goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「屋根裏の散歩者」

2007-07-27 06:48:59 | 映画の感想(や行)
 三原光尋監督による4回目の映画化作品が先ごろ公開されたが(私は未見)、今回紹介するのは92年に作られた3回目の映画化である。面白いのは、公開当初2つのヴァージョンが存在したこと。“一般公開ヴァージョン”と“インターナショナル・ヴァージョン”である。さてどこが違うかというと、一般公開版はR指定、対して私が観た方は成人指定なのである。つまりエッチな場面が長いということだが、正直言って“この程度?”といったレベル。単なる話題作りだったようだ(爆)。

 御存知江戸川乱歩の原作を映画化したのは実相寺昭雄監督。昭和初頭の東京の下町で、下宿屋に住む青年(三上博史)が退屈のあまり屋根裏を利用した完全犯罪を考える。犯行は成功したかに見えたが、同じ下宿の住人である明智小五郎(嶋田久作)に見破られる、というストーリー。

 実相寺監督作品は好事家の間では評価が高いが、私はあまり買わない(テレビドラマ演出作では面白いものもあるが)。鼻につくケレン味やハッタリめいた田舎芝居風演技が目立ち、胃にもたれてくるのである。

 でも、この作品に限っては臭みがよく抑えられており、あまり気分を害さずにすんだ。大時代なセリフ回しや凝りまくったカメラワークもほどほどで、ちょいとSMかがった場面もサラッと流している。キャスティング面では明智役の嶋田がいい雰囲気を出している。少し考えると三上と役を逆にした方がよいような気がするが、意外性の勝利といったところだ。宮崎ますみ扮する狂女が出てきたときには、ちょっとヤバイと思ったものの、演技を暴走させてなくてホッとした。

 しかし、観客はわがままなもので、あまりマトモだと物足りなくなってくるのだ。やはり主人公の内面の狂気のえぐり出し方が足りない。過剰なナレーションでごまかしているのがミエミエである。そして何より、屋根裏の造形が不満だ。暗くうっそうとした、それでいて人間の暗い欲望を暗示させる凶々しい魅力をたたえた場所にしてほしかった。意味なく明るいのも困りものだ。

 この原作は過去に70年と76年に映画化されているが、興味深いのは76年の田中登監督版だ。日活ロマンポルノの一本として作られたものだが、キネマ旬報のベストテンにも入ってるし、スチール写真見ただけでその異常性と耽美性がうかがえる。機会があれば観たいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「酔っぱらった馬の時間」

2007-06-28 22:14:31 | 映画の感想(や行)
 (原題:Zamani Baraye Masti Asbha )2000年作品。イラクとの国境に近いクルド人の村を舞台に、親に先立たれた兄弟たちの苦難の日々を描く、世界初の「クルド人を主人公にしたクルド語の映画」で、監督はイランの新鋭バフマン・ゴバディ。本作によりカンヌ国際映画祭のカメラドール賞を受賞している。

 日本で公開された多くのイラン映画がそうであるように、この作品も素人を中心としたキャスティングでドキュメンタリー・タッチの作劇を狙っているが、切迫度においては目を見張るものがある。ひとえにこれは現実のクルド人が置かれている境遇の厳しさが画面の隅々にまで緊張感を横溢させているからだろう。生活のために国境を越えて危険な密輸に荷担する一家の次男や、意に添わない結婚を強いられる長女の哀しい運命が、作り事の範疇を超えて観る者の胸に迫ってくる。

 もちろん「映画の題材」と「映画の内容(出来不出来)」は別物であり、どんなにホットな素材を選んでも作り手の工夫がなければ評価には結びつかないのだが、この映画では一家の長兄を身障者にして超然としたキャラクターを付与させているところや、終盤の国境越えの映像的サスペンス等、映画的な興趣もちゃんと織り込んでいるのが素晴らしい。

 タイトルの「酔っぱらった馬」とは、密輸業者たちが荷役用のラバに酒を飲ませて寒さをしのぐところから取られている。警備兵に追われて逃げようとしても、主人公の連れていたラバは酔い潰れて歩けない。この雪の舞い散る荒涼とした大地をバックにしたクライマックスの愁嘆場は圧巻だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「善き人のためのソナタ」

