元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「風の又三郎 ガラスのマント」

2023-08-20 06:06:56 | 映画の感想(か行)
 89年作品。誰でも知っている宮澤賢治による童話の、1940年の島耕二監督作、1957年の村山新治監督作に続く実写版では三回目の映画化だ。本作が異彩を放っているのは、原作には存在しないキャラクターを重要な役柄として登場させていること。ひとつ間違えば宮澤賢治の世界そのものを瓦解させてしまうような“暴挙”とも言える試みなのだが、実際観てみると何とこれが成功している。製作陣の果敢なチャレンジには感心するしかない。

 夏も終わりに近付いた頃、東北の山間の村にある小さな分教場に転校してきた高田三郎という少年と、地元の子供たちとの関係性を描くという設定は原作通り。しかし、この映画の中で三郎と最初に接触するのは、病弱な母と二人で暮らす少女かりんである。かりんは原作には出てこない。彼女は三郎のスピリチュアルな側面を強調すると同時に、元ネタでは最後まで正体が分からない三郎を、映画では子供たちの“成長”のメタファーとして機能させるための媒体といえよう。



 見ようによっては、結局は村の子たちだけで結束して三郎を疎外してしまう原作の顛末とは異なるかもしれないが、母親が療養所に入る関係で村から離れるかもしれないかりんの存在もまた、三郎のキャラクターを補完するものと考えれば納得出来る。彼女は片耳が聞こえないという設定も、三郎とペアでの形而上的な佇まいを醸し出す。

 伊藤俊也の演出は闊達だが、何といっても観る者の度肝を抜くのは高間賢治によるカメラワークだ。冒頭のヘリコプターによる空からの撮影をはじめ、ステディ・カムやクレーンを多用した撮影は、まさしく映画全体を“風の目線”から捉えたような浮遊感と躍動感を達成している。東北の夏の、輝かしい美しさの表現も申し分なく、最初から最後までまさに夢見るような映像体験を味わえる。

 バックに流れる富田勲の音楽がまた最高で、特に原作の詩にメロディを付けた主題歌(島耕二監督版でも採用されている)が大胆なアレンジで鳴り響くシークエンスは鳥肌ものだ。早勢美里に小林悠、志賀淳一ら子役は皆達者なパフォーマンスを見せる。樹木希林に岸部一徳、内田朝雄、檀ふみ、すまけい、草刈正雄といった大人のキャストも有効に機能しており、幅広く奨められる良作といえよう。

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