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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

市町村合併8年目の総括

2012年12月24日 12時02分12秒 | えいこう語る
函館市と市町村合併してから、12月1日で9年目に入った。
住民の声は、合併しても何も良くならない、役場など転勤で顔の知らない職員が増えて、行きづらくなったという。
私は町会長なので、役場にはよく顔を出すが、私でも他所の町の役所にいるのではないかと感じることがあるから、一般の住民はどんなに違和感を持っているのか想像がつく。
隣町同士の合併なら一体感を持つのも早いだろうが、私の村と一緒に函館市と合併したのは3つの自治体だった。
旧4町村同志でもほとんど交流がなかったのに、それが自治体規模と文化度も違う函館市との合併は、殿様の側室になったというような感じだ。
初めは一体感を強調していたが、今は大勢いる側室のその他大勢に属している、そんな感じだ。
こうなれば殿の気を引くことを考えなければ、さびしいままの一生になる。
我が地域は、町内会が7つに分かれている。高齢化と過疎化で町会の活動も停滞化している。そこで7つの町会を合併し1つにして、パワーアップを図ろうと動き出したのだ。
1年半の会合を経て、ようやく新編成(案)が出来上がった。
「住民による住民のための新コミュニティーづくり」だ。
この「住民参加」は函館市長の目にも留まり、自ら行動する地域には、予算を配分したいとの声もいただいた。
※あまり寒いので春を思い出してみた。


戦後の国の復興には中央集権が必要だったが、それが一極集中を生み、過疎化の原因にもなった。やがて「地方の時代」が提唱され、均衡ある国土の発展への流れができた。
だが開発型の経済振興は、国家の財政難につながる。
地方分権から地域主権とタイトルも代わったのは、地方自治体の行財政改革をしなければ、国家の安定はないとの考えからだろう。
これは私が生まれて感じてきた、この国を流れだ。
私は国家という単位は大きすぎるので、函館市を国家とみなしている。
合併後の函館市の政策はやはり中央集権だ。予算は人口の多い地域に配分するのが、費用対効果が大きいからだ。地域の予算は当然低くなる。
合併後、路線バスの便数が減らされ、消防署も隣町に移動する。財政難は効率化を求めるからだ。
だが、小さくても目一杯の声を出さなければ、地域は衰退の坂を転げ落ちるしかない。
合併してマイナーなことばかりがいわれるが、私は最も良かったことがある。
それは行政と住民の間にそびえていた、巨大で堅牢な障壁が消滅したことだ。
つまり、合併してよかったと思うのは、議会が消滅したことだ。
議会制民主主義はいつの間にか議会制権威主義になり、行政と市民はそこで萎縮していたからだ。
人口1000人というコミュニティーは、直接民主主義が似合っている。
この障壁が消滅してから、行政マンと住民の関係が親密になったのを感じる。
住民自らの考えと行動で、新しいコミュニティーづくりができるというこの喜びは、市町村合併の最大の成果かもしれない。