元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「の・ようなもの のようなもの」

2016-02-12 06:27:32 | 映画の感想(な行)

 楽しめた。もっとも、本作単体では平凡な出来だ。しかしながら、この映画の前作である森田芳光監督の「の・ようなもの」(81年)との関連性を加味すると、こちらも採点は甘くなる。35年前に「の・ようなもの」を観たときの思い出がよみがえってきて、柄にも無くノスタルジックな気分に浸ってしまった(笑)。

 東京の下町に居を構える落語家一門“出船亭”に入門した志ん田(しんでん)は、師匠の志ん米(しんこめ)から、昔ここに在籍していた志ん魚(しんとと)を探すことを命じられる。何でも、一門のスポンサーである女社長が志ん魚を気に入っていて、創立記念の高座に呼んでほしいとの依頼を受けたらしい(もしも呼べなかったら支援は打ち切りである)。志ん田は昔の門下生を訪ね歩いて手掛かりを得ようとするが、どうにもうまくいかない。やがて志ん魚を墓地で見かけたという情報を得た志ん田は、志ん米の娘の夕美と一緒に墓地に張り込むのだが・・・・。

 前作の登場人物は年を取り、若手の志ん魚はオッサンになり、彼の兄弟子だった志ん米は一門のリーダーになっている。ただ志ん魚は落語の世界から引退したものの、50歳を過ぎても定職は持たず便利屋みたいなことをやって日銭を稼いでいる。彼の“時間”は約30年前に止まったままであり、いまだ何者にもなりきれない“の・ようなもの”の状態だ。

 それは脱サラをして落語界に飛び込んだ志ん田も同じこと。若手とはいってもすでに30歳で、あるのは落語への情熱だけで、とても一人前とはいえない。世捨て人みたいな生活を送っていた志ん魚が志ん田のひたむきさに触発され、再び落語に目を向けるようになっていく時、いわばビルドゥングスロマンのような普遍性がドラマに付与される。

 思えば前作をリアルタイムで観た時の私も、何者にもなれないガキだった。あれから長い年月が経った今、果たして何者かになれたのかと自問自答してみても、いささか心許ない状態だ(大笑)。ただ、この映画の主人公達の奮闘を見ていると、今からでも自己形成に関して何か貢献できることがあるのではないかと思い当たり、面映ゆい気分になる。

 杉山泰一の演出は(頑張ってはいるが)才気煥発だった頃の森田芳光には及ばず、展開のテンポやギャグの切れ具合もイマイチだ。しかし、前作のモチーフを良い感じで引用しているあたりは好感が持てる。特に、志ん米に扮している尾藤イサオが歌うエンディング・テーマ「シー・ユー・アゲイン雰囲気」が再び使われているのには泣けてきた。

 主演の松山ケンイチと夕美役の北川景子は好演。志ん魚には伊藤克信が連続登板で、すっかりオジサンになってはいるが、あの飄々とした雰囲気は健在だ。他に野村宏伸や鈴木亮平、ピエール瀧、内海桂子、鈴木京香、佐々木蔵之介、塚地武雅、笹野高史、宮川一朗太、仲村トオル、三田佳子と豪華な(森田作品に縁のある)脇役を揃えているのは嬉しい。欲を言えば前作で登場人物達が身を包んでいたアイビー・ルックを踏襲してほしかったが、衣装デザインまでは手が回らなかったのだろうか(笑)。

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