goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ベネデッタ」

2023-03-20 06:14:26 | 映画の感想(は行)
 (原題:BENEDETTA )監督ポール・ヴァーホーヴェンの前作「エル ELLE」(2016年)は、彼らしくない(?)スマートでハイ・ブロウな線を狙ったせいで要領を得ない出来に終わっていたが、5年ぶりにメガホンを取った本作では従来の“変態路線”に復帰して闊達な仕事ぶりを見せる。時代劇としてのエクステリアも抜かりはなく、鑑賞後の満足度は高い。

 舞台は17世紀のイタリア中部トスカーナ地方ペシアの町。聖母マリアと対話可能で“奇蹟”も起こせると言われた少女ベネデッタは、6歳で地元のテアティノ修道院に入り、聖職者の道を歩むことになる。成人して修道院の生活にもすっかり馴染んだある日、夫のDVに耐えかねて修道院に逃げ込んできた若い女バルトロメアを保護する。



 ベネデッタは何かとバルトロメアの面倒を見ているうちに、同性愛の関係に発展。それを見咎めた修道院長のフェリシタは教皇庁に告発するが、ベネデッタは聖痕を受けて“イエスの花嫁になった”と主張。教皇大使ジリオーリと対立する。そんな中、イタリアでは当時は不治の病とみなされたペストのパンデミックが発生し、ペシアの町にも危機が迫ってくる。実在の修道女ベネデッタ・カルリーニの伝記映画だ。

 まず、映画は本来なら人々を救済するはずの聖職者の団体が、実は利権にまみれた生臭い存在であることを描き出す。何しろ修道院に入るにも多額の“お布施”が必要なのだ。そして個人的な妬み嫉みを神の名を持ち出して正当化しようとする浅はかさも示され、ベネデッタにしても“奇蹟”を都合よく利用しようとする。果てはマリア像をバルトロメアとの秘め事の“道具”にするという、バチ当たりなモチーフも挿入される。

 ならば本作はアンチ・クライストの冷笑的なシャシンなのかというと、そうではない。主眼は理不尽な宗教界のしきたりや、当時の封建的なモラル、そして疫病の蔓延などの逆境をものともせずに突き進むベネデッタの勇姿だ。その生き様は、目先の些事や地位やプライドなどに拘泥する修道院や教皇庁を通り越し、ダイレクトに市民にアピールする。

 ヴァーホーヴェンの演出はとことんエゲツなく、インモラルな描写にも手加減はしない。まあ、舞台がイタリアなのにセリフはフランス語というのはちょっとアレだが、そこは御愛嬌だろう。ベネデッタに扮するヴィルジニー・エフィラとバルトロメア役のダフネ・パタキアとの濡れ場は実に湿度が高い。特にエフィラの四十歳代とは思えぬボディとエロさには感服(笑)。

 脇にシャーロット・ランプリングやランベール・ウィルソンといったクセ者を配しているのも見どころだ。ジャンヌ・ラポワリーのカメラが捉えた泰西名画を思わせる映像と、アン・ダッドリーによる音楽も言うことなし。それにしても、ラストのベネデッタの決断と、それに続く史実の紹介には感慨深いものがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ファミリービジネス」

2023-03-03 06:13:10 | 映画の感想(は行)
 (原題:Family Business )89年作品。いくら有名キャストを揃え、実績のある監督が担当しても、失敗作に終わることもある。残念ながらこの映画はその好例だ。公開当時の批評家筋からの評価は芳しくなく、興行収入も期待を大きく下回った。言い換えれば、配役やスタッフの名前ばかりを優先して観る映画を決めていると、時には思わぬ落とし穴にハマるということか。その意味では、存在価値(?)はあるのかもしれない。

 ニューヨークで妻エレインと暮らすヴィト・マクマレンは、疎遠になっている息子のアダムから父親のジェシーが留置場に入っていることを知らされる。保釈金を積んで出所したジェシーに、アダムは研究開発中の酵素細胞を盗み出す計画を持ち掛ける。実はジェシーは、泥棒稼業で生計を立てていたのである。ヴィトは父親の“仕事”とは距離を置いてカタギの生活を送ってはいるが、アダムはジェシーに心酔していて一緒に“仕事”をすることを望んでいた。最初は猛反対するヴィトだったが、この計画には3人で取り組む必要があると力説するジェシーに押し切られ、親子三代で“仕事”に臨むハメになる。



 粗筋だけ聞くと何だか面白そうなのだが、実際観てみるとサッパリ盛り上がらない。テンポは悪いし、プロットの組み立ては冴えないし、ラストも締らない。何より泥棒シーンが平板なのは痛い。主要キャストのパフォーマンスは低調で、何やら全員が大根に見えてしまう。監督は何と名匠シドニー・ルメットで、プロデューサーはウォルター・ヒル監督などと組んで数々の快作をモノにしたローレンス・ゴードンだ。ついでに言うと、ジェシー役はショーン・コネリーで、ヴィトに扮するのはダスティン・ホフマン、アダム役はマシュー・ブロデリックである。

 どう考えても失敗しそうにない布陣ながら、結果はこの有様だ。その原因は分からないが、ひょっとするとシナリオが問題だったのかもしれない。脚本を書いたのは原作者のヴィンセント・パトリックで、この人物は小説家としては有名なのかもしれないが、シナリオライターとしては大した実績が無い。もっと名のある書き手が参画すれば、少しはマシな出来になった可能性はある。

 なお、ルメット監督は不調だった本作の影響からか、これ以後ディレクターとしてのヴォルテージが落ちていく。復調するのは遺作の「その土曜日、7時58分」(2007年)まで待たなければならなかったというのは、何とも切ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バビロン」

2023-02-27 06:19:58 | 映画の感想(は行)
 (原題:BABYLON )とても評価できる内容ではない。デイミアン・チャゼル監督は自身が本当は何が得意で何をやりたいのか、まったく分かっていないようだ。彼は守備範囲が極端に狭いことを認めたくないのか、前作と前々作では場違いなネタを扱って上手くいかなかった。本作に至って少しは軌道修正したのかと思ったら、さらに酷いことになっている。アカデミー賞では主要部門にノミネートされなかったのも当然だろう。

 1920年代のハリウッドを舞台に、メキシコから夢を抱いてやって来た青年マニー・トレスと、偶然彼と知り合って意気投合した駆け出しの女優ネリー・ラロイ。そして大スターのジャック・コンラッドの3人を中心に、サイレントからトーキーに移行する映画製作の現場を狂騒的に描く。



 まず納得できないのは、この時代のハリウッドを描いた映画としては既に「雨に唄えば」(1952年)という傑作が存在していることを作者が理解していないことだ。“いや、それは違う。劇中にはちゃんと「雨に唄えば」が引用されているではないか”という反論が返ってくるのかもしれないが、単に存在を知っているだけでは「雨に唄えば」の価値を分かっていることにはならない。事実、本作における「雨に唄えば」の扱いは、漫然とした“場面の紹介”に終わっている。

 さらに、昔のハリウッドのダークな内幕を描いた作品としては「サンセット大通り」(1950年)や「イヴの総て」(1950年)といった突出した前例があるが、本作はそれらに遠く及ばない。また、デイヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」(2001年)における魔窟としてのハリウッドの描写には、この映画は比べるのも烏滸がましい。ただ、クレイジーな事物を賑やかに並べて自己満足に浸っているだけだ。

 では、チャゼル監督が本当に描くべきものは何だったのかというと、それはジョバン・アデポ扮するジャズ・トランペット奏者である。映画におけるジャズ音楽の重要性、そして黒人プレイヤーとして味わう数々の辛酸、その屈託をサウンドとして叩き付けるプロセスを、得意の演奏場面で活写すればかなりの成果が上がったはずだ。それを何を勘違いしたのか、“自分はハリウッドの歴史を俯瞰的に捉える実力がある”とばかりに総花的な3時間超の“大作”に仕上げてしまった、その暴挙には呆れるしかない。

 ブラッド・ピットにマーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ、オリヴィア・ワイルド、トビー・マグワイアなどキャストは皆熱演ながら、徒労に終わっている感がある。唯一興味深かったのが、オリヴィア・ハミルトン扮する女流監督だ。モデルはサイレント映画時代にハリウッドで唯一の女性監督だったドロシー・アーズナーらしいが、こういう人材が実在していたことを本作で初めて知った次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブラック・ウィドー」

2023-02-12 06:05:31 | 映画の感想(は行)
 (原題:Black Widow )似たタイトルのマーベル映画があるが、これは別物。87年作品のサスペンス編だ。正直言って、出来は凡庸で取り立てて高く評価すべきものではない。しかしながらキャストの存在感は大したもので、それだけで観て得した気分になる。加えて、題材自体が現時点で考えても割とタイムリーである点が興味深い。

 司法省捜査局の女性エージェントのアレックス・バーンズは、近年立て続けに起こっている富豪の独身男性の死亡事件に疑念を抱いていた。独自で調査を進めた結果、一連の事件の裏にキャサリンという若い女が暗躍していることを知る。ニューヨークの出版王サム・ピーターセンは、キャサリンとの結婚後わずか4カ月で病死しており、その莫大な遺産は未亡人が相続した。新婚6カ月で死去したダラスの玩具王ベン・ダマーズの妻も、やはりキャサリンだった。彼女が金持ちの独身男性と次々に結婚し相手を殺害して巨万の富を得ていると踏んだアレックスは、身分を隠してキャサリンに接近する。



 ひところ我が国でもハヤった“後妻業の女”をネタにしており、こういう遣り口は古今東西絶えることは無いのだろうが、アメリカの上流社会が舞台になると関わる金銭の額もケタ外れだ。それだけターゲットになる側の警戒心は高く実行は容易ではないと想像するが、映画はそのあたりを適当にスルーしている。

 ボブ・ラフェルソンの演出はピリッとせず、展開は平板でサスペンスが醸成されない。後半、アレックスの正体に気付いたキャサリンが罠を仕掛け、相手を窮地に追い込んでいくのだが、ここもドラマティックな見せ場は用意されていない。ラストのドンデン返しも、ハッタリを利かせるのが上手い監督ならばもっと盛り上がったはずだ。

 ただし、主演にデブラ・ウィンガーとテレサ・ラッセルという、当時は“旬”の女優を持ってきたことで映画は何とか求心力を維持する。さらにはサミー・フレーにデニス・ホッパーといったクセ者男優が脇に控えているのも嬉しい。マイケル・スモールによる音楽も悪くないのだが、特筆すべきは名匠コンラッド・L・ホールによる撮影で、陰影を活かした清涼な映像はインパクトが強い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パーフェクト・ドライバー 成功確率100%の女」

2023-02-06 06:18:50 | 映画の感想(は行)
 (英題:SPECIAL DELIVERY)ジョン・カサヴェテス監督の「グロリア」(80年)に、あまりにも似ていることに驚いた。ならば“単なるモノマネ”なのかというと、それは違う。基本設定と展開こそ共通しているが、現時点で韓国映画においてこのネタを扱うだけの御膳立ては整えられている。作劇のテンポは良好で、各キャラクターも“立って”いる。楽しめる活劇編だ。

 釜山にある“ワケあり物件専門の配送会社”で働く凄腕ドライバーのチャン・ウナは、海外逃亡を図る野球賭博のブローカーとその幼い息子を、ソウルから釜山港まで送り届けるという仕事を引き受ける。ところが、掛け金の横取りを狙う悪徳警官によって依頼人は始末され、ウナは貸金庫の鍵を握りしめた残された息子だけを車に乗せる。悪徳警官側は猛追を開始するが、同時にウナの経歴に興味を持つ国家情報院も介入する。



 裏稼業に携わるヒロインが子供を押しつけられ、決死の脱出劇を繰り広げるという筋書きは「グロリア」と同じだ。ついでに言うと、一人暮らしで猫を飼っているという設定も一緒である。だが、「グロリア」の主人公が酸いも甘いも噛み分けた年増女であったのに対し、本作のヒロインは若い。その代わり、北朝鮮から亡命し、その際に家族をすべて失っているという設定を用意した。つまり、背負っているものは「グロリア」と同じぐらい重いのだ。そんな不遇な過去を持つウナが、柄にも無く子供と心を通わせていくプロセスは説得力がある。

 脚本も担当したパク・デミンの演出は闊達で、ドラマが滞ることはない。売り物のカーチェイス場面は密度が高く、入り組んだ釜山の裏通りを疾走するシークエンスはスピード感や段取りが練り上げられている。だが、残念ながらカーアクションは後半には出てこない。できれば終盤でもう一回派手なカークラッシュ場面を見せて欲しかった。

 主演のパク・ソダムは「パラサイト 半地下の家族」(2019年)での好演が記憶に新しいところだが、本作では見事な“小股の切れ上がったイイ女っぷり”を披露していて、思わず惹き付けられてしまう。聞けば健康面で不安を抱えた時期があったらしいが、今後も活躍して欲しい。ソン・セビョクにキム・ウィソン、ヨン・ウジン、ヨム・ヘラン、そして子役のチョン・ヒョンジュンなど、その他のキャストも好調だ。ホン・ジェシクによる撮影、ファン・サンジュンの音楽も申し分ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フラッグ・デイ 父を想う日」

2023-01-07 06:18:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:FLAG DAY)ショーン・ペンの、アメリカン・ニューシネマ的な“アンチ・ヒーロー”のスタイルを再認識できる作品。しかも今回は監督作として初めて自ら出演しており、実子を家族役としてキャスティングしているという念の入れようだ。思い入れの強さが窺え、それだけ見応えはある。ただし、万全の内容かというと、そうではない。

 1992年、全米を揺るがした大々的な偽札事件の主犯であるジョン・ヴォーゲルが、公判を目前にして逃亡。それを知った娘のジェニファーは、父親と過ごした日々を思い出す。典型的な山師で、一攫千金を目指して頻繁に無謀なビジネスに手を出していたジョン。そのために家を空けることが多く、たまに帰ってきたと思ったら、話の内容は事業の失敗と負債のみ。そのため妻は愛想を尽かして家を出る。



 そんなロクでもない父だが、ジェニファーは子供の頃から大好きだった。母親の再婚相手とは馴染まない彼女はそれからも苦難の人生を歩むが、節目にはいつも父の存在があった。ジャーナリストのジェニファー・ヴォーゲルが2005年に発表した回顧録の映画化だ。破滅型で権力や既存の価値観にとことん刃向かうジョンの造型は、いかにもショーン・ペンが好みそうなキャラクターではある。そんな父親に複雑な感情を抱きつつも慕っているジェニファーも、肉親に対する愛憎相半ばするスタンスを良く表現している。

 しかしよく考えると、ジェニファーの父親への“評価”は、結局は一緒に過ごした時間が普通の親子に比べて少ないことが大きいのではないか。たまにしか会えないから、ジョンは娘にいい顔を見せようとするし、ジェニファーは父の荒唐無稽な話に目を輝かせる。同じ屋根の下でずっと生活を共にしていれば、互いに納得できない部分が表面化する。

 もっともジェニファーは大人になった後に父の無軌道な所業を知るのだが、それでもジョンを否定しきれないのは子供の頃の思い出があるからだ。反面、ジョンの妻パティやジェニファーの弟ニックの内面が掘り下げられていないのは不満でもある。ショーン・ペンの演出はドラマ運びは手慣れているとはいえ、脚本に深みが足りないのでインパクトに欠ける。

 ジェニファーに扮するのはショーンの実娘ディラン・ペンで、かなり健闘している。ニック役も実の息子のホッパー・ジャック・ペンだ。ジョシュ・ブローリンにノーバート・レオ・バッツ、エディ・マーサン、キャサリン・ウィニックといった脇の面子は手堅い。だが、映画としては物足りない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ホワイト・ノイズ」

2023-01-06 06:31:40 | 映画の感想(は行)
 (原題:WHITE NOISE )2022年12月よりNetflixにて配信されているが、私は劇場での先行公開にて鑑賞した。監督が秀作「マリッジ・ストーリー」(2019年)のノア・バームバック、主演が同作でコンビを組んだアダム・ドライバーということで期待していたのだが、どうにも気勢の上がらない出来だ。変化球で攻めてきた題材を、何の工夫も無く受け流しているような感じで、評価するに値しない。

 おそらく時代設定は80年代前半。オハイオ州の大学に勤める教授のジャック・グラドニーは妻バベットと4人の子供と暮らしているが、実は夫婦共々複数の離婚歴があり、2人の間の実子は末っ子だけだ。ある日、町の近くで貨物列車の脱線転覆事故が発生。積んでいた有害化学物質が流出し、住民は避難を余儀なくされる。



 ジャックの一家もシェルターに身を寄せるが、それ以来彼は世の中に絶望して奇行に走り、避難騒ぎが終息してもマトモな生活を送れない。気が付けばバベットが怪しげなクスリを服用しており、ジャックはその真相を突き止めるべく奔走する。アメリカの個性派作家ドン・デリーロの同名小説の映画化だ。

 列車事故に伴う大規模な災厄が発生し、主人公一家がそれに巻き込まれて危機を突破しつつ家族との絆を再確認するとか、あるいは反対に修羅場に発展するとか、とにかく話がアクシデントを中心に進むはずだと誰でも思うだろうし、そっちの方がドラマとしてまとまりが良いはずだ。しかし、実際は事故云々は前半で尻切れトンボのまま放置され、バベットが所持しているドラッグにドラマの焦点が移り、そのまま最後までいくのかと思ったら、何やら同僚との微妙な関係とかがクローズアップされる。

 話があっちこっちに飛びまくり、まったく要領を得ない。別に展開がカオスであること自体が問題ではなく、上手くやってくれれば文句は無いのだが、そういう八方破れ的な作劇がサマになるのは、大風呂敷を平気で広げられるだけの才覚を持った一部の天才だけだ。残念ながらバームバックにその資質は無い。迷走の果てに奇を衒ったラストを見せられるに及び、時間を浪費したような愉快ならざる気分になった。

 主演のA・ドライバーは頑張ってはいるが、映画の中身がこの有様なので徒労に終わっている感がある。それにしても、彼の突き出た腹には苦笑してしまった。特殊メイクなのか、あるいは“肉体改造”なのかは知らないが、本作で印象的だったのはその点だけだ。妻役のグレタ・ガーウィグをはじめ、ドン・チードルにラフィー・キャシディ、ジョディ・ターナー=スミスら脇のキャストも精彩を欠く。ダニー・エルフマンの音楽は平均的な出来。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブラックアダム」

2023-01-01 06:07:56 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLACK ADAM)正直あまり期待していなかったのだが、実際観てみると面白い。深みは無いものの、単純明快で理屈抜きに楽しめる(ダーク)ヒーロー編だ。少なくとも、筋書きの帳尻合わせに多大な上映時間を費やした挙げ句に成果があがっていなかった「ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー」よりも、数段良心的な内容である。

 北アフリカのエジプト近くに太古の昔から存在していたカンダック国では、5千年前に時の王が大きな力を与えるといわれる“サバックの冠”を作るため、奴隷たちにその原料の鉱石“エテルニウム”を探す過酷な労働を強いていた。そんな中、奴隷の一人がエテルニウムを発見したことにより、反乱が勃発。当事者は異世界でシャザムの力を与えられ超人テス・アダムに変身し王を倒すが、そのまま彼は封印されてしまう。



 そして現代、5千年の眠りからテス・アダムは破壊神ブラックアダムとして復活する。圧倒的なパワーで暴れ回る彼を人類の脅威とみなした国際特殊機関JSA(ジャスティス・ソサイエティ・オブ・アメリカ)は、4人のヒーローをカンダックに派遣し事態の収拾を図る。

 ブラックアダムはDCコミックスが生み出したアンチヒーローだが、今まで映画に登場したことは無かった。JSAの4人のエージェントたちも初めて見る顔だ。ならば取っ付きにくい題材なのかというと、そうではない。ゼロからドラマを立ち上げる必要があるわけで、その分筋書を練り上げなければならない。結果として、この手の映画にありがちな“一見さんお断り”の姿勢が影を潜め、平易な展開に終始しているあたりは評価して良い。

 ブラックアダムの力は強大だが、ちゃんと弱点もある。敵役も“それなりの背景”を持っていて、誰でも納得できる。また、舞台を既存の先進国ではなく現在でも専制政治が行なわれている架空の発展途上国に設定したのも正解だ。これならば、多少浮世離れした筋立ても笑って済まされるだろう。

 ジャウム・コレット=セラの演出は才気走ったところは無いが、的確にドラマを進めている。アクション場面のアイデアは申し分なく、映像のキレも良い。そして何よりキャスティングが出色。主役のドウェイン・ジョンソンはあの面構えとガタイだけで十分な存在感を発揮しているし、オルディス・ホッジにノア・センティネオ、クインテッサ・スウィンデルといったJSAのメンバーに扮している面々も違和感は無い。

 そしてピアース・ブロスナンが儲け役。まさしく引退後のジェームズ・ボンドみたいな出で立ちだ。ラストには“あの人”が思わせぶりに登場するエピローグが付与されているが、DCコミックスの映画化自体の今後が不透明であることが伝えられており、素直に“これからも楽しみだ”と言えないのが辛いところだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母性」

2022-12-16 06:26:45 | 映画の感想(は行)
 まさか映画館で往年の“大映ドラマ”の類似品を見せられるとは予想もしていなかった。ただし、本作は昔の“大映ドラマ”ほど吹っ切れてはいない。そこまで開き直る度胸も根性も無いのだ。では何があるのかというと、サスペンス編あるいはシリアスな家族劇のような素振りを見せて、それを期待した観客を劇場に集めようという下心だろう。確かに、大芝居の連続であるブラックコメディという体裁では興行的に難しいが、だからといって看板に偽りありの姿勢が容認できるはずもない。

 鉄工所に勤める夫と結婚したルミ子は、森の中の一軒家で暮らし始める。やがて長女の清佳が生まれるが、ルミ子は何かと世話を焼いてくれる母親に完全に依存している。そんなある日、火災が発生して家は全焼。仕方なくはルミ子は清佳を連れて夫の実家に身を寄せるが、そこには横柄な義母が待ち構えていた。湊かなえの同名小説の映画化だ。

 宣伝には“女子高生が自宅の庭で死亡。事故か自殺か殺人か!”というような惹句が踊っていたが、それが作品の中身とほとんど関係が無いことは早々に明かされる。あとは親離れできないヒロインと、スネてしまったその娘、そしてお決まりの嫁姑の確執などが仰々しく展開されるのみだ。しかもその顛末にはリアリティが著しく欠如している。もちろん、タイトルにある母性の何たるかなど、まったくマジメに言及されていない。

 ならばマンガチックなやり取りで笑いを取ろうという作戦に出ればいいものを、作り手にはギャグのセンスが備わっていないようで、大半のネタが上滑りしている。くだらないモチーフの羅列の果てに、取って付けたような結末を迎えるという、まるで世の中をナメたような所業には閉口するのみだ。監督の廣木隆一は今年(2022年)だけで5本も撮っているという多作家だが、映画の密度はそれだけ薄くなっているようだ。製作側は、意欲はあるのに仕事にありつけない作家に職を回すべきではないのか。

 年齢が10歳ぐらいしか違わない戸田恵梨香と永野芽郁が親子役だったり、義母に扮した高畑淳子やルミ子の実母を演じた大地真央が失笑するようなオーバーアクトを見せたり、三浦誠己や中村ゆり、吹越満らが臭い演技を披露したりと、キャストも迷走気味。マトモなのはルミ子の義妹に扮した山下リオぐらいだ。とにかく、観る必要のない映画である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー」

2022-12-12 06:53:06 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLACK PANTHER: WAKANDA FOREVER)とにかく長い。最近、ハリウッド製の娯楽編の上映時間が軒並み延びる傾向にあるが、本作もそのトレンド(?)の中にあるのかもしれない。もちろんいくら尺が長くても中身が充実していれば言うことはないのだが、この映画に関してはどうにも評価出来ない。ネタを詰め込んでいる割には料理の仕方がイマイチだ。まあ、これは前作の主演チャドウィック・ボーズマンの早すぎる退場が影を落としていることは確かだろう。

 ワカンダの王であった超人ブランクパンサーことティ・チャラが病により命を落とし、彼の母であるラモンダが後を継ぐ。折しも国際社会はワカンダで産出される万能の鉱石ヴィブラニウムの保有を巡って紛糾し始めていた。欧米諸国はワカンダとは別に海底に埋蔵されているヴィブラニウムの採掘調査を開始するが、それが海の帝国タロカンの逆鱗に触れ、ワカンダおよび地上世界との紛争に発展する。ティ・チャラの妹シュリは、側近のオコエや若き科学者リリ・ウィリアムズらと共に事態の収拾に乗り出す。



 タカロンの親玉エムバクはおそろしく強く、兵士たちも不死身に近い。腕力だけに限れば、たぶんワカンダと国際社会が束になっても敵わないだろう。だが、斯様な勢力が数百年も前から存在していたことを、今まで地上の誰も知らなかったというのは、明らかにおかしい。この作品世界にはワカンダだけではなくアベンジャーズやエターナルズもいるはずで、そんな“ぽっと出”の団体が入り込む余地は無いはずだ(笑)。

 タカロンの連中はずっと海の中に潜んでいたためか(苦笑)、人質にはすぐに逃げられるし、陽動作戦には簡単に引っ掛かったりと、あまりスマートには見えない。そして何より、タカロンの造形が「アクアマン」や「アバター」の二番煎じに思えてしまうのは辛い。

 ワカンダ側の対応も褒められたものではなく、二代目のブラックパンサーが登場するまでのゴタゴタはハッキリ言ってどうでもいい。C・ボースマンの存在感が大きかったため、すぐさま代役を立てることが出来ず、二代目が出てくるまでの辻褄を無理に合わせようとして、上映時間だけが長くなってしまった。MCUではお馴染みのエンドクレジット後のシークエンスも、蛇足としか思えない。

 前回から続投のライアン・クーグラーの演出はパッとせず、アクション場面はハデな割に目を引くようなアイデアは見当たらない。レティーシャ・ライトにルピタ・ニョンゴ、ドミニク・ソーン、アンジェラ・バセット、そして敵役のウィンストン・デュークとキャストは皆健闘しているが、C・ボースマンの抜けた穴をカバーすることばかりに気を取られているようで愉快になれない。ルドウィグ・ゴランソンによる音楽は標準レベルだが、ラスト流れるリアーナの歌は良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする