元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛」

2018-11-05 06:27:56 | 映画の感想(た行)

(原題:TULIP FEVER )殊更持ち上げたい映画ではないが、観ている間は退屈せず、よくまとまった作品だと思う。吟味された舞台セットや衣装を見るだけでも有意義だし、背景になっている経済史上の重要な出来事は実に興味深い。

 17世紀前半のオランダ。幼くして両親を亡くし修道院で育ったソフィアは、親子ほども年の離れた実業家のコルネリスと結婚し、何不自由ない生活を送っていた。だが、夫が望んでいる子供はなかなか出来ず、気ばかり焦る毎日だ。ある日、コルネリスは夫婦の肖像画を無名の若い画家ヤンに依頼する。ヤンとソフィアはすぐに懇ろになり、コルネリスの目を盗んで逢瀬を続ける。

 一方、屋敷の女中マリアは出入りの魚屋ウィレムと付き合っているが、彼の子を宿した途端、ウィレムとは離れ離れになってしまう。ソフィアは、マリアの子を自分が産んだことにしてコルネリスを欺こうと画策する。デボラ・モガーの小説の映画化で、モガーは脚本にも参画している。

 当時のオランダは、いわゆるチューリップ・バブルの真っ直中にあった。チューリップの球根の値段が際限なく上昇し、人々は希少で値上がりが見込める品種を狂騒的に追い求める。ヤンが分不相応な野心を抱いたのも、ウィレムがオランダを離れるハメになったのも、元々はこのバブリーな状況が原因だった。

 町の一角で繰り広げられた球根の競売の有様や、教会までがこのバブル騒動に荷担していたという事実は、なかなかインパクトがある。ソフィアの計略は無理筋だが、それを可能に思わせたのが、バブルに踊る世相と無関係ではなかったのは言うまでも無い。

 だが、バブルはいつかは終焉を迎え、皆は“素面”に戻る。だから登場人物達も、シビアな現実に直面して手痛いしっぺ返しを食らう・・・・という筋書きには必ずしも直結しないというのが、この映画のミソだ。確かに彼らはしっかりとツケを払うことになるのだが、決して絶望的な結末にはならない。それぞれが収まるところに収まってしまう。だから鑑賞後の印象も悪くないのだ。

 ジャスティン・チャドウィックの演出は奇を衒わず正攻法で、淡々と物語を進めていく。ソフィア役のアリシア・ヴィキャンデルは、いつもながらの“可愛いくてエロい”という持ち味を発揮。画面を盛り上げてくれる。ヤンに扮するデイン・デハーンは幾分チャラいが、画家の雰囲気は良く出ていた。クリストフ・ヴァルツが珍しく“いい人”を演じているのが玄妙だし、ジュディ・デンチの海千山千ぶりも見ものだ。

 美術担当サイモン・エリオットによる、当時のアムステルダムの風景の再現。マイケル・オコナーによる素晴らしい衣装デザイン。彩度を抑えたリック・ラッセルの撮影と、流麗なダニー・エルフマンの音楽も要チェックである。
コメント
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