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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「存在のない子供たち」

2019-10-06 06:32:12 | 映画の感想(さ行)

 (原題:CAPHARNAUM)筋書きは幾分作為的かもしれない。しかし、全編を覆う強烈なメッセージ性と映像の求心力の高さは観る者を圧倒するだろう。第71回カンヌ国際映画祭にて、コンペティション部門審査員賞など2部門を獲得。本年度のアジア映画の収穫である。

 レバノンの首都ベイルートの貧民街に生まれたゼインは、12歳ぐらいに見えるが、実は両親が出生届を出さなかったため自分の本当の年齢を知らない。それどころか、法的には存在すらしていないのだ。学校にも行かずに来る日も来る日も辛い労働を強いられ、唯一の心の支えは一歳下の妹だけ。ところが妹は金持ちの中年男に“妻”として売られてしまう。怒りと悲しみから家を飛び出すゼインだが、そんな彼と知り合い、救いの手を差し伸べたのはエチオピアからの不法移民の母子だった。ところがある日、母親が当局側に捕まり家に帰らなくなる。ゼインは残された赤ん坊と共に、決死のサバイバル生活を送ることになる。

 ゼインの家庭は両親が無秩序に子供を作るため、兄弟姉妹がやたら多い。狭いアパートの一室に押し込まれ、家族ぐるみで違法なことに平気で手を染める。そんな環境がイヤで家出したゼインだが、外の世界は過酷だ。赤ん坊を抱えたまま幾度もピンチを迎えるが、ゼインは持ち前の才覚と行動力で危機を突破する。

 だが、そんな彼の奮闘を見て感じるのは辛さだけである。年端のいかない子供に、斯様な体験を押し付けるこの社会とは、いったい何なのか。精一杯頑張っても、いつしか自分の限界を感じ取って立ち往生してしまうゼイン。その姿は痛切だ。

 映画は傷害罪で少年刑務所に服役中のゼインが、両親を提訴するシーンから始まる(そしてそこに至る過程を説明するという手順だ)。その提訴事由は、何と“自分を産んだこと”なのだ。これほどの理不尽、これほどの痛烈な構図があっていいものなのだろうか。この映画で描かれていることは、決してヨソの国の話ではない。カンヌで受賞した際に大賞に輝いたのが是枝裕和監督の「万引き家族」であったように、この問題は万国共通なのだ。

 ナディーン・ラバキーの演出力はデビュー作「キャラメル」(2007年)の頃から大幅に向上し、今や風格すら感じさせる。また、弁護士役として上質なルックスを披露しているのも嬉しい。主人公に扮するゼイン・アル=ラフィーアをはじめ、ほとんどのキャストは素人だが、皆素晴らしい存在感を示している。ラストショットは少し芝居がかっているが、観客の紅涙を絞り出させる見事な仕掛けと言うべきだろう。鑑賞後の印象は上々である。
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「それぞれの道のり」

2019-09-23 06:58:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:LAKBAYAN)アジアフォーカス福岡国際映画祭2019出品作品。フィリピン映画生誕100周年を記念して、“旅”をモチーフに製作された3話から成るオムニバス映画だ。しかしながら、ラヴ・ディアス監督による第一話と、キドラット・タヒミック監督が撮った第三話はほとんど語るべきものは無い。せいぜいが現地の珍しい風俗が紹介されていることが目を引く程度だ。これらに対してブリランテ・メンドーサ監督による第二話は、かなり見応えがある。

 大財閥によって土地を奪われたミンダナオ島の農民達は、政府に直訴するためデモ隊を結成し、首都マニラのマラカニアン宮殿まで長い道のりを踏破しようとする。彼らと同行するフリーのジャーナリストは、その苦難の旅路を克明に記録する。



 疲労困憊してマニラにたどり着いた彼らを、マスコミや市民そして宗教関係者は歓迎。同時に、農民達と政府や財閥の関係者との交渉が始まる。だが、事態が好転するかに思われた矢先、さらなる仕打ちが彼らを待っていた。実話を基にしており、本作によってフィリピンにおける農政の理不尽さと、それに対抗する農民達の運動に関することを、初めて知った次第だ。

 この問題は根深く、過去何十年にわたって解決の兆しは見えない。現在においても、運動の指導者たちが原因不明の死を遂げるケースが少なくないという。デモ隊は郷土色豊かなフィリピンの各地を進み、地元の者達と交流する。行動を共にするジャーナリストも、自分の立ち位置を見直す。しかし、厳しい現実は彼らを打ちのめす。フィリピンという国の成り立ち、および西欧列強に蹂躙されてきた歴史と、その爪痕に今でも苦しむ庶民の姿が浮き彫りになり、観ていて慄然となる。

