函館市と市町村合併してから、8年が過ぎようとしている。
合併直後は情報格差を是正するため、合併した旧4町村まで光回線を導入するというような話があった。
しかし、函館市の負担割合が大きいという理由で、頓挫してしまったようだ。
一昔前とは違い、最近の高速情報化時代では、情報が早いか遅いかでは、地域振興にとって大きな障害となるということは、私たち高齢者と呼ばれるに近い世代でも、肌身に感じるこの頃だ。
※雪雲が立ち込める、グレイな朝だ。

現在私が使用しているISDN回線と光回線では、速度からすると高齢者とウサイン・ボルトが走るほどの差がありそうだ。
国の補助基準が変わったのかどうかわからないが、来年の2月頃には我が村も光回線で世界につながる予定だ。
今まで、これほど政治に失望した時代はなかったが、新年に光が見えるということは、ささやかだが幸せを感じる昨日今日である。
「脱原発、過疎の村にもっと光を」と叫びたい気持ちだ。
でも、過疎地振興に光通信網をどのように利用するかが、問題だ。その問題提起は私たちの世代が行い、その実践は若い世代に任せようと思う。
また、行政側も光回線による地域振興を考え、相乗効果を上げる政策を打ち出してほしいものである。
昨日私の店に、東京から3人の方が見えた。私の母の幼馴染の子供たちだ。
母親の納骨にやって来たという。
母とその友達のことは、2年ほど前「キミちゃんとよし子ちゃん」いう題で、私のブログに書いたことがある。よし子は、私の母だ。
大正14年生まれ、近所で過ごした二人は、共に母親を早く失った。
キミちゃんは東京に出て結婚したが、死んだら故郷の墓に入りたいと、私の母の隣に墓を建てたほどの仲好しだ。
縁は不思議なもので、私のブログをキミちゃんのお孫さんが見たという。病床のキミちゃんから電話が入り、懐かしい故郷のことを語り合ったことがある。今から2ヶ月ほど前だから、10月頃のことだ。私がブログを書き終え保存しようとクリックすると、タイトルが「キミちゃんとよし子ちゃん」と出るのだ。2年ほど前のタイトルがなぜ出てくるのか、それが数日続いた。
もしかして、キミちゃんが亡くなったのではと、思った。
キミちゃんは、やはり10月に亡くなっていたのだ。
※やっぱり雪が降ってきた。

私の母が亡くなる寸前、母の病室で書いた私の母への詩「カンシャカンゲキアメアラレ」が、北海道新聞の特選に選ばれた。母はその詩を読むことなく旅立ったのだ。
キミちゃんは自分が亡くなったらその詩を天国に持っていって、よし子ちゃんに読んであげるといっていた。
3人が帰る時、母の墓参りの時は、キミちゃんのお墓も一緒にきれいに掃除することを、私は約束した。
手がかじかむ真冬、キミちゃんはよし子ちゃんのすぐ隣に、東京から永住した。
生まれた時から、家が向かい合わせだったから、そのまんまに。
光る回線が間もなく我が村にもやってくる。
キミちゃんもよし子ちゃんも遠い世界に行ってしまったが、あの世も光回線でつながれば、なんだか身近なような気がしてくる。
今度は二人で私のブログを読んでくれるかもしれないと思うが、二人はおしゃべりばかりして、そんな暇はないに違いない。
合併直後は情報格差を是正するため、合併した旧4町村まで光回線を導入するというような話があった。
しかし、函館市の負担割合が大きいという理由で、頓挫してしまったようだ。
一昔前とは違い、最近の高速情報化時代では、情報が早いか遅いかでは、地域振興にとって大きな障害となるということは、私たち高齢者と呼ばれるに近い世代でも、肌身に感じるこの頃だ。
※雪雲が立ち込める、グレイな朝だ。

現在私が使用しているISDN回線と光回線では、速度からすると高齢者とウサイン・ボルトが走るほどの差がありそうだ。
国の補助基準が変わったのかどうかわからないが、来年の2月頃には我が村も光回線で世界につながる予定だ。
今まで、これほど政治に失望した時代はなかったが、新年に光が見えるということは、ささやかだが幸せを感じる昨日今日である。
「脱原発、過疎の村にもっと光を」と叫びたい気持ちだ。
でも、過疎地振興に光通信網をどのように利用するかが、問題だ。その問題提起は私たちの世代が行い、その実践は若い世代に任せようと思う。
また、行政側も光回線による地域振興を考え、相乗効果を上げる政策を打ち出してほしいものである。
昨日私の店に、東京から3人の方が見えた。私の母の幼馴染の子供たちだ。
母親の納骨にやって来たという。
母とその友達のことは、2年ほど前「キミちゃんとよし子ちゃん」いう題で、私のブログに書いたことがある。よし子は、私の母だ。
大正14年生まれ、近所で過ごした二人は、共に母親を早く失った。
キミちゃんは東京に出て結婚したが、死んだら故郷の墓に入りたいと、私の母の隣に墓を建てたほどの仲好しだ。
縁は不思議なもので、私のブログをキミちゃんのお孫さんが見たという。病床のキミちゃんから電話が入り、懐かしい故郷のことを語り合ったことがある。今から2ヶ月ほど前だから、10月頃のことだ。私がブログを書き終え保存しようとクリックすると、タイトルが「キミちゃんとよし子ちゃん」と出るのだ。2年ほど前のタイトルがなぜ出てくるのか、それが数日続いた。
もしかして、キミちゃんが亡くなったのではと、思った。
キミちゃんは、やはり10月に亡くなっていたのだ。
※やっぱり雪が降ってきた。

私の母が亡くなる寸前、母の病室で書いた私の母への詩「カンシャカンゲキアメアラレ」が、北海道新聞の特選に選ばれた。母はその詩を読むことなく旅立ったのだ。
キミちゃんは自分が亡くなったらその詩を天国に持っていって、よし子ちゃんに読んであげるといっていた。
3人が帰る時、母の墓参りの時は、キミちゃんのお墓も一緒にきれいに掃除することを、私は約束した。
手がかじかむ真冬、キミちゃんはよし子ちゃんのすぐ隣に、東京から永住した。
生まれた時から、家が向かい合わせだったから、そのまんまに。
光る回線が間もなく我が村にもやってくる。
キミちゃんもよし子ちゃんも遠い世界に行ってしまったが、あの世も光回線でつながれば、なんだか身近なような気がしてくる。
今度は二人で私のブログを読んでくれるかもしれないと思うが、二人はおしゃべりばかりして、そんな暇はないに違いない。