元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アイネクライネナハトムジーク」

2019-10-12 06:30:53 | 映画の感想(あ行)
 伊坂幸太郎による原作は未読だが、彼の小説はすでに10回以上映画化されているものの、成功している例はあまりない。時制や舞台をランダムに配置して伏線を張りまくり、終盤で一気にそれらを回収するという“手口”は、映画にする上でストーリーの追尾だけに気を取られると、中身の薄い作品に終わってしまう。残念ながら、本作もその轍を踏んでいる。

 仙台駅前の大型ビジョンの前には、パブリックビューイングとして映し出される日本人初のボクシング世界ヘビー級タイトルマッチを見るために多くの人々が集まっていた。その人混みの中、リサーチ会社で働く佐藤は街頭アンケートを取っていた。そこでアンケートに応じてくれたのが就活中の紗季で、後に偶然再会することになった2人はそのまま付き合うことになる。



 それから10年が経ち、佐藤は意を決して紗季にプロポーズをするのだが、彼女は返事を保留したまま行方をくらましてしまう。一方、件の試合で世界チャンピオンになったものの間もなくタイトルを失ったウィンストン小野は、一時は引退状態に追いこまれていたが、妻の美奈子のサポートもあって6年ぶりに現役復帰する。

 筋書きは原作通りなのかもしれないが、複数のパートが同時進行していく作劇は散漫な印象を受ける。ラストの伏線回収の部分も、カタルシスが得られない。ここは、佐藤と紗季のエピソードに絞った方がマシだったかもしれない。特に大きく上映時間が割かれたボクシングの話は、凡庸な試合場面も相まって、まるで盛り上がらない。

 とはいえ、佐藤と紗季の関係も描き方が不十分だ。普通、10年間も付き合って進展せず会話も他人行儀なままのカップルがゴールインするとは考えられない。今さらラブコメらしいシチュエーションを提示したところで、無駄である。監督は今泉力哉だが、先日観た「愛がなんだ」に比べると大幅にヴォルテージが落ちる。やはり有名作家による原作の“縛り”があると、思うように仕事が出来ないのだろう。

 三浦春馬に多部未華子、恒松祐里、萩原利久、矢本悠馬、森絵梨佳、貫地谷しほり、原田泰造と多彩なキャストを揃えてはいるが、複数パートを展開する必要があるためか、作劇の集中度が欠けて各人の真価が発揮出来ているとは思えない。ただ、斉藤和義による音楽だけは良かった。
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「限りなく透明に近いブルー」

2019-10-11 06:39:05 | 映画の感想(か行)
 79年作品。作家の村上龍には5本の監督作があるが、概ね評論家筋にはウケが悪く興行的にも低評価である。そのせいか、96年製作の「KYOKO」のあとは映画を撮っていない。ただし本作はその中でも一番マシな出来だと、個人的には思う。原作は村上のデビュー作で第75回の芥川賞受賞作だが、私は未読。ただし大まかなストーリーは知っている。

 作者の分身である、米軍基地の近くに住むリュウという青年が、麻薬とセックスにドップリと漬かった生活から、周囲の人間達との交流によって立ち直る(?)過程を描いている。まあ、話自体は取り立てて捻ったところはなく平易に進むのだが、個々の描写には見るべきものがある。



 特に興味深かったのが、黒人兵達との乱交パーティーの場面だ。黒人兵が日本人女性と絡むシーンで、これまでの映画ではあまりお目にかかれないような、黒人と東洋人との肌のキメの違いまでジリジリと出している演出には、少なからず驚いた。また、主人公が森の中で女友達のリリーと絡み合うシークエンスも、とてもキレイだ。赤川修也によるカメラが効果的に機能している。

 村上の仕事ぶりは冗漫な印象もあるが、異業種からの参入でしかも第一作であることを勘案すると、及第点であろう。星勝による音楽および既成曲の使い方も万全だ。主演の三田村邦彦は好演。リュウの屈折した内面を繊細なタッチで表現する。ヒロインに扮した中山麻理も、捨て鉢でありながら放ってはおけない存在感を醸し出していて好感触。なお、この2人は本作での共演が切っ掛けで交際がスタートし、翌80年には結婚にまで漕ぎ着けている(後に離婚 ^^;)。平田満や中村晃子、斉藤晴彦といった脇の面子も悪くない。

 この映画が地方で封切られたとき、同時上映はジャマイカ映画の「ハーダー・ゼイ・カム」(72年)だったらしい。まったく毛色の違う二本立てだが(そもそも、製作国が違う)、無軌道な若者が主人公である点だけは共通していると言える(笑)。昔はそういった“異色の抱き合わせ上映”というのが珍しくなかった。シネコン全盛の現在では考えられないことだ。
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「SHADOW 影武者」

2019-10-07 06:29:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:影)ストーリー自体はさほど面白くはない。各キャラクターの掘り下げも上手くいっていない。しかしながら、映画の“外観”は目覚ましい美しさを誇っている。また、アクション場面の造型は屹立した独自性を獲得している。一応、張藝謀監督の面目は保たれたと言って良いだろう。

 3世紀、中国大陸中部にあった弱小国家の沛は、隣国である炎に軍事拠点を占領され、そのまま20年の歳月が経っていた。沛の重臣である都督は、戦いによる傷と病で表に出られない状態だったが、影武者を立てて何とか政治に関与していた。若き王は炎国と休戦同盟を結んでいたが、都督は拠点の奪還を目指し、炎国の将軍である楊蒼に武術試合を申し込み、その隙に軍を進め一気に攻め落とす作戦に出る。都督の勝手な行動に王は激怒するが、王は密かに別の作戦を立てて事態の収拾を図っていた。「三国志」の荊州争奪戦をベースにしたオリジナル脚本である。



 都督の境遇に関する説明は通り一遍であり、説得力を欠く。影武者も、実態の無い自らの立場に対する屈託は上手く表現されていない。若い王は外見こそチャラいが、実は権謀術数に長けているような設定ながら、性格付けが曖昧だ。このように登場人物達は存在感が希薄であるため、彼らがいくら組んずほぐれつ陰謀を展開させようと、話は宙に浮くばかり。特に終盤は、明らかに致命傷を負ったキャラクターが延々と立ち回りを演じるなど、観ていて鼻白むばかりだ。

 だが、本作の映像は非凡である。ほとんどモノクロで、劇中は絶えず雨が降り続いている。まるで墨絵のような、独自の世界観を確立。もっとも、そのことが物語の内容や各キャラクターの内面にリンクしていないのは残念だ。

 そして活劇場面はかなりユニークである。沛の兵士が使用するのは、刀を傘のように束ねた新兵器アンブレラ・ソードだ。しかも、強い回転を加えることにより、兵士を乗せたまま地上を滑走する。これが大挙して攻め入るシーンは壮観だ。対する炎国の兵士も長い刀剣で立ち向かう。殺陣も完璧であり、観ていて盛り上がる。都督と影武者に扮するダン・チャオは好調。見事に二役を演じ分けている。チェン・カイやワン・チエンユエン、ワン・ジンチュンといった脇の顔ぶれは馴染みが無いが、いずれも的確な仕事ぶり。スン・リーとクアン・シャオトンの女優陣はとてもキレイだ。
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「存在のない子供たち」

2019-10-06 06:32:12 | 映画の感想(さ行)

 (原題:CAPHARNAUM)筋書きは幾分作為的かもしれない。しかし、全編を覆う強烈なメッセージ性と映像の求心力の高さは観る者を圧倒するだろう。第71回カンヌ国際映画祭にて、コンペティション部門審査員賞など2部門を獲得。本年度のアジア映画の収穫である。

 レバノンの首都ベイルートの貧民街に生まれたゼインは、12歳ぐらいに見えるが、実は両親が出生届を出さなかったため自分の本当の年齢を知らない。それどころか、法的には存在すらしていないのだ。学校にも行かずに来る日も来る日も辛い労働を強いられ、唯一の心の支えは一歳下の妹だけ。ところが妹は金持ちの中年男に“妻”として売られてしまう。怒りと悲しみから家を飛び出すゼインだが、そんな彼と知り合い、救いの手を差し伸べたのはエチオピアからの不法移民の母子だった。ところがある日、母親が当局側に捕まり家に帰らなくなる。ゼインは残された赤ん坊と共に、決死のサバイバル生活を送ることになる。

 ゼインの家庭は両親が無秩序に子供を作るため、兄弟姉妹がやたら多い。狭いアパートの一室に押し込まれ、家族ぐるみで違法なことに平気で手を染める。そんな環境がイヤで家出したゼインだが、外の世界は過酷だ。赤ん坊を抱えたまま幾度もピンチを迎えるが、ゼインは持ち前の才覚と行動力で危機を突破する。

 だが、そんな彼の奮闘を見て感じるのは辛さだけである。年端のいかない子供に、斯様な体験を押し付けるこの社会とは、いったい何なのか。精一杯頑張っても、いつしか自分の限界を感じ取って立ち往生してしまうゼイン。その姿は痛切だ。

 映画は傷害罪で少年刑務所に服役中のゼインが、両親を提訴するシーンから始まる(そしてそこに至る過程を説明するという手順だ)。その提訴事由は、何と“自分を産んだこと”なのだ。これほどの理不尽、これほどの痛烈な構図があっていいものなのだろうか。この映画で描かれていることは、決してヨソの国の話ではない。カンヌで受賞した際に大賞に輝いたのが是枝裕和監督の「万引き家族」であったように、この問題は万国共通なのだ。

 ナディーン・ラバキーの演出力はデビュー作「キャラメル」(2007年)の頃から大幅に向上し、今や風格すら感じさせる。また、弁護士役として上質なルックスを披露しているのも嬉しい。主人公に扮するゼイン・アル=ラフィーアをはじめ、ほとんどのキャストは素人だが、皆素晴らしい存在感を示している。ラストショットは少し芝居がかっているが、観客の紅涙を絞り出させる見事な仕掛けと言うべきだろう。鑑賞後の印象は上々である。
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「台風家族」