 ブリランテ・メンドーサの演出は即物的でジャーナリスティックな映像処理と、登場人物の内面に迫る静的なタッチ、そして実際のニュース映像を織り交ぜ、まったく飽きさせない求心力を持つ。そして、デモ隊に関わる市井の人々の凛とした佇まいを活写して、強い印象を残す。しかしながら、この二話だけが突出した出来であることは、一本の映画としてのレベルはどうなのかと問い質したくなる。いっそのこと、3本を別々の作品として仕上げた方が、訴求力が高まったかもしれない。
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「世代」

2019-09-14 06:27:25 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Pokolenie )1954年ポーランド作品。アンジェイ・ワイダ監督による、いわゆる“抵抗三部作”の第一作とされているものだが、これが同監督のデビュー作ということもあり、後の「地下水道」(57年)や「灰とダイヤモンド」(58年)に比べれば荒削りで、切れ味や重量感は不足気味だ。しかし、直情径行なタッチや勢いの良さは撮影当時20代だったワイダの若々しさが見て取れる。その意味では観て損は無い。

 第二次大戦中、ドイツ軍占領下のワルシャワ郊外のプディの町に母と暮らす若者スタフは、仲間と共にドイツ軍の貨物列車から石炭を盗むという泥棒稼業に明け暮れていたが、偶然知り合った木工職人の口利きで、工場に雇ってもらうことになる。彼はやがて夜間学校に通い始めるが、その帰り道で抵抗運動勧誘のアジ演説をするドロタという少女を見かけ、一目惚れしてしまう。

 ドロタと知り合うために抵抗組織に入ったスタフは、同僚のヤショも誘うが彼は断った。ある日、スタフがドイツ兵から意味も無く殴られたことに腹を立てたヤショが、武器を手にドイツ兵に仕返しをする。この時から、スタフ達若者グループはドイツ軍と対峙。やがてワルシャワ・ゲットーのユダヤ人たちを救うため、彼らは無謀な介入を決行する。

 正直、前半はメリハリが少なく退屈だった。出てくる若造どもの見分けがつかなかったのもマイナス(笑)。しかし中盤以降、主人公が厳しい現実を直視し、不良少年から頼りになる青年へと成長するプロセスに説得力が出てくる。同志との出会いそして淡い恋も、彼の自覚を後押しする。

 アクションシーンは頑張っており、特に螺旋階段での銃撃戦には思わず身を乗り出してしまった。終盤、今後の身の振り方を決意するスタフの姿は逞しいが、この後のワルシャワ蜂起の結果を考えると、やりきれない気分も残る。

 主役のタデウシュ・ウォムニツキは好演。ドロタ役のウルシュラ・モドジニスカの可憐さも光る。なお、監督デビューする前のロマン・ポランスキーが俳優として出ている。ポランスキーは後年「戦場のピアニスト」(2002年)でこの時代を題材として選んでいることを考えると、実に感慨深いものがある。
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「ザ・ドロッパーズ」

2019-08-16 06:33:06 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Fast Break)79年作品。やっぱり、ダメ人間が奮起して大舞台で活躍するというパターンは、いくら見せられても見飽きないものだ。スポーツ映画は「ノースダラス40」や「タッチダウン」のような捻った作品よりも、こういうオーソドックスで前向きな映画の方が一般的には訴求力が高い。

 ニューヨークのレストランに勤務しているデイヴィッドは、バスケットボールが三度の飯より好きなオタク野郎だ。いつか自分の手でチームを率いて一旗揚げたいと思っていて、そのため嫁さんからも愛想を尽かされつつある。何とかコーチの座を得ようと全米の大学に手紙を出していたが、ある日ネヴァダ州のカドワラダー大とかいう名も知らない大学から返事が来た。学長のアルトンは成り行きでこのポストに就いたのだが、安上がりで手っ取り早く学校の名を知らしめるため、バスケット部を立ち上げたいらしい。

