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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」

2020-01-11 06:53:05 | 映画の感想(さ行)
 (原題:STAR WARS: THE RISE OF SKYWALKER)前作「最後のジェダイ」(2017年)のレベルがあまりにも低かったせいか、今作は随分とマシに見える。もっとも、決して上出来ではなく、本国での評価が低いのも頷ける。それでも“何とか最終作としての体裁を整えた”という意味では存在価値はある。そして十代の頃から足かけ40年以上も(半ば義務感で)本シリーズをリアルタイムで追いかけてきた身としては、もうこれ以上観る必要は無いのだという、一種の安堵感を覚えてしまった(苦笑)。

 祖父ダース・ベイダーのマスクの残骸を手にして、ニューオーダーの支配者となったカイロ・レンと、ルーク・スカイウォーカーの後継者と目されるレイとの最後の戦いを描く本作。このシリーズの共通モチーフであるフォースは、以前は使う者を最小限フォローする未知のパワーに過ぎなかったのたが、ここではテレキネシスやテレポーテーションなどの明らかな“超能力”として扱われる。



 しかも、つい最近ジェダイになったばかりのレイが、長年修行してやっとフォースを手に入れたはずのヨーダやオビ=ワン・ケノービよりも遙かに強いパワーを使いこなすという不思議。前作の時点で消えたルークやハン・ソロ、そして消えるはずのレイアが亡霊じみた姿で何かとレイたちをバックアップするという御都合主義。さらにはポーやフィンといったレイの仲間達の存在感の小ささなど、作劇面やキャラクター設定に欠点が散見される。後半でレイの意外な生い立ちが紹介されるのだが、大したインパクトは無い。

 肝心の活劇場面も、驚くようなアイデアも見当たらず漫然と流れて行くのみだ。しかし、前述のように何はともあれ終わらせたというのが、この映画の最大の長所である。思えば、このシリーズは本来エピソード6で完結していたはずだ。それが蛇足じみた三部作を始めてしまった。おかげで、当初から(興行成績は別にして)質的には期待出来ないものになったのは当然だろう。

 J・J・エイブラムスの演出は、まあ無難にこなしている印象。レイ役のデイジー・リドリーをはじめ、オスカー・アイザックやジョン・ボヤーガ、ケリー・マリー・トランといった顔ぶれは魅力無し。カイロ・レンに扮したアダム・ドライバーは今や他の諸作品で確実に評価を上げているだけに、本作での役柄は余計なものに感じてしまう。なお、前作でちょっと気になったベニチオ・デル・トロは今回は不在。ひょっとしたら彼を主役にスピンオフ作品が出来るかもしれないが、私は観る予定は無い。
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「昭和残侠伝」

2020-01-04 07:55:15 | 映画の感想(さ行)
 昭和40年東映作品。高倉健の代表作として人気を得たシリーズの第一作である。いかにもプログラム・ピクチュアといったルーティンを採用しており、筋書きもキャラクター設定も型通りである。だが、それが決して悪いということではない。この時代はこういうシャシンが必要とされていたのだ。空いた時間にフラリと映画館に入った客は、小難しい講釈や作家性の発露なんて求めていなかった。そして今観てもその“様式美”は十分に鑑賞に耐えうるパワーがある。

 戦後すぐの浅草。戦前からこの界隈を仕切っていた昔気質のヤクザである神津組は、兵隊に取られた組員の多くが帰還せず、人手不足に喘いでいた。その隙を突いて台頭してきたのが、新興のヤクザ集団である新誠会だった。新誠会の遣り口は非道そのもので、浅草露天商から法外なショバ代を巻き上げ、逆らう者は容赦なく粛正してゆく。警察の忠告も無視し、神津組の親分である源之助まで亡きものにする。



 そんな中、神津組の有力メンバーだった寺島清次が復員してくる。清次は組を継ぐ決心を固め、露天商たちを結束させ新たなマーケットを作るため奔走するが、それを面白く思わない新誠会は露骨な妨害工作を仕掛け、清次の友人たちも災難に遭う。堪忍袋の緒が切れた清次は、客人の風間重吉と共に新誠会のアジトに殴り込みを掛ける。

