元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「J・エドガー」

2012-02-11 06:39:46 | 映画の感想(英数)

 (原題:J.EDGAR )いかにもイーストウッド監督らしい“生ぬるい”出来だが、大して腹も立たずにエンドロールを迎えられるのは、取り上げられた題材が実に興味深いからだ。

 FBI初代長官のジョン・エドガー・フーバーは謎の多い人物だった。近代的な科学捜査の確立やデータベースの構築に邁進する一方で、政府要人に対しては盗聴などの阿漕な手段を使って秘密を掌握。政治の“黒幕”として約50年もの間権力を保ち続けた男だ。しかも私生活では結婚もせず、同性愛やマザコンの噂もあった。こんなにも面白いモチーフを採用した時点で、観客を引きつけるポイントを獲得したも同然だろう。

 もっとも、その描き方は多分に隔靴掻痒という感じで要領を得ない。映画は70代になった主人公が回顧録の執筆に取りかかるところから始まり、若くして後にFBIとなる組織の長に就任した20代の頃からの回想シーン、そしてアメリカ社会を揺るがした数々の事件とそれらに対応するフーバーの姿を、時系列をランダムにして描く。

 この手法は素材に対して冷徹に切り込んだ印象を観る者に与えるが、主人公の内面に肉迫しているかというと、そうではない。見終わっても、フーバーがどういう人間であったのか判然としない。ただ部下との“熱い”関係や母親との親密性などが“記号”として並べられるだけで、それらの深い背景や葛藤などは描かれない。単なるポーズだけだ。

 逆に言えば、正面からフーバーの人物像に対峙出来ないため、時制をバラバラにしてお茶を濁したとも結論付けられる。ラスト近くに回顧録の内容と現実との齟齬が指摘される一種の“オチ”があるのだが、それを効果的にするような前段の仕掛けが弱いため、勿体ぶって明かされても“それで?”と言うしかない。それでも、禁酒法時代のギャングとの戦いや、リンドバーグの愛児誘拐事件、赤狩り、公民権運動などが次々に紹介されると、歴史物としての風格が出てくるから不思議なものだ。

 加えて、キャストの力演がある。レオナルド・ディカプリオは渾身のパフォーマンスだ。青年期から晩年まで、この怪人物を精一杯演じきる。たぶん彼の大きなキャリアとなるだろう。フーバーの“愛人”に扮するアーミー・ハマーも素晴らしい。胸の内に秘めた切ない想いを最後まで貫く“純情”演技には感心するしかない。母親役のジュディ・デンチもさすがの海千山千ぶりだし、秘書を演じるナオミ・ワッツも腹に一物ありそうな雰囲気を上手く醸し出していた。トム・スターンのカメラによる彩度を落とした渋み溢れる映像や、デボラ・ホッパーによる衣装デザインも良い。

 たぶんイーストウッドは場違いな“正義”を振り回して権力維持活動から逃れられなくなった主人公を、かつての「許されざる者」で弾劾したジーン・ハックマン扮する保安官に重ね合わせているのだろう。もっともそれは作者の頭の中で完結しているだけで、映画として説得力を持つに至っていない(まあ、いつものことだ ^^;)。それでも、フーバーという人物がアメリカの現代史の中で暗躍していたという事実を知るだけでも、観る価値はあるかもしれない。
コメント (1)
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