 デイヴィッドは何とか訳ありのメンバーを4人集めてネヴァダに向かうが、学校の設備のショボさに愕然とする。それでも素質のありそうな学生をスカウトするが、どいつもこいつも救いようのない落ちこぼればかり。どうにかしてモチベーションを上げたいデイヴィッドは、メンバーの一人で撞球の名人ハスラーと一緒に名門ネヴァダ大学のコーチを罠に掛けて、無理矢理に対抗戦を組ませることに成功。試合に向けて、カドワラダー大チームの奮闘が始まる。

 展開はまさにスポ根ものの王道路線で、しかも演技しているのはほとんどがプロのバスケット選手だ。そして終盤には、この手の映画に付き物のアクロバティックな驚異的プレイもちゃんと用意されている。また、苦肉の策で女子学生を男性に見立てて送り込んだのは良いが、メンバーの一人が彼女に恋心を抱いて“オレはゲイか”と悩んだり、読み書きもできない野郎に何とかして追試をやってもらうことにしたりと、ギャグが映えるネタも挿入されている。

 ジャック・スマイトの演出はケレン味のないスマートなもので、小粒ながらニヤリとさせられる。主演のガブリエル・カプランをはじめハロルド・シルヴェスターやマイケル・ウォーレン、バーナード・キングといった面々はあまり馴染みが無いが、それぞれ味がある。鮮やかな幕切れを含めて、鑑賞後の印象は良好だ。
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「さらば愛しきアウトロー」

2019-08-10 06:38:27 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE OLD MAN & THE GUN)若い頃のロバート・レッドフォードの仕事ぶりをリアルタイムで知っている映画ファンにとっては、大いに魅力を感じる映画だろう。しかし、それ以外の観客、特に若い層にすれば単なる“年寄りが無茶をする映画”でしかなく、退屈そのものだ。かくいう私は全盛時のレッドフォード(それも最後期)をかろうじて知っている世代に属しているので、何とか楽しめた。

 80年代に紳士的な犯行スタイルで銀行強盗を繰り返し、逮捕・収監されると何度も脱獄を成功させたフォレスト・タッカーという男がいた。被害者のはずの銀行の窓口係や支店長は、彼のことを恨むどころか“とても礼儀正しかった”と口々に誉めそやす始末。所轄のジョン・ハント刑事は彼を追うが、同時にフォレストの自由な生き方に惹かれていくのだった。

 フォレストは逃走の途中でジョエルという初老の女性と知り合い、仲良くなる。彼女は相手が堅気ではないと感じながらも、心を奪われてしまう。やがてフォレストは仲間のテディとウォラーと共に、金塊を強奪する大仕事を成功させる。しかし、思わぬところから足が付き、窮地に追い込まれる。デイヴィッド・グランによる実録小説の映画化だ。

 クライム・サスペンスとしては、随分と生ぬるい出来である。フォレストがいくら誰も傷付けずに金をせしめたといっても、拳銃を見せて相手を威嚇したことは事実だ。それがどうして“紳士的”という評判に繋がったのか、説明が成されていない。ジョエルがフォレストに惚れた理由もよく分からないし、ハント刑事がフォレストにシンパシーを感じる背景も提示されない。

 デイヴィッド・ロウリーの演出は悠長で、93分とコンパクトな尺ではあるが、カチッとまとまっている印象は無い。しかし、この役をレッドフォード御大が演じてしまうと、何となくサマになってしまうのだ。さらに彼の若き日の写真や、過去の出演作の場面が挿入され、颯爽と馬に乗るシーンだってある。これなら往年のファンは満足してしまうだろう。

 シシー・スペイセクにケイシー・アフレック、ダニー・グローヴァー、トム・ウェイツといった脇の面子も良い。ジョー・アンダーソンのカメラによる中西部の風景も魅力的だ。なお、ハント刑事の妻が黒人(ティカ・サンプター)であるのは印象的だった。ハントのリベラル的なスタンスを強調したかったと思われる。
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「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」

2019-08-05 06:35:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SPIDER-MAN:FAR FROM HOME)スパイダーマンをめぐる今までの一連の作品の中では、最も楽しめた。シリアスな「アベンジャーズ エンドゲーム」(2019年)の“後日談”という設定ながら、前作「スパイダーマン:ホームカミング」(2017年)のライトな作風は踏襲されており、しかもキャラクター設定は肉付けされ、主人公の成長物語にもなっている点は感心した。

