が再現されている。
プルトニュウムは、冥王星(プルートー)から名付けられた。冥土の王とは地獄の王という意味だ。
地獄の二丁目に、函館市はなりたくない。
今回の一票はそんな緊張感を強いられる、地獄の王が巧妙に仕組んだ選挙のようだ。
それにつけても12日間の短い選挙期間だ。
大間町も我がとどほっけ村も、隅っこの地域だ。
候補者本人が乗っていない選挙カーが「名のみ連呼」で猛スピードで走り去るのだろう。これが本当の「師走る」だなんて、シャレは通用しない。
今回の衆議院選挙。
「国民を舐めたらあかん」。そう呼ぶような選挙にしたいものである。


政治が混乱すると

2012年12月03日 13時45分06秒 | えいこう語る
いよいよ明日が衆院選公示日だ。
これほど多数の政党が雨後の筍のように出没しては、政策はもちろん誰がどの政党かわからなくなる。党首の顔は覚えていても政党名と一致しないものもある。
まさしく群雄割拠の、戦国政治劇が始まっている。
信長は誰れか、秀吉は誰なのか、はたまた家康はと、必死で探りを入れてもなかなか絞りきれない。
政治戦のホラ貝は明日大きく鳴り響き、真実はそのホラの音に掻き消されてしまう。
さて世の雑念に惑わされず、座禅を組んでみた。
不覚にも眠りに陥ってしまった。
※こんな不気味な夜明けもある。


憲法改正して国防軍にすると息巻く、強シンゾウー君。
原発を維持し、核武装をするとホラ吹く、慎みなき太郎元帥閣下。
それに苛立つ隣国、北の三男坊。
どうやら、我が国の戦国絵巻に花を添えようと、ミサイル発射のプレゼントを用意しているようだ。
仏教は半島から日本に伝えられた。いまやその恩義も忘れ、我が国を犯罪者扱いにしている。我が国で原子炉を開発すると、よってたかって核兵器の製造をしていると難癖をつける。
しかし、日本では国民が反対しているにもかかわらず、原発の建設を始めている。
そうであれば、大間原発に一発おみまいして、オシャカにしてしまうと、日本国民は私たちを尊敬するだろう。
テポドン改め“モンジュ”と名付けよう。モンジュが大間原発をオシャカにするとは、最高のプレゼントではないか。
北の三男坊、自ら発射のボタンを押し、命中したところでで目が覚めた。
「若くはないんだから、そんなところで居眠りしていたら風引くよ」という、妻の鋭い警策の一撃で目が覚めた。
政治が混乱すると、夢まで制御不能になるようだ。