元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「サンシャイン 歌声が響く街」

2014-08-18 06:28:52 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Sunshine on Leith )物足りない出来だ。何よりストーリーが面白くない。もちろんミュージカル映画だから筋書きが緻密なものである必要はないのだが、地に足が付かないような実体感の無いドラマ運びには閉口するしかない。

 スコットランドの田舎町リースに、アフガニスタンでの兵役を終えたデイヴィーとアリーが帰還する。デイヴィーの両親ロブとジーンは今年で結婚25周年だ。一家はお祝いムードに包まれるが、そのパーティ会場でデイヴィーの妹リズにプロポーズしたアリーはあえなくフラれ、しかもロブには隠し子がいることが発覚。楽しいはずの集まりは、思いがけなく暗転してしまう。

 確かにアフガニスタンまで遠征したスコットランド人兵士はいるだろうが、ここではどうも場違いのような印象を受ける。冒頭の戦地のシーンなんか、低予算のためかショボい画面しか提示出来ず、早々に気勢を削がれる感じだ。時代を第二次大戦直後あたりに設定した方が違和感は少なかったかもしれない。

 リズが求婚を断った理由が身勝手とも受け取られそうなものだったり、24歳にもなるロブの隠し子が都合良く出てきて、それに対するジーンの対応がワザとらしかったりと、どうにも各モチーフが練られていない。ハッキリ言って、どれも“思い付き”の次元を出ていないのだ。

 元ネタは英国で大ヒットしたミュージカル劇らしいが、舞台での方法論がそのまま映画でも通用すると思ったら大間違いだ。観る者と演技者との距離が一定のまま推移する演劇とは違い、カメラを動かさなければいけない映画では、それに見合ったメソッドが必要であるはずだが、ここでは何も工夫されていない。

 デクスター・フレッチャーの演出は平板そのもので、特に肝心のミュージカル場面のヴォルテージの低さは如何ともし難い。往年のMGMミュージカルやインド製娯楽映画のレベルは期待しないが、もうちょっとメリハリを付けた撮り方をして欲しいものだ。音楽はスコットランドの国民的バンドと言われるプロクレイマーズのナンバーが使われているが、このグループには個人的にほとんど馴染みが無く、わずかにラストに流れる「アイム・ゴナ・ビー(500マイルズ)」を知っている程度。楽曲も特段優れているとは思えない。

 ピーター・ミュランやジェーン・ホロックス、ジョージ・マッケイらの演技は可も無く不可も無し。各人が披露する歌声も、特筆すべきものは無い。結局、一番印象に残ったのは撮影場所のエディンバラやグラスゴーの街並みだ。歴史を感じさせ、実に趣がある。観光気分を味わいたいならば、もってこいのシャシンであろう。
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山水電気の破綻に思う。

2014-08-17 06:48:16 | プア・オーディオへの招待
 2014年7月9日、高級オーディオメーカーとして知られた山水電気が破産手続きを開始し、完全消滅した形になった。とはいえ同社は90年代には業界の第一線から退いており、ブランド名が残っていただけで、このニュースを聞いても今さら何の感慨も無い。

 ただ、あらためて思うのは、企業の命運というのは各従業員が握っているものではなく、トップの資質次第だということだ。

 同社は1944年に創業。当初は電源トランスの生産・販売を手掛けていたが、60年代末にリリースした海外向けオーディオ用レシーバー(アンプとチューナーが一体化したもの)が評判になり、それから事業の中心をオーディオ機器(特にプリメインアンプ)に移した。70年代から80年半ばまでが全盛期で、トリオ(現JVCケンウッド)やパイオニアと並んで“オーディオ御三家”と呼ばれ、一世を風靡したものだ。



 ところが商品ラインナップをアンプに固定化したせいで、デジタル化の波に乗り遅れる。さらには目先の資金繰りのために海外ファンドの傘下に入るが、それらのファンドが次々に破綻。いよいよ経営が行き詰まっていく。世の中がバブルに踊ってどこの企業も好業績だった89年にはすでに赤字だったというのだから、呆れたものである。

