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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」

2010-12-20 06:31:09 | 映画の感想(や行)

 悲惨な話なのに、透徹した明るさとユーモアで満ちているのは、作者の底抜けにポジティヴな姿勢ゆえだろう。つまり、どんなに辛くても心の拠り所さえあれば、運命を受け入れられるという、作者の一種の“理想”を描いている。もちろん、こういうテーマは作り手の力量が不足していると宙に浮いた話になるのだが、そこはベテランの東陽一監督、訴求力の高い作劇を実現させている。

 原作は人気漫画家の西原理恵子の元夫で戦場カメラマンの鴨志田穣の自伝的小説で、アルコール依存症のどん底状態にありながらも、離縁した妻や子供達と和解していくプロセスを追っている。

 冒頭から主人公は荒れ放題だ。酒を浴びるように飲み、家庭内暴力を繰り返し、次いで吐血して入院。何度かこれを繰り返した後、いよいよ身体に限界が訪れてアルコール病棟に入ることになる。ところが、病院で出会う風変わりな患者や医者達と接するうちに、自分を見つめ直すきっかけを掴むのだ。

 この病院内の描写がケッ作である。本人を含めた患者連中はすべて崖っぷちの境遇だが、彼らにとって病棟はそれまでのアルコール漬けの日常から隔離された、いわば彼岸の世界のような異空間である。そこで彼らは“素”の人格を取り戻すのだが、酒の力を借りて好き勝手に振る舞っていた頃とは打って変わり、性格の弱さや女々しさ、そして心の奥底に隠されていた人間らしさもレアな形で表に出てくる。

 本音と本音とがぶつかり合い、剥き出しのコミュニケーションが交錯。本人達は真剣なのに、端から見れば笑いが巻き起こる。人生は悲劇であるよりも、喜劇の側面の方が大きいのだ。そのうち、やがて本当に大切なものが見えてくる。主人公にとってそれは“家族”であった。題名にある“うち”とは家族のことだ。

 やっとの思いでアル中を脱した彼だが、すでに身体はガタが来ていて残された時間が短いことを宣告されてしまう。自分のさだめを知った彼が浜辺で家族と過ごす終盤のシーンは、切ない感動を覚える。

 主役の浅野忠信の演技は、彼のキャリアの中でも代表作になると思われるほど達者だ。ヘヴィな状況の中にも飄々とした軽さを出した妙演であり、これが力の入ったリアリズムで押し切る役者だったら重すぎて見ていられなかっただろう。

 妻役の永作博美も良い。やがて来る別れを察知しつつも、仕事と家族の世話を毅然として続け、しかも他人と一緒にいるときは弱音を吐かないという強さが映画に凛とした輝きを与えている。北見敏之や螢雪次朗、光石研、香山美子といった脇の面子も的確な仕事ぶりだ。観た後に深い余韻が残る佳編である。
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「行きずりの街」

2010-11-23 07:10:15 | 映画の感想(や行)

 呆れるほどつまらない。阪本順治監督は出来不出来の幅が大きい作家だが、本作は明らかに出来が悪い部類だ。原作は志水辰夫の同名小説ながら、私は読んでいないのでこの映画が小説を正確にトレースしているのかは知らない。だが、この映画版を観て原作をチェックしようと思う観客は少ないだろう。それほど本作のヴォルテージは低い。

 かつて教え子との結婚が原因で都内の名門女子高を追われた元教師の主人公は、その妻と別れた後、現在は故郷の丹波篠山で塾の講師として働いている。そんな中、以前教え子だった女生徒の祖母が危篤になり、上京したまま行方不明になっている彼女を探すため、12年ぶりに東京へと向かう。やがて彼はこの失踪事件が、自分を教職から追放した勢力が絡んでいることを突き止める。

 とにかく、始まってから話の全貌が見えてくるまでが無茶苦茶に長い。だいたい、上京してから頻繁に会うクラブのママが元の妻であることが明らかになるのが中盤近くになってからだ。引っ張る必然性もなく、それまでの思わせぶりな態度は何だったのかと言いたくなる。

 そしてようやく見えてくる事件のあらましも、全然大したことがない。単なる学校運営に関する利権争いだ。主人公自身があまり利口ではなく、犯罪に荷担している連中にも知恵が回るような奴は見当たらない。程度の低い奴らが勝手にバタバタやっているとしか思えないのだ。

 しかもこんなに派手にやり合っていながら、警察の影すらない(呆)。結末なんか尻切れトンボでしかなく、明らかに映画を作ることを放棄したような体たらくである。丸山昇一の脚本とも思えない。

 主役の仲村トオルをはじめ、小西真奈美、窪塚洋介、石橋蓮司、菅田俊、谷村美月、江波杏子と多彩な面々を揃えているにもかかわらず、どれもこれもテレビの2時間サスペンスのようなクサくて表面的な演技ばかりだ。ひょっとしてギャグでやっているのかとも思ったが、それにしては笑いが少ない(爆)。元教え子役の南沢奈央はヒドい大根だし、佐藤江梨子に至ってはヴァラエティ番組のノリで演技をさせている。

 良かったのは仙元誠三による撮影ぐらいか。ラストに流れる下らないエンディング・テーマ曲も相まって、めでたく本年度のワーストテン入り決定である。観る価値はない。
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「夢追いかけて」

2010-10-01 06:40:45 | 映画の感想(や行)

 (英題:The Dreamer )アジアフォーカス福岡国際映画祭2010出品作品。前年(2009年)の同映画祭で公開された「虹の兵士たち」の続編だが、前作のクォリティをまったく落とさずに味わい深い映画に仕上がっていたのには感心した。

 前回に引き続き、インドネシアのブリトン島に住む三人の子供達の成長物語が綴られる。だが、映画は主人公格の少年が成長し、希望に胸を膨らませて大学を卒業したもののロクな仕事がなく、結局は郵便局員としてうだつの上がらない日々を送っているところから始まるのだ。彼の回想により、中学・高校時代に一緒に過ごした友人達のことが描かれる。

 ヘタをすると“子供の頃はいろいろ夢があったが、大人になってしまえば手近な職業に就き、そこそこの人生を送るものだ”という退屈な筋書きを追っていると思われるのだが、そうではない。彼は逆風が吹いているような生活から、反転攻勢を掛けるのだ。その原動力となるものこそ、少年時代の体験である。

 中学校の頃に疎遠だった叔父が亡くなり、主人公の家でその息子を引き取ることになる。同い年のいとこと一緒に学校に通うことになるのだが、彼は口が達者で破天荒な人物ながら性根は実に優しい奴だった。ちょっとトロい感じのクラスメートとも仲良くなり、3人は勉強するときもイタズラに精を出すときも一緒に行動する。

 彼らを取り巻くエピソードはどれもハートウォーミングだ。教育熱心で生徒を信じ切っている担任教師や、厳しいけど面倒見の良い校長先生、主人公達をいつも見守る父親など、周りの大人にも恵まれている。たぶんこれは監督のリリ・リザをはじめとする作者達の“願望”も入っているのだろう。でもそれは決してウソっぽく見えない。

 現実には誰しもが有意義な十代を送れるはずがないのも確かだ。しかし、いくら面白くない人生を歩んでいると思っていても、貴重な出会いというものは必ずある。それを糧にして生きればどんな逆境でも乗り越えられるという、送り手のとことんポジティヴな姿勢が嬉しくなってくる作品だ。

 なお、この映画は三部作の二作目だという。次回が“完結編”だが、舞台をヨーロッパに移して主人公達がどういう生き方をしてゆくのか、今から楽しみである。
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「闇の列車、光の旅」

2010-08-16 06:29:12 | 映画の感想(や行)

 (原題:SIN NOMBRE)何より目を惹くのは、エルサルバドル発祥で本作の舞台となるメキシコにも拠点を置く国際的犯罪組織“マラ・サルバトゥルチャ(MS)”の生態である。その構成員の身体にはタトゥーが彫られている。クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」に出てくるロシアン・マフィアもメンバーの証としてタトゥーを使用していたが、本作の中米ギャング団はもっと過激だ。何しろ組織内のグレードが高くなるにつれタトゥーの数は増し、挙げ句の果ては顔のまん中にも“MS”の文字が大きく彫られるのだから。

 つまり彼らは無法者であることを隠さない。それどころか一種の社会的ステータスとして認識されている。MSは暴力団であると同時に、中米からアメリカにやってくる移民たちをフォローしているという側面も持っている。もちろんそれはラテン・アメリカ諸国と米国との絶望的な経済格差が背景にあり、それが場合によってはギャングがダーク・ヒーローになってしまう歪な構図を形成しているのである。

 特に戦慄を覚えたのは、MSが年端の行かない子供をスカウトし、構成員に仕立て上げるくだりである。そんなのはパレスチナ・ゲリラかアフリカの反政府組織あたりの話だと思っていたら、中米では暴力団ごときがカルト宗教もどきの勧誘方法で勢力を拡大させている。未来も何もないドン詰まりの状況がアメリカのすぐそばで展開されていることに対し、暗澹たる気分になってしまう。

 さて、この映画は中米からアメリカを目指す若い男女の逃避行を描くロード・ムービーである。ホンジュラスから来た少女サイラは、より良い暮らしを求めて父や叔父と共に米国を目指す。メキシコ人ギャングの少年ガスペルは、サイラが乗っている列車に押し込み強盗を仕掛けるが、その際に個人的怨恨により先輩格のメンバーを殺害。追われる身となる。

 ガスペルの行く手には“死”しかない。対してサイラには僅かながらの“希望の光”が見えている。行動をともにするうちに、荒んだ生活を送ってきたガスペルにとって、サイラを無事に逃がすことに初めて生き甲斐を感じてゆく。二人の“道行き”は痛ましくも透徹した美しさを湛えている。

 これがデビュー作となる日系人監督キャリー・ジョージ・フクナガの演出は、シビアな題材に対して直球勝負ながら青春映画特有の“甘さ”をも兼ね備えているという、なかなか見上げたものである。2009年のサンダンス映画祭で監督賞と撮影監督賞を受賞したのも納得出来る、なかなかの力作だ。ラストの扱いなど、決して状況を悲観していない真摯さが窺え、観る者に感銘を与える。
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「山田村ワルツ」

2010-02-20 06:51:45 | 映画の感想(や行)
 昭和62年作品。風刺が効いたコメディの佳作である。農村の嫁不足がテーマで、女日照りで性的に悶々としている若い野郎共が主人公。まあ、悩みというのは本人が深刻になればなるほど、傍目には滑稽に見えることがあり、そのギャップが笑いを呼び込むのである。

 監督は金子修介で、彼がロマンポルノ時代に培ってきたコアなコメディセンスをそのまま一般映画に移管したような作りで、しかも当時は全国一斉公開だった。よくもまあプロデューサーからOKサインが出たものだ。

 そもそも田舎の人間すべてが木訥で人情に厚いというのは迷信である。脚本担当の一色伸幸によれば“田舎の人間は、時には押しつけがましく乱暴だ”とのことで、これは私も少し賛同したい(爆)。このヒネた(ある意味核心を突いた)スタンスに則り、本作には通り一遍のカタルシスを巧妙に回避した飄々としたテイストが充満している。

 嫁取りゲームにあれやこれやの珍作戦を繰り広げる青年団と、村長をはじめとする年配層、冗談半分でお見合いに応じてくる女性陣、そしてなぜか村に迷い込んできた天才少女作家、それぞれの立場でのなりふり構わぬ私欲を漲らせた駆け引きが可笑しい。主演の天宮良は、これが“地”かと思わせるほどの適役。ヒロインに扮した小沢なつきも可愛いし、米米クラブのの登場は笑いをより一層盛り上げる。
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「闇のまにまに 人妻・彩乃の不貞な妄想」

2009-10-22 06:37:45 | 映画の感想(や行)

 主演女優に大いに難がある(笑)。主演の琴乃とかいう女、顔はまあ可愛いのだが、脱ぐと“ちょっと、冗談やめてくれよ!”と言いたくなるほど身体の線がキレイじゃない。有り体に言ってしまえば“オバサン体型”なのである。聞けば、少し前までアダルトビデオによく出ていてけっこう売れっ子だったというが、これでよくAV女優が務まったものだと思う(爆)。脇役のうさぎつばさや坪井麻里子の方がよっぽどスタイルが良いのだから困ったものだ。

 さて、本作は新東宝製作による成人映画。先日閉館したシネテリエ天神の跡地に出来た天神シネマのオープニング作品である。内田春菊の同名ホラー漫画の映画化で、監督は「吸血少女対少女フランケン」の友松直之。左手のない女の幽霊に付きまとわれる、若い人妻の受難を描く。

 正直、あまり上等な作品ではない。幽霊の造型は「リング」の貞子の二番煎じ。ショッカー場面もどこかで見たようなパターンばかり。致命的なのは絡みのシーンが下手であること。粘着度もアイデアもない単調な場面が延々と続く。加えて主演がアレなので、中盤は眠気を抑えるのに苦労した。野郎共も魅力無し。気鋭の演技派男優を多数輩出した、昔の成人映画の数々を思い出しつつ本作に接すると寂しい気分になってくる。

 ただし、さすがに鬼畜系の友松監督、終盤のスプラッタ場面になると途端にヴォルテージが高くなってくる。画面一杯にぶちまけられた血と臓物の量は尋常ではなく、観ていて呆れるばかりである。・・・・というか、この監督はこれしか撮れないのだろう。稚拙な特撮が即物的な生々しさを醸し出すのも、なかなか玄妙ではあった。

 なお、エンディング・テーマにこの手の映画では珍しく垢抜けたポップな楽曲が流れていたが、歌っているのは何と主演の琴乃である。以前はバンドも組んでいてミュージシャン志望だったというが、お世辞抜きで上手い。棒読みのセリフのまま映像作品に出るよりも、音楽活動の方が合っている。とはいえ、いくら歌で聴き手を魅了しても、あの“オバサン体型”が目に浮かぶようでは、イマイチのめり込めないのも事実だが・・・・(^^;)。
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「幼獣マメシバ」

2009-09-29 06:25:00 | 映画の感想(や行)

 アジアフォーカス福岡国際映画祭2009出品作品。ポスターや惹句から想像される“動物映画”では全くなく、ペーソスに溢れた人間喜劇として評価したい一作だ。

 主人公の芝二郎は35歳にもなって自宅から半径3kmのエリアから出たことがない引き籠もり気味のニート。父親の四十九日の法要も他人事で、雑事は親戚に任せっぱなしだ。ただ最近家出した母親の行方だけは気になるようである。とはいっても愛情を感じているわけではなく、身の回りの世話をしてくれる人間がいなくなるのが困るからだ。その母親から暗号めいた葉書が届く。居場所を突き止めたかったら謎を解いてみろという挑戦状のようだ。仕方なく二郎は生まれて初めて“外の世界”に飛び出すことになる。

 映画は予想通り、社会から隔絶されていた主人公の成長物語という図式で動くが、これを直截的に描いてもあまり面白くはない。本作の特色は、多種多様なキャラクターと小道具を配して起伏のあるドラマ作りを実現させている点だ。

 主人公と現実世界との接点になるのが、タイトルにもある豆柴の子犬である。こいつが尋常ではない可愛さで(笑)、どんな冷血漢でも心を許してしまうだろう。さらに“ペットの合コン”で知り合った若い女が彼の手助けをする。当初はどうして彼女が二郎みたいな痛々しい奴と行動を共にするのかと疑問に思うが、終盤に明かされるその理由は実に切ない。そして共感してしまう。彼女の親族も“香ばしい”キャラクターが揃っているし、二郎の両親に至ってはとんだ食わせ物だ(笑)。

 では二郎はどうかというと、これが主役にふさわしい強者(?)である。演じる佐藤二朗