元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「存在のない子供たち」

2019-10-06 06:32:12 | 映画の感想(さ行)

 (原題:CAPHARNAUM)筋書きは幾分作為的かもしれない。しかし、全編を覆う強烈なメッセージ性と映像の求心力の高さは観る者を圧倒するだろう。第71回カンヌ国際映画祭にて、コンペティション部門審査員賞など2部門を獲得。本年度のアジア映画の収穫である。

 レバノンの首都ベイルートの貧民街に生まれたゼインは、12歳ぐらいに見えるが、実は両親が出生届を出さなかったため自分の本当の年齢を知らない。それどころか、法的には存在すらしていないのだ。学校にも行かずに来る日も来る日も辛い労働を強いられ、唯一の心の支えは一歳下の妹だけ。ところが妹は金持ちの中年男に“妻”として売られてしまう。怒りと悲しみから家を飛び出すゼインだが、そんな彼と知り合い、救いの手を差し伸べたのはエチオピアからの不法移民の母子だった。ところがある日、母親が当局側に捕まり家に帰らなくなる。ゼインは残された赤ん坊と共に、決死のサバイバル生活を送ることになる。

 ゼインの家庭は両親が無秩序に子供を作るため、兄弟姉妹がやたら多い。狭いアパートの一室に押し込まれ、家族ぐるみで違法なことに平気で手を染める。そんな環境がイヤで家出したゼインだが、外の世界は過酷だ。赤ん坊を抱えたまま幾度もピンチを迎えるが、ゼインは持ち前の才覚と行動力で危機を突破する。

 だが、そんな彼の奮闘を見て感じるのは辛さだけである。年端のいかない子供に、斯様な体験を押し付けるこの社会とは、いったい何なのか。精一杯頑張っても、いつしか自分の限界を感じ取って立ち往生してしまうゼイン。その姿は痛切だ。

 映画は傷害罪で少年刑務所に服役中のゼインが、両親を提訴するシーンから始まる(そしてそこに至る過程を説明するという手順だ)。その提訴事由は、何と“自分を産んだこと”なのだ。これほどの理不尽、これほどの痛烈な構図があっていいものなのだろうか。この映画で描かれていることは、決してヨソの国の話ではない。カンヌで受賞した際に大賞に輝いたのが是枝裕和監督の「万引き家族」であったように、この問題は万国共通なのだ。

 ナディーン・ラバキーの演出力はデビュー作「キャラメル」(2007年)の頃から大幅に向上し、今や風格すら感じさせる。また、弁護士役として上質なルックスを披露しているのも嬉しい。主人公に扮するゼイン・アル=ラフィーアをはじめ、ほとんどのキャストは素人だが、皆素晴らしい存在感を示している。ラストショットは少し芝居がかっているが、観客の紅涙を絞り出させる見事な仕掛けと言うべきだろう。鑑賞後の印象は上々である。
コメント
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