元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」

2018-06-04 06:21:36 | 映画の感想(あ行)

 (原題:I, TONYA)誰一人として共感出来る人物が出てこないにも関わらず、映画自体は実に面白い。かつては大々的にマスコミに取り上げられ、ある意味“手垢にまみれた”感がある題材をあえて採用し、それを現代に通じる骨太な実録作品に仕立て上げた作者の求心力には感心する。各キャストの頑張りは言うまでもない。

 オレゴン州ポートランド出身のトーニャ・ハーディングは、貧しい家庭に生まれた。父親は家を出て、母親のレヴォナは身持ちも性格も最悪だったが、それでも幼いトーニャのスケートの才能を認める慧眼だけは持ち合わせていた。レヴォナは強引に娘をフィギュアスケート教室に入れると、トーニャはめきめき頭角をあらわす。ついには91年に、アメリカの女子選手として初めて(世界で2番目)トリプルアクセルを飛ぶことに成功。92年にアルベールビルオリンピック代表選手に選出されるが、調子が出ずに4位に終わる。それでも続く94年のリレハンメル大会前には絶好調だった。

 だが、そこに立ちはだかったのがライバルのナンシー・ケリガンである。折も折、ケリガンが何者かに襲われて負傷するという事件が発生。トーニャの元夫ジェフ・ギルーリーの指示による犯行であることが判明し、トーニャ自身にも疑惑の目が向けられた。スケート史上最大のスキャンダル“ナンシー・ケリガン襲撃事件”を中心に、ハーディングの半生を描く。

 学校にもロクに通わせてもらえず、鬼のような母親からケツを引っぱたかれて育てられたトーニャには、他人に対してうまくコミュニケーションを取れないし、当然他者を見定めることが出来ない。だから、初めて気を許したジェフの本性が分からないままズルズルと付き合ってしまう。類は友を呼ぶと言われるように、ジェフの周囲にはロクな奴がいない。

 要するにトーニャ自身が不完全な人間であると同時に、親も配偶者も知人も、周囲の誰もがトーニャを人間的にフォローしてくれる度量を持ち合わせていない。こんな状態では、いくら才能を待ち合わせていても、いずれは壁にぶち当たって落ちぶれていくだけだ。

 しかし、作者は決してこういう図式を冷笑的に突き放して描いてはいない。トーニャおよびその周りの連中が無知無能のスパイラルから抜け出せない状況を、真に切迫した社会的問題として告発する。それを最もよく表しているのが、登場人物が突然観客および作り手に語りかけるという手法の多用だ。見ようによっては単なる奇を衒ったエクスキューズとも思えるこの方法は、それらが周囲に対して同意を求めるポーズであり、また決して共感を得られない結果が見えているからこそ、重いインパクトを内包している。

 映画に描かれた時代よりも、今は低階層に置かれて決して浮上出来ない者達が増加している。そんな層の支持から生まれたトランプ政権が、事態を好転させてくれる保証は無い。監督クレイグ・ギレスピーと脚本担当スティーヴン・ロジャースは、鬱屈した世相をヒロインの不遇に投射させているようだ。

 製作も手掛けた主演のマーゴット・ロビーの健闘は、目を見張るばかりだ。特訓の成果により、スケート場面もサマになっている。また、カメラがアスリートの演技に肉迫出来るのも、映画ならではの醍醐味だ。そしてレヴォナ役のアリソン・ジャネイは凄い。どうしようもない母親像を、何とよく実体化させていたことか。セバスチャン・スタンやポール・ウォルター・ハウザーといった他の面子も良い演技をしている。

 それにしても、ハーディングがトリプルアクセルを飛んでから、中野友加里が3人目の成功者になるまでの間、10年もの時間が経過していた事実には驚かされる。それだけこの技が、最高難度だということであろう(現役女子選手でも飛べるのは2,3人と言われている)。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする