元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「失くした体」

2020-04-27 06:55:11 | 映画の感想(な行)

 (原題:J'AI PERDU MON CORPS)2019年11月よりNetflixで配信されているフランス製アニメーション映画。第92回の米アカデミー賞でのノミネートをはじめ、各種有名アワードを獲得している話題作である。なるほど、かなり野心的な作劇で見応えはある。しかし、万全の出来かというと、そうではない。設定や展開にやや説得力を欠いており、独特の映像も含めて私としてはあまり好みではなかった。

 事故で切断された右手が、どこかの安置室から抜け出し、元の“持ち主”を探してパリの街をさまよう。一方、この右手の“持ち主”であったと思われる青年ナオフェルが、子供時代に両親を亡くして一人で生きていく様子が描かれる。この2つは平行して進められるが、右手が動き回る部分はナオフェル自身を主人公としたパートの“後日談”である。

 彼はピザの宅配中にマンションのインターホン越しにガブリエルという若い女の声を聞き、気になってしまう。苦労して彼女の居場所を突き止め、ガブリエルの叔父が経営する木工製作所に住み込みで働くことになるナオフェルだが、彼女には自分がかつてのピザの宅配員であったことは伏せていた。彼は何とかガブリエルとの距離を詰めようとするが、結果は芳しくない。やがて、ナオフェルは作業場で大きな事故に遭遇する。

 右手が意志を持って街を彷徨うというのは、アイデアとして悪くない。何度か絶体絶命の危機に陥るが、紙一重で切り抜ける。また、右手が物に触れるとナオフェルの幼い頃の思い出が蘇ってくるというのも、面白い着想だ。しかし、右手が“持ち主”を見つけて、その後にどうなるのかと考えると、何やら尻すぼみの印象を受ける。

 事実、2つのパートが融合する終盤は要領を得ないストーリー運びになる。そもそも、ナオフェルは共感を得にくい人物だ。幼少時はテープレコーダーばかりに執着する可愛げの無い子供で、長じてからはストーカーまがいにガブリエルを追い回す。愛想が無く、友人もほとんどいない。こんな野郎が不幸な目に遭い、それでも映画が進むうちに幾ばくかの希望を持ったとしても、こちらには関係の無い話としか捉えられない。

 ジェレミー・クラパンの演出は右手が“活躍”する部分では非凡さも見せるが、キャラクターデザインが好みではなかったこともあり、主人公像の訴求力の低さが映画全体の足を引っ張っているように感じた。とはいっても、この着想自体に評価が集まることも十分考えられる。要は好き嫌いが分かれる映画ということになるだろう。
コメント
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