ほおかぶりをすると、こそ泥と夜這いの役が似合いそうな、名優小沢昭一さんが亡くなった。
夕方、車を走らせていると、ラジオから聞こえてくるのが、なんとも親しみのある近所のおじさんのような感じがする、小沢さんの声だ。
一生懸命働くが、ちょっぴり今の世に疲れている、昭和のお父さんの心を軽妙洒脱に描き出す放送を聴いて、普通人間はこんなことを考えているんだなと、つくづくその目線に感心させられる。
その普通の語りが、人のあたたかみを感じさせるのは、小沢さんの人柄そのものなのだろう。
裸電球の下の丸テーブルで、家族がつつましく暮らした昭和、その時代の最後の語り部であった小沢さんに、心から哀悼の意を表したい。
昨日の夕方、函館市内のスーパーに買い物にでかけた。
レジの外で、買い物を詰めるダンボール箱を用意し妻を待っていたが、妻は後ろに並んでいる主婦と話して笑っている。
車に乗ってから、妻がその主婦との会話を話した。
※自民党はどうやら大間原発を容認しそうだ。函館市が真っ白になった。

初対面だったが、年齢が近そうだったので、声をかけたそうだ。
妻=いつもここのレジは込みますね。
主婦=私は車を運転できないので、夫に乗せてもらい、夫は車の中で待っているけど、必ず、遅いとか、なにやっているんだとかというの。私だって年金暮らしだから1円でも安く買いたいので、あちこち見て回っているのに、かならず怒るんです。男の人ってなぜ理解がないのだろうか。
妻=私の主人もそうなの。無駄買いしているんではないか、いつまで待たせるんだと、うるさくいうんですから。世の男性はみんな同じなんですね。
とか何とか、夫の悪口をいった後レジを済ませると、相手は「良いお年を」といって分かれたという。
「見ず知らずの人に、愚痴をこぼしてみたくなる、今年の年の瀬のこころだ」という、小沢さんの声が聞こえてきたような会話だ。
東日本大震災後の復旧も間々ならず、経済がさらに落ち込む中での消費税引き上げ。政権交代させてみたが、まったく機能不全の民主党。それにお仕置きと思った暮れの選挙は、お灸を据え過ぎた感じになり自民党の圧勝だ。
自分たちが選んでしまったので、どうにもできない結果だ。組閣の顔ぶれを見れば「改憲や国防軍」が、現実味を帯びた内閣にしてしまった感じだ。
国が不安定になれば、あらぬ方向に進む可能性があるというのは、昭和という時代は経験済みなのだ。
二度と再び、軍靴の足音を聞くようなことはあってはならないというのが「小沢昭一的、昭和のお父さんのこころなのだ」。
小沢さんはどんなにふざけていても、8月15日は背広を着て亡くなった友達を偲んでいたと、親交が深かった黒柳徹子さんがいっていた。
昭和の心を持ち続けた日本人がまた一人、背中をちょっと丸めて、ハーモニカを吹きながら、友がたくさんいる所へと旅立って行った。
故山本直純さんの音楽と共に、あの世でも小沢節は炸裂するのだろう。
昨日の私の近辺にあった小沢昭一的こころは、お母さんが側にいなければ、とかくさみしがる、昭和のお父さんのこころなのだ。
何気なく笑って聞いていたが、日本人の素直な心を表現した番組であったと、つくずく思う。 合掌
夕方、車を走らせていると、ラジオから聞こえてくるのが、なんとも親しみのある近所のおじさんのような感じがする、小沢さんの声だ。
一生懸命働くが、ちょっぴり今の世に疲れている、昭和のお父さんの心を軽妙洒脱に描き出す放送を聴いて、普通人間はこんなことを考えているんだなと、つくづくその目線に感心させられる。
その普通の語りが、人のあたたかみを感じさせるのは、小沢さんの人柄そのものなのだろう。
裸電球の下の丸テーブルで、家族がつつましく暮らした昭和、その時代の最後の語り部であった小沢さんに、心から哀悼の意を表したい。
昨日の夕方、函館市内のスーパーに買い物にでかけた。
レジの外で、買い物を詰めるダンボール箱を用意し妻を待っていたが、妻は後ろに並んでいる主婦と話して笑っている。
車に乗ってから、妻がその主婦との会話を話した。
※自民党はどうやら大間原発を容認しそうだ。函館市が真っ白になった。

初対面だったが、年齢が近そうだったので、声をかけたそうだ。
妻=いつもここのレジは込みますね。
主婦=私は車を運転できないので、夫に乗せてもらい、夫は車の中で待っているけど、必ず、遅いとか、なにやっているんだとかというの。私だって年金暮らしだから1円でも安く買いたいので、あちこち見て回っているのに、かならず怒るんです。男の人ってなぜ理解がないのだろうか。
妻=私の主人もそうなの。無駄買いしているんではないか、いつまで待たせるんだと、うるさくいうんですから。世の男性はみんな同じなんですね。
とか何とか、夫の悪口をいった後レジを済ませると、相手は「良いお年を」といって分かれたという。
「見ず知らずの人に、愚痴をこぼしてみたくなる、今年の年の瀬のこころだ」という、小沢さんの声が聞こえてきたような会話だ。
東日本大震災後の復旧も間々ならず、経済がさらに落ち込む中での消費税引き上げ。政権交代させてみたが、まったく機能不全の民主党。それにお仕置きと思った暮れの選挙は、お灸を据え過ぎた感じになり自民党の圧勝だ。
自分たちが選んでしまったので、どうにもできない結果だ。組閣の顔ぶれを見れば「改憲や国防軍」が、現実味を帯びた内閣にしてしまった感じだ。
国が不安定になれば、あらぬ方向に進む可能性があるというのは、昭和という時代は経験済みなのだ。
二度と再び、軍靴の足音を聞くようなことはあってはならないというのが「小沢昭一的、昭和のお父さんのこころなのだ」。
小沢さんはどんなにふざけていても、8月15日は背広を着て亡くなった友達を偲んでいたと、親交が深かった黒柳徹子さんがいっていた。
昭和の心を持ち続けた日本人がまた一人、背中をちょっと丸めて、ハーモニカを吹きながら、友がたくさんいる所へと旅立って行った。
故山本直純さんの音楽と共に、あの世でも小沢節は炸裂するのだろう。
昨日の私の近辺にあった小沢昭一的こころは、お母さんが側にいなければ、とかくさみしがる、昭和のお父さんのこころなのだ。
何気なく笑って聞いていたが、日本人の素直な心を表現した番組であったと、つくずく思う。 合掌
でも、少しずつ思い出しました。区民文化センターに小沢昭一の一人芝居『唐来参和』を観にいったこと。
その後、たしか黒柳徹子の本で、小沢昭一が学習院で『唐来参和』の公演をしたとき、秋篠宮殿下が楽屋へ挨拶にこられ、外から「母が小沢さんのフアンです」と声をかけられたのを、小沢昭一が「おう!おっかあによろしくいっとくれ」と内から言ったというエピソードが語られていたことを・・・。
公儀(?)に正面向かって言いにくいことを上手に皮肉る芸がなくなって、リベラルな感覚を養う場がなくなりつつあるのかもしれません。いまや志村長屋のご隠居さんか椴法華のエイコウ的心くらいかな。