2007-03-28 06:42:26 | 映画の感想(や行)

 (原題:DAS LEBEN DER ANDEREN )本年度の米アカデミー外国語映画賞を獲得したドイツ作品。東西冷戦時代の東ドイツを舞台に、シュタージ(国家保安局)の局員(ウルリッヒ・ミューエ好演)が劇作家とその恋人を盗聴するうちに、今までに触れた事のない自由な世界を知ってゆくようになる過程を描く、若手のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督作。

 ベテランのシュタージのエージェントである主人公は盗聴なんてそれ以前にいくらでもやっていたはずだし、いくら今回の対象がアーティストであろうと、過去に“西側的な自由な空気”を漂わせたターゲットに接したことは何度もあったと予想できる。なのにどうしてこのケースに限って本人の心は動いたのか。そこが十分描けていないことが本作の弱点である。

 ただし、それ以外の部分についてはこのキャラクターは実によく描けていると思う。謹厳実直とは聞こえが良いが、要するに組織に盲目的に依存している無能者だ。しかも彼は他人を信用しない・・・・というか、人間というものが分かっていない。前半、彼がシュターデの若手局員たちに尋問のプロセスを蕩々と解説するシーンは他人を“物”扱いして恥とも思わない彼の虚無的な内面が表現される。

 当然、彼はいい年をして独身。時折馴染みの売春婦に性的処理をお願いするあたりも寒々とした雰囲気だ。非人間的な国家体制のためにこういう人間が生まれた・・・・というより、もともと非人間的なキャラクターだったからこそ旧東側の閉塞的な社会に合っていたとも言える。

 秀逸なラストシーンは語り草になるだろうが、それよりも終盤、ベルリンの壁崩壊後の彼の身の振り方は印象深いものがある。劇作家との関係というイレギュラーな事態は作者から勝手に与えられた“アクシデント”に過ぎないと言わんばかりの有様には、マゾヒスティックな感慨さえ覚えてしまった。

 それにしても、冷静時代のシュターデの所業について逐一記録が残されており、当事者はそれを自由に閲覧できるという事実には驚いた。いかのあの時代が旧東側諸国の国民に影を落としているかを痛感する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ユメ十夜」

2007-02-07 06:40:10 | 映画の感想(や行)

 豪華スタッフ・キャストを揃えての10本のオムニバス。最近原作を読み返したが、やっぱり夏目漱石作品の映画化は難しいということを実感した。

 真正面から正攻法でぶつかっていったのは実相寺昭雄による「第一夜」ぐらい。市川崑による「第二夜」はサイレントにすることにより、巧妙に夏目作品との“格闘”を避けているように思えた(そこが老獪さなのであるが ^^;)。「第七夜」を天野喜孝と河原真明によるアニメーションにしたところはナイス・アイデアだ。

 しかし、あとの作品はどうも作者の気負いが空回りしているように見える。いつもはオリジナル脚本で勝負する西川美和の「第九夜」にいたっては、題材そのものが足かせになっているようで居心地が悪いことこの上もない。もっともホラー色が強い「第三夜」はこの分野が得意であるはずの清水崇が担当していながら、まったく盛り上がらないのには困った。山下敦弘の「第八夜」は、いったい何をやりたかったのかさっぱり分からない(もちろん、原作とも懸け離れている)。

 で、空回りした挙げ句に“脱輪”して開き直ったのが松尾スズキによる「第六夜」。運慶が仁王像を彫り出すという、含蓄に富んだ原作を、見事なおちゃらけにしてしまった。踊る運慶と、見物人の2ちゃねらー(爆)。意味のない英語字幕とヤケクソとしか思えないオチは、さすが「恋の門」でハチャメチャを極めた感のある松尾監督だ。

 全体的に要領を得ない出来とはいえ、こういう企画は悪くはない。少なくとも「Jam Films」シリーズみたいな漫然としたオムニバスよりは、コンセプトがしっかりしている分、楽しめる。欲を言えば、もっと早い時期に製作してもらいたかった。実相寺と市川に加え、今村昌平や石井輝男、黒木和雄に深作欣二といった巨匠達が健在な時に、こういう企画を担当させたら、どんなにか面白かっただろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「八つ墓村」

2007-01-11 08:41:58 | 映画の感想(や行)
 96年作品。「犬神家の一族」は未見だが、 市川崑監督は90年代にも横溝正史作品を一度映画化しており、それが本作。

 つまんない映画だ。まず、過去に2度映画化され何回もTVドラマになり、劇画にもなったこの題材を撮り直す必然がまるでない。だいたい原作は横溝正史の作品の中でもミステリーという観点ではランクが落ちる。しかも、今回は謎ときに何も新しい解釈が加えられておらず、元ネタをなぞるにとどまっているため、犯人は観る前から分かったも同然。原作読んでいなくてもカンの鋭い人なら始まって10分足らずで事件の概要がつかめてしまうだろう。

 それではこの題材のもう一つの興味である伝奇的おどろおどろしさは表現されていたか。これもダメだ。77年版(野村芳太郎監督)の敵ではなく、表面的なコケおどかしに終始するだけだ。

 ならばキャスティングは、演技面ではどうか。実はこれが一番面白くない。豊川悦司の金田一は誰が考えたか知らないが、こんな中身のないキャラクターが画面の真ん中にいること自体腹が立つ。アッと驚く推理も見せず、やることなすこと後手後手で(ま、原作がそうだからしょうがないが)、口に出るのは勿体ぶった講釈ばかり。見かけだけのデクノボーだ。重要なキャラクターである浅野ゆう子にいたっては“お前は単なる狂言廻しかっ!”と言いたくなるほど実体感がなく、説明的セリフの洪水には呆れ果ててしまう。一人三役の岸部一徳も本気で演技していないし、高橋和也や萬田久子は昼メロ程度の仕事しかやっていない。岸田今日子の一人二役ハイヴィジョン合成演技はただの“余興”としか思えず、加藤武の“よし、わかった!”も何を今さらという感じだ。まあまあ印象に残ったのは喜多嶋舞のパッパラ演技ぐらいか。

 公開中の「犬神家の一族」はいずれ観る予定だが、あれも本作と同じく昔ながらの手法を踏襲しているらしいし。あまり期待できないかもしれない・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ユージュアル・サスペクツ」

2006-12-06 06:53:38 | 映画の感想(や行)
 (原題:The Usual Suspects)95年作品。カルフォルニアのある港で多数の死者を出す貨物船の爆破事件が起こる。生存者は2名。しかし、警察当局は裏に国際的な犯罪組織が噛んでいる可能性を指摘。事件の6週間前、関税違反容疑で捕まった5人の前科者がいた。証拠不十分から釈放された彼らは強盗団として結束し、謎の大物ギャング、カイザー・ソゼの計画に乗ることになる。それはソゼに敵対する南米の麻薬組織の船を爆破することだったのだが・・・・。アカデミー賞2部門を制した話題作だ。

 公開当時のポスターに“だまされますか、見破りますか”とのキャッチフレーズがある通り、これはヒネった脚本で観客に事件の真相を考えさせるような“コン・ゲーム”の要素を持つクライム・サスペンスだ。ただ残念ながら、筋書き自体はちょっと映画を見慣れたファン、あるいは推理小説のフリークにとっては物足りないだろう。

 第一に、本編が事件の生存者であるヴァーバル(ケヴィン・スペイシー)の警察署での自供に沿って展開することがすでに“クサい”と思わせるし、劇中に出てくる“コバヤシ”という弁護士がイギリス人(ピート・ポスルスウェイト)だったりする出鱈目さから、ほぼネタが割れてしまう。さらに“意外な真犯人”が明らかになるラストがこういう処理になっていては、いくら大物ギャングとはいえ、この後すぐに国際指名手配されて捕まるに決まっている。こんなツメの甘い脚本がオスカーを取るようじゃ、アカデミー賞のレベルも知れたものだ。

 それでは観る価値はないかというと、そんなことはない。これは役者を見る映画だからだ。身体障害者でニヒルな詐欺師、かつ奇妙なセクシーさを漂わせるスペイシーの演技は圧巻だ。汚職警官で筋金入りのワルであるディーンに扮するガブリエル・バーンも渋い。家宅侵入のプロを演じるスティーヴン・ボールドウィンの青臭さは捨て難いし(ボールドウィン兄弟の中では一番見所あるかも?)、爆弾テロリストのケヴィン・ポラックとヤクザのベニチオ・デル・トロはアクの強さで画面をさらう。警察側のチャズ・パルミンテリやダン・ヘダヤもいいし、ポスルスウェイトのクセ者ぶりはピカイチである。個性派勢ぞろいのキャストの演技合戦だけで入場料のモトは取れてしまうのだ。

 インディ系の監督ならではの思い切った役者起用だ。監督は当時29歳のブライアン・シンガー。今は大作も手掛ける中堅どころになった彼の出世作だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜のピクニック」

2006-10-30 06:42:20 | 映画の感想(や行)

 全校生徒が徹夜で80キロを歩ききるという茨城県の某高校でのイベントをネタにした映画だが、かなり昔に似たような学校行事をテーマにしたNHKのドキュメンタリー番組を見たことがある。最初から優勝を目指して飛ばす者、ウケを狙ってビリの座を手中に収めようという者(ビリといっても、制限時間内の最終走者なので、けっこう難しい ^^;)、嫌々ながら参加する者etc.いろいろな人間模様が交錯してなかなか面白く見た。

 私も高校時代、80キロにはとても及ばないが、体育授業の一環として25キロを歩かされた経験がある。最初は全員ふざけたような雰囲気があったが、10キロ過ぎたあたりから皆表情が引きつってくる。特に給水ポイントが遠い区間になると、頭が少々ハイになったのか、おかしな行動に出る者が続出(笑)、教師も生徒も誰もそれを注意するでもなし、ただボーッと眺めるだけだった。

 目的地の駅に着くと、皆人目もはばからずホームに大の字になって寝転がるばかり。もう二度とやるものかと思った。でも、その時の田園地帯を照らす夕陽の美しさは今でもハッキリと覚えている(しかし、その日から間をおかず15キロのロードレース大会も開催されている。まったくサドみたいな学校だった ^^;)。

 さて、私のことはこれぐらいにして、映画の感想を述べることにしよう・・・・と思ったが、この作品については、具体的にどこがどうというコメントはしたくない。高校生のじゃれ合いを漫然と映しただけの、ほとんど観る者をバカにしたシャシンである。テレビドラマでもこれよりマシなものが出来るだろう。こんなクズみたいなものをカネ取って劇場で見せようなんて、ふてえ了見だ。なお、観客は日曜日だというのに私を入れてわずか5人だった(爆)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やわらかい生活」

2006-10-20 06:47:43 | 映画の感想(や行)

 廣木隆一監督で主演が寺島しのぶだから、観る前は「ヴァイブレータ」の続編みたいな鬱陶しいシャシンではと思ったが少し違った。やはり絲山秋子の原作が大きくモノを言っているのだろう。本作の元ネタ「イッツ・オンリー・トーク」は読んでいないが、芥川賞を受賞した「沖で待つ」の読後感と同様、無理のない落ち着いた雰囲気が感じられる一本だ。

 寺島演じるヒロインは両親の死をきっかけに躁鬱病になり、一流企業を退社。両親の死亡保険金で細々と暮らしている。そんな彼女は出会い系サイトで知り合った中年男と“お下劣プレイ”に励んだり、大学時代の男友達(今は街の政治家)から性的不能を告白されたり、引っ越し先の下町の風景をブログに載せたことにより、鬱病の若いヤクザと知り合ったりと、何やかやとあるようで、実は何もない“からっぽの日々”を送っている。

 だが、同じく“ゆるゆるの生活”に明け暮れる「かもめ食堂」の登場人物達と決定的に違うのは、すぐ近くに“マトモな生活”がいくらでも存在していること、そして主人公が完全に逃げていないことだ。

 カミさんに愛想を尽かされた従兄(豊川悦司)もヒロインと同類で、人生を投げているように見えて他者との関係を再構築しようと藻掻いている。“自分探しの過程を描いている”との評もあるようだが、それは違う。彼女はとっくの昔に“自分”をつかんでいて、それが心の病でいったんバラバラになっただけだ。映画はそれをひとつひとつ拾い集める様子を丹念に描く。ひどく後ろ向きのようで、実は前向きという玄妙なタッチを荒井晴彦の脚本はうまく表現している。

 ただし、ラスト近くの展開は不満。作者の悪い意味でのケレンが感じられて愉快になれない。もっと素直に終わって欲しかった。あと、トヨエツの博多弁は気合いが入っていない。カッコつけないで精進すべきだったね(爆)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゆれる」

2006-10-07 08:07:53 | 映画の感想(や行)

 新進女流監督・西川美和の第二作は、デビュー作「蛇イチゴ」と同じく兄弟(前回は兄妹だったが ^^;)の葛藤を取り上げ、相変わらずの人間観察力を見せつける。

 東京で気鋭のフォトグラファーとして優雅な生活を送る二枚目の弟と、山梨の片田舎で家業のガソリンスタンドを継ぎ、気難しい老父と暮らす風采の上がらない兄。弟には自分だけ成功したという負い目が、兄には如才ない弟へのコンプレックスが渦巻いている。そんな二人が法事で再会し、それに幼なじみの女が絡んできたことで事件の幕が上がる。

 渓谷の吊り橋から転落死した女は事故だったのか、それとも他殺か。映画は黒澤明の「羅生門」のように、複数の事件関係者の証言によって多面的な展開を見せるが、「羅生門」とは違い真相をラスト近くに披露する。ただしそれは実際的な事件の真相が明かされるカタルシスよりも、よりいっそう登場人物達の内面の屈託の奥深さを垣間見せるトリガーになり、観賞後の感銘度を押し上げる効果をもたらす。

 スリリングな裁判シーンや沈んだ過疎の町の描出等、西川監督の仕事の確かさが光る。弟役のオダギリジョーにとってはキャリアを代表する演技になるだろうし、人生を放り投げてしまったような暗さを漂わせる香川照之も絶品だ。伊武雅刀や真木よう子ら、脇のキャストもスキがない。本年度を代表する秀作だと思う。

 しかし、オリジナル脚本も手掛けたこの女性監督の、若さに似合わない力量が、今後すべてにプラスにはたらくかどうかは未知数だ。なぜなら、前作と同じ兄弟ネタ(しかも今回は父親の兄も登場してのダブル仕様)で、またしてもボケ老人が出てくるし、ラストもああいう扱いで、要するに“題材を見切ってしまった余裕”みたいなものが感じられるからだ。これはヘタをすればマンネリ化と紙一重。いかにして多様な切り口を見つけていくかが今後の課題だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヨコハマメリー」

2006-10-06 06:44:34 | 映画の感想(や行)

 どうもよく分からない映画である。私は90年代半ばあたりまでに横浜界隈に出没したという白塗りの老娼婦“メリーさん”のことなど何も知らない。もちろん、横浜の街自体に特別な思い入れなどない。そんな当方のスタンスとは関係なく、映画は“戦後の横浜歓楽街の移り変わり”を当時の関係者の証言を元に淡々と提示するのみ。

 別に面白いエピソードが聞けるわけでも、社会に対する明確なメッセージがあるわけでもない。ただ思い出話を流しているだけである。監督は本作がデビューとなる30歳の中村高寛だが、いったい何を考えてこのドキュメンタリー映画を作ったのか不明だ。

 また、重要なキャラクターとして“メリーさん”と親しかったシャンソン歌手の永登元次郎が出てくるが、彼を“主人公”にした方がよっぽど面白いものに仕上がっただろう。作劇のポイントを見出していない印象を受ける。

 個人的に思い入れのある素材を漫然と追うことしか出来ないのなら、劇場でカネ取って見せる必要はない。

 あと腹が立ったのが、全編デジカム撮りの薄汚い画面で、その上(劇場側の配慮不足かもしれないが)画面サイズが合っておらず、テロップさえハミ出している箇所が散見されたこと。これは“商品”としての映画の体裁が取れていない“粗悪品”である。

 とにかく、横浜の街と“メリーさん”に興味のある者以外はお呼びではないシャシンで、大多数の映画ファンにとっては観る価値のないシロモノだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする