元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「逃げきれた夢」

2023-06-26 06:08:01 | 映画の感想(な行)
 これは良かった。無愛想で洒落っ気もないエクステリアと起伏に乏しいドラマ運び。途中退場者がけっこう出そうな案配だったが、そういう事態にもならず最後まで密度の高さがキープされている。特に中年以上の年代の者に対しては、かなりアピールするのではないか。このような“大人の鑑賞に堪えうる作品”が、今の邦画界には必要なのだと改めて思う。

 北九州市の定時制高校で教頭を務めている末永周平は、定年まであと少しの時間を残すのみになった。ところが最近、記憶が薄れていく症状に見舞われている。元教え子の平賀南が働く定食屋を訪れた際も、勘定を済ませずに店を出てしまう。どうやら病状は思わしくないようで、数年後どうなっているか分からない。気が付けば妻の彰子や娘の由真との仲は冷え切り、旧友の石田とも疎遠になっている。周平は自身の人間関係を今一度仕切り直そうと、自分なりに行動を始める。



 主人公が抱える病気に関して、映画は殊更大仰に扱ったりしない。もちろん、お涙頂戴路線とも無縁だ。病を得たことは、単に自身の境遇を見直す切っ掛けに過ぎない。人間、誰しも年齢を重ねると自分の人生がこれで良かったのかという疑念に駆られることはあるだろう。彼の場合は、それが病気の発覚であっただけの話だ。

 周平は斯様な事態に直面しても、決してイレギュラーな行動に及ばないあたりが共感度が高い。黒澤明の「生きる」の主人公のようなヒロイックな存在とは縁遠いが、それだけ普遍性は高い。粛々と仕事をこなし、家族と敢えて向き合い、友人と旧交を温める。他に何も必要は無いし、何も出来はしない。

 それでも、唯一自分の境遇を打ち明けた南との“逢引き”の場面で心情を吐露するくだりは胸を突かれる。南も屈託を抱えているが、かつての恩師と膝を突き合わせることにより、自身の置かれた立場を認識することが出来る。これが商業デビュー作になった二ノ宮隆太郎の演出は、徹底したストイックな語り口を35ミリ・スタンダードの画面で自在に展開するあたり、かなりの実力を垣間見せる。ラストの処置も鮮やかだ。

 12年ぶりに単独主演を務める光石研のパフォーマンスは万全で、この年代の男が背負う悲哀を的確に表現している。石田を演じる松重豊との“オヤジ臭い会話”は絶品だし、妻に扮する坂井真紀と娘役の工藤遥の仕事ぶりも言うことなし。特筆すべきは南に扮する吉本実憂で、この若い女優はいつからこのような高い演技力を会得したのかと、感心するしかなかった。

 オール北九州市ロケで、主要登場人物は地元出身者中心。遠慮会釈無く方言も飛び交う(笑)。だが、いわゆる“御当地映画”の枠を超えた訴求力を持ち合わせている。なお、第76回カンヌ国際映画祭ACID部門に出品されているが、是枝裕和監督の「怪物」よりも、質的には本作がコンペティション部門のノミネートに相応しいと思った。
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「ナイブズ・アウト:グラス・オニオン」

2023-06-09 06:11:48 | 映画の感想(な行)

 (原題:GLASS ONION:A KNIVES OUT MYSTERY)2022年12月よりNetflixより配信。シリーズ第二作とのことだが、前作は観ていない。ただし、それで大きく困ることはなさそうだ。ライアン・ジョンソン監督がオリジナル脚本で描いたミステリー。とはいえ随分と緩めの建て付けであり、サスペンスの要素は希薄で、卓越したトリックも見当たらない。ならば観る価値は無いのかというと、そうでもない。これは多彩なキャスティングとロケ地の風景をリラックスして堪能するためのシャシンだ。

 コロナ禍が世界を覆いロックダウンが相次いだ2020年、IT企業のCEOで大富豪のマイルズ・ブロンは、エーゲ海にあるプライベート・アイランドに友人たちを招待し、そこで殺人ミステリーゲームを開催しようとする。ところが声を掛けた覚えの無い元ビジネスパートナーのアンディ・ブランドと、名探偵のブノワ・ブランも勝手にやって来る。やがて本当に出席者の一人が殺され、ゲームではないリアルな事件が展開する。

 この島に集まったのは全員が腹に一物ある面子で、いずれも動機がある。だからアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」のように犠牲者が大量に出るのかと思ったら、そうはならない。殺人の手口は凝ったものではなく、謎解きの興趣は期待できない。そもそも、映画が始まったときから誰が一番怪しいのか目星は付く。映画は途中からブノワ・ブランとアンディがどうしてパーティに参加することになったのかが明かされるが、この時点から物語の底は割れてしまう。

 ライアン・ジョンソンの演出は完全に脱力系で、ラストの扱いも腰砕けだ。しかしながら、それで別に腹も立たない。ブノワに扮するダニエル・クレイグは実に楽しそうにこの傍若無人な探偵を演じており、ジェームズ・ボンドよりもこういう役柄の方が合っている。マイルズを演じるエドワード・ノートンは胡散臭さマックスだし、アンディ役のジャネール・モネイも魅力的。

 キャスリン・ハーンにマデリン・クライン、ケイト・ハドソン、デイヴ・バウティスタに加え、イーサン・ホークにヒュー・グラント、セリーナ・ウィリアムズ、ヨーヨー・マ、ジョセフ・ゴードン=レヴィット(声の出演のみ)、アンジェラ・ランズベリー(これが遺作)といった賑々しい面子が場を盛り上げる。ギリシアの避暑地ポルトヘリの風景は美しく、観光気分満点だ。ネイサン・ジョンソンの音楽も悪くない。
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「長崎の郵便配達」

2022-09-03 06:55:31 | 映画の感想(な行)
 肌触りの良い映画で、反戦平和のメッセージも頷けるのだが、困ったことに(?)私が本作を観て一番印象に残ったのは長崎の町並みである。前にも書いたが、私は福岡県出身ながら子供の頃から転勤族だった親に連れられて各地を転々としている。長崎市は幼少時に3年あまりを過ごしたが、とても思い出深い地だ。坂の多い港町で、異国情緒があふれていることはよく知られているが、個人的には大らかで開放的な地域性が気に入っていた。特に、古くから異文化との交流が盛んなせいか、排他的な風潮がほとんど無いのが有り難かった。

 この映画は「ローマの休日」のモデルになったと言われるイギリスのタウンゼンド大佐と、長崎で被ばくした少年との交流を中心的なモチーフに設定し、大佐の娘で女優のイザベル・タウンゼンドが家族と一緒に2018年に長崎を訪れ、父親の著書とボイスメモを頼りに父とその少年との思いを追体験するという筋書きで進む。



 監督はドキュメンタリー作品には定評のある川瀬美香で、戦争の惨禍をリアルに強調するような描写は控え、タウンゼンド大佐と少年との関係性を丹念に追っているのは好感が持てる。そして大佐と娘イザベルとの確執を追い込むような方向には作劇を振らせない。イザベルの家族の描き方もあっさりしたものだ。しかしながら、彼女が父親の思慮深い別の面を発見したり、戦時中の出来事を題材にした演劇の監修を引き受けたりと、ドラマとして盛り上がる箇所も網羅されている。

 映し出される長崎の風景はどれも味わい深いが、個人的には昔私が住んでいた地域が出てきたのには感激した。周りの建造物はあれからほとんど建て替わっているが、“そういえば、この道をこう行けばあの通りに出るんだった”とか“この路地を曲がればクラスメートの家に行き着いたものだ”とかいった思い出がよみがえり、何とも甘酸っぱい気分に浸ることが出来た。音楽は橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」(2008年)などで知られる明星/Akeboshiが担当しており、ここでも流麗なスコアを提供している。
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「ナワリヌイ」

2022-08-29 06:20:56 | 映画の感想(な行)
 (原題:NAVALNY )現時点では必見の作品だと思う。題材は世界情勢を俯瞰する上で欠かせないものであり、しかも映画として実に良く出来ている。ドキュメンタリーではあるが娯楽作品としてのテイストも持ち合わせているほどだ。

 ロシアの反体制派の活動家アレクセイ・アナトーリエヴィチ・ナワリヌイは、2007年に民主主義政党“ヤブロコ”を除名処分になった後、弁護士の肩書を利用して政府や大企業の不正を次々と暴いてゆき、政界にも進出する。政権側は彼を最大の敵と見做し、不当な逮捕を繰り返す。そして2020年8月、ナワリヌイは西シベリアのトムスクから旅客機でモスクワに向かう途中で何者かに毒物を盛られ、昏睡状態に陥る。ベルリンの病院に避難し奇跡的に一命を取り留めた彼は、自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す。



 反体制の急先鋒であったナワリヌイが、政府当局から目をつけられて危うく消されそうになるプロセスは社会派サスペンスの装いだが、さらに興味深いのは危機を脱してから逆襲に転じるくだりである。彼はイギリスに本拠を置く調査報道機関“ベリングキャット”のスタッフと共闘。いわゆる“オープンソース・インベスティゲーション”の手法を駆使して、真実を突き止める。特に、関係者に成りすまして容疑者の一人をトラップに嵌めるパートなど、並みのスパイ映画が裸足で逃げ出すほどのサスペンスを醸成させている。

 妻のユリヤをはじめとする親族や、志を同じくする仲間と目標に向かって突き進む彼の雄姿を見ていると、さらに悪化した現在のロシア情勢を何とか打開する道があるのではないかと、淡い希望を持ったりする。国威高揚のため隣国に戦争を仕掛けたプーチンの支持率は高いが、劇中で描かれたように少なくない数のナワリヌイの支持者たちが存在するのも事実。今は彼は逆境にあるが、希望を捨ててはならないと、強く思う。

 ダニエル・ロアーの演出は小気味良く、98分という短めの尺も相まって、強い印象を残す。マリウス・デ・ブリーズによる音楽も効果的。なお、ナワリヌイは2022年2月から始まったロシアのウクライナ侵攻を厳しく批判している。もしも彼のような者がロシアの指導者になれば、世界はもっと明るくなるかもしれない。
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「任侠学園」

2022-08-12 06:52:59 | 映画の感想(な行)

 2019年作品。いかにもお手軽な映画で、マジメに対峙するとバカを見るが(笑)、割り切って楽しむのにはちょうど良い。単純すぎる筋書きは、濃いキャスティングがある程度カバーしてくれる。小ネタを入れすぎの感はあるものの、この程度ならば“愛嬌”で済ませられるだろう。

 東京の下町を根城に活動する昔気質のヤクザの阿岐本組は、構成員6人の弱小勢力ではあるが、社会奉仕をモットーに地元密着型の組織を目指していた。上部組織の高木組組長の葬儀の際、親分の阿岐本雄蔵は兄弟分の永神組組長から、経営不振の高校の運営を押し付けられてしまう。若頭の日村ら組員は嫌々ながらも学校に足を運んでみるが、そこに待ち受けていたのは、やる気の無い生徒たちと仕事に身が入らない教師たちだった。

 しかも、最近では夜中に校内の窓ガラスが割られるなど、不祥事も目立っている。それでも何とか学校の雰囲気を変えようと奮闘する日村たちだったが、どうやら高校の立地に関する利権で“その筋”の連中が暗躍していることが分かってくる。今野敏の人気小説「任侠」シリーズの映画化だ。

 今どき、義理と人情を重んじる昔ながらのヤクザなどまず存在しないだろうし、そんな彼らが学校の経営を任されるというのも絵空事だ。舞台になる高校は規模が大きそうなのだが、なぜか阿岐本組に対応する教師は校長以下数人だけだし、生徒たちも10人程度しか顔を出さない。敵対する組織は半グレ主体のチンピラ集団だし、裏で進行する陰謀とやらも大したことはない。

 斯様に作劇が安普請の建付けながらも、何とか最後まで観ていられたのは、作品のカラーが明るく余計な重さが無いからだ。話は都合よく展開して組員と学校側は上手くやっていくし、生徒たちの屈託も深刻なものではない。そして西田敏行に西島秀俊、伊藤淳史、池田鉄洋、光石研、中尾彬、生瀬勝久、高木ブー(ワンポイントのお笑い担当)といった場違いとも思える手堅いキャストがドラマを支えてくれる。

 木村ひさしの演出は細かいギャグを詰め込もうとして進行が滞る傾向はあるが、概ね納得できる仕事ぶりだ。ヒロイン役の葵わかなは悪くないが、朝ドラの主演を務めたキャリアもありながら、映画ではあまり仕事が回ってこないのは残念である。東京スカパラダイスオーケストラによる主題歌は及第点。
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「ナイトメア・アリー」

2022-05-27 06:19:37 | 映画の感想(な行)
 (原題:NIGHTMARE ALLEY )前半はまあまあ面白い。しかし後半になると不自然な展開が目立ち始め、終わってみれば要領を得ないシャシンでしかない。この監督(ギレルモ・デル・トロ)に筋の通ったストーリーを期待する方がおかしいが、本作にはそれをカバーするだけの映像の喚起力も無い。一応アカデミー賞候補だったので観てみたが、本来スルーしても良いレベルだ。

 大恐慌下のアメリカ。オクラホマ州の片田舎から出てきた“訳ありの男”スタン・カーライルは、流れ着いた土地で人間か獣か正体不明な生き物を出し物にする怪しげなカーニバルの一座と遭遇する。そこで読心術の技を身に着けた彼は、一座のメンバーである若い女モリーと共に別の土地で“超能力者”としての興行を始める。持ち前の洞察力とカリスマ性で一躍売れっ子になるが、心理学者のリリス・リッターがデカい仕事を持ち掛けたことから、思いがけない事態に追い込まれていく。ウィリアム・リンゼイ・グレシャムのよる同名小説の映画化で、1947年製作の「悪魔の往く町」のリメイクである。

 超能力なんてものは絵空事で、スタンは綿密に仕込んだネタと卓越した観察力でそれらしく見せているだけだ。それでも彼に神性があると勘違いした者は後を絶たず、スタンの絶好のカモになる。そのカラクリを描く中盤までの展開はけっこう興味深く見せる。特に、リリスの持つバッグの中身を当てるシークエンスは鮮やかだ。

 しかしながら、大富豪をインチキな芝居でだまそうとする後半の成り行きは、無理筋の連続である。いくら昔の話でも、こんな安っぽい段取りで海千山千の成金を手玉に取ることなんか、出来るはずがない。前半の一座の“獣人”のモチーフを終盤にも持ち出すことにより、最初と終わりが円環構造になるという作者の自己満足が、イヤミに思えるほど作りがワザとらしい。

 リリスを簡単に信じてしまうスタンの浅はかさにも脱力するし、そもそも経済恐慌から第二次大戦へと移行する時代背景がドラマとほとんど絡んでいかないのは失策だろう。また、スタンの過去である父親との確執も十分に描かれることはない。デル・トロの演出はテンポが悪く、気が付いてみれば2時間半という不用意に長い尺になってしまった。

 それでもキャストは健闘していて、主役のブラッドリー・クーパーはなかなかの熱演。ケイト・ブランシェットも悪女ぶりを発揮するし、ルーニー・マーラは相変わらず可愛い。トニ・コレットにウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、ロン・パールマン、デイヴィッド・ストラザーンといった脇の面子も悪くないと思う。だが、話自体が低調なので高評価は差し控えたい。
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「猫は逃げた」

2022-04-09 06:13:53 | 映画の感想(な行)
 先日観た「愛なのに」とは監督と脚本が交代しての一作。共通点は複数の男女による面倒くさい恋愛関係を描いていること、および猫が出てくることだが、出来としては「愛なのに」より落ちる。いくら演出が達者でも、肝心の筋書き(シナリオ)が冴えなかったら映画のクォリティは上がらないのだ。また、キャスティングも弱体気味である。

 漫画家の町田亜子と夫で週刊誌記者の広重は離婚寸前。亜子は出版社の担当者の俊也と懇ろになっており、広重は同僚の真美子とよろしくやっている。いわば互いに納得しての協議離婚になるはずだった。しかし、飼い猫のカンタ(♂)をどちらが引き取るかで揉めていた。そんな中、カンタが“家出”してしまう。当初は隣家のメス猫とじゃれ合っているだけだと思われたが、どこを探しても見つからない。一方、真実子と俊也は偶然カンタを拾ったことで知り合い、意気投合してしまう。



 冒頭、広重が離婚届に押印しようとしたら、いきなりカンタが“乱入”して離婚届の上でオシッコをしてしまうという寸劇が展開されるが、何だか面白くない。これは要するに、納得の上での離婚と思わせて、実は別れることに躊躇しているという図式がミエミエなのだ。しかも、そのことを猫の失踪に無理矢理結びつけようとしている。斯様に思慮の浅い登場人物たちが並んでいること自体、観ていて気勢が上がらない。

 真実子と俊也に関しても同様で、作者は猫にかこつけて無理に仲良くさせようとしているだけ。動物におんぶに抱っこの作劇では、求心力に欠ける。しかも、本作は「愛なのに」とは異なり、もつれた関係にリアリティを持たせるようなモチーフが存在しない。何となく始まって、何となく収まるところに収まったという、芸の無い話が披露されるのみだ。

 今泉力哉の演出は、ラスト近くの長回しに代表されるように頑張ってはいるのだが、城定秀夫による脚本はイマイチである。もっと意外性を出して欲しい。毎熊克哉と井之脇海の男性陣は役を小器用にこなしている次元に留まり、山本奈衣瑠と手島実優は諸肌脱いで健闘しているのだが、痩せぎすの身体では観ていてソソらない(笑)。伊藤俊介や中村久美、芹澤興人といった脇の面子の方がまだ興味を持たせる演技をしている。平見優子の撮影と菅原慎一による音楽も、大して印象に残らず。
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「ニンゲン合格」

2022-01-21 06:25:33 | 映画の感想(な行)
 99年作品。黒沢清監督作としては、いわゆる“ワケの分からない作風”が横溢していた時期のシャシンだ。当時観たときは面食らったものだが、今から考えると、これはひょっとしたら奥が深い映画ではないかと思ったりする。それは本作が撮られた時期が大いに関係しており、映画は時代を映す鏡だという定説を、改めて認識できる。

 14歳の時に交通事故に遭って昏睡状態が続いていた吉井豊は、10年ぶりに目を覚ます。ところが彼の目の前にいたのは家族ではなく、藤森という見知らぬ中年男だった。どうやら藤森は豊の父の友人らしく、バラバラになった豊の家族に代わって彼を見守ってきたのだ。藤森と一緒に元の家に帰った豊だが、10年間のブランクを埋めるため手始めにかつての友人たちと会う。しかし当然のことながら話がかみ合わず、気まずい思いをするばかりだった。



 そんなある日、一頭の馬が豊の家に迷い込んでくる。実は吉井家は昔ポニー牧場を経営していたのだ。その馬を引き取った豊は、牧場を再開すれば家族が戻るはずだと思い込む。そして妹の千鶴や母の幸子と再会するのだが、家族が元に戻ることはなかった。そんな中、父親の乗った船が沈没したというニュースを豊は知ることになる。

 製作された99年は、バブルの崩壊が完全に露わになり日本は本格的に低迷期に入る時分だ。その中で主人公は10年前の好景気の頃に意識を失い、目覚めれば世界は(悪い方向に)変わり果てていた。不景気のため、皆自分のことだけで精一杯。人間関係は希薄になり、長い間眠っていた豊のことなど、家族は今更顧みることも無い。それどころか、吉井家よりも酷い境遇に陥っていた件の交通事故の加害者である室田は、ヤケを起こして豊たちに八つ当たりする始末だ。

 脚本も担当した黒沢の演出は起伏が無く、いきなり馬が現れるなどの不自然なモチーフも目立つ。しかしながら、これは10年間眠っていた主人公がまだ現実を認識することができない朦朧とした状態を象徴していると考えれば、まあ納得する。またそれによって、豊を取り巻く者たちの退廃ぶりがリアルに映し出されているとも言える。

 豊に扮しているのは当時若手だった西島秀俊で、かなり繊細な演技をしており好印象だ。黒沢監督とよくコンビを組む役所広司も、さすがのトリックスターぶりを披露している。菅田俊やりりィ、麻生久美子、哀川翔、大杉漣、洞口依子、諏訪太朗といった脇の面子もなかなか濃い。
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「ニューヨーク東8番街の奇跡」

2021-12-24 06:33:07 | 映画の感想(な行)
 (原題:Batteries not Included)87年作品。随分長い間、これはクリスマスを題材にした映画だと思い込んでいた。しかし、ネット上でストーリーをチェックすると、季節がクリスマスと設定されている記事は無い。そう、確か本作が封切られたのが年末だったので、クリスマス・ストーリーだと勘違いしていたのだ。しかしながら、いかにもクリスマスの奇跡を想起させるようなハートウォーミングなSFファンタジーであることは確かである。

 再開発が進むニューヨークの下町。イーストサイドの最も古いアパートも取り壊しが決まっていたが、住民たちは立ち退きに反対していた。その一室に住む、亡くなった息子がまだ生きていると信じている老女フェイを長年世話していた夫のフランクは、年を取って疲れ果てていた。そんなある日、2体の小型のUFOがアパートに飛来してくる。



 それらは円盤型の機械生物で、2体は“夫婦”らしい。アパートの屋上に居候を決め込んだ2体の間に、3体の“子供”が生まれる。だが、そのうち1体は動かない。管理人のハリーはテレビの部品でその1体に“修理”を施し、回復させる。それが切っ掛けになり住民たちとUFOたちとの交流が始まるが、地上げをたくらむ悪徳不動産屋は、フランクたちを追い出すために強硬手段に打って出る。

 もちろん話自体はあり得ないのだが、主要登場人物が脳天気な若造なんかではなく、人生も終わりに近付いた老人ばかりなので、リアリティ云々を言い募るより先に、しみじみとした味わいが出ている。そして円盤生物のデザインが秀逸で、機械仕掛けなのに実にチャーミングだ。アパートの住人たちにとっては、子供か孫のような存在になる。

 善良なまま人生を送っていれば、最後にはこのような“奇跡”に遭遇してもおかしくないという、作者のポジティヴな姿勢が嬉しい。ラストの大仕掛けは御都合主義ながら、登場人物たちの笑顔を見ていると、こちらもホッとしてしまう。マシュー・ロビンスの演出はソツがなく、中盤以降に展開する活劇めいたシーンも難なくこなしている。ただし、これは製作総指揮に参加しているスピルバーグの意向も大きかったと思われる。

 ジェシカ・タンディやヒューム・クローニン、エリザベス・ペーニャ、マイケル・カーマインといったキャストも堅実だ。ジョン・マクファーソンのカメラによるニューヨークの下町風景は印象的で、ジェームズ・ホーナーの音楽がドラマを盛り上げてくれる。
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「逃げた女」

2021-08-13 06:29:26 | 映画の感想(な行)
 (英題:THE WOMAN WHO RAN )興味深い映画だ。ドラマらしいドラマはなく、淡々とヒロインの行動が映し出されるだけだが、その裏には一筋縄ではいかない葛藤や人間関係の危うさが潜んでいる。作品の手触りとしてはフランス映画を思わせるが、韓国映画でもこういうテイストのシャシンが現れたということは実に印象的だ。2020年の第70回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞している。

 主人公ガミは結婚して5年間、夫と一度も離れたことがなかった。あるとき夫は長期の出張に出掛け、その間に彼女はソウル郊外に住む友人たちに会いに行く。年上のヨンスンは面倒見が良いが、離婚してルームメイトと一緒に暮らしている。先輩のスヨンは屈託無く独身生活を謳歌しているようだった。また偶然再会した旧友のウジンは、過去にガミとの間に何かあったらしい。監督を務めたホ・サンスのオリジナル脚本による。



 ガミの夫は“愛する人とは何があっても一緒にいるべきだ”という意見の持ち主らしく、ガミもその言葉を繰り返すのだが、彼女はもはやそれを信じていないのは明らかだ。自身と違う生き方をしている3人の友人を目の当たりにして、果たして自分はこれで良かったのかという思いがガミの胸中に渦巻く。

 面白いのは、友人たちはガミの境遇とは異なるものの、決して幸せな人生を送っているわけではないこと。ヨンスンの隣人に対する木で鼻をくくったような態度、スヨンのあまり中身があるとは思えない物言い、ウジンの潤いの無さそうな日常と、それぞれが満たされていない日々を送っている。だが、それでもガミは“別の生き方があるのではないか”と思ってしまうのだ。

 それはひとえに、ガミが“夫との生活は大切なものだ”と思い込もうとしているからである。いくら自分が円満な夫婦生活を維持したいと思っても、状況は一日で変わる。そんな人間関係の危うさを、声高なセリフの応酬やケレン味たっぷりのエピソードを抜きにしてシッカリと描ききるホ・サンスの演出力はかなりのものだ。

 監督と私生活でもパートナーであるキム・ミニの内省的な演技には感心するし、友人たちを演じるソ・ヨンファにソン・ソンミ、キム・セビョクらも好調だ。清澄な映像に加えて77分という短い尺も効果的で、今年度のアジア映画の収穫の一つである。
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