元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー」

2022-12-12 06:53:06 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLACK PANTHER: WAKANDA FOREVER)とにかく長い。最近、ハリウッド製の娯楽編の上映時間が軒並み延びる傾向にあるが、本作もそのトレンド(?)の中にあるのかもしれない。もちろんいくら尺が長くても中身が充実していれば言うことはないのだが、この映画に関してはどうにも評価出来ない。ネタを詰め込んでいる割には料理の仕方がイマイチだ。まあ、これは前作の主演チャドウィック・ボーズマンの早すぎる退場が影を落としていることは確かだろう。

 ワカンダの王であった超人ブランクパンサーことティ・チャラが病により命を落とし、彼の母であるラモンダが後を継ぐ。折しも国際社会はワカンダで産出される万能の鉱石ヴィブラニウムの保有を巡って紛糾し始めていた。欧米諸国はワカンダとは別に海底に埋蔵されているヴィブラニウムの採掘調査を開始するが、それが海の帝国タロカンの逆鱗に触れ、ワカンダおよび地上世界との紛争に発展する。ティ・チャラの妹シュリは、側近のオコエや若き科学者リリ・ウィリアムズらと共に事態の収拾に乗り出す。



 タカロンの親玉エムバクはおそろしく強く、兵士たちも不死身に近い。腕力だけに限れば、たぶんワカンダと国際社会が束になっても敵わないだろう。だが、斯様な勢力が数百年も前から存在していたことを、今まで地上の誰も知らなかったというのは、明らかにおかしい。この作品世界にはワカンダだけではなくアベンジャーズやエターナルズもいるはずで、そんな“ぽっと出”の団体が入り込む余地は無いはずだ(笑)。

 タカロンの連中はずっと海の中に潜んでいたためか(苦笑)、人質にはすぐに逃げられるし、陽動作戦には簡単に引っ掛かったりと、あまりスマートには見えない。そして何より、タカロンの造形が「アクアマン」や「アバター」の二番煎じに思えてしまうのは辛い。

 ワカンダ側の対応も褒められたものではなく、二代目のブラックパンサーが登場するまでのゴタゴタはハッキリ言ってどうでもいい。C・ボースマンの存在感が大きかったため、すぐさま代役を立てることが出来ず、二代目が出てくるまでの辻褄を無理に合わせようとして、上映時間だけが長くなってしまった。MCUではお馴染みのエンドクレジット後のシークエンスも、蛇足としか思えない。

 前回から続投のライアン・クーグラーの演出はパッとせず、アクション場面はハデな割に目を引くようなアイデアは見当たらない。レティーシャ・ライトにルピタ・ニョンゴ、ドミニク・ソーン、アンジェラ・バセット、そして敵役のウィンストン・デュークとキャストは皆健闘しているが、C・ボースマンの抜けた穴をカバーすることばかりに気を取られているようで愉快になれない。ルドウィグ・ゴランソンによる音楽は標準レベルだが、ラスト流れるリアーナの歌は良かった。
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「アイガー・サンクション」

2022-12-11 06:05:33 | 映画の感想(あ行)
 (原題:The Eiger Sanction)75年作品。クリント・イーストウッドの監督第四作だが、主演も兼ねた彼が当初ドン・シーゲルに監督を要請したものの、断られたので自ら演出も担当したという経緯がある。つまりはシーゲル監督作のような肩の凝らない娯楽路線のシャシンで、彼が監督業に手を染めた頃はこういうテイストの映画を撮っていたのだ。その意味では興味深い。

 登山家で美術教授のジョナサン・ヘムロックは、山小屋風の家で優雅な独身生活を送っているが、実は昔は裏の世界では名の知られた凄腕の殺し屋であった。引退したヒットマンである彼に、ある日CIAから“仕事”の依頼が届く。オファーを渋る彼だったが、美術品を闇ルートから買い入れたことを税務署に通告すると脅され、やむなく引き受ける。ターゲットは近々アイガーに挑戦する国際登山チームの一員で、片足が不自由だという男だが、顔も名前も不明らしい。ヘムロックは登山パーティに参加すべく、かつての登山仲間のベン・ボーマンと共に鍛練を積んだ上でスイスに飛ぶ。



 美術の教員が元殺し屋で、一度は足を洗ったが諸般の事情で荒仕事に戻るという筋書きは、いくら何でも乱暴だ。それを観る側に納得させるほどの作劇的仕掛けも無い。イーストウッドの演出はテンポが良いとは言い難く、中盤などなかなか話が進まない。かと思うと、主人公が旅客機にて移動中に魅力的なCAと知り合ってどうのこうのという、余計なネタが挿入されたりもして盛り下がる。

 まあ、この悠長なタッチは時代を考えると仕方が無いのかもしれない。しかしそれでも退屈せずに観ていられるのは、筋書きがシンプルである点と、何と言っても山岳アクションのスタイルを印象付けるような映像の魅力があるからだ。アイガーでの駆け引きを描く終盤も悪くないのだが、注目すべきはヘムロックがボーマンと一緒にアリゾナで登山訓練を敢行するシークエンスである。おそらく誰も登ったことがない岩山にしがみ付いて、文字通り孤高のクライミングに挑む様子は野趣に富んで見応えがある。

 主演のイーストウッドは“いつもの通り”なのだが(笑)、相棒に扮するジョージ・ケネディがイイ味を出している。一応ヒロイン役のボネッタ・マギーはスクリーンに色を添える程度だが、これはこれで良いだろう。ジャック・キャシディにハイディ・ブリュール、セイヤー・デイヴィッド、ライナー・ショーン、ジャン=ピエール・ベルナールら脇のキャストも悪くない。音楽はジョン・ウィリアムズが担当しているが、今回は無難な仕事ぶりだ。
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「ある男」

2022-12-10 06:13:39 | 映画の感想(あ行)
 詰めが甘い。終盤の処理はそれまでほぼ順調に進んでいた作劇をひっくり返し、何やら下世話な次元に移行させたという感じだ。また、そのため大して気にならなかった筋書きの粗さが目立ってくる。シナリオを仕上げる際は最後まで手を抜かず、主題の何たるかをしっかり把握した上で逸脱したモチーフを安易に挿入するべきではないという、当たり前のことを認識した。

 宮崎県の山間の町に住むシングルマザーの里枝は、林業従事者としてこの地に流れついた谷口大祐と親しくなり、やがて結婚する。大祐との間に長女も生まれて幸せな日々を送っていたが、彼は不慮の事故で帰らぬ人になってしまう。ところが長年疎遠になっていた大祐の兄が、遺影に写っているのは本人ではないと主張。別の誰かが大祐に成りすましていたらしい。里枝は真相を突き止めるべく、かつて自身の離婚訴訟で世話になった弁護士の城戸章良に調査を依頼する。平野啓一郎の同名小説の映画化だ。



 城戸のはたらきによって徐々に祐の身元が明らかになっていく過程は、キャストの頑張りもあり見応えがある。城戸の言う通り、世の中には身分を隠して生きていくしかない者たちが確実に存在しているのだ。その現実に思い当たらない一般ピープル、たとえ分かっていても無視を決め込む世間の風潮を厳しく批判している。その姿勢は申し分ない。

 しかし、ラストの扱いは感心できない。これではメロドラマであり、今までの濃密な空気感が雲散霧消してしまう。映画の全体像が斯様なものになった以上、メロドラマとしての筋立ての欠点が一気に表面化する。そもそも、映画の序盤は里枝と大祐および子供たちの話であったはずが、いつの間にか主人公が城戸に移行したのは失当だ。

 しかも、一見“人権派”である城戸だが実は妻の香織の両親は裕福ながら身も蓋も無いレイシスト発言を平気で口にするような人間で、どうして彼が香織と結婚したのか分からない(下手すれば“逆玉”に過ぎないと思われる)。しかも城戸は“在日”であるという。ならば香織の両親がなぜ結婚を許したのかも謎だ。

 城戸が手掛かりを掴むために刑務所で面会した小見浦は、彼を“一目で在日だと分かる”などと述べているが、あいにく城戸に扮している妻夫木聡は全然そう見えない。大祐の人生は苦難の連続だったらしいが、どうして彼が実家を飛び出したのか、納得できる説明は無い。なお、香織を演じているのは真木よう子なのだが、観終わってみれば“ああ、やっぱり真木よう子だから、こんな筋書きなのか”といった感想しか持てないのは辛い(苦笑)。

 石川慶の演出は、清涼な画面造形のタッチと堅実なテンポの維持は評価出来るものの、シナリオの不全に足を引っ張られている。安藤サクラに窪田正孝、清野菜名、小籔千豊、山口美也子、仲野太賀、そして柄本明など、キャストはいずれも熱演だがそれが十分に報われているとは言い難い。
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「サブウェイ」