 とうとう90年代末には“本業”を見捨てるハメになってしまうのだが、この会社の経営陣は最後まで前向きなマーケティングを打ち出すことは無かった。

 いくら特定分野で実績を出そうとも、常に世の中のトレンドを読み、それに合わせた提案を絶えずしていくことこそ企業の生き残る道だ。山水電気はそれが出来なかった。もちろん、特定のコアなユーザー向けに手の込んだ商品を少量作り続けるやり方もあっただろう。しかし、東証一部に上場を果たしたような企業に、そういうガレージメーカーみたいな小回りの利く方法論を採用することは出来ない。この会社が破綻したのは、まあ当然だ。

 一番馬鹿げていると思ったのは、山水電気は87年に金を掛けてCI(コーポレートアイデンティティ)を実施し、ロゴを変更したことだ。CIというのは、アサヒビール等に代表されるように、新しい商品やサービス、または新しい企業理念や体制を打ち出す時に併用されるものである。ところが山水電気は単にロゴマークを変更しただけ。しかも、商品デザインやラインナップはほとんど変わらない。さらに言えば、その新しいメーカーロゴは全然垢抜けてはいなかった(前の方が良かった)。一体何のためのCIだったのか。



 おそらく当時の経営陣は“CIというものが流行っているから、自分のところでもやってみよう”という安易な気持ちで実施したのだろう。その資金や労力を新しいコンセプトの商品開発に振り向けていれば、少しは違っていたのかもしれない。

 さて、私はこのメーカーのアンプを使ったことは一度も無い。もちろん、歴代の製品は何度も試聴している。しかし、どれも好みに合わなかった。たぶんこの重々しい音が好きな人はけっこういたのだろう。ただし個人的には、安いクラスはONKYOに、上級機器はACCUPHASEやLUXMANの製品に、完全に負けていると思ったものだ。

 余談だが、私はなぜかSANSUIのチューナーは保有していたりする(笑)。別にこのメーカーの製品が好きであったということではなく、たまたまチューナーの更改時期において手頃なモデルがこれしか店頭に無かったので買い求めただけの話。何度か故障して修理に出したが、今でもちゃんと動いてくれる。フルサイズのチューナーが市場にあまり存在しないことを考え合わせると、たぶん“寿命”になるまで使い続けると思う(^^;)。
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「ぼくを探しに」

2014-08-16 06:53:50 | 映画の感想(は行)

 (原題:Attila Marcel )とても感銘を受けた。ジャコ・ヴァン・ドルマル監督による傑作「トト・ザ・ヒーロー」(91年)と似た構成の映画だが、あちらが余命幾ばくも無い主人公の悔恨の念と人生に対する“和解”を切々と描いていたのに対し、こちらは不遇を乗り越えた青年の前途洋々たる将来をうたいあげる。鑑賞後の気分は極上だ。

 主人公のポールは、幼い頃に両親が事故死する場面を目の当たりにしたショックで、口がきけなくなってしまう。今は伯母二人が経営するダンス教室のピアノ伴奏係として目立つことを恐れるように日々を送っているが、同じアパートに住むマダム・プルーストと知り合ったことをきっかけに、封印されていた過去の記憶が蘇ってくる。

 もちろん、プルースト夫人の設定は「失われた時を求めて」の作者であるマルセル・プルーストに由来しており、記憶を遡るために使われる小道具がハーブティーとプチット・マドレーヌであることも共通している。しかし、本作はあの小説のような込み入った構造の大河ドラマではなく、ドラマ運びは平易だ。その代わり、映像デザインは実に凝っている。

 監督シルヴァン・ショメで、彼の初の長編実写映画になる。アニメーションの快作「ベルヴィル・ランデヴー」と同様、奇矯なカメラワークと考え抜かれた色彩配置が観客の目を奪う。主人公の一人称的な視点に基づいているためか、単なるケレンではなく普遍性を持ったアプローチとして昇華されていることに好感が持てる。

 それにしても、過去の出来事は変えられないが過去に対する見方は思い通りになるというモチーフは面白い。さらにこの映画では、辛い(と思われた)過去は現在の自分の立ち位置の“反映”にすぎないと喝破する。過去が苦しいことばかりで現在もそれを引きずっている・・・・というのは間違いで、不遇なのは過去ではなく今の自分であり、トラウマになっている過去の出来事は多分に粉飾されたものであるとのメッセージは、本当に興味深い。観ていて救われるような気になる者もいるだろう。少しずつ“自分の人生”に足を踏み入れていくポールの姿は、おかしくも頼もしい。

