函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

裁判員制度

2012年12月02日 11時40分17秒 | えいこう語る
この制度が始まる前に、函館地裁で行われた講習会に参加してきたことがある。
函館地裁の管轄内は、全国の市で裁判員に指名される確立が一番多いということを、新聞報道で知ったからだ。
それと、死刑制度の問題がからむので、法律に疎い私がその立場に立たされた時、戸惑うことを考えて講習会に出かけたのだ。
講習会終了後に実際の裁判を傍聴した。その裁判は、日常にありがちな事件の判決日だった。
過去の裁判事例に沿った、私でも妥当と思われるような判決だった。
しかし、被告人の生い立ちや、家族や親族状況までに話が及ぶと、その境遇の不幸さからして、このような事例に沿った判決内容でいいのだろうかという、不安感が私の脳裏をよぎった。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が浮かんできたが、法治国家の中ではそこまでは踏み込まないだろうというのが、実感だった。
死刑判決の場面にも立たされることもあるこの制度、「冤罪」がままあることを見せつけられると、一般市民にその任が耐えられるのかという疑問も浮かんでくる。
※隣町の採石場。堀り続けて巨大な穴が開いている。こんなところある日ひそかに、放射性物質を含んだ瓦礫が埋められやしないかと、不安になる。


先日、私の知り合いにその通知が届き、困惑しているというのを相談された。裁判所での講話のことや裁判の様子などを伝え、あなたの場合は拒否する理由がたぶんできない環境だし、一裁判には百人程の中から6人に絞られるので、まずは出向いたほうがいいと伝えた。
その方には、裁判所からいただいてきた裁判員制度のDVDを、貸し出すことにした。
それにしても、裁判員は裁判長と同じ列に並び判決に加わる。
せめて、裁判員室からはわからない隣の部屋から傍聴し、そこで審理するということにならないものかと思うのだが。