(原題:YOUNG PLATO )作者が主張したかったテーマとは、おそらくは全く違う事柄に感心してしまった。鑑賞者の置かれた環境によっては、作品の狙いとは異なるモチーフが強い印象を与えることもあるのだ。ましてやこの映画はドキュメンタリーであり、観客による受け取り方の幅は通常の劇映画よりも広いと思う。
北アイルランドの政庁所在地ベルファストにあるホーリークロス男子小学校では、哲学が主要科目になっている。担当教諭は校長のケヴィン・マカリービーだ。彼はハードな面構えにスキンヘッドという、とてもカタギの人間には見えない。実際に若い頃はかなりの極道者だったことを匂わせるのだが、こういう人間が生徒に哲学を説くというのは、絵面として確かに面白い。
また、ベルファストは北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いた土地で、命の大切さに関する“教材”には事欠かない。映画はケヴィンによるこの哲学の授業を、2年にわたって記録している。作者の意図とは裏腹に、義務教育における哲学の授業内容は観る側にそれほど伝わってこない。日本の道徳教育とあまり変わらないようにも思える。ベルファストのシビアな現代史も、土地柄だと言ってしまえばそれまでだ。
しかし、ケヴィン校長をはじめ教師陣が、長い時間と手間をかけて生徒一人一人に接している様子には少なからず衝撃を受けた。ここで“何だ、教師が生徒に対峙するのは当たり前じゃないか!”というツッコミも入るかもしれないが、その“当たり前”のことが実現していないのが我が国の状況なのだ。
イギリスにおける教職員の勤務時間は欧米では長い方だが、それでも日本よりは短く、担当業務も少ない。授業準備時間数に至っては日本は最低レベルだ。そもそも、我が国の教育への子供一人あたりの公的支出はOECD加盟国では下位低迷中。改めて日本は教育を蔑ろにしている国であることを痛感する。
監督はドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンとベルファスト出身の映画編集者デクラン・マッグラだが、彼らが描くこの町の風景はインパクトが大きい。市民の住居は多くが長屋みたいな形態で、壁面には大きな絵が描かれている。これを空撮でとらえたショットは珍しく、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」(2021年)でも紹介しなかった奇観には思わず目を奪われた。
北アイルランドの政庁所在地ベルファストにあるホーリークロス男子小学校では、哲学が主要科目になっている。担当教諭は校長のケヴィン・マカリービーだ。彼はハードな面構えにスキンヘッドという、とてもカタギの人間には見えない。実際に若い頃はかなりの極道者だったことを匂わせるのだが、こういう人間が生徒に哲学を説くというのは、絵面として確かに面白い。
また、ベルファストは北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いた土地で、命の大切さに関する“教材”には事欠かない。映画はケヴィンによるこの哲学の授業を、2年にわたって記録している。作者の意図とは裏腹に、義務教育における哲学の授業内容は観る側にそれほど伝わってこない。日本の道徳教育とあまり変わらないようにも思える。ベルファストのシビアな現代史も、土地柄だと言ってしまえばそれまでだ。
しかし、ケヴィン校長をはじめ教師陣が、長い時間と手間をかけて生徒一人一人に接している様子には少なからず衝撃を受けた。ここで“何だ、教師が生徒に対峙するのは当たり前じゃないか!”というツッコミも入るかもしれないが、その“当たり前”のことが実現していないのが我が国の状況なのだ。
イギリスにおける教職員の勤務時間は欧米では長い方だが、それでも日本よりは短く、担当業務も少ない。授業準備時間数に至っては日本は最低レベルだ。そもそも、我が国の教育への子供一人あたりの公的支出はOECD加盟国では下位低迷中。改めて日本は教育を蔑ろにしている国であることを痛感する。
監督はドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンとベルファスト出身の映画編集者デクラン・マッグラだが、彼らが描くこの町の風景はインパクトが大きい。市民の住居は多くが長屋みたいな形態で、壁面には大きな絵が描かれている。これを空撮でとらえたショットは珍しく、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」(2021年)でも紹介しなかった奇観には思わず目を奪われた。