 清次と池部良扮する重吉が軒下で仁義を切るシーンは往年の任侠映画での“お約束”だが、2人のセリフ回しと身のこなしは古さを感じないばかりか、凛とした美しさまで醸し出している。筋書きは“我慢に我慢を重ねた主人公が、終盤に憤怒を爆発させて悪者どもをやっつける”という勧善懲悪の定型を踏襲しており、何ら意外性は無い。だが、その構図はすこぶる普遍性が高く、誰が観ても納得出来るのだ。

 加えて、出てくる俳優はすべてスクリーン上で映える面子ばかり。高倉や池部をはじめ、梅宮辰夫に松方弘樹、水島道太郎、菅原謙二、中山昭二、室田日出男等々、皆すでに鬼籍に入ってしまったが、彼らが出てくるだけで画面が華やいでくる。また、ヒロインを演じる若い頃の三田佳子は美しい。佐伯清の演出は才気走ったところは無いが、堅実にドラマを進めており活劇場面もソツなくこなす。高倉自身による主題歌も印象的だ。
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「卒業白書」

2019-12-08 06:28:08 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Risky Business)83年作品。トム・クルーズのフィルモグラフィの中では、我々がよく知る彼のキャラクター(?)が確立する前の、いわば八方破れ的な役の選び方をしていた若い時期の代表作。こういう無軌道な役柄は、現在の彼にはオファーはまず来ない。その意味で興味深いし、映画自体もけっこう楽しめる。

 シカゴ郊外の高級住宅地に住む高校3年生のジョエルは、一流大学を目指しているものの成績が追いつかない。勉強に身を入れようと思いつつも、考えることは良からぬことばかり。そんな時、両親が旅行に出ることになり、一人で留守をまかされることになった。早速ハメを外してやりたい放題に過ごす彼だが、ついには高級娼婦のラナを家に呼ぶという暴挙に出る。



 ところが、彼女の“料金”はトンでもなく高かった。しかも、彼女のせいで父親が所有するポルシェが湖に沈んでしまい、その修理代にも莫大な費用が掛かる。困った彼は、ラナの提案により金持ちのドラ息子たちをターゲットに一夜限りの売春宿をオープンさせる。ラナの仲間達も加えてこの“事業”は大盛況になるが、両親が帰宅する時刻は確実に迫ってきた。

 とにかく、ジョエルをはじめとする悪ガキ共の言動が痛快だ。しかも、こいつらは日頃マジメに振る舞っているあたりが面白い。つまりは、アメリカの中産階級の事なかれ主義や、若者の皮相的なエリート志向を皮肉っているのだが、説教臭いタッチは微塵も見せず、ライトでスマートに扱っているのはポイントが高い。

 タイム・リミットを設定し、その間をジェットコースター的に各プロットを展開させ、最後には帳尻を合わせるという作劇は効果的だ。多彩な登場人物が入り乱れ、それがまたキチンと交通整理されているのも感心する。これがデビュー作のポール・ブリックマン監督の腕前は確かで、ラナが登場するシーンをはじめとするスタイリッシュな映像処理も決まっている。

 若造の頃のトム御大は実に楽しそうに不良少年を演じる。ラナに扮するレベッカ・デ・モーネイは魅力的。カーティス・アームストロングやブロンソン・ピンチョット、ラファエル・スバージといった脇の面子も悪くない。レイナルド・ヴィラロボスとブルース・サーティースのカメラによる清涼な映像と、タンジェリン・ドリームの音楽が場を盛り上げる。
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「最初の晩餐」

2019-11-30 06:56:59 | 映画の感想(さ行)
 先日観た市井昌秀監督の「台風家族」と似た設定の映画だが、出来映えは圧倒的に本作の方が良い。これは題材をオフビートに捉えて向こう受けを狙っただけのシャシンと、多少変則的なシチュエーションながら正攻法に徹した作品との差である。つまりは作者の意識の高さの違いだ。特にこの映画の監督である常盤司郎はこれが長編デビュー作であり、今後を期待させる。

 闘病中であった東日登志が亡くなり、東京でカメラマンとして働いている息子の麟太郎と長女の美也子は福岡県の実家に帰ってくる。通夜が執り行われる中、母のアキコは仕出し屋に注文していた弁当を勝手にキャンセルしていた。代わりにアキコの作った料理は、目玉焼きだった。呆気にとられる一同だが、それは日登志が昔子供達に初めて振る舞った料理でもあった。日登志は遺言状に通夜に出す料理を指定していたのだ。



