(原題:LONG SHOT )まるで面白くない。政治ネタと恋愛沙汰をコメディ風味でミックスさせようという意図は良いが、困ったことにこの映画の作り手は政治も恋愛も分かっていないらしい。何やら本国での評判は良いらしいが、そのあたりはどうも理解出来ない。
シャーロット・フィールドは、史上最年少の米国務長官として忙しい日々を送っていた。一期目のチェンバーズ大統領は次回の選挙には出馬せず、後継者としてシャーロットを指名する意向を示す。彼女は大統領選へ向けて、選挙スピーチの原稿作成を外部のスタッフに依頼することになるが、そこで選ばれたのが失職中のジャーナリストのフレッド・フラスキーだった。
フレッドは有能だったが、意固地な面が強くて周囲との摩擦が絶えなかった。それでもシャーロットが彼を指名したのは、フレッドは幼馴染みであり気心が知れていたからである。2人は行動を共にするうちに惹かれ合っていくが、もとより立場が違うこともあり、思いがけない邪魔が次々と入るのであった。
まず、シャーロットはどういう政治的ヴィジョンを持ち、具体的に何をしたいのか、さっぱり分からないのが難点だ。どうやら環境問題に関心があるようだが、政策面での言及は無い。そして、現大統領やマスコミ界の大物を嫌っている理由も明確ではない。そもそも、国務長官としてのポリシーも実績も示されていないのだ。対するフレッドは、身体を張った突撃取材で名を馳せるものの、その考え方は偏狭で幅広い共感を呼べるものではない。
この地に足が付いていないような2人が、たとえ久々に再会して旧交を温めたとしても、そのまま懇ろな関係になる必然性が見えないし、納得出来るようなプロセスも踏んでいない。その描写不足を糊塗するかのように繰り出されるギャグは、徹底して下ネタ優先。ただし、タイミングと展開が生ぬるいのでほとんど笑えず。同じくお下品コメディの快作であるロバート・ルケティック監督の「男と女の不都合な真実」(2009年)と比べると、随分と落ちる。
ジョナサン・レビンの演出は冗長で、盛り上がる箇所はほとんど無い。シャーロットに扮するシャーリーズ・セロンは、残念ながら色気はあるが知性は感じられず、とても政治家には見えない。フレッド役のセス・ローゲンも単なるむさ苦しい男で、愛嬌に欠ける。カナダ首相を演じるアレクサンダー・スカルスガルドに至っては、イロモノ扱いだ。それにしてもこのカナダの首相の扱いをはじめとして、ヒロインが訪れる世界各国の描き方はかなり杜撰である。作者の見識の浅さか、あるいは“その程度”の観客を相手にするということで見切っているのか分からないが、いずれにしても愉快ならざる気分になる。
シャーロット・フィールドは、史上最年少の米国務長官として忙しい日々を送っていた。一期目のチェンバーズ大統領は次回の選挙には出馬せず、後継者としてシャーロットを指名する意向を示す。彼女は大統領選へ向けて、選挙スピーチの原稿作成を外部のスタッフに依頼することになるが、そこで選ばれたのが失職中のジャーナリストのフレッド・フラスキーだった。
フレッドは有能だったが、意固地な面が強くて周囲との摩擦が絶えなかった。それでもシャーロットが彼を指名したのは、フレッドは幼馴染みであり気心が知れていたからである。2人は行動を共にするうちに惹かれ合っていくが、もとより立場が違うこともあり、思いがけない邪魔が次々と入るのであった。
まず、シャーロットはどういう政治的ヴィジョンを持ち、具体的に何をしたいのか、さっぱり分からないのが難点だ。どうやら環境問題に関心があるようだが、政策面での言及は無い。そして、現大統領やマスコミ界の大物を嫌っている理由も明確ではない。そもそも、国務長官としてのポリシーも実績も示されていないのだ。対するフレッドは、身体を張った突撃取材で名を馳せるものの、その考え方は偏狭で幅広い共感を呼べるものではない。
この地に足が付いていないような2人が、たとえ久々に再会して旧交を温めたとしても、そのまま懇ろな関係になる必然性が見えないし、納得出来るようなプロセスも踏んでいない。その描写不足を糊塗するかのように繰り出されるギャグは、徹底して下ネタ優先。ただし、タイミングと展開が生ぬるいのでほとんど笑えず。同じくお下品コメディの快作であるロバート・ルケティック監督の「男と女の不都合な真実」(2009年)と比べると、随分と落ちる。
ジョナサン・レビンの演出は冗長で、盛り上がる箇所はほとんど無い。シャーロットに扮するシャーリーズ・セロンは、残念ながら色気はあるが知性は感じられず、とても政治家には見えない。フレッド役のセス・ローゲンも単なるむさ苦しい男で、愛嬌に欠ける。カナダ首相を演じるアレクサンダー・スカルスガルドに至っては、イロモノ扱いだ。それにしてもこのカナダの首相の扱いをはじめとして、ヒロインが訪れる世界各国の描き方はかなり杜撰である。作者の見識の浅さか、あるいは“その程度”の観客を相手にするということで見切っているのか分からないが、いずれにしても愉快ならざる気分になる。