2019-10-05 06:41:58 | 映画の感想(た行)
 先日観た「イソップの思うツボ」と似たような体裁の映画だ。つまり“意外な展開にするための、無理筋のプロットの積み上げ”に終わっているということ。一応は目が離せない作劇にはなっているが、仕掛けそのものが底が浅いため、観たあとは空しさだけが残る。製作サイドは脚本のブラッシュアップをライターに依頼すべきであった。

 葬儀屋を営む鈴木一鉄は銀行に押し入り、2千万円を強奪して妻の光子と共に逃走。そのまま消息を絶つ。10年後、時効が成立したと踏んだ鈴木家の長男である小鉄は、両親の体裁上の葬儀を執り行うため、妻の美代子と娘のユズキを連れて実家を訪れる。次男の京介と小鉄の妹である麗奈も列席するが、三男の千尋だけは姿を見せない。式も終わり近くになる頃、登志雄と名乗る見覚えのないチャラい若造が現れる。聞けば彼は、麗奈の婚約者らしい。しばらくすると千尋も登場するが、やがて彼らが一鉄に抱いていた屈託が噴出し、収拾のつかない事態に陥る。



 当初はオフビートな家族劇の様相で、これはこれで一つの方法だと思わせるが、千尋が式の様子と兄弟間の揉め事をネット中継していることが明るみになってから映画は失速。あとはとても納得できないモチーフの連続で、観ていて鼻白むばかり。

 要するに、鈴木一家は以前からトラブル続きだったが、子供たちはそれぞれの矜持を持っていて、一鉄夫婦もそれなりに事情があり、家族間の絆は健在だったということを謳っているのだが、その段取りがまるで腰砕け。次々と現れる“訪問者”は一鉄との関係性を明かしていくのだが、いずれの話も取って付けたようで、有り体に言えば不愉快である。

 そもそも、事件当初に小鉄がマスコミから取材攻勢を受けた際に幼かったユズキが“お父さんをいじめるな!”と叫ぶのだが、そのくだりが後半に反映されることが無いのだ。終盤の、皆が台風の中で家族の思い出の地であるキャンプ場に急ぐパートなど、常識を度外視した展開の連続で脱力した。

 脚本も担当した市井昌秀の演出は、ケレン味こそ強いが粘りに欠ける。草なぎ剛に新井浩文、MEGUMI、尾野真千子、中村倫也、若葉竜也、榊原るみ、藤竜也と多彩な顔触れを揃えたわりには上手く機能させていない。

 一鉄は昔の派手な霊柩車に乗って犯行に及ぶのだが(その目立つ車が10年間も見つからなかったという設定は別にして)、現在は街中でああいう宮型霊柩車を見なくなったのは、近隣住民への配慮と不況で葬儀に金を掛けられなくなったことが大きいらしい。葬式も時代の意識を反映するものなのだろう。
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「ニール・サイモンのキャッシュ・マン」

2019-10-04 06:32:50 | 映画の感想(な行)

 (原題:Max Dugan Returns )83年作品。80年代の演劇界および映画界において活躍した、ニール・サイモンのシナリオによる一編。突飛な設定と人を食った展開で観客の耳目を集めるものの、いつの間にかハートウォーミングな筋書きに持ち込んでしまう“サイモン節”が冴えている。出来すぎの感はあるが、やっぱり評価せずにはいられない。

 シカゴに住むノラ・マクフィーは夫と死別、一人で15歳の息子マイケルを育てている。家計は苦しいが、それに追い打ちを掛けるように自家用車を盗まれてしまう。警察署の担当刑事ブライアンはノラに同情してバイクを貸すが、それが縁でノラとの距離が縮まっていく。ある日、28年間も行方が分からなかった老父のマックスが突然ノラを尋ねてくる。

 マックスは心臓病で余命半年だと彼女に告げるが、同時にギャングから横取りした68万ドルを持参していることも打ち明け、警察とギャングの両方から追われているという。マックスはノラのために家電品や高級車を次々と購入。だが、ブライアンにマックスの存在が気付かれるのではないかと、彼女はヒヤヒヤする。

 人生の幸福は金では買えない・・・・というのは通説で、ノラもそう信じている。しかし、マックスの振る舞いは、ノラのポリシーを揺るがしていく。そう、世の中には金で手に入る幸福もけっこうあるのだ。もちろん、それには好条件と工夫が必要なのだが、本作では金によってノラとマイケルの笑顔が戻るのは確かなことである。

 とはいえ、マックスの金は出所が怪しい。だから終盤は話が大仰に二転三転するのではないかという予想を裏切り、ドラマの焦点をマイケルに向けることによって乗り切ってしまうのだから、サイモンの筆致は冴えている。ハーバート・ロスの演出は派手さは無いが堅実で、安心してストーリーを追える。

 主役のマーシャ・メイソン、マックスに扮するジェイソン・ロバーズ、ブライアンを演じるドナルド・サザーランド、この三者のバランスも良好だ。なお、マイケル役のマシュー・ブロデリックはこれが映画デビュー作になる。ドナルドの息子キーファー・サザーランドが小さな役ながら映画初出演を果たしているのも興味深い。
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