 父親ゆかりの料理が次々と出される中、麟太郎と美也子の胸に家族の思い出が去来する。実はアキコは後妻であり、麟太郎と美也子の“兄”にあたるシュンという連れ子がいたのだが、長らく音信不通だ。折しも台風がこの地を通過し、居合わせた者達が容易に外に出られない状況の中、濃密な人間ドラマが展開する。

 料理をトリガーとして登場人物達の過去が明らかになってゆく点は妙味だが、それだけでは物足りない。ヘタするとただの“思いつき”に終わる。そこで本作は今までの軌跡と現時点での彼らの立ち位置までを長いスパンで総括するという、厚みのある作劇を用意した。

 麟太郎は仕事が上手くいかず、美也子は育児と家事に忙殺されて周りを見渡す余裕が無い。それが今回封印されていたエピソードが明らかになることにより、父親との関係性を改めて確認し、自らの人生にプラスとしてフィードバックしてゆく、その過程には無理がなく、観る側の感性にスッと入るのだ。「台風家族」のような悪ふざけは皆無で、どのモチーフも自然体で捉えられている。

 常盤の演出はこれが第一作とは思えぬ落ち着きを見せ、ドラマの破綻は見られない。染谷将太に戸田恵梨香、窪塚洋介らのパフォーマンスは万全。日登志に扮した永瀬正敏の存在感が光り、斉藤由貴が久しぶりにマトモな演技をしているのにも感心した(笑)。撮影担当の山本英夫と山下宏明の音楽は言うこと無し。また、出てくる料理の描写も見逃せない。
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「戦場のピアニスト」

2019-11-17 06:38:00 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The Pianist )2002年作品。ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、シュピルマンが戦時中に体験する苦難を描いたドラマだが、ロマン・ポランスキー監督の映画に月並みな“感動”などを求めるのは筋違いだと思う。この作品のクライマックスは“主人公が音楽好きのドイツ将校の前でショパンを弾き、戦争のため長らく忘れていた芸術家としての魂を取り戻す場面”ではない。

 実話に基づいているのでこのエピソードを挿入するのは仕方がないが、作劇的には“取って付けたような”印象しか受けない。作者が描きたかったのはその前段、つまり慣れない逃亡生活を強いられた主人公が過度の緊張により精神的に追い込まれて行くプロセスである。



 一歩も外出できない狭い部屋の窓から見えるのは、ワルシャワ蜂起をはじめとする市街戦により人間が虫けらのように殺されてゆく場面ばかり。ナチスの手入れにより隠れ家を後にした主人公を次々と危機が襲う。もはや彼がピアニストであることは単に“収容所行きを免れた理由のひとつ”でしかなく、ドラマの核心ですらない(演奏場面のヴォルテージが意外に低いのもそのためだ)。

 この追いつめられた人間の神経症的な葛藤を描くことにかけては、まさにポランスキーの独壇場だ。しかし、そのニューロティックな展開が過去のポランスキー作品に比べて格別に優れているかといえば、そうでもない。少なくとも「ローズマリーの赤ちゃん」(68年)や「反撥」(65年)などの過去の作品には負ける。そして初期の「水の中のナイフ」(62年)の足元にも及ばない。まあ「死と処女(おとめ)」(94年)や「フランティック」(88年)よりはマシだろうか。要するにその程度だ。

 もっとも、映像に関してはポランスキーのフィルモグラフィの中では最良の出来を示している。パヴェル・エデルマンのカメラによる深々とした奥行きのある画面には舌を巻くし、特殊効果の使い方も堂に入ったものだ。特に終盤近くの廃墟と化したワルシャワ市街の情景は素晴らしい。主演のエイドリアン・ブロディも好演。昔からポランスキー作品を丹念にチェックしていたファンにとってはちょっと物足りない出来かもしれないが、観る価値はある。
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「スペシャルアクターズ」

2019-11-10 06:17:21 | 映画の感想(さ行)
 脚本の詰めが甘い。「カメラを止めるな!」(2017年)で社会現象を巻き起こした上田慎一郎監督の劇場用長編第2弾だが、彼の身上であるシナリオの精度が斯様に低い状態では、いくら演出で引っ張ろうとしても映画は盛り上がらない。プロデューサーとしては、脚本のさらなるチェックが必要であった。

