今回のお気に入りは、いせひでこです。
絵本作家いせひでこさんの絵が好きです。
「ルリユールおじさん」は何度開いたことでしょう。
今回は、いせさんの作品で気になっていた絵本を2冊鑑賞しました。
「ルリユールおじさん」は何度開いたことでしょう。
今回は、いせさんの作品で気になっていた絵本を2冊鑑賞しました。
①「チェロの木」
内容紹介を引用します。
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木は、見たり聞いたりしてきたことを、歌ったのかもしれない、楽器になって―
森の木を育てていた祖父、楽器職人の父、そして音楽にめざめる少年。
大きな季節のめぐりの中で、つらなっていくいのちの詩。
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木は、見たり聞いたりしてきたことを、歌ったのかもしれない、楽器になって―
森の木を育てていた祖父、楽器職人の父、そして音楽にめざめる少年。
大きな季節のめぐりの中で、つらなっていくいのちの詩。
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祖父が大切に育て、材木にするために切り出した跡が大きな切り株となって残っていました。
少年は年輪を100まで数えたところで眠ってしまいました。
気が付けば少年は祖父の仲間に運ばれて家にいました。
家では父が少年のためのチェロを作っていました。
完成したチェロを父と弾くと、木が体験してきた小鳥のさえずりや風の音が聞こえるようでした。
少年は年輪を100まで数えたところで眠ってしまいました。
気が付けば少年は祖父の仲間に運ばれて家にいました。
家では父が少年のためのチェロを作っていました。
完成したチェロを父と弾くと、木が体験してきた小鳥のさえずりや風の音が聞こえるようでした。
こうして本書のごく一部を切り取っても「連なっていく生命」を感じます。
大きな自然と、ゆったりした時の流れを感じる素敵な絵本です。
日々の暮らしの中でストレスを感じたときに読むことをお勧めします。
大きな自然と、ゆったりした時の流れを感じる素敵な絵本です。
日々の暮らしの中でストレスを感じたときに読むことをお勧めします。
それにしても、ほんわかしていて温かく包み込まれるような絵柄が好き。
水彩絵の具で手早くささーと描いているようにも見えますが、それは長年の修練の賜物。
頭の中のイメージを絵に落とし込むときに、必要最低限の筆の運びが見えるのでしょう。
その上、油絵と違い一発勝負です。
水墨画に通じるものがあると思います。
水彩絵の具で手早くささーと描いているようにも見えますが、それは長年の修練の賜物。
頭の中のイメージを絵に落とし込むときに、必要最低限の筆の運びが見えるのでしょう。
その上、油絵と違い一発勝負です。
水墨画に通じるものがあると思います。
②「にいさん」
内容紹介を引用します。
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芸術に生き、つよい絆でむすばれた兄と弟、いせひでこが魂をこめて描くゴッホとテオのものがたり。
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芸術に生き、つよい絆でむすばれた兄と弟、いせひでこが魂をこめて描くゴッホとテオのものがたり。
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弟テオのひとり語りという形でゴッホの生涯が描かれています。
幼き日、テオは兄ビンセントに憧れ、兄は父に憧れました。
ビンセントが画商に就くとテオも画商になりました。
やがて兄は画商を辞めて父と同じ牧師の道を目指しますが断念、絵描きになります。
テオから全面的な支援を受ける兄は次々作品を生み続けます。
テオは送られてくる兄の絵を1枚も売ることができず苦悩します。
そんな中、兄が亡くなります。
テオは黄金に輝く麦の波に兄の姿を探します。
幼き日、テオは兄ビンセントに憧れ、兄は父に憧れました。
ビンセントが画商に就くとテオも画商になりました。
やがて兄は画商を辞めて父と同じ牧師の道を目指しますが断念、絵描きになります。
テオから全面的な支援を受ける兄は次々作品を生み続けます。
テオは送られてくる兄の絵を1枚も売ることができず苦悩します。
そんな中、兄が亡くなります。
テオは黄金に輝く麦の波に兄の姿を探します。
本書ではゴッホ兄弟の表情が描かれていません。
ゴッホ兄弟は、心の底からの笑顔というものを知らずに過ごしました。
その苦悩が刻まれた表情をあえて描かないことで深みのある伝記になったと思います。
油彩で描いたことからも重さや深みを感じました。
ゴッホ兄弟は、心の底からの笑顔というものを知らずに過ごしました。
その苦悩が刻まれた表情をあえて描かないことで深みのある伝記になったと思います。
油彩で描いたことからも重さや深みを感じました。
あとがきによるといせさんは1990年から世界各地を訪れてゴッホの足跡を辿ったそうです。
妹さんと共著でテオの伝記を翻訳したこともあります。
敬愛するゴッホを絵本にするにはテオ抜きでは語れません。
それなら弟の目から見たゴッホを描いちゃえ、といったところだったのでしょうか。
妹さんと共著でテオの伝記を翻訳したこともあります。
敬愛するゴッホを絵本にするにはテオ抜きでは語れません。
それなら弟の目から見たゴッホを描いちゃえ、といったところだったのでしょうか。