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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ラブレス」

2018-05-07 06:20:11 | 映画の感想(ら行)

 (英題:LOVELESS)題名通り、愛無き人々の悲しき“生態”を容赦なく描き、観る者を粛然とさせる。しかも、決して暴露趣味一辺倒の作劇ではなく、この八方塞がりの状態に対する効果的な“処方箋”をも暗示しているあたりポイントが高い。今の時代にこそ観るべき秀作だ。

 モスクワの大手企業で働くボリス(アレクセイ・ロズィン)と、美容院を経営する妻ジェーニャ(マルヤーナ・スピヴァク)は離婚協議中だ。2人の仲はとっくの昔に冷え切っており、それぞれ別に愛人がいて、ボリスに至ってはパートナーとの間にもうすぐ子供が生まれる。ただし、ボリスとジェーニャの間には12歳の一人息子アレクセイがおり、通常は2人のうちいずれかが親権を持つことになるのだが、正直どちらもアレクセイを邪魔な存在としか思っていない。

 ある日、朝学校に出掛けたはずのアレクセイが行方不明になってしまう。成り行き上、ボリスとジェーニャは息子を探さなければならない。だが、警察はただでさえ多い失踪者にいちいち構っているヒマはなく、まったくアテにならない。手をこまねいているうちに、時間ばかりが過ぎてゆく。

 “愛の反対は憎しみではなく、無関心である”と言ったのはマザーテレサだが、まさしく本作には冷えたコンクリートの塊のような重く巨大な“無関心”が横たわっている。ボリスとジェーニャは離婚寸前とはいっても、本当は最初から愛情なんか存在せず、アレクセイが出来てしまったので仕方なく結婚したのだ。

 ボリスの周囲の人々、特に職場の同僚は他人の噂話ばかりするが、実は当人達に興味なんて無いし、ボリス自身もまったく関心を持たない。ジェーニャはボリスを罵倒する時以外はSNSにハマっていてロクに会話もせず、彼女の愛人は家庭を捨てることを恥とも思っていないし、母親は完全なる社会的不適合者だ。こんな夫婦が上手くいくわけがなく、間に挟まれたアレクセイは泣くことしか出来ない(観ているこちらも泣きたくなる)。

 2人は息子を探してはみるものの、内心ではこのまま子供が消えてしまえばいいと思っている。また、ボリスとジェーニャは今後新しい相手と生活しても、いずれは似たような事態に遭遇することは目に見えているのだ。そして、この大いなる悪徳である“無関心”の集合形態が国際的な事件として表現される終盤の処置は、まさに身を切られるようなインパクトをもたらす。

 そんな冷え冷えとした状況にあって、捜索を買って出るボランティア・グループの活躍は一種の救いになっている。彼らは一銭の報酬も受け取らず、警察よりも数段上の組織力とノウハウを持ち、システマティックかつ人道的に事に当たる。愛情が枯れ果てた世の中にあって、現状を打破するのはこういう無私の精神であると言わんばかりだ。

 アンドレイ・ズビャギンツェフの演出は求心力が高く、最後まで目を離せない。彼としても「父、帰る」(2003年)に並ぶ業績であろう。登場人物達の心象を表すような、しんしんと降り積もる雪の情景。ミハイル・クリチマンのカメラによる映像は素晴らしい。エフゲニー・ガリペリンの音楽も要チェック。今年度のヨーロッパ映画の収穫だ。
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「リメンバー・ミー」

2018-04-07 06:26:50 | 映画の感想(ら行)

 (原題:COCO)良いところもあるのだが、釈然としない部分が大きく、全体としては“中の下”の出来だ。少なくとも、アカデミー賞を獲得するほどの作品とは思えない。もっとも、彼の国では劇場用長編アニメーションの本数自体が多くないと思われるので、主要アワードは大手製作プロダクションの“持ち回り”なのかもしれない。

 主人公は、メキシコの田舎町サンタ・セシリアに住む12歳の少年ミゲル。彼の家では、音楽は禁止されていた。ミゲルの高祖父にあたる人物が、ミュージシャンに専念するため妻子を捨てたという過去があるからだ。しかしミゲルは音楽が大好き。往年の大歌手エルネスト・デラクルスに憧れ、将来は音楽家として世に出ようと思っていた。

 年に一度先祖が会いに来るという“死者の日”に、ミゲルは音楽コンテストに出ようとするが、自前のギターは祖母に壊されてしまった。そこでデラクルスの遺品のギターを拝借しようとするが、その瞬間、彼は死者の国に迷い込んでしまう。日の出までに先祖に許しを請い、承諾を得なければ元の世界に戻れなくなる。ひょっとするとデラクルスが自分の先祖ではないかと思い当たったミゲルは、彼を探すため冒険の旅に出る。

 きらびやかな死者の国の描写や、ミゲルの生い立ちが明かされる部分、そして音楽を通じて主人公が家族と和解するあたりの段取りは上手い。そして音楽そのものの使い方も万全だ(字幕版で観て良かったと思う)。しかしながら、出てくる連中の大半がガイコツだというのは、正直言って気色が悪い。まあ、メキシコの“死者の日”のシンボルがガイコツなので仕方が無いのかもしれないが、私としては生理的に受け容れがたい。

 そして最大の難点は、死者を思い出してくれる生者がいなくなってしまうと、死者の国から消滅してしまうという設定だ。これはかなりキツい。いくら惜しまれて亡くなっても、よほどの有名人でもない限り、当人を覚えている者がずっと存在しているわけではない。いつかは消滅する運命だ。つまり、この作品世界では亡者は2度の“死”を体験しなければならず、しかも2回目の“死”は“無”に帰すのだ。それはあまりにも理不尽ではないか。

 ならば身寄りの無い者や誰にも看取られないまま世を去った者は、死者の国にも行けず、魂は直ちに抹消されてしまうということか。そんな救いの無いシチュエーションを差し置いて、家族愛ばかりを謳い上げるのは、実に空々しいと思う。

 リー・アンクリッチとエイドリアン・モリーナの演出はテンポが良く、各キャラクターも“立って”いるのだが、作品の設定が斯くの如しなので評価するわけにはいかない。
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「ラブレター」

2018-03-25 06:19:30 | 映画の感想(ら行)
 81年作品。にっかつがロマンポルノ10周年記念として製作したもので、スタッフ・キャスト共、成人映画ではなく主に一般映画の枠から起用されている。そのためポルノ映画としてのテイストが薄く、効果的な宣伝も相まって普段は成人映画館に足を運ばない観客を動員し、異例のヒット作になったということだ。だが、出来自体は褒められるレベルには達していない。

 有名詩人の小田都志春は、家族がありながら34歳もの年齢差がある加納有子を愛人として囲っていた。都志春は忙しくてあまり有子に会えないが、その短い逢瀬では二人の愛欲は燃え上がる。やがて彼は妻の介護に専念して、有子とはほとんど会わないようになる。だが、決して彼女を蔑ろにしているわけではなく、有子が知り合いの夫と話しているのを見かけただけで、嫉妬に狂ったりする。



 都志春の気まぐれな行動はエスカレートし、有子と籍を入れたり抜いたりとやりたい放題。さすがに有子も精神のバランスを崩し、入院させられてしまう。詩人の金子光晴と若い愛人との、長きにわたる関係を取材した江森陽弘のノンフィクション作品の映画化だ。

 いくらでも扇情的に盛り上げられるネタながら、監督の東陽一が成人映画のスキームをあまり理解していないためか、どうも印象は平面的である。かと思うと、都志春の本妻が絡むエピソード等は変に生々しいタッチを見せる。ただそれは決して“リアリティがある”というプラスの意味ではなく、単に“見せなくてもいい場面に付き合わされた”という不快感が先行する。

 主人公たちが互いに“トシ兄ちゃん”“ウサギ”と呼び合って子供っぽく振る舞うのも、痛々しくて愉快になれない。山のない展開に終始した後、ラストの愁嘆場を思い入れたっぷりに見せられても、観ている側は鼻白むばかりだ。脚本に田中陽造、撮影に川上皓市という手練れを起用しているにも関わらず、ヴォルテージが上がることはなかった。

 関根恵子(現・高橋惠子)と中村嘉葎雄の演技には、特筆すべきものはない。加賀まりこや仲谷昇といった脇のキャストもパッとせず。なお、封切時の併映は「モア・セクシー 獣のようにもう一度」(加藤彰監督、畑中葉子主演)というものだったらしいが、私は(たぶん)観ていないと思う。あるいは、観ていたけど覚えていないだけかもしれないが・・・・(^^;)。
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「レオン」

2018-03-12 06:33:50 | 映画の感想(ら行)

 ベタな設定のお手軽なドタバタ劇なから、意外にも楽しめた。どんなに題材が陳腐でも、脚本やキャスティング等に手を抜かずにキッチリとやれば良い結果に繋がる。1時間40分と上映時間が短めなのもポイントが高い。

 創業30年になる食品会社・朝比奈フーズの経理課に勤務する玲音は、地味で冴えない派遣OL。ある日、会社役員の子供がコネ入社するために要員を空ける必要が生じ、彼女はリストラされてしまう。一方、社長の朝比奈玲男はやり手だが、無類の女好きで超ワンマン。そんな彼が車を運転中に身体に異常を感じ、オフィスから出てきた玲音と接触事故を起こす。だが、玲男が気が付くと、玲音と内面が入れ替わっていた。

 病院を抜け出して会社まで辿り着くが、当然のことながら自分が社長だとは誰も信じてくれない。しかし転んでもタダでは起きない彼は、いまだ意識が戻らない社長(中身は玲音)の代理である甥の副社長・政夫の秘書として会社に潜り込むことに成功。やがて会社乗っ取りを企む勢力の存在が明らかになってくる。

 観る前は“今さら入れ替わりネタか?”と胡散臭い印象を持っていたのだが、本作は力業でねじ伏せるべく、堂々と「転校生」や「君の名は。」といった同じ仕掛けの映画のパロディまでやってのけている。また、それが単なる“開き直り”に終わっていない。

 玲音(中身は玲男)と若手社員の一条との(イレギュラーな)ロマンスや、友人のサリナとの珍妙なやり取り、果てはヒロインの出生の秘密なんてのも挿入され、矢継ぎ早にモチーフを繰り出すことによって題材のマンネリ化を巧妙に回避している。食品会社を舞台にしているだけあって、料理関連のネタを網羅しているのも悪くない。塚本連平の演出はテンポが良く、悪ノリも下品にならないギリギリのところで堪えている。

 そして本作の最大の“収穫”は、主演女優の知英の存在感だ。玲男に扮しているのが竹中直人なので、当然コメディ場面は彼が主に受け持つと予想していたが、何と実際は観客の笑いを多く誘っているのは知英の方である。役柄と同じく、本当にオヤジが中に入っているのではないかと思うほど、吹っ切れた演技。それに表情がとても豊かで、身体のキレも良い。少なくとも同じ事務所の桐谷美玲や桜庭ななみよりも、数段面白い素材である。これからもずっと日本で仕事をして欲しいものだ。

 他にもプレイボーイの税理士をあざとく演じる山崎育三郎や、大政絢、吉沢亮、斉藤慎二、ミッツ・マングローブ、河井青葉など、個性的なキャスト陣がそれぞれ持ち味を発揮している。すべてが丸く収まったと思ったら、またもやトラブルが起こりそうな幕切れ(まあ、予想は付いていたけど)も含めて、鑑賞後の満足度は決して低くない。
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「ローズの秘密の頁(ページ)」

2018-03-03 06:30:25 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE SECRET SCRIPTURE)舞台背景はリアルであるにも関わらず、無理筋の展開が目立ち、愉快になれない。先日観た「THE PROMISE 君への誓い」も歴史的バックグラウンドはシビアながら、扱っているネタがメロドラマなので大時代な筋書きも許されたが、本作は正攻法の人間ドラマを狙っていたのだから、もっと脚本を詰めるべきだった。

 80年代のアイルランド。精神科担当のグリーン医師は、取り壊し予定のロスコモン州の精神病院から転院する患者たちを診察していた。その中に、赤ん坊殺しの罪で精神障害者として約40年も病院に収容されている老女ローズがいた。彼女は罪を否認し続け、愛用の聖書のページに密かに日記を書き続けていた。病棟の移転当日に最後まで居残ったローズから、グリーンは身の上話を聞くことになる。

 かつての夫であるマイケルとの短くも幸せな日々、そして突然襲った不幸で彼女の人生が暗転したこと、そしてグリーン自身も無関係ではいられない重大な秘密が明らかになる。セバスチャン・バリーによる小説(翻訳版未発行)の映画化だ。

 英国軍のパイロットとして従軍したマイケルが乗った軍用機が撃墜され、それまで住んでいた村に“偶然に”不時着するという噴飯物のエピソードをはじめ、入院させられたローズが脱出し、冷たい海水を泳いで浜に着いたら出産したという乱暴なプロットなど、御都合主義が散見される。極めつけはラストの“オチ”で、まさに牽強付会の最たるものだ。

 戦時中のイギリスとアイルランドの確執および宗教対立、封建的な土地柄で神父さえも信用ならないという閉塞した状況など、その時代の空気感は上手く出ているのだと思う。だが、そんな逆境を前提条件にすればヒロイン達は何をやっても許されると言わんばかりの製作スタンスには、鼻白む思いである。ジム・シェリダンの演出は「マイ・レフトフット」(89年)や「父の祈りを」(93年)といった初期の作品と比べると、パワーが感じられず平板だ。

 それでも、ローズを演じるヴァネッサ・レッドグレイヴとルーニー・マーラのパフォーマンスは評価できる。特にマーラはアメリカ人ながら、ヨーロッパの女優にしか見えないほどのしっとりとした雰囲気を醸し出していて絶品だ。グリーン医師に扮するエリック・バナやマイケル役のジャック・レイナーも味わい深い演技だ。ミハイル・クリチマンのカメラによる美しい映像と、ブライアン・バーンの音楽も申し分ない。それだけに、練られていないシナリオとメリハリを欠く展開は残念だ。
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「ルージュの手紙」

2018-01-27 06:31:08 | 映画の感想(ら行)

 (原題:SAGE FEMME)脚本があまり上等ではなく、筋書きの不備が散見される。ただ、キャストの演技と存在感でさほど退屈せずスクリーンに対峙できた。やはり映画において“スター”の占める割合は大きいのだろう。

 パリ郊外のモントレ=ラ=ジョリーの町に暮らす中年女性クレールは、助産婦として働きながら、女手ひとつで息子を育てあげてきた。この仕事に誇りを持っていたが、勤務先の病院が経営不振で閉鎖されることが決まり、自身の今後について悩んでいた。そんなある日、1本の電話が入る。その相手は、30年前に突如姿を消した血の繋がらない母、ベアトリスだった。彼女は父親の後妻で、奔放な生き方を貫いた挙げ句に家を出ていた。クレールの父は、ベアトリスがいなくなった事に耐えられず、自ら命を絶ってしまったのだ。

 かつてのパートナーの死も知らずに気ままな生活を長年送り、ここにきて“かつてのダンナに会いたい”という突然の連絡を義理の娘に入れるベアトリスに、クレールは困惑するばかり。だが、ベアトリスは難病を患っていて、余命幾ばくもない可能性があることが分かってくる。クレールは彼女に同情しつつも、相変わらず無軌道な言動をやめない彼女に手を焼く。そんなクレールの前に気になる男性が現れ、彼女の境遇も変わっていく。

 ベアトリスのキャラクターには納得出来ない。昔は好き勝手に振る舞い、やがて突然家を出る。そして30年も経った後、伴侶に会いたいとクレールに連絡を付けるが、相手が自分のために死んだことも知らない。自身の寿命があと僅かかもしれないという不安はあるが、気侭な生活はそのままだ。

 ならばクレールに感情移入が出来るのかというと、そうでもない。プライドを持って仕事に臨んでいることは分かるが、病院がもうすぐ無くなるにも関わらず、今の医療の有り様に疑問を持っているとのことで、再就職の活動もしない。それでは、自身のスキルが世の中に活かせないではないか。やがて重い腰を上げて求人を行っている職場を訪問してみるが、そこは絵に描いたようなハイテク(?)病院で、彼女は嫌気がさしてしまう。いくら医療テクノロジーが進歩しているとはいえ、熟練したスタッフを蔑ろにしている病院があるとは信じがたい。また、いつ発作を起こすか分からないベアトリスに自動車の運転をさせるシーンも愉快になれない。

 こうした要領を得ない展開の果てに、思わせぶりなラストが待っている。マルタン・プロヴォの演出は平板で、これでは評価出来ない。ただし、ベアトリス役のカトリーヌ・ドヌーヴが放つオーラは大したものだと思う。彼女が出てくるだけでパッと画面が明るくなるようだ。やっぱり“スター”は凄い。

 クレールに分するカトリーヌ・フロも、この年代の女性らしい慎み深さと、内に秘めたしたたかさを感じさせる妙演だ。クレールの交際相手を演じるオリヴィエ・グルメもイイ味を出している。それにしても、この邦題は終盤の小道具に由来しているとはいえ、往年のヒット曲のタイトルに似ていて紛らわしい(笑)。
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「リーサル・ウェポン3」

2017-12-24 06:47:27 | 映画の感想(ら行)
 (原題:LETHAL WEAPON 3 )92年作品。人気シリーズの3作目だが、主人公のリッグス刑事のキャラクターが1作目(87年)に比べて激変しているのには驚いてしまう。

 最初は彼はマーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」(76年)の主人公のような超危険人物で、その破滅願望は周囲はもちろん自分自身も消し去ってしまうようなヤバさだった。ところが1作目の終盤では同僚達の“友情パワー(?)”で真人間に近付き、2作目(89年)では色恋沙汰も交えて社会復帰が完了。本作では絵に描いたような脳天気キャラに徹している。ハッキリ言って、これではマイケル・ベイ監督の「バッドボーイズ」シリーズと変わらない。



 今回の敵役は街のならず者達に武器を横流ししている元警官、というチンケな野郎どもである。第1作の麻薬シンジケートや、第2作の南アフリカ政府の破壊工作部隊といった大物と比べれば、明らかに見劣りする。こういう小物は所轄の捜査員に任せておけば良いはずなのだが、なぜかリッグスと相棒のマータフ刑事が出動し、ロスアンジェルス市内の社会的インフラに壊滅的なダメージを与えてしまう。

 ストーリー運びは行き当たりばったりで、前作の胡散臭いキャラクターであるレオ・ゲッツも意味なく顔を出す。主人公2人とは別に捜査を進めているケバい女刑事が登場するが、プロット上で効果的だとは思えない。まあ、当然のことながらリッグスと懇ろになるという設定なのだが、それならそうで合理的な設定が必要かと思う。

 リチャード・ドナーの演出は覇気が無く、アクションシーンも派手だが大味。主役のメル・ギブソン御大をはじめダニー・グローヴァー、ジョー・ペシといった顔ぶれにも新味が無い。ただし、レネ・ルッソ扮する女刑事が主人公と互いの身体の傷を見せ合って服を脱いでいく・・・・という展開だけは面白い(別の映画でも使えそうなネタだ)。

 なお。撮影監督はヤン・デ・ボンが担当。映像の切り取り方にはソツが無い。彼がカメラマンに専念した仕事は(今のところ)これが最後で、以後は演出家として活動することになる。
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「レジェンド 光と闇の伝説」

2017-12-15 06:37:01 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Legend)85年作品(日本公開は87年)。映画の内容よりも、作品を取り巻く裏の状況の方が面白い。日本での封切りが遅れたのも、それと無関係ではないのかも。とにかく“珍作”であることは確かだろう。

 大古の世界。王女リリーは美しい2頭のユニコーンに魅せられ、思わずその角に触ってしまう。だが、それはタブーとされている行為だった。たちまち1頭のユニコーンが倒れ、世界は呪いをかけられてしまう。そこに闇の魔王が出現し、リリーを掠う。彼女と懇意にしていた野性の青年ジャックは、妖精仲間と共にリリーの救出に乗り出す。

 はっきり言って、私はファンタジーものが嫌いである。どこの世界とも知れない舞台背景で、文字通り浮き世離れしたキャラクターが動き回るという、全然ピンと来ない御膳立て。しかも、話が絵空事であることを“免罪符”にするかのごとく、脚本がいい加減なケースも珍しくはない。本作も、やたら(見た目は)賑やかな面子が出てくるが、ストーリーは単調で盛り上がりに欠ける。終盤の処理など、御都合主義もいいところだ。当時脂がのっていたはずのリドリー・スコットの演出とも思えない。

 主演は何とトム・クルーズで、その頃は売り出し中であったのは確かだが、全然似合わない役柄だ。ただし、リリー役のミア・サラは魅力的。魔王に扮するティム・カリーも怪演だ。ロブ・ボーティンによる特殊メイクの見事さは言うまでもない。

 さて、この映画には2つのヴァージョンがある。日本でも公開された“国際版”と、本国仕様の“アメリカ公開版”である。何が違うかといえば、前者の音楽担当がジェリー・ゴールドスミス、後者がなぜか(ゴールドスミスに内緒で)タンジェリン・ドリームのサウンドが付けられていたというのだ。以後、スコットとゴールドスミスの仲は険悪となり、泥仕合が続いたらしい。スコットは映像面では突出した才能を持っていたが、音楽に関しては無頓着であったことが窺える。なお、日本公開版は1時間半程度だったが、現在は2時間弱の完全版がDVD化されている(私は見ていないが ^^;)。
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「ラン・ローラ・ラン」

2017-07-16 06:41:51 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Lola Rennt)98年ドイツ作品。上映時間が81分で、まさに“一発芸”みたいな映画だが、楽しめた。監督・脚本は当時は若手だったトム・ティクヴァで、後年の冗長な仕事ぶりとは異なるキレの良い演出を見せる。

 午前11時4分、ベルリンに住むローラの部屋の電話が鳴る。ヤクザの裏金の運び屋をしている恋人マニからで、10万マルクを電車の中に置き忘れたという。20分以内に金を都合しなければ、ボスに消されてしまうらしい。彼女はまず銀行頭取の父親の元に行って金の無心を依頼するが、愛人と密会中の父親はそれどころではない。仕方なくマニと待ち合わせる場所に行き、一緒に強盗を働こうとするが、警察隊に囲まれて撃たれてしまう。

 すると映画は冒頭まで巻き戻され、ローラがマニの電話を受けるところから再開する。今度は父親を人質に銀行強盗を働くが、マニの方が不幸な目に遭ってしまう。再度映画は冒頭に戻るのだが、果たして“三度目の正直”でローラは上手く金を手に入れることが出来るのだろうか。

 作者の“単なる思い付き”みたいな題材をそのまま映画にしてしまうと鼻白むものだが、本作はいろいろなアイデアが詰め込まれており、退屈しない。同じシチュエーションでもエピソードの積み上げ方によって別々の結末に導くことが出来るという、映画手法のテキストにも使えるシャシンだ。

 何より、フランカ・ポテンテ扮するヒロインが街中を走り回るシーンが基調になり、作劇にスピード感を与えている(彼女の走る姿は美しい)。効果的に挿入されるアニメーションや、「ブリキの太鼓」のパロディなど、小ネタも充実している。特筆すべきはティクヴァとジョニー・クリメック、ラインホールド・ハイルによる音楽で、リズミカルでカッコ良い出来だ。

 F・ポテンテはその後「ジェイソン・ボーン」シリーズなどで広く名前が知られるようになるが、インパクトとしてはこの映画デビュー作を超えるものはないと思う。共演のモーリッツ・ブライプトロイのダメ男ぶりも良い。
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「ラテンアメリカ 光と影の詩」

2017-07-02 06:35:00 | 映画の感想(ら行)
 (原題:El Viaje)92年作品。監督は「タンゴ ガルデルの亡命」(85年)「スール、その先は・・・愛」(88年)で知られるアルゼンチンの異能フェナンド・E・ソラナス。軍事政権に抵抗してアルゼンチン南部からペルーに逃れた父親を追って南米大陸を縦断する少年を描くロード・ムービーだ。祖国へのオマージュを前衛的手法と独特の映像美でコラージュしてきたソラナスだが、ここでは明確なストーリーを追っているためか珍しくわかりやすい。ただし“ソラナス作品としては”という注釈付きではあるが・・・・。

 主人公はマゼラン海峡を渡りパタゴニアへ。そこではイギリスの石油資本が土地を半植民地化している様子が描かれる。そしてブエノスアイレスへ行くが、洪水で水没している。そこでチリからの亡命者と会い、独裁政治退陣後も逼迫している国情を訴える。ボリビアからペルーへ。悲惨としか言いようのない貧困の中にいる住民の姿が映し出され、次に行くブラジルでは対外債務で首が回らない国家情勢が、パナマではアメリカとの戦争で疲弊しきった国情が描かれる。まさに地獄めぐりのロード・ムービーだ。



 ソラナス監督得意のシュールな画作りは健在だ。水没した街に暮らす人々や、廃虚のような学校でプロパガンダ教育を受ける学生たち、国民に拘束帯を付けるように訴えるテレビ、ジャングルの中で微笑む美少女、主人公の父親(作家でもある)が描く物語に登場する英雄がアニメーションとなって画面にあらわれるetc.

 この技法は凡百の作家が使うと意図するものがミエミエになってシラけるところだが、切迫した作者の確信犯ぶりは観客の冷笑的な態度を許さない。なぜなら、ここに描かれることは(多少の誇張はあれ)すべて事実であるからだ。ラテンアメリカほど西欧列強(古い言葉だな)の蹂躙と搾取を強いられている場所はないのである。

 ペルー奥地には未だに奴隷制同然の労働環境が存在すること、アルゼンチンが借金のカタに領土を切り売りしていること、そしてアメリカのパナマ介入の真相だ。この政治的フィルムを少年の成長をからめたロード・ムービー仕立てにしたのは正解で、さわやかな青春映画の雰囲気が重苦しい題材を中和し、誰にでも楽しめる娯楽作に仕上がった。ただ、反動勢力は気に入らなかったらしく、映画の公開後ソラナスは暗殺未遂に遭っている。ロベルト・マシオのカメラが捉える茫洋とした南米の大地は強いインパクトを残す。アストル・ピアソラの音楽が美しさの限りだ。
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