元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「犬神家の一族」

2007-01-18 06:47:04 | 映画の感想(あ行)

 観終わって“これは何かの冗談ではないか?”と思った。市川崑監督によるセルフリメイクで、主演の金田一役も前回と同じ石坂浩二。意外と老け込んでいない演技は印象的だ。でも、脚本も展開も76年版と一緒という本作を、現時点で作る意味があったのか、すこぶる疑問だ。

 わざと彩度を落とした画面でレトロ臭さを強調し、死体の描写もあえてリアルさを避けた安っぽさを強調、さらには各キャストの大時代な田舎芝居の釣瓶打ちで、要するにおどろおどろしいB級テイストが満載なのだ。さりとて、ストーリー面で面白いところはひとつもなし。もちろん、エロさも不足。決して短くはない上映時間のあいだ、アクビをかみ殺していた私がいた(笑)。この映画を劇場で観るのと、前作をテレビ画面で見るのとでは、カネがかからない分、後者の方がリーズナブルに思える。

 好意的に解釈すれば、CG全盛の昨今において極端な安っぽい手作り感覚を打ち出すことで注目されるのを狙ったということも出来る。しかし、いくら巨匠といえども、そういう小手先のシャレみたいなもので製作費を無駄遣いして良いわけがない。映画会社としては十分“勝算”があってのことなのだろう。その意図とは、ズバリ高年齢層の動員だ。

 謎解きは平易で犯人はすぐ分かる。濃いキャスティングと“予想通り”の演技。加藤武の“よし、わかった!”は、水戸黄門の“印籠が目に入らぬか!”と同じく、お約束の決めぜりふで、これで年配の観客を呼べないはずがない・・・・と踏んだ配給元の思惑は、しかし見事に外れてしまった(爆)。

 週末だというのに劇場はガラガラ。考えてみればアタリマエで、いくら“お約束”の展開だろうと、昔の石井輝男作品みたいなチープなグロ描写では一部の好事家は興味を覚えるだろうが、一般ピープルにとってはお呼びではないのだ。大衆が求めているのはもっと“健全”で“泣ける”ものであり、決して本作のような中途半端な懐古趣味ではない。低調なマーケティングにより老巨匠のお遊びに付き合ってしまった東宝こそいい面の皮である。

 それにしても、ラストの金田一探偵の、観客に向かっての別れの挨拶は、市川崑監督自身の“本当の別れの挨拶”を表現しているのではないかと一瞬思ってヒヤヒヤした。こんな珍作で映画人生を終わらせてなるものか。首に縄を付けてでも撮影所に連れて行き、もう一本快打を放ってもらうよう期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする