(原題:WOMEN TALKING )無理筋の舞台設定に整合性を欠く脚本、さらに冗長な展開と、見るべきものがあまり無いシャシンである。それにも関わらず、この作品が第95回アカデミー賞の脚色賞をはじめ各アワードを獲得している事実を前にすると、昨今は映画の内容よりも取り上げられた題材が評価の指標になっているという印象を強く受ける。
人里離れた場所で、キリスト教の一派であるメノナイトに属する信徒たちが自給自足のコミュニティを営んでいた。この村では、女たちが睡眠中に性的暴行を受けることが常態化していた。男たちはそれを“悪魔の仕業だ”と決めつけて長らく真相を隠してきたが、ある日その事実が明らかになり犯人が当局側に拘束される。男たちは保釈の交渉をするために街へと出かけて2日間村を不在にするが、その間に女たちは今後の身の振り方について話し合う。
当初これは近世か、あるいは最低100年ぐらい前の話かと思っていた。ところが、途中で時代設定が2010年であることが示され愕然とした。つい最近の話なのに、かくも時間の流れから取り残されたような共同体が存在するとは信じがたい。聞けばこの映画は2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆されたミリアム・トウズの小説を原作にしているらしいが、おそらくは南米奥地の未開の地で起こった出来事ならばともかく、本作の舞台はどう見ても北米だ(ロケ地はカナダ)。
しかも、近くに自動車が走っているので、住民たちは外部に文明社会が存在していることを知っているはず。その状況において、彼らが信仰とどう折り合いを付けているのかが全く説明されない。また、たかが保釈金を払いに行くのに男衆全員が2日間も村を留守にするという馬鹿げた設定や、かと思うと物分かりの良さそうな男が一人村に残っている謎な展開など、いったい作者はストーリーをまともに語る気があるのか実に疑わしい。
ならばタイトルにある女たちの討論が盛り上がるのかというと、全然そうではない。単に“感想”を述べ合うばかりで、これではただの井戸端会議ではないか。終盤はその話し合いの“結論”により彼女たちは行動するのだが、その後の展望なんか開けちゃいない。作劇を放り投げたまま映画は終わる。監督サラ・ポーリーの仕事ぶりは低調だが、フェミニズムを押し出した点だけで評価されたと思われる。
ルーニー・マーラにクレア・フォイ、ベン・ウィショー、フランシス・マクドーマンドといった面子を集めているにも関わらず、求心力のあるパフォーマンスは見られなかった。良かったのはリュック・モンテペリエのカメラによる映像と、ヒドゥル・グドナドッティルの音楽ぐらい。思い起こせば、似たような御膳立てのピーター・ウィアー監督の「刑事ジョン・ブック 目撃者」(85年)がいかに良い映画だったのかを痛感した。
人里離れた場所で、キリスト教の一派であるメノナイトに属する信徒たちが自給自足のコミュニティを営んでいた。この村では、女たちが睡眠中に性的暴行を受けることが常態化していた。男たちはそれを“悪魔の仕業だ”と決めつけて長らく真相を隠してきたが、ある日その事実が明らかになり犯人が当局側に拘束される。男たちは保釈の交渉をするために街へと出かけて2日間村を不在にするが、その間に女たちは今後の身の振り方について話し合う。
当初これは近世か、あるいは最低100年ぐらい前の話かと思っていた。ところが、途中で時代設定が2010年であることが示され愕然とした。つい最近の話なのに、かくも時間の流れから取り残されたような共同体が存在するとは信じがたい。聞けばこの映画は2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆されたミリアム・トウズの小説を原作にしているらしいが、おそらくは南米奥地の未開の地で起こった出来事ならばともかく、本作の舞台はどう見ても北米だ(ロケ地はカナダ)。
しかも、近くに自動車が走っているので、住民たちは外部に文明社会が存在していることを知っているはず。その状況において、彼らが信仰とどう折り合いを付けているのかが全く説明されない。また、たかが保釈金を払いに行くのに男衆全員が2日間も村を留守にするという馬鹿げた設定や、かと思うと物分かりの良さそうな男が一人村に残っている謎な展開など、いったい作者はストーリーをまともに語る気があるのか実に疑わしい。
ならばタイトルにある女たちの討論が盛り上がるのかというと、全然そうではない。単に“感想”を述べ合うばかりで、これではただの井戸端会議ではないか。終盤はその話し合いの“結論”により彼女たちは行動するのだが、その後の展望なんか開けちゃいない。作劇を放り投げたまま映画は終わる。監督サラ・ポーリーの仕事ぶりは低調だが、フェミニズムを押し出した点だけで評価されたと思われる。
ルーニー・マーラにクレア・フォイ、ベン・ウィショー、フランシス・マクドーマンドといった面子を集めているにも関わらず、求心力のあるパフォーマンスは見られなかった。良かったのはリュック・モンテペリエのカメラによる映像と、ヒドゥル・グドナドッティルの音楽ぐらい。思い起こせば、似たような御膳立てのピーター・ウィアー監督の「刑事ジョン・ブック 目撃者」(85年)がいかに良い映画だったのかを痛感した。