元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「台風家族」

2019-10-05 06:41:58 | 映画の感想(た行)
 先日観た「イソップの思うツボ」と似たような体裁の映画だ。つまり“意外な展開にするための、無理筋のプロットの積み上げ”に終わっているということ。一応は目が離せない作劇にはなっているが、仕掛けそのものが底が浅いため、観たあとは空しさだけが残る。製作サイドは脚本のブラッシュアップをライターに依頼すべきであった。

 葬儀屋を営む鈴木一鉄は銀行に押し入り、2千万円を強奪して妻の光子と共に逃走。そのまま消息を絶つ。10年後、時効が成立したと踏んだ鈴木家の長男である小鉄は、両親の体裁上の葬儀を執り行うため、妻の美代子と娘のユズキを連れて実家を訪れる。次男の京介と小鉄の妹である麗奈も列席するが、三男の千尋だけは姿を見せない。式も終わり近くになる頃、登志雄と名乗る見覚えのないチャラい若造が現れる。聞けば彼は、麗奈の婚約者らしい。しばらくすると千尋も登場するが、やがて彼らが一鉄に抱いていた屈託が噴出し、収拾のつかない事態に陥る。



 当初はオフビートな家族劇の様相で、これはこれで一つの方法だと思わせるが、千尋が式の様子と兄弟間の揉め事をネット中継していることが明るみになってから映画は失速。あとはとても納得できないモチーフの連続で、観ていて鼻白むばかり。

 要するに、鈴木一家は以前からトラブル続きだったが、子供たちはそれぞれの矜持を持っていて、一鉄夫婦もそれなりに事情があり、家族間の絆は健在だったということを謳っているのだが、その段取りがまるで腰砕け。次々と現れる“訪問者”は一鉄との関係性を明かしていくのだが、いずれの話も取って付けたようで、有り体に言えば不愉快である。

 そもそも、事件当初に小鉄がマスコミから取材攻勢を受けた際に幼かったユズキが“お父さんをいじめるな!”と叫ぶのだが、そのくだりが後半に反映されることが無いのだ。終盤の、皆が台風の中で家族の思い出の地であるキャンプ場に急ぐパートなど、常識を度外視した展開の連続で脱力した。

 脚本も担当した市井昌秀の演出は、ケレン味こそ強いが粘りに欠ける。草なぎ剛に新井浩文、MEGUMI、尾野真千子、中村倫也、若葉竜也、榊原るみ、藤竜也と多彩な顔触れを揃えたわりには上手く機能させていない。

 一鉄は昔の派手な霊柩車に乗って犯行に及ぶのだが(その目立つ車が10年間も見つからなかったという設定は別にして)、現在は街中でああいう宮型霊柩車を見なくなったのは、近隣住民への配慮と不況で葬儀に金を掛けられなくなったことが大きいらしい。葬式も時代の意識を反映するものなのだろう。

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