 主人公の和人は売れない役者。しかも、緊張すると気絶するという“持病”を抱えており、将来の見えない日々を送っていた。ある日、彼は数年ぶりに弟の宏樹と再会する。宏樹は“スペシャル・アクターズ”という俳優事務所に属しており、そこでは映画やドラマだけでなく、演じることを使った“なんでも屋”のような業務もおこなっていた。成り行きで同事務所に入った和人は、最初はぎこちなかったが、次第に仕事に慣れてゆく。



 ある時、一人の女子高生が事務所に駆け込んでくる。彼女の姉は両親が亡くなったことにより若くして老舗旅館を継いだが、弱みにつけ込んだカルト宗教にハマってしまい、旅館を教団に明け渡そうとしているという。アクターズの面々は悪徳教団の企みを打ち破るべく、プランを練って稽古に励む。だが、好事魔多し。実戦では想定外のトラブルが次々と発生。果たして彼らは目的を達成することが出来るのか・・・・という話だ。

 ハッキリ言って、和人が事前にこの教団及び旅館のことをネット等である程度調べてしまうと、筋書き自体が成り立たなくなる。また、一時は起業していたという宏樹のことも、ネットで検索すれば状況は少しは掴めるはずだ。それを和人にさせないようにするために工夫する必要があるが、映画は完全スルーしている。

 教団の教祖は(表向きは)口がきけないという設定で、しかも極度の怖がりだ。こういう“攻めればすぐにでもボロが出そうなモチーフ”を付与するのも御都合主義の極みだろう。そもそも、教団の“教義”および“裏教義”があまりにもチープで、一般人が容易に引っ掛かるとは思えないのもマイナスだし、老舗旅館がターゲットになる理由も明確ではない。

 終盤には上田監督が満を持して考案したと思われるドンデン返しが用意されているが、そこまでの御膳立てが万全では無いのでインパクトは小さい。前作では効果的だったギャグも、今回は不発だ。主演の大澤数人をはじめ、オーディションで選んだキャストは馴染みが無いが(かろうじて知っているのは北浦愛と小川未祐ぐらい)、みんな的確には仕事をこなしている。それだけにシナリオの不出来は痛かった。上田監督には捲土重来を期待したい。
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「ジョーカー」

2019-11-03 06:25:18 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JOKER )有り体に言ってしまえば、これはマーティン・スコセッシ監督の代表作「タクシードライバー」(76年)の劣化版だろう。本作の主人公も、ニューヨークの孤独なタクシー運転手同様に向う見ずな暴力行為に走るが、終盤には“支持”を得てしまう。だが、キャラクター設定と背景の描き方には、それこそ天と地ほどの違いがある。このことを“所詮アメコミの映画化だから、細かいことは言いっこなし”などと片付けてはならない。いやしくも第76回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得し、アカデミー賞も狙えるという世評は確定している以上、正面からの批評に曝されるのは当然のことだ。

 ゴッサム・シティの片隅に住むアーサー・フレックは、メンタル障害に悩みながらも、コメディアンとして世に出ることを夢見ていた。母親との2人の暮らしを大道芸人として支えているが、周囲からは冷たい反応が返ってくるのみ。さらに、無責任な同僚から手渡された護身用の銃によって仕事場でトラブルが発生し、仕事を失ってしまう。



 追い詰められたアーサーは、地下鉄内で横暴な証券マンたちを射殺したのを皮切りに、次々と犯罪行為に手を染める。そんなある日、テレビのトークショーの名物司会者マレー・フランクリンから出演の打診を受ける。アーサーはピエロメイクのキャラクター“ジョーカー”として、番組に出ることを承諾する。

 言うまでもなくジョーカーは「バットマン」シリーズの悪役であるが、映画版の「バットマン」における底の浅い世界観に呼応するかのように、この映画の造形も薄っぺらい。どうしてジョーカーが世間を揺るがすような大悪党になったのか、なぜカリスマ的な魅力を発するに至ったのか、本作は全然説明していない。アーサーの不幸な生い立ちや、彼が引き起こす突発的な犯罪だけでは、とてもカバー出来るような話ではないのだ。

 ジョーカーの存在が大きくクローズアップされるためには、それを受け入れる社会的状況を詳説する必要があるが、それがスッポリ抜けている。そもそも舞台が架空の都市であり、この状況でリアリティを感じろと言われても無理な注文だ、対して「タクシードライバー」にはベトナム戦争後の不穏な世相や、ニューヨークの混沌とした雰囲気が、主人公の言動にドラマ的な正当性を与えていた。

 奇しくもマレー役として出演しているのは「タクシードライバー」の主役だったロバート・デ・ニーロである。テレビ番組におけるアーサーとマレーの対話を通して、現実と非現実の乖離を焙り出して欲しかったが、両者の会話は突如打ち切られてしまう。「バットマン」ゆかりのウェイン家との関係も示されるが、まるで取って付けたようだ。

 トッド・フィリップスの演出は、可もなく不可も無し。主演のホアキン・フェニックスのパフォーマンスは大したものだが、今までの彼の業績を見れば、取り立てて高評価できるような演技でもない。他のキャストにも目立った面子は見当たらない。正直、個人的には観る価値を見い出せない映画だった。
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「真実」

2019-11-02 06:29:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:LA VERITE )日本人演出家が撮った外国映画としては、目立った破綻も無く本場のフランス映画としても通用する“体裁”は整えていると思う。しかし、ストーリーが面白くない。さらにはこれが淡々と抑えたタッチで進行するため、観ている間は眠気との戦いに終始した。同じ話を、日本を舞台に国内キャストで作った方が、まだ興味は持てたかもしれない。

 国民的大女優ファビエンヌ・ダンジュヴィルが、自伝本「真実」を出版することになった。ニューヨークで脚本家として活動する娘のリュミールとその夫と娘、ファビエンヌのパートナーと元夫、長年彼女に寄り添った秘書らが祝いのためパリ郊外のファビエンヌの家に集まる。彼らの興味は自伝の中身だったが、そこには周囲の人間が期待するものとは違う内容であり、波紋が広がる。そんな穏やかならぬ空気の中、ファビエンヌは新作の撮影に入る。



 自伝には別に驚くようなことは書かれていない。有り体に言えば“何が書かれていないのか”が問題なのだが、それはセンセーショナリズムを喚起するようなことではない。強いて挙げれば同じく女優であり、若くして世を去った妹サラに関して言及されていないことが問題になってくるが、そこからドラマを大きく盛り上げてくる仕掛けは見当たらない。全ては起伏が無く平坦に綴られるのみだ。

 ここで主演のカトリーヌ・ドヌーヴの姉であり、早世したフランソワーズ・ドルレアックの存在を彷彿とさせるような展開に持っていけば映画の求心力は高まったと思うのだが、作者にはそこまで踏み込んでいない。ファビエンヌが主役を演じるSF仕立ての新作の内容が、この自伝と大きくクロスするようで全然していないのも不満だ。

 監督の是枝裕和としては、何やらドヌーヴと娘役のジュリエット・ビノシュと仕事をしただけで満足しているような様子で、いつもの登場人物に対する深い内面描写が見られない。娘婿役のイーサン・ホークは手持ちぶさたの感があり、マノン・クラヴェルやリュディヴィーヌ・サニエといった脇の面子も機能しているようには思えない。

 もしもこれが樹木希林が主演で、娘の内田也哉子との関係性を匂わせるような作劇ならば面白くなったかもしれないが、残念ながら樹木希林はもういないのだ。ただ、エリック・ゴーティエのカメラによる映像はキレイだし、アレクセイ・アイギの音楽も悪くない。その点では存在価値はあるだろう。
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「ジャスティス」

2019-10-19 06:32:59 | 映画の感想(さ行)
 (原題:...And Justice for all)79年作品。一応は社会派と呼ばれるノーマン・ジュイソン監督作で、舞台も時事ネタらしく法曹界になってはいるが、ブラックな笑劇仕立ての法廷物という、かなりの“変化球”である。まあ、この作家の守備範囲の広さを確認出来るし、キャストの熱演もあるので、見応えはあると言えよう。

 ボルチモアに住む弁護士アーサー・カークランドは、曲がったことが大嫌いな熱血漢。だが、しばしば暴走してトラブルを引き起こしていた。彼はジェフという若者が軽微な罪で逮捕された事件と、性的マイノリティである黒人ラルフが強盗の一味として告訴されている事件、この2つの案件を抱えている。そんなある日、アーサーと対立している高圧的なフレミング判事が婦女暴行罪で告訴される。そして何と、アーサーを弁護人として指名したのだ。渋るアーサーだったが、ジェフの保釈を条件に嫌々ながら引き受ける。ところが、この一件はアーサーを窮地に陥れようという判事側の策略だった。



 とにかく、裁判所を取り巻く連中の奇々怪々ぶりには呆れつつも笑ってしまう。フレミングは極端な権威主義者で、レイフォード判事は自殺志願。被告人の連中も変わった奴ばかり。同僚のジェイは情緒不安定。アーサーの大仰な言動も気にならないほどだ(笑)。

 後半にはフレミングの悪巧みは露見するが、それでも主人公は弁護しなければならない。職務と真実の板挟みになって身悶えするアーサーの姿は、法律家としてのディレンマを活写して興味深い。ギリギリの逡巡の果てに、主人公は大詰めの法廷で勝負に出る。これはかなりの見せ場になるのだが、ハリウッドの伝統的な裁判劇にあったスカッとした解決とは一味も二味も違う。伏魔殿としての法曹界を痛烈に皮肉っていて、その意味では訴求力が高い。

 主演のアル・パチーノのパフォーマンスは圧巻で、理性が吹っ飛ぶ寸前のアーサーの危うい内面を見事に表現している。ジャック・ウォーデンやジョン・フォーサイス、リー・ストラスバーグといった重厚感のあるベテランを配しているところも良い。ヒロイン役のクリスティン・ラーティも魅力的だ。ヴィクター・J・ケンパーによる撮影とデーヴ・グルーシンの音楽は好調。シニカルなラストと共に、異色のリーガル・スリラーとして記憶に残る一編だ。
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「守護教師」

2019-10-13 06:35:00 | 映画の感想(さ行)

 (英題:ORDINARY PEOPLE )マ・ドンソク演じる強面でマッチョな主人公が体育教師として赴任し、街で頻発する事件を解決するという話だ。当然のことながら、腕っ節を活かして悪い奴らをバッタバッタとなぎ倒す痛快巨編だと誰でも思うし、日本版ポスターでもそういう雰囲気が前面に押し出されている。しかし、主人公が暴れ回るのはほんの数回なのだ。これは“看板に偽りあり”である(苦笑)。

 ボクシングの東洋チャンピオンであったギチョルは、トラブルによって業界を追われ、知り合いの紹介で山間の静かな町で女子校の体育教師になる。勝手が分からない職場で戸惑うことばかりだが、やがて彼は失踪したクラスメイトの行方を捜すユジンと知り合う。学校側は単なる家出として取り合わず、警察に訴えても捜査願さえ受理されない。それどころか、住民全員がこの事件を無視しているような雰囲気だ。やがてユジンが何者かに襲われ、裏に大きな勢力が存在することを察知したギチョルは、不明の生徒の行方を探そうとする。

 原題は“市井の人々”であり、主人公の活劇を窺わせるものではない。これはアクション映画ではなく、ミステリーなのだろう。だが、その御膳立てはあまり上等ではない。この土地は選挙期間中で、政治にまつわる利権が関係しているのか思っていたらその通りであり、行方不明の女生徒が置かれた状況も驚くものではない。政治屋とヤクザが結託して街を牛耳っているという図式や、住民が無関心を決め込んでいるというモチーフもありがちだ。

 展開も意外性は感じられない。イム・ジンスンの演出はまあ水準には達しているが、脚本の出来が良くないので、損をしていると思う。ならばとことんダメな映画なのかというと、そうでもない。これはミステリーものである以上に、アイドル映画なのだろう(笑)。ユジンをに扮するキム・セロンは、かつて有名子役だったが、いつの間にか成長してスクリーン映えする若手女優になっている。ルックス面の訴求力は高く、今後の活躍も期待されよう。そして、舞台になる韓国の地方都市は、日本の昭和時代の田舎町と同じ佇まいであり、見ていてホッとする。
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