(原題:Round Midnight)86年作品。まさに、ジャズ・ファンのイメージする本物の“ジャズ映画”である。これは当時現役のミュージシャンが主人公を演じていたという事実だけではなく、話の設定や雰囲気がもろにジャズなのだ。バド・パウエルとフランシス・ポードラの関係をモチーフにしたといいながら、デクスター・ゴードン演じるデイル・ターナーはまさにファンの理想とするキャラクターである。
1959年のパリ。アメリカの著名なテナーサックス奏者デイル・ターナーのライブがブルーノートで行われていた。その音を、クラブの外で雨にうたれながら身じろぎもせず聴いていたのが、貧しいグラフィック・デザイナーのフランシス・ボリエだった。やがてデイルとフランシスは知り合い、意気投合する。フランシスはデイルを家に引き取り、面倒を見ることにした。
しかしデイルは酒癖が悪く、たびたび酔っ払うと行方をくらましてしまう。それでもフランシスはこの伝説のミュージシャンの世話をすることに充実感を覚えていた。しかし、デイルがニューヨークヘ帰る日が来た。フランシスは一度はデイルに付いていくのだが、アメリカでのシビアな生活は彼を打ちのめす。
デイルの造型が絶品だ。演奏のためならば全ての生活を犠牲にしてきた男。その引き替えに身も心もボロボロである。しかしながら、そんな破滅的な人間が何とも言えないロマンティシズムを醸し出す。彼がジャズの似合うパリやニューヨークをさすらう様子は、突出した存在感を現出させる。
この誰も到達し得ない境地にある男には、いくらジャズ好きであるとはいえ、フランシスのような一般人は対等に付き合えない。デイルにとっては、フランシスとの生活は一時の休息に過ぎなかったのだ。この切なさ、やるせなさは辛いものがあるが、それもまた確固とした“現実”なのだ。しかし監督ベルトラン・タヴェルニエは、その“現実”を情感を込めて描き込む。孤高の存在との断絶さえも、掛け替えのない芸術との邂逅であると言い切っているようだ。
ゴードンをはじめ、ハービー・ハンコックやビリー・ヒギンズ、フレディ・ハバード、ボビー・ハッチャーソンといった大物達が顔を揃える演奏シーンは圧巻。ブルーノ・ディ・カイゼルの叙情的とも言えるカメラワークも素晴らしい。