2022-12-09 06:13:58 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Subway)85年フランス作品。リュック・ベッソン監督がその名を知られるようになった映画で、86年のセザール賞で美術や音響部門でのアワードを獲得している。ただし、内容はほぼ空っぽだ。その代わり、映画の“外見”は目覚ましい求心力を持っている。つまりは中身をあれこれ詮索せず、エクステリアだけを楽しむシャシンと割り切った上で接するのが正しい。

 パリ市内で富豪が主催したパーティーの最中に、邸宅の金庫から機密書類が盗まれる。犯人のフレッドは地下鉄の奥深くに潜伏し、富豪の妻エレナに金を持って来させるように要求。だが実はフレッドとエレナは以前は恋仲であり、彼のもとに赴いたエレナは好きでもない金持ちに嫁いだ不満も相まって、再びフレッドに惹かれていく。

 序盤に迫力あるカーチェイスが展開し、これはキレの良い犯罪ドラマなのかと思ったら、そこから話は停滞する。警察やエレナの旦那が放った追っ手からフレッドが逃げるという設定はあるものの、主人公2人のアバンチュールみたいなものが漫然と流れるパターンが多くなり、サスペンスは一向に醸成されない。果ては音楽好きのフレッドが他の地下住民たちとバンドを結成し、コンサートを企画するなどという筋違いのモチーフが挿入される。終盤の処理に至っては、まるで作劇を放り出したような弛緩ぶりだ。

 L・ベッソンの演出は後年の「ニキータ」(90年)や「レオン」(94年)で見られた躍動感は無く、平板に推移するのみ。しかしながら、この映画の美術や大道具・小道具の使い方は実に非凡である。地上とは違う地下世界の妖しさと独特の空気感の創出は見事だ。的確な照明と色彩が場を盛り上げ、撮影監督のカルロ・ヴァリーニは良い仕事をしている。

 主演はクリストファー・ランバートとイザベル・アジャーニで、当時は“旬”の俳優であった2人が放つオーラには思わず見入ってしまう。衣装デザインも申し分ない。さらには使用されている楽曲のセンスの良さにも唸ってしまう。音楽担当は御馴染みエリック・セラだが、ここでもさすがのスコアを提供している。リシャール・ボーランジェにミシェル・ガラブリュ、ジャン=ユーグ・アングラードといった他の面子も悪くない。ジャン・レノがチョイ役で顔を出しているのも嬉しい。
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「窓辺にて」

2022-12-05 06:23:02 | 映画の感想(ま行)
 2時間23分という長尺ながら、退屈すること無く最後まで付き合えた。これはひとえに語り口の上手さによる。ストーリー自体は大きな盛り上がりは期待できず、登場人物も何やら煮え切らないキャラクターばかりだが、観る者の共感を呼ぶ内容にまで押し上げているのは、絵空事に終わらせない作者の確かな人間描写の賜物だ。本年度の日本映画の収穫である。

 フリーライターの市川茂巳は編集者である妻の紗衣と二人暮らしだが、実は紗衣が担当している若手作家と浮気していることに気付いている。しかし、なぜか彼はその一件に対して怒りも悲しみも湧いてこない。そんな自分に驚いてもいる。ある時、新人文学賞の授賞式の取材に出かけた茂巳は、ひょんなことで受賞者である女子高生作家の久保留亜と知り合うことになる。彼は留亜の受賞作「ラ・フランス」が気に入っており、小説の主人公にモデルがいるのなら是非とも会いたいと話す。



 留亜の著作の内容は詳述されていないが、どうやら登場人物は苦労して入手したものを呆気なく捨ててしまうという筋書きらしい。茂巳はその設定に自らの境遇に通じるものを感じたのだろうが、自分の内面をそう簡単に他者の心情に重ね合わせられるはずもない。しかしながら「ラ・フランス」のモデルと思しき留亜の周囲の者たちと触れ合ううちに、次第に“自分は自分でしかない”という普遍的な結論に近付いていく。

 茂巳の友人である有坂正嗣は、モデルの藤沢なつと不倫関係にある。そのため正嗣の家庭は修羅場になっているのだが、それも茂巳にとっては彼から見た“風景の一部”でしかない。実は茂巳はかつて小説を一冊上梓しており、ある程度の評判を得たのだが、それ以来書いていない。彼にとっては、すべてのことはその著作の中に置いてきたのだろう。いわば人生から“降りてしまった”主人公と、いまだ人生の現在進行形にある他の者たちとの対比を抑制されたタッチで綴ったのが、本作の身上だと言える。

