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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「エイリアン:ロムルス」

2024-10-19 06:23:03 | 映画の感想(あ行)

 (原題:ALIEN: ROMULUS)不満な点はけっこうあるのだが、捨てがたいモチーフもあり、結論としては“まあまあ観られる出来”ではないかと思う。少なくとも、デイヴィッド・フィンチャー監督によるパート3(92年)やシリーズ前日譚になるリドリー・スコット監督の「プロメテウス」(2012年)なんかよりはずっとマシだ。

 第一作の舞台になったノストロモ号が爆破されてから数年経った2142年、ジャクソン星の鉱山で働く若い女レイン・キャラダインは、劣悪な職場環境に辟易していた。彼女はいくらか状況が良いと言われているユヴァーガ第三惑星への移住を切望しているが、会社側による不当な労働時間の延長等により上手くいかない。そこで男友達のタイラーらと秘密裏にジャクソン星を離れる。彼らが最初にたどり着いたのは、廃墟と化した宇宙ステーション“ロムルス”だった。生きる希望を求めて探索を開始する彼らだったが、突然にエイリアンの群れに襲われる。

 まず、どうしてジャクソン星を飛び立った主人公たちが見るからに怪しい“ロムルス”に立ち寄ったのか、その理由が不明。加えて、この“ロムルス”の構造と建て付けがよく分からない。だから、彼らがどの地点にいるのか、どこに行けばどういう環境が待ち受けているのか、まるで判然としない。結果として、サスペンスがイマイチ醸し出されない。そもそも“ロムルス”の中にエイリアンが大量保管されていた理由も説明されていないのた。

 しかしながら、本作には面白いキャラクターが出てきて、何とか場を保たせることに成功している。それは、レインの亡き父によって“娘の安全確保”をプログラムされた旧式アンドロイドのアンディだ。これがパッと見た感じは鈍重なのだが、実に愛嬌がある。特に始終ダジャレを連発しているあたりは愉快だ。

 対して“ロムルス”内に半壊状態で放置されていたもう一体のアンドロイドのルークは、海千山千の食えない奴だ。この2体の対比は、かなりの興趣を呼び込んでいる。エイリアンの生態はほぼ従来通りだが、終盤に思いがけない“突然変異体”が出てきて驚かせる。フェデ・アルバレスの演出は馬力はあるものの、節度は持ち合わせているようで、ドラマが空中分解することは無い。

 レイン役のケイリー・スピーニーは、長身だった第一作のヒロインのシガニー・ウィーバーとは好対照で、小柄で可愛い感じだ。しかし、非力に見える彼女が大きな敵に立ち向かうという構図は、それなりに盛り上がる。デイヴィッド・ジョンソンにアーチー・ルノー、イザベラ・メルセド、スパイク・ファーン、エイリーン・ウーら他のキャストも申し分ない。
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「愛に乱暴」

2024-09-23 06:36:13 | 映画の感想(あ行)
 実に胸糞が悪くなる映画だ。断っておくけど、この“胸糞”という言い方は最近は時に褒め言葉として使われるようなので、ここではそう表現させてもらった。とにかくインモラルなモチーフが釣瓶打ちで、ここまで追い込むかと半ば感心しながら鑑賞を終えた次第。広く奨められるシャシンでは決してないが、求心力の高さは認めざるを得ない。

 神奈川県綾瀬市に住む初瀬桃子は、夫の真守と2人で真守の実家の敷地内に建つ離れで暮らしている。母屋には義母の照子が1人いるだけだが、桃子は何かとプレッシャーを感じていた。そんな折、近所のゴミ捨て場で不審火が相次いだり、桃子が主宰する石鹸教室の行く末が怪しくなったりと、不穏な出来事が相次ぐ。そしてついに、真守の浮気が発覚して事態は風雲急を告げる。吉田修一の同名小説の映画化だ。



 とにかく、主人公が遭遇する災難の数々には呆れつつも納得(?)してしまう。何しろ周囲の人間の大半が、桃子に(意識的か無意識的かに関わらず)悪意を持っているのだ。取りあえず“別居”を選択した義母は、ヒロインに気を遣っているようでいて、微妙な屈託を隠せない。桃子は以前は会社勤めをしていて、結婚を機に退職しているのだが、くだんの石鹸教室は元の職場が便宜を図って実現したものらしい。ところがその古巣の会社は、桃子のことを何とも思っていなかったことが発覚する。真守の不倫相手の若い女は、桃子に対して申し訳ないようなポーズを取るものの、本当は邪魔な存在でしかないのだ。

 ならば桃子は観る者の同情を誘うような健気な人妻なのかというと、そうでもないのが嫌らしい。彼女は“ある秘密”を持ったまま結婚したのだが、それが夫と義母にとって彼女を疎ましく思う絶好のネタになっている。なお、桃子は床下に住みついている猫のことを気に掛けているようだが、その“真相”が明らかになる後半の展開は胸糞そのものだ。

 さらに、終盤で真守が独白する“浮気の理由”とやらは、まさに身も蓋もないハナシで身震いするほど。結局、映画の中でマトモだったのは一見本編と関係のなさそうな脇の人物だけだったというオチは、後ろ向きの興趣が溢れている。森ガキ侑大の演出は「さんかく窓の外側は夜」(2021年)の頃より格段の進歩を見せ、最後まで緊張を途切れさせない。

 主演の江口のりこは快演で、彼女の代表作になることは必至だ。真守に扮する小泉孝太郎をはじめ、風吹ジュンに馬場ふみか、青木柚、斉藤陽一郎など全員が及第点に達するパフォーマンスを披露している。岩代太郎の音楽も良い。
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「アグリーズ」

2024-09-22 06:34:33 | 映画の感想(あ行)

 (原題:UGLIES)2024年9月よりNetflixから配信されたディストピアSF作品。ラストが尻切れトンボであり、これは明らかに続編の製作を前提に撮られたものだろう(もしもパート2以降の予定が無く、これで終わりならばシャレにならない)。とはいえカネは掛けられていて映像の喚起力はかなりあるので、観て損は無いとも言える。

 遠い未来、人類は世界戦争によって一時はその数を大幅に減らしていた。その後、残った人々はクリーンで効率的なエネルギー源を開発することに成功し、右肩上がりに復興を遂げる。さらに争いを避けるため、当局側は16歳を境に全員に“理想的な”美容整形手術を義務付ける。すべての者の外見に欠点が無ければコンプレックスや妬み嫉みが生じず、結果として戦争なども起こりようも無いという理屈だ。

 16歳の誕生日を間近に控えて整形手術を心待ちにしていたタリー・ヤングブラッドは、先に手術を受けたボーイフレンドのペリスが人格さえも変えられていたことにショックを受け、このシステムに疑問を持つ。そして彼女は居住エリアの外で“昔ながらの”生活を送るアナキストのデイヴィッドたちと接触し、抗議活動に身を投じる。

 厳格に管理された未来社会で、そこに相容れない自由主義者たちがバトルを仕掛けるという構図は、今まで何度も取り上げられてきたネタで新味は無い。ただ、強制的な美容整形手術といったモチーフはいくらか興味を惹かれる。トンデモな理論であることは確かだが、ルサンチマンというものば外見が大きく関係しているのは事実だろう。ただし、変わるのは外観だけではなく頭の中身も同様だというのは、こういう方法論はファシズムと紙一重であることを示している。

 映画は予想通りの展開を見せるが、マックGの演出は賑々しく、アクション場面はアイデア豊富で盛り上がる。メカ・デザインや外界の自然の風景は目を楽しませてくれる。ただ前述の通り、エンディングが確定されていない。続編が必須の御膳立てだろう。

 主演のジョーイ・キングのパフォーマンスは悪くないのだが、元々が可愛い彼女が美容整形手術を望むというのは、ちょっと筋違いではないだろうか(笑)。キース・パワーズにチェイス・ストークス、ブリアンヌ・チュー、ラバーン・コックスなどの脇の面子も良くやっている。
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「お母さんが一緒」