 アベンジャーズの活躍により世界は平穏を取り戻し、スパイダーマンことピーター・パーカーも普通の高校生活を送っていた。夏休みになり、ピーターは教師や学校の友人たちとヨーロッパ旅行に出かける。ところが、訪れたヴェネツィアでは水を操る巨大なクリーチャーが出現し、人々を襲う。迎え撃つピーターだが、けっこう相手は強い。そこに登場したのがスーパーパワーを持つミステリオことクエンティン・ベックという男で、ピーターと共闘して何とかクリーチャーを倒す。



 ベックは炎や水など自然の力を操るクリーチャーによって滅ぼされた“別世界の地球”から来たらしく、この世界にも危機が迫っているという。突然現れた“S.H.I.E.L.D.”長官のニック・フューリーは、ピーターにベックと協力して事態収拾に当たるように要請する。それからヨーロッパの各都市にクリーチャーは次々と襲いかかり、ピーター達は必死の戦いに臨む。

 まず「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」(2018年)での“指パッチン”による、人類を二分した“5年ものタイムラグ”に関するネタが効いていて、ギャグにもシリアスな場面にも上手く使われているあたりは感服する。

 そしてアイアンマンことトニー・スタークの後継者として自覚してゆくピーターの葛藤と成長、さらには級友達との関係も突っ込んだ次元まで描かれ、主人公を取り巻くモチーフの掘り下げは万全だ。ストーリーは後半から急展開し、本当の敵の姿が明らかになるが、そんな“意外性”だけに寄りかかることなく盛りだくさんの活劇のアイデアで飽きさせない。



 ジョン・ワッツの演出は実に達者なもので、淀みも無くスピーディーに物語が進む。主役のトム・ホランドはこのシリーズに初めて登場した時は頼りないと思っていたが、本作では等身大の若者としてのリアリティも感じられ、好印象になってきた。MJを演じるゼンデイヤやベティ役のアンガーリー・ライスも前作より数段可愛く見える(笑)。そしてミステリオに扮するジェイク・ギレンホールは、さすがの怪演だ。

 マリサ・トメイにジョン・ファブロー、サミュエル・L・ジャクソン等のレギュラーメンバーも言うことなし。風雲急を告げるようなエピローグと共に、「アベンジャーズ」後のマーベル・シネマティック・ユニバースに対する興味は尽きない。
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「新聞記者」

2019-07-22 06:28:46 | 映画の感想(さ行)
 これはちょっと酷すぎる。どこから突っ込んで良いのか分からないほど、すべてにおいて完全に“間違っている”映画だ。そして、現時点で邦画において時事ネタを扱う際の困難性を改めて痛感した。生半可な知識と浅い考察では、社会派作品を手掛けるのは無理である。

 社会部記者として働く吉岡エリカのもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名のファクスで届く。さっそく彼女は取材を開始。一方、外務省から内閣情報調査室(内調)に出向している若手官僚の杉原は、職場の露骨な現政権寄りの姿勢に戸惑っていた。そんな中、彼は昔の上司である神崎と久々に会うが、その数日後に神崎は自ら命を絶ってしまう。どうやら神崎は政府の機密を掴んでいたらしい。やがて吉岡は杉原に接触する。

 学校新設計画というのは多分に“モリカケ問題”を意識したモチーフだと思うのだが、あの事案の本質は経済問題である。だからマスコミが真っ先に切り込んでいくべき相手は、当然のことながら主管の文科省、そして財務省、さらには構造改革特区を主導した経済財政諮問会議であるべきだ。内調や外務省とは、直接には関係が無い。

 ところが、作り手達にとって、この問題はキナ臭い外交事案やインテリジェントが暗躍する“国際的陰謀”であるらしいのだ。ラストに明かされる“衝撃の事実”とやらには、心底呆れかえった。斯様なウソ臭い大仰なネタは、今どきジェームズ・ボンド映画でも扱わない。作者達のメンタリティは、冷戦時代あるいは55年体制時で停止しているのではないか。左傾の者達が“こういうあくどい企みが存在するに違いない!”と頭の中だけで合点し、リアリティ不在のまま突っ走ったシャシンと言わざるを得ない。

 ストーリー及びプロットの組み立ては、いちいち指摘するのが面倒になるほど雑である。平板な演出は、過去の作品で才気を見せた藤井道人の仕事とも思えない。

 そして致命的なのはキャスティングであろう。吉岡は日本人の父と韓国人の母の間に生まれたという設定で、演じているのは韓国女優のシム・ウンギョンなのだが、その必然性が微塵も無い。彼女のたどたどしい日本語ばかりが耳に付き、愉快ならざる気分になる(日本の女優にオファーしたが“政治的な色”が付くことを敬遠して断られたという話もあるが、そんなのは言い訳にもならない)。杉原を演じる松坂桃李も終始陰気で精彩が無く、杉原の妻に扮する本田翼に至っては、堂々たる“場違いなラブコメ演技”を披露してくれる(苦笑)。

 確かに現政権の遣り口は決して褒められたものではなく、批判の対象になることは当然である。しかし、本作のようないい加減な姿勢では、屁の突っ張りにもならないのだ。原作は左傾の論客として知られる現役新聞記者だが、こういう現実逃避のイデオロギー的観点でしか物事を捉えられない者達が“社会派作品”の企画を提示している状態では、永遠にハリウッドには追いつけないだろう。現政権にモノ申したいのならば、いくらでも“現実的な”切り口は存在する。それを考察しないのは、作者の怠慢だ。
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「ザ・ファブル」

2019-07-20 06:28:28 | 映画の感想(さ行)

 深みは無いが、一応は退屈せずに最後まで観ていられる。空いた時間にフラリと劇場に入り、あまり気分を害さずにヒマを潰すにはもってこいのシャシンだろう。ただ、残酷な場面があるので幾分は観客を選ぶ。そのあたりは注意が必要だ。

 どんな相手も6以内に殺すと言われる謎の殺し屋“ファブル(寓話)”は、裏社会ではその名が轟いていた。いつものように“仕事”を終えた彼に、ボスは無理矢理に“充電期間”を設定する。大阪に居を移し、1年間誰も殺さずに過ごせというのだ。もしもその間に誰かを殺せば、ボスは躊躇なく彼を殺すと釘を刺す。彼は佐藤アキラと名乗り、相棒のヨウコは妹という設定で、生まれて初めて一般人として暮らし始めるのだった。

 しかし身を寄せたのが大阪の暴力団で、組の乗っ取りを図る勢力が暗躍し、親分の弟分で凶暴な性格の男が出所してきたり、さらにはアキラを付け狙う殺し屋コンビが来襲する等、剣呑な雰囲気が払拭されることは無い。ついには世話になった若い女ミサキが悪者どもに攫われてしまう。アキラはヨウコと協力し、誰も殺さずにミサキを救出するべく、敵のアジトに乗り込んでゆく。

 アキラのキャラクターが面白い。極端な猫舌で、売れない関西芸人の持ちネタに大笑いする。そして今まで殺し屋稼業に専念してきたため、言動が一般社会の常識とは妙にズレている。時折柄にもないギャグを飛ばすが、全てハズしているのがおかしい。

 もっとも、アキラの身元を引き受けるのがヤクザというのは無理筋で、しかも内部に火種を抱えている。こういう組織ではトラブルが起こって当然だ。(少なくとも表向きは)ちゃんとしたカタギの後見人を用意すべきであった。また、大阪に赴く際にボスに手渡されるインコが何のプロットにもなっていないのも不満だ。原作(南勝久によるコミック)ではそのあたりが説明されているのかもしれないが、私は読んでいないので分からない。

 主演の岡田准一は健闘していて、アクションシーンも難なくこなす。ただし、出所したばかりの危険人物に扮した柳楽優弥の存在感には負けている。言い換えれば、柳楽が出ていなければ軽佻浮薄な出来に終わっていただろう。木村文乃に佐藤二朗、安田顕、佐藤浩市といった脇の面子も悪くない。

 監督の江口カンの仕事ぶりには殊更才気走ったものは無いが、山本美月に福士蒼汰そして向井理という“大根”が3本も並んだにもかかわらず(笑)ここまで仕上げたのは評価して良いだろう。客の入りは良好なので、続編が作られる可能性は大である。
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「さよならジョージア」

2019-07-14 06:22:16 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The Night the Lights Went Out in Georgia)81年作品。味わいのあるヒューマンドラマだ。何よりロードムービーで、しかも音楽を絡めているので、よっぽどの不手際が無い限り、ある程度のレベルは約束されたようなものだ。演出も演技も大きな破綻は無く、最後まで安心して観ていられる。

 カントリー歌手のトラヴィスは以前は売れっ子だったが、酒と女遊びにおぼれて身を持ち崩し、今ではマネージャー担当の妹アマンダと共に場末のドサ廻りに明け暮れる毎日だ。ある田舎町で酔っ払ってベンチに寝ていたトラヴィスを、乱暴者のセス副保安官が逮捕してしまった。一方、アマンダも未成年で無免許運転した件で巡査のコンラッドに検挙され、彼に監視される身となる。保釈金を払うために、トラヴィスはナイトクラブで働くことになったが、そこで常連客のメロディと知り合い、仲良くなる。だが、メロディはセスの元カノだった。逆恨みしたセスは、トラヴィスを消そうとする。

 冒頭の、女とモーテルでよろしくやっているところへ亭主が現れ、危機一髪のトラヴィスがアマンダの運転するキャンピングカーに救われるドタバタ劇からして“掴み”はオッケー。カントリー&ウエスタンのメッカであるテネシー州ナッシュビルを目標にジョージア州を旅する兄と、まだ未成年なのにしっかり者の妹、そして愛犬によるユーモラスな展開が続き、飽きさせない。

 だが、コミカルな中にも次第に悲劇が忍び込んでゆくあたりが、けっこう巧みだ。後半の暗転の後に、希望を持たせるようなラストが続き、鑑賞後の印象は格別だ。ロナルド・F・マックスウェルの演出は弛緩したところが無く、最後まで観る者を引っ張ってゆく。

 トラヴィスに扮するデニス・クエイドは調子のいいダメ男を飄々と演じているが、それより本作ではアマンダ役のクリスティ・マクニコルが光っている。彼女は当時ジョディ・フォスターと並んで最も将来を嘱望された若手の有望株で、この映画でも実に達者なパフォーマンスを披露している。また、2曲ほど彼女自身が歌うシーンがあるが、本職顔負けの上手さだ。メンタル面の問題により、早々と引退してしまったのが実に惜しまれる。それから、コンラッドを演じるマーク・ハミルも良い味を出している。デイヴィッド・シャイアの音楽、ビル・バトラーによる撮影も悪くない。
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「主戦場」

2019-07-06 06:30:23 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SHUSENJO:THE MAIN BATTLEGROUND OF THE COMFORT WOMEN ISSUE )つまらない映画だ。断っておくが、本作が左派のプロパガンダ映画だからケシカラン!・・・・などというイデオロギー的な視点で批判しているわけでは断じてない。作者のスタンスが右だろうが左だろうが斜め上だろうが(笑)、そんなことはどうでもいいい。要は映画として面白いかどうかだ。その点では本作はまったく評価できない。とにかく出来が悪すぎる。

 日本と韓国の間でいまだに燻っている従軍慰安婦問題を扱ったドキュメンタリーで、映画の前半は左右それぞれの識者のコメントが要領良く並べられている(ように見える)。ところが中盤あたりから話が慰安婦像の設置をめぐる関係者同士の確執に推移し、果ては日本の政治家の靖国参拝とか、天皇の戦争責任とか、南京事件とか、日本会議がどうしたとか、肝心の慰安婦問題とは直接関係のないモチーフの羅列に終始する。

 つまりは映画として主題の絞り込みが成されておらず、総花的な作者自身の“つぶやき”が全面展開されるだけなのだ。最後に取って付けたように元慰安婦のコメントが流されるが、時すでに遅しである。

 そもそも、前半の論客たちの意見の応酬に関しても、最初に右派のコメントが流され、次に左派の言い分が挿入されるが、それに対する右派の再反論は無い。要するに当初から左派の主張が正しいものとして製作されているわけだが、問題はそのことが観る側に“見透かされている”ことである。ネタの割れた映画ほど面白くないものはないのだ。

 さらには自身の言い分を無理矢理押し切るほどの映画的手法も不在。我々が知らなかったような“新たな事実”の提示もされていない。いくらドキュメンタリーとはいえ、カネ取って劇場公開する以上、エンタテインメント性に乏しければ何もならない。シュプレヒコールの連呼がしたいのならば、ヨソでやってくれと言うしかない。

 また“日本会議は神道系で、それが政府とつるんでいるから問題だ”とか“日本会議は大日本帝国憲法の復活を企んでいる”とかいう、明らかな事実誤認と思われる箇所があるのも愉快になれない。監督は米国のミキ・デザキなる人物(なぜか日系)だが、映画作家としての腕前は無いと言わざるを得ない。

 なお、私個人としては慰安婦問題に関しては“当時の日本政府及び軍当局が、慰安婦を強制徴用した事実も証拠も存在しない”という一点をもって話は終わりにしなければならないと思う。人権問題と政治問題を混同したような形でいたずらに引きずっても、徒労に終わるだけだ。
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