 主役のギョーム・グイは妙演で、微妙な“無表情ぶり”と人を食ったような持ち味はクセ者らしさを印象付ける。マダム・プルーストに扮するアンヌ・ル・ニも懐の深いパフォーマンスを見せる。また伯母の一人を演じたベルナデッド・ラフォンは軽やかな演技を見せるが、これが遺作となってしまった。残念だ。

 ショメとフランク・モンバレットよる音楽は素晴らしく、ときおり現れるクリーチャー(?)の造型はセンス満点。ショメ監督としても前の「イリュージョニスト」での不調を一気に挽回する会心作と言えそうだ。
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特別展「軍師官兵衛」について。

2014-08-15 06:56:22 | その他

 福岡市早良区百道浜にある福岡市博物館で開催されていた、特別展「軍師官兵衛」に行ってみた。もちろん主催はNHK福岡放送局で、大河ドラマ「軍師官兵衛」の便乗企画である(笑)。夏休み期間中でもあり入場客は多く(特に家族連れ)、なかなかの盛況ぶりだった。

 国宝の日本刀「圧切長谷部」をはじめ、戦場で官兵衛が使用した赤合子や具足、自筆の書簡など、展示物はどれも興味深いものばかり。また、期間限定の展示ながら愛知県の長興寺が保有している織田信長像(重要文化財)まで見られたのは有り難かった。

 大河ドラマの方も、私は楽しんで見ている。放映前は主演が岡田准一だと聞いて“あんな優男に戦国武将が演じられるのか?”と思っていたのだが、実際見てみたらテンポの良いドラマ運びと多彩なキャスティングにより退屈するヒマがない。さらに官兵衛が幽閉されていた有岡城が救出され、軍師としての腕を振るうようになってからは、岡田にも貫禄が出てきた。今後の展開も期待出来る。

 NHKは2012年の「平清盛」の視聴率低迷に懲りて、ある程度の数字が見込める戦国時代と幕末に時代設定を固定してきたようだ。本当はもっといろいろな時代を取り上げて欲しいのだが、大河ドラマすなわち戦国&幕末というステレオタイプの見方をする視聴者が多いので仕方がないのかもしれない。

 とはいえ、戦国や幕末においてもまだ主役に据えていない人物がたくさんいるわけで、これからも題材の多様性を狙ってほしいものだ。しかしながら、2015年の「花燃ゆ」の主人公は疑問が残る。いくら製作側が“「篤姫」の夢をもう一度!”と望んだところで、歴史上ほとんど“無名”の者を取り上げるのはいかがなものか。よっぽど脚本がシッカリしていないと、視聴者からソッポを向かれるだろう。
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「夢は牛のお医者さん」

2014-08-11 06:26:08 | 映画の感想(や行)

 これは良い映画だ。元々はテレビのドキュメンタリーなのだが、素材に対する粘り強い取り組みが可能になったのはテレビの特性によるところが大きい。そして、それを映画にしてまとめ上げた作者の真摯な姿勢と手腕に感心する。いわばテレビと映画のメディアとしての長所をミックスさせた佳編と言えるだろう。

 1987年、新潟県の雪深い村にある全校生徒9人の小学校に、この年は新一年生が入ってこなかった。寂しい思いをしている子供達のために、学校側はクラスメートの代わりに3頭の子牛を“入学”させ、皆で育てることにしたのだ。丁寧な飼育の甲斐あって3頭はスクスクと大きくなるが、中心になって世話をしていた当時3年生の和美は、将来は大型家畜専門の獣医になろうと決意する。両親は“そんな大変な仕事は女の手に負えるものではない”と反対するが、彼女の意志は固かった。そしてカメラは、獣医の夢をかなえようと奮闘努力する彼女の姿を、何と26年間も追い続けるのだ。

 最初はテレビ新潟が取り上げたローカルニュースの一つでしかなかった。それが人一倍熱心に取り組んでいた彼女がクローズアップされ、思いがけない“超長編ドラマ”が出来上がってしまう。製作スタッフの目の付け所が良かったのは言うまでもないが、そんなフレキシブルな対応ができたのも、小回りの利くテレビ局(しかも地方局)ならではの特徴であろう。

 彼女を見ていると、月並みな表現ながら“夢を追う”ことの大切さを痛感する。家族を説得し、自分の目標に向かって着実に歩んでいく。そこには何の迷いも無い。勉強漬けだった高校生活を経て、難関校に合格。獣医の資格を得て地元に戻り、広いエリアで家畜の世話をする職務に就く。やがて結婚して家庭を持つと共に、今では地域になくてはならない人材に成長する。早くから自分の使命を知って精進するということは、これほどまでに人を輝かせるものなのだ。

 また、彼女を支える親兄弟・祖母の佇まいも実に美しい。実家も牛を飼っているが、その他にも犬や猫、ウサギやモルモットなどが家や敷地の中を自在に動き回る。皆動物好きで、優しい心根を持っている。家庭環境の描写を丹念に掬い上げたからこそ、ヒロインのような生き方も納得出来るものがある。

 テレビ新潟の社員でもある時田美昭の演出はケレン味を抑えて対象を自然体に撮ろうという姿勢が窺われ、好感が持てる。また、2004年の中越地震の際に被災地に取り残された牛を救うシーンもあり、これがなかなかのスペクタクルで作劇の良いアクセントになっている。

 本宮宏美の音楽、エンディングテーマである荒井由実の「卒業写真」(歌っているのは地元シンガーのUru)、AKB48の横山由依によるナレーション、いずれも良好だ。幅広い層に奨められるドキュメンタリー映画である。
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「ジョンQ 最後の決断」

2014-08-10 08:16:31 | 映画の感想(さ行)

 (原題:John Q)2002年作品。ヌルい映画である。要するに“アメリカの医療保険はロクなもんじゃねぇ!”ということを言いたいだけ。何でも米国では約五千万人もの国民が医療保険に加入できず、たとえ入れたとしても一般ピープルは貧弱な内容に甘んじなければならないとか。そりゃあ確かに大変だろう。でも、だからといって銃を手に病院を占拠していいという理由はない。

 シカゴに住む平凡な中年男ジョンQの息子が、突然として心臓発作を起こし昏睡状態に陥る。医者の話によれば、心臓移植しか助かる道はないという。しかし、適応されるはずの保険が利かない。父親の勤める会社が、合理化施策により彼をパート職に配転した際、勝手に保険ランクを下げていたのだ。しかも、両親ともに健在で職があるため国からの補助も受けられない。切羽詰まったジョンは、医師や看護婦、患者らを人質に取り病院に立てこもり、息子の心臓手術を要求する。

 身も蓋も無い話をすれば、アメリカ流の“自己責任の原則”では、悪いのは保険の内容をチェックしていない本人であるはずだ。だいたい当時は景気が日本ほど悪くなかった米国で通常勤務の職も得られない主人公は、甲斐性がないのである。それをあたかも“社会が悪い。本人は悪くない”といった責任転嫁を正当化しているようなこの映画のスタンスは断じて認めない。

 主人公の境遇に野次馬やマスコミが勝手に“共感”してしまう図式も願い下げ(シドー・ルメット監督「狼たちの午後」の足元にも及ばない)。さらに、御都合主義的なラスト近くの展開には泣けてきた。

 監督はニック・カサヴェテスだが、精彩を欠いた仕事ぶりだ。主演のデンゼル・ワシントンをはじめジェームズ・ウッズやロバート・デュヴァル、アン・ヘッシュ、レイ・リオッタといったキャストは熱演しているが、映画の設定自体がズンドコなので完全に上滑り。どうでも良いシャシンである。
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「GODZILLA ゴジラ」

2014-08-09 06:33:14 | 映画の感想(英数)

 (原題:Godzilla)98年に作られたローランド・エメリッヒ監督版よりもかなりマシな仕上がりで、観ている間は退屈しない。しかし、設定や作劇に不十分な箇所も目立つことから、諸手を挙げての高評価は差し控えていただく。

 筋書きにおいて一番驚いたのが、ゴジラとは別の怪獣(ムートー)が出てくることだ。そんなものの存在は公開前における予告編にもチラシにも見当たらず、しかも出番はゴジラよりも多い。これは“看板に偽りあり”ではないのか(爆)。さらに言えば、ムートーの造型はギャオスとカマキラスを足して二で割ったようなもので、さほど芸があるものだとは思えない。まあ、それぞれ形態が違う雄雌2匹を出してくるあたりは工夫の跡が見受けられるが、もうちょっとオリジナリティを前面に出したデザインにして欲しかった。

 東宝版「ゴジラ」を意識してか、芹沢教授が主要登場人物みたいな雰囲気で出てくるのだが、ロクに活躍もしてくれないのには困った。ゴジラとムートーは太古の昔から“犬猿の仲”であることが示されるが、イマイチ両者の生態が分かりかねる。核弾頭をめぐる終盤の展開は段取りが悪く、タイムリミットを設定したサスペンスがまるで出ていない。

 前半での日本を舞台にしたパートでは、ハリウッド名物“えせ日本”が臆面も無く出てくるのも愉快になれない。米海軍の爆発物処理隊員のフォードが主人公ということになっていて、彼の妻子および父親との関係性がドラマの中心になっているのだが、さほどの深みは無い(ハッキリ言って、取って付けたようだ)。

 その分、芹沢教授をクローズアップさせた方が面白くなる可能性はあったが、日本人を画面の真ん中に据えて自在に動かすというのは、ハリウッド関係者にとって至難の業であることも考慮しなければならないだろう。

 とはいえ、今回のゴジラの造型は高得点であり、それだけで特撮ファンを唸らせることが出来る。ただの“巨大トカゲ”だったエメリッヒ版ゴジラとは異なり、CGながら着ぐるみゴジラの特徴を付与させているところは見上げたものだ。トレードマークの叫び声も上手く処理されているし、ちゃんと口から熱線を放射する。

 ギャレス・エドワーズの演出は精度には欠けるもののテンポは良く、グイグイとドラマを引っ張っていく。アーロン・テイラー=ジョンソンをはじめブライアン・クランストン、エリザベス・オルセン、サリー・ホーキンス、デイヴィッド・ストラザーンといったキャストは、可も無く不可も無し。渡辺謙とジュリエット・ビノシュはもうちょっと活躍させて欲しかった。興業面では成功らしく続編も作られるようだが、グダグダになっていった東宝版とは違う骨太な展開を期待したい。
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「人類創世」

2014-08-08 06:31:06 | 映画の感想(さ行)

 (原題:La Guerre du feu)81年製作のフランス=カナダ合作映画。舞台は旧石器時代。ある種族が先祖代々引き継いできた火が消えてしまう。彼らは火を作り出す手段を持っていなかった。村の青年たちは失われた火を探すべく、長く苦しい旅に出る。

 1時間40分もの上映時間の中では、台詞がほとんど無い。登場人物達は行動と表情だけでドラマを演出する。その意味では“リアリズムに徹した作品”とも言える。主人公達は火を自在に起こすことが出来る種族と遭遇し、文化的に触発を受ける。

 さらに下世話なことを言えば、獣同然に“バック”からの生殖行為しか知らなかった彼らが、女性と正常位により対等な立場で付き合うことを学ぶ話でもある。文化人類的な背景と、いくぶんフェミニズムの要素も入っているところが興味深い。また、ロードムービーとしても退屈しない程度のエンタテインメント性を確保している。

 監督はこの後「薔薇の名前」や「子熊物語」で広く知られるようになるジャン=ジャック・アノーだが、対象から一歩も二歩も“引いた”ようなタッチでクールに仕上げる作風はこの頃から見受けられる。レイ・ドーン・チョンやロン・パールマンらのキャストは熱演。フィリップ・サルドの音楽も良い。また巧妙なメイクは、その年のアカデミーメイクアップ賞も獲得している。

 なお、日本公開時には冒頭に説明的なアニメーションが挿入され、ラストにはニュートン・ファミリーによるエンディング・タイトル曲も付けられていた。この頃にはときどき実行されていた“独特の”マーケティングだが、もちろん褒められたことではない。ただ、本作に限ってはそれほどの瑕疵になっていないことが御愛敬か。確かにニュートン・ファミリーのナンバーは今から考えても良い曲だった。
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「オール・ユー・ニード・イズ・キル」

2014-08-04 06:21:00 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Edge of Tomorrow)観ている間は退屈せず、鑑賞後はきれいサッパリ忘れることが出来るという、肩の凝らない娯楽映画の見本みたいなシャシンだ(まあ、本当に忘れてしまったら感想を書けないのだが、それはさておき・・・・ ^^;)。主演のトム・クルーズの“持ち味”も上手く活かされている。

 本作の舞台は、宇宙からの侵略者“ギタイ”によって人類絶滅の危機に瀕している近未来だ。主人公ウィリアム・ケイジは米軍の広報担当の将校だったが、ある日突然最前線での勤務を命じられる。生還率がかなり低い“現場”での仕事などまっぴらゴメンとばかりにゴネまくるケイジだが、ついには力尽くで激戦地へと送られてしまう。

 着任間もなく、ロクな訓練も受けないままいきなり戦闘地帯に投入され、あえなく戦死してしまう彼だが、どういうわけか気が付くと出撃の前日にタイムリープしているのだった。それから彼は、死ぬたびに着任当日に“戻る”という無限ループに突入する。やがてケイジは似たような境遇にある女性兵士のリタと知り合い、戦闘スキルを上げて敵を倒すための策略を練ろうとする。桜坂洋によるライトノベル(私は未読)のハリウッド映画化版だ。

 トム御大扮するケイジの、前半の救いようのないヘタレぶりが愉快だ(笑)。理不尽な派遣命令に対し泣き言を並べ立て、挙句の果てには上官を脅迫しようとし(反対に組み伏せられるのだが ^^;)、戦地では捨て駒のように扱われても文句も言えない。そんな奴がタイムリープによって(亀の歩みのごときスローペースで)少しずつ成長し、何とか兵隊らしくなっていく過程には、苦笑しながらも共感してしまう。

 さらに映画が進むと、どこまでケイジが体験した“未来のシミュレーション”なのか分からなくなってくるあたりも納得した。タイムリープの原因は“最初の戦死”の際にエイリアンの返り血を浴びたことによることが明らかになるが、大量の輸血によってその能力が失われていくという設定(ループがそこで途切れ、ストーリーが一段落すること)も悪くない。

 ダグ・リーマンの演出は「ボーン・アイデンティティー」等の頃よりも少しはメリハリで出てきたようで、アクション場面をソツなく見せる。エミリー・ブラントやビル・パクストンといった脇のキャストもけっこうイイ味を出している。

 よく考えれば“クライマックスで、どうして主人公があのような芸当を見せることが出来るのか”とか“ラストシーンの処理は、タイムトラベルの定石とは相容れないものではないのか”とかいった突っ込みどころもあるのだが、トム御大の奮闘を見ていれば、あまり気にならなくなる(笑)。

 それにしても、戦線がアメリカではなくヨーロッパで、現場がノルマンディーというのは何やら意味ありげだ。そして、おそらくは助太刀に入るはずだったロシア軍や中国軍が戦闘が終わった彼の地で略奪などの狼藉をはたらくことは想像に難くない。いっそのこと、エイリアンの拠点を中国の奥地あたりに設定した方が、話が一筋縄ではいかなくなって面白かったとも思う(爆)。
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大濠公園の花火大会に足を運んでみた。

2014-08-03 06:56:23 | その他
 去る8月1日に福岡市中央区の大濠公園で恒例の花火大会が開催された。前年も行ったので今年は見る必要は無いと思っていたが、いつの間にか職場の連中と共に会場の近くまで来てしまった(笑)。



 当日は朝から雨で、花火大会が始まる時間帯も小雨がぱらついていたのだが、無事に決行された。今回の大会は“直径”の大きな花火が多く、かなり賑々しく盛り上がった。ただ風が強く、風下にいた我々に火薬の臭いが“直撃”したのには閉口したが・・・・(^^;)。



 それにしても、当日はかなりのゴミが出たようで、公園を管理する市当局や清掃ボランティアの皆さんは翌日とても苦労したことだろう。こういう人達のおかげで公演がキレイに維持されているわけで、感謝したい。
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