2024-08-26 06:38:26 | 映画の感想(あ行)
 舞台劇の映画化であり、いかにも“それらしい”御膳立てが散見されるシャシンだ。ならば全然面白くないのかというと、そう断言も出来ない。映画的興趣も、無いことはない。キャストの頑張りも印象的。ただ、これが実績のある橋口亮輔の9年ぶりの監督作に相応しいかと問われると、意見が分かれるところだろう。

 弥生と愛美、清美の三姉妹は、親孝行のつもりで母親を温泉旅行に連れてくる。だがこの母親は峻烈な人物のようで、それが娘たちにも影響を与えて三姉妹は万全な人生を送っているようには見えない。長女の弥生は見栄えが良い妹たちにコンプレックスを持ち、次女の愛美は何かと優等生の姉と比べられてきたルサンチマンを抱えている。三女の清美はそんな姉たちを冷めた目で見ていた。そんな中、清美はこの旅行の場で婚約者を皆に紹介すると言い出す。ペヤンヌマキ主宰の演劇ユニットが上演した同名舞台劇を元にした一編だ。



 娘たち、特に弥生と愛美は話す言葉と振る舞いがまさに新劇調。全編これ絶叫と派手なジェスチャーで、観る側としては疲れてしまう。それはもちろん、母親に対する鬱屈した気持ちの表出なのだが、ならばわざわざ母親を温泉にまで招待する必要も無いとも思える。とはいえ彼女たちには“世間体”という決して無視できない判断基準が備わっており(それも母親の影響)、親孝行の真似事をすることに疑問も持たなかったと思われる。そんな中、清美の思い切った行動は大きな波紋を生じさせる。

 このままドロドロの展開が続くと途中退出したくなったところだろうが、本作には絶妙なモチーフが用意されている。それはこの物語の舞台だ。ロケ地は佐賀県の嬉野温泉である。三姉妹の実家も佐賀であり、飛び交うセリフの大半が佐賀弁だ。このローカル色豊かな御膳立てにより、キツい話がうまい具合に“中和”され、最後まで観客を引っ張ってくれるのだ。ラストは御都合主義的とも言えるが、背景が風情のある温泉町ならば“それで良いじゃないか”という気分にもなってくる。

 主演の江口のりこと内田慈、古川琴音はいずれも好調。特に江口の振り切ったようなパフォーマンスには感心した。清美のフィアンセに扮した“青山フォール勝ち”は初めて見るが、元々はお笑い芸人らしいので、演じることの基礎は出来ている。ただやっぱり気になるのが、この映画が橋口亮輔監督作品として推せるのかどうかだ。これまでの彼の作品はすべて企画からオリジナルであり、本作のような他人の原作を元にしたことが無かっただけに、個人的にはイマイチ承服しがたい。
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「大いなる不在」

2024-08-03 06:30:46 | 映画の感想(あ行)
 全体に漂うアングラ臭が何とも言えない違和感を醸し出している。もっとも、監督の近浦啓が“そっち方面”の演劇畑出身であるわけでもないようだ。しかし、序盤の舞台稽古のシーンから浮世離れした空気が充満しており、中盤以降のドラマツルギーを無視したフリーハンド過ぎる展開を見せつけられるに及んでは、通常の劇映画に対する鑑賞態度とはひとまず距離を置かざるを得ない。

 東京で舞台俳優として働く卓(たかし)は、幼い頃に自分と母を捨てた父の陽二が事件を起こして警察の御厄介になったという知らせを受け、久しぶりに故郷の北九州市に戻ってくる。父は認知症を患っていて同市八幡西区にある介護施設に収容されていたが、父の再婚相手である直美が行方不明になっていた。彼女の居所を探す卓だったが、直美の息子と名乗る男が現われたり、彼女の妹が陽二の面倒を見ていたという話が出てきたりと、父親の私生活の実相は杳として知れない。