 脚本も担当した今泉力哉の演出は冴えており、長回しを多用した静かな展開でありながら、気の利いたエピソードを連続させて飽きさせない。特に茂巳が初めてのパチンコ屋で戸惑う場面や、留亜とラブホテルに入り2人で延々とババ抜きに興じるシークエンスには笑った。主役の稲垣吾郎は好調で、彼もこういう優柔不断な中年男を違和感なく演じられるようになったのだ。

 若葉竜也に中村ゆり、志田未来、倉悠貴、穂志もえか、佐々木詩音、斉藤陽一郎など、キャストは皆良い仕事をしている。個人的に気に入ったのは留亜に扮した玉城ティナで、この年代の女優では屈指の個性派(≒変態派?)である彼女のキャリアを今後も追いかけたくなる。池永正二の音楽も適切で、四宮秀俊のカメラによる柔らかい画調も要チェックだ。
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「ドント・ウォーリー・ダーリン」

2022-12-04 06:24:12 | 映画の感想(た行)
 (原題:DON'T WORRY DARLING )設定としては過去に何度も使われたネタであり、新味は無い。そしてもちろん、驚きも無い。ただ御膳立てに若干の現代的なモチーフを挿入していることと、キャストの健闘によってそれほど気分を害さずには観ていられる。また舞台セットや大道具・小道具の品揃えも非凡なところがあり、映画の“外観”に限っては決して悪いものではない。

 カリフォルニア州の近辺と思しき沙漠の真ん中にあるビクトリーの街に、アリス・チェンバーズは夫のジャックと暮らしていた。隣近所は彼らのような若夫婦で占められており、夫たちは毎朝車に乗って荒野の彼方にある“職場”に出勤してゆく。日中は妻たちは気ままに過ごし、経済面や健康面では何一つ不自由を感じることはない。



 だが、この一見完璧な生活が保証された街のあり方に疑問を抱いていた隣人が、赤い服の男たちに連れ去られるところをアリスは目撃する。それから彼女の周囲では理屈では説明できない現象が続出。ある日、飛行機が墜落していくのを見た彼女は、現場を確認するために街外れの丘まで行ってみるが、そこで正体不明の施設を発見する。

 登場人物の衣装・風俗は1950年代のそれで、夫たちは妻に“仕事”のことを話すことはない。しかも、子供がいる家庭は皆無だ。街の首長はフランクと名乗る男だが、いかにも胡散臭い風体だ。この現実感希薄な舞台を見せつけられると、少しでも映画を見慣れている者ならば“これはひょっとしてアレじゃないのか”と予想するはずだ。いや、映画ファンでなくても勘が良ければ想像は付くだろう。そして実際、アレなのだから世話は無い(苦笑)。

 ただし、アリスをはじめとしてこの街に住む妻たちがどうしてこの地にたどり着いたのか、その背景にはアップ・トゥ・デートな味付けが施されている。そして何より、レトロなビクトリーの街の佇まいは捨てがたい。アリスの友人役として出演もしている監督のオリヴィア・ワイルドは、快作「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」に続く2回目の仕事だが、ドラマ運び自体は申し分ない。だが、ストーリーがあまりにも陳腐なので見せ場もなく終わっているような気がする。

 アリス役のフローレンス・ピューは好調で、終盤のアクション場面も難なくこなす。ジャックに扮しているのはワン・ダイレクションのメンバーとして知られるハリー・スタイルズだが、俳優業もイケることを証明。クリス・パインにジェンマ・チャン、キキ・レインといった他のキャストも悪くない。
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「MONDAYS」

2022-12-03 06:16:01 | 映画の感想(英数)
 正式タイトルは「MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」らしいのだが、劇中タイトルには「MONDAYS」としか表示されない(苦笑)。ともあれ、巷では「カメラを止めるな!」(2017年)以来の低予算ブロックバスターとの声が多いらしい。確かにワン・アイデアで機動的な作劇であることは認めるが、「カメラを止めるな!」ほどのインパクトは無い。気の利いた小品という評価がまあ妥当なところだろう。

 主人公の吉川朱海は小さな広告代理店に勤めているが、密かに憧れの人がいる大手への転職を狙っている。それでも日々の業務を貫徹しなければならず、土日も返上同然で働いて迎えた月曜日の朝、彼女は後輩2人から自分たちが同じ一週間をずっと繰り返していることを告げられる。最初は信じなかった朱海だが、確かな証拠を突き付けられて愕然とする。このタイムループの原因は、どうやら部長の置かれた境遇にあるらしい。社員たちは“時の牢獄”から脱出するため、何とかして部長に真実を気付かせるべく奮闘する。



 舞台を小規模な企業の現場に設定したのがミソで、このイレギュラーな事態に最初に気付いた若手社員たちが、問題の核心である部長に直接アプローチしないのが面白い。ちゃんと社内のステータスの順番で事の重大さを納得させていく。これは稟議書のハンコの並びと一緒であり、つまりは“根回し”だ。会社組織を皮肉っているのが愉快だが、社員たちがタイムループを自覚した後に(時間はいくらでもあるので)それぞれ仕事のスキルを上げていくのは説得力がある。

 さらには朱海の転職問題に関しても進展があり、一種の“サラリーマンもの”としての興趣も醸し出す。終盤の処理も悪くない。しかしながら、タイムループ自体が超現実的なネタであり、なおかつパラドックスを指摘されやすい。細かく見れば突っ込みどころは多々ある。非日常的なホラーものと思わせて実は徹底してリアリティを確保していた「カメラを止めるな!」とは、そこが違う。さらに部長が抱える事情そのものも、ドラマの主要プロットに据えるには無理がある。もっと平易なネタでも良かった。

 竹林亮の演出はテンポが良く、別の題材での仕事ぶりを見たくなる。キャストは部長役のマキタスポーツと取引先幹部に扮するしゅはまはるみ以外は馴染みが無いが、演技が拙い者が一人もおらず観ていて気持ちが良い。特に朱海を演じる円井わんは、美人ではないけど実に芸達者で後半には可愛く見えてくる。幸前達之によるカメラワークと大木嵩雄の音楽も良好だ。
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北九州市のオーディオフェアに行ってきた。

2022-12-02 06:26:25 | プア・オーディオへの招待
 去る11月25日から27日にかけて北九州市のJR小倉駅の近くにあるアジア太平洋インポートマートで開催された、第36回九州オーディオ&ビジュアルフェアに行ってみた。このイベントに足を運ぶのは(コロナ禍もあって)4年ぶりだったが、とりあえずは実施してくれただけでも有り難い。

 まず印象に残ったのは、ESOTERICが創立35周年を記念してリリースしたレコードプレーヤーのGrandioso T1である。ESOTERICはTEACのハイエンドブランドで、一般人が気軽に手を出せるような値付けはされていない。この機種も700万円という高額商品だ。しかしながら、無視できない画期的な技術が採用されている。



 マグネシステム・ドライブと呼ばれる新開発の駆動方式は、モーターとターンテーブルが接触していない。磁力によって重量級プラッターを回転させている。そのため、モーターの振動がターンテーブルには一切伝わらないという。結果として、聴感上のS/N比(信号に対する雑音の比率)を限りなく低く抑えることが可能になったとのことだ。

 正直言って、これほどの価格帯で本機が他社製品と比べてどの程度音質的な優位性を確保しているのかは不明だ。しかし、原理的にモーターからのノイズをキャンセル出来るのならば、サウンド面でのアドバンテージは十分確保されていると思う。願わくばこのテクノロジーを普及価格帯にも反映させて欲しい(まあ、たとえ展開できても一般ピープルにとっては十分な高価格にはなるのだろうが ^^;)。



 国内高級ブランドの雄ACCUPHASE社の、創立50周年記念モデル一式も展示されていた。どれもハイエンド機ながら、コンスタントに製品を発表し続けている姿勢は評価すべきだろう。特に純A級モノフォニック・パワーアンプのA-300など、この仕様ならばコストパフォーマンスは高いとも言えるのだ。

 余談だが、同じ時期に近くでKPF(北九州ポップカルチャーフェスティバル)なるイベントが実施されており、オーディオフェアと同フロア(別ルーム)が更衣室兼控室になっていた。そのためロビーはアニメのコスプレをした若い女子でごった返しており、オッサンの私としては大いに面食らった(笑)。ただ、オーディオフェア側としても高級オーディオシステムでアニソンをガンガン鳴らして若い衆の興味を誘うぐらいのことはやった方が良かったと思う。もちろん最近の若い者に値の張る機器を買わせるのは難しいだろうが、趣味のオーディオという存在を知らしめるだけでも価値がある。
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