 冒頭の、陽二が“検挙”されるシーンから、卓が打ち込む一般ウケしないような芝居(イヨネスコの「瀕死の王」)のエクステリアを経て、元気な頃の陽二のスノッブな生活様式が紹介されると、すでに映画に真正面から対峙しようという意欲は失せてくる。これは当方との接点を見出せないシャシンだ。

 陽二は大学教授として功績を残し、それなりのプライドは残ってはいるものの、実態は妻と息子を見放して別の女と懇ろになり、挙げ句の果ては加齢により前後不覚になって周囲に迷惑を掛けている困ったオヤジだ。こういう人物は共感できない。とはいえ息子の方も要領を得ない描写に終始しており、直美の消息も知れない。こんな雲を掴むような話のどこに感情移入すれば良いのやらさっぱり分からず、観ていてストレスが溜まるばかりだ。

 近浦の演出は、斯様な筋立てのハナシを唯我独尊的なタッチで進めているようにしか思えない。陽二役の藤竜也は付き合いきれない年寄りを巧みに演じ、卓に扮する森山未來や直美を演じる原日出子も万全。卓の妻に扮する真木よう子は無難なパフォーマンスで、三浦誠己に神野三鈴、利重剛といった顔ぶれも悪くない。しかし、肝心のストーリーがこれでは評価する気にはなれない。

 ただし、山崎裕のカメラによる清澄な映像は見応えがある。北九州市の風景はもとより、終盤に映し出される熊本県宇土市の有明海の景色は美しい。それだけは観て良かったと思った。
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「あんのこと」

2024-07-13 06:27:46 | 映画の感想(あ行)
 これは評価出来ない。実際に起こった事件に着想を得て作り上げたシャシンらしいが、とにかく脚本がお粗末すぎる。こんな有様ではメッセージ性も社会性もあったものではない。それどころか煽情的な仕掛けばかりを前面に出すことによって、題材自体の深刻さが伝わらなくなっている。プロデューサー側としては、作品のコンセプトから考え直すべきではなかったか。

 2010年代後半、売春や麻薬の常習犯である21歳の香川杏は警察に検挙される。彼女はホステスの母親と足の悪い祖母と3人で暮らしているが、子供の頃から母親に虐待され、小学4年生から不登校となり、12歳で母親から売春を強要されていた。担当刑事の多々羅保はそんな彼女の境遇を見かねて何かと面倒を見るようになり、彼の友人でジャーナリストの桐野達樹の助けもあって、杏は新たな仕事や住まいを手に入れることが出来た。しかし、折からのコロナ禍によって彼女の勤務先は閉鎖。多々羅や桐野とも容易に会えなくなる。



 まず、多々羅の造型がデタラメだ。いかにも“それらしい”身なりと、紙巻タバコを人前で遠慮会釈無く吸っている様子からして、完全に時代錯誤である。さらに彼がヨガ教室の経営に関与しており、またそれは“下心”があっての所業だというのは呆れる他ない。桐野は結局何をしたいのか分からず、終盤近くには存在感が限りなくゼロに近くなる。杏の母親はいかにも憎々しいが、描き方が表面的で単なる“記号”としての扱いだ。

 後半、杏がそれほど親しくも無い近所の若い主婦から赤ん坊を押し付けられ、面倒を見る羽目になるというくだりは無理筋の極み。また都合良く杏が母性本能を刺激されるとか、いったい何を考えてこんな絵空事の話をデッチ上げられるのかと、観ていて途中から面倒くさくなってきた。

 確かに、今や人口の6人に1人が相対的貧困とされている日本の深刻な状況は、映画の題材として取り上げることは意義がある。しかし、本作のように単に主人公が遭遇する不幸を脈絡も無く繋げるだけの展開では、何の問題提起にもなっていない。監督と脚本を手がけた入江悠の力量には疑問符が付き、もっと別の人選が必要だった。

 主演の河合優実は確かに頑張ってはいるが、それは“想定の範囲内”に過ぎない。そもそも、こういう役柄は彼女に合っていないのではないか。個人的には、不動産会社のCMに出ていた時のような(笑)ナチュラルな持ち味の方を映画で見てみたい。刑事役の佐藤二朗と桐野に扮する稲垣吾郎は目立ったパフォーマンスは見られず。河井青葉や広岡由里、早見あかりといった脇のキャストも印象に残らない。
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「違国日記」

2024-07-08 06:22:22 | 映画の感想(あ行)
 これは気に入った。派手さは無いが、登場人物たちに対する視線の温かさや、着実で丁寧な作劇と語り口に作り手の意識の高さを感じる。たまたま原作が人気漫画だったからこの企画が通ったと思われるが、内実は気鋭の若手監督のオリジナル脚本による意欲作だと言われてもおかしくない。2時間を優に超える尺ながら、強い求心力で最後まで見せきっている。

 女流作家の高代槙生の姉とその夫が、交通事故で一度に世を去ってしまう。実は槙生と姉とは長い間不仲であり、複雑な感情を抱いたまま彼女は葬儀に出るのだが、そこで姉の一人娘である15歳の田汲朝に久しぶりに会う。だが、無神経なセリフを吐く親戚一同の態度に我慢が出来なくなった槙生は、勢いで朝を引き取ることを宣言してしまう。とはいえ、ずっと一人暮らしを続けてきた槙生は初めて同居人を迎えることになったわけで、勝手が分からず戸惑うばかりだ。それでも友人の醍醐奈々や元カレの助けを得ながら、朝との生活を手探りで築いていく。ヤマシタトモコの同名漫画の映画化だ。



 ドラマティックな出来事は、朝の両親の事故と葬儀が描かれる冒頭近くの展開においてのみだ。あとは事件らしい事件も起こらず、槙生と朝とのまったりとした日々が綴られる。しかし、何気ない時間の中でも確実に当事者たちの微妙な屈託やささやかな喜びなどは発生しているわけで、それを丹念に掬い上げている点は評価が高い。

 しかも、これ見よがしなケレンを廃し、あくまでナチュラルに扱われている。たとえば、朝が両親の不幸を同級生たちには内緒にしようとしたが、あるクラスメートが(悪気がないまま)バラしてしまったというエピソードはいくらでも煽情的に描くことが出来るネタだ。だが、ここでは“そういうことも、間々あることだ”と割り切ってサラリと流している。現実も、たぶんそういうものなのだろう。

 槙生と元恋人の笠町信吾とのやり取りも、少しも肩に力が入っていない。2人の関係は、とっくの昔に決着が付いている。だからこそ、自然なアプローチを可能にさせているのだ。瀬田なつきの演出は実に繊細で、対象に肉迫していながら第三者的なスタンスも持ち合わせているというポジションをキープしている。今後の仕事ぶりをチェックしたくなる人材だ。

 槙生に扮するのが新垣結衣だというのは、観る前は若干の危惧があった。なぜなら、彼女は決して演技派では無いからだ。ところがここでの彼女は自然体に徹して、パフォーマンスに求心力がある。これは“無理をさせていない”ことに尽きるだろう。演技者の資質を見極めた上での作者の配慮が大きくモノを言っている。

 朝を演じる早瀬憩は、ハッキリ言ってかなりの逸材だ。出演時間は主役の新垣よりも多いとも思わせるが、まったく危なげが無い。本年度の新人賞の有力候補だ。夏帆に染谷将太、銀粉蝶、瀬戸康史ら脇の面子も良いし、小宮山莉渚や伊礼姫奈、滝澤エリカといった若手も有効に機能している。四宮秀俊のカメラによる透明感のある映像、高木正勝の音楽も印象的だ。
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「映画 からかい上手の高木さん」

2024-07-01 06:25:52 | 映画の感想(あ行)
 人気コミックの実写映画化によるラブコメ作品という、普段ならば絶対に私の鑑賞対象にならないタイプのシャシンなのだが(笑)、それでも映画館まで足を運んで観ようと思ったのは、監督が今泉力哉であったからに他ならない。結果、ほぼ満足出来るような内容であったのには安心した。もっとも、細かいところまで突っ込むとアラは見えるのだが、それを余裕でカバーできるだけの“愛嬌”がこの映画にはある。

 瀬戸内海に浮かぶ島の中学校で体育教師を務める西片の前に突然現われたのは、教育実習生の高木だった。実はこの2人は中学生時代には“縁浅からぬ仲”だったのだが、高木がパリに美術留学するため島を離れて以来、約10年間も会っていなかったのだ。相変わらず奔放な性格で西片への“からかい”に興じる高木だったが、互いを憎からず思う感情は昔と変わらなかった。山本崇一朗のコミックの映画化だが、本作で描かれた時制のエピソードは原作には存在しないらしい。



 若者の恋愛沙汰における微妙な哀歓を描かせると、今泉監督は無類の強さを発揮する。主人公たちはすでに大人なので、十代の頃の“からかい”と、今の状況における関係性は違うということは分かっている。ところが、そう簡単に吹っ切れないのも男女の仲なのだ。昔の“からかい”が現時点でどの程度反映されているのかを、2人が互いに手探りで見極めようとしているあたりが面白い。

 しかも、それを直ちにストレートに確認出来るほど、彼らは酸いも甘いも噛み分けたような年代には達していない。この微妙なさじ加減が、ドラマを味わい深いものにしている。もっとも、西片が年齢の割には奥手だったり、主人公たちのかつての担任で今は教頭をやっている田辺が西片を子供扱いしているのは無理がある。また、西片の周囲の人間たち(元同級生)の描き方が通り一遍であるのも不満だし、時制が飛んだエピローグも余計だろう。

 とはいえ、舞台になる小豆島の痺れるほどに美しい風景と大間々昂による効果的な音楽をバックに物語が展開されると、あまり気にならなくなる。高木に扮する永野芽郁は柔らかい雰囲気を前面に出した妙演で、この若い女優の存在感を改めて確認した。西片役の高橋文哉は私は初めて見たが、嫌みの無い好漢ぶりで、作品のタッチによく似合っている。

 鈴木仁に平祐奈、前田旺志郎、志田彩良、白鳥玉季、そして江口洋介といった脇のキャストも悪くない。中学生時代の主人公たちを演じた月島琉衣と黒川想矢のパフォーマンスも万全だ。また、Aimerが歌うエンディングテーマがめっぽう良い。
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「ありふれた教室」

2024-06-23 06:27:56 | 映画の感想(あ行)

 (原題:DAS LEHRERZIMMER)近年、我が国では教職員志望者の減少が顕著である。原因としては長時間労働と担当職務の野放図な増加などが挙げられ、要するに教育現場のブラック化が進んでいるということだろう。これは日本に限った話ではなく、2016年にはユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が、初めて発展途上国に限らず世界レベルで教員不足に直面していると言及している。この映画の製作国であるドイツも例外ではないようだ。

 ハンブルグの中学校に赴任した若手教師のカーラは、熱心な仕事ぶりを見せて、受け持った1年生のクラスの生徒たちや同僚の信頼を得ていく。そんな中、校内で盗難事件が相次いで発生。カーラの教え子の中に犯人がいるのではないかという噂が立つ。徹底的な調査を進めようとする校長に反発したカーラは、独自に犯人を捜すべく職員室に隠しカメラを設置する。すると、学校事務員らしき人物が椅子に掛けてあった職員の上着から財布を抜き取っている動画が記録されていた。早速当事者に事情を聞くカーラだが、その事務員の息子はカーラのクラスの生徒でもあったのだ。居辛くなった生徒は登校拒否になり、カーラの立場も危ういものになっていく。

 そもそも、学内での盗難事件の捜査に現場の担任教師に過ぎない主人公が首を突っ込むこと自体がおかしい。しかも、記録された動画には犯人(らしき者)の顔さえ映っておらず、確証も無いままに向こう見ずな行動に走るカーラにはとても共感できない。しかし、彼女が捜査に乗り出さなければ事件はスムーズに解決したのかというと、それも極めて怪しいのだ。

 事実解明のためには警察当局の介入が必要になるだろう。だが、そのためには被害額と個々の犯行状況の確定が必要になる。それはハッキリ言って不可能ではないのか。ましてやヨーロッパでは複数の民族の子供が同じ学校で席を並べることが多くなっており、ヘタに動けば人種問題に発展する。それでなくてもモンスターペアレントなど、頭の痛い案件が山積している。こんな状況では、教職員のなり手が少なくなるのも当然だ。

 イルケル・チャタクの演出は冷徹でありながら、ラストに救い(のようなもの)を用意するなど、達者なところを見せる。主演のレオニー・ベネシュは、熱意が空回りして窮地に追い込まれていくヒロイン像を上手く体現していた。レオナルト・シュテットニッシュやエーファ・レーバウ、ミヒャエル・クラマー、ラファエル・シュタホビアクといった他のキャストは馴染みは無いが、皆良好なパフォーマンスを見せている。
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「新しい家族」

2024-06-16 06:23:58 | 映画の感想(あ行)
 (英題:PEASANTS)82年ソビエト作品。女流監督の手による映画にも関わらず、主に男性側の視点からドラマが綴られるという、玄妙な味わいを持つシャシンだ。同年のベルリン国際映画祭にて審査員奨励賞を獲得しており、丁寧に作られたホームドラマの佳作であると思う。本作に限らず旧ソ連時代には見応えのある映画が少なからず作られていたが、近年はロシア映画界のめぼしいニュースは無い。国際情勢が関係しているのは当然ながら、この状況はいつか好転して欲しいものである。

 ムルマンスク州の鉱山都市ニッケルに住む中年男パーヴェルは、父親からの急な電報で故郷に呼び戻される。何でも、パーヴェルのかつての婚約者ナースチャが亡くなったらしく、残された14歳の娘ポリーナはパーヴェルとの子だという。さらに、その後のナースチャの交際相手の間に出来たパーヴリクと、彼女に引き取られた孤児ステパンという2人の息子もいた。父親から3人の養育を託されたパーヴェルはニッケル市に戻るが、恋人ポリーナは愛想を尽かして出て行ってしまい、彼は仕方なく3人を男手一つで面倒を見るハメになる。



 家族を作るということにまるで関心の無かったマッチョな男が、思いがけず子持ちになり家庭の味を知るようになるという筋書きは、まあ誰でも予想が付くだろう。事実、本作はその通りに話は進んでいくのだが、この“男の自立”の裏には映画には出てこない“もう一人の主役”が存在するというのが面白い。それは、パーヴェルのかつての恋人ナースチャだ。

 ナースチャはポリーナを一人で育てただけではなく、次の男とも別れて子供を引き取り、加えて生活が苦しいにも関わらず言語障害気味の子を養子として迎え入れ、3人とも良い子に育ててきた。こういう彼女の健気なはたらきがあったおかげで、パーヴェルの成長があるのだ。徹底した男親の話でありながら、その裏に女性の影響力の大きさを組み入れるという、かなり巧妙な“手口”である。

 イスクラ・バービッチの演出は派手さは無いが堅実で、各キャラクターの内面を丹念に綴っていく。主演のアレクサンドル・ミハイロフは、見かけは偉丈夫ながら優柔不断な性格の主人公をうまく表現していた。イリーナ・イワーノワにミハイル・ブズイリョフ・クレツォ、ピョートル・クルイロフの3人の子役も達者なところを見せる。終盤の、思いがけない子供たちの窮地をパーヴェルが身を挺して救うという展開も秀逸で、それに続くハートウォーミングな幕切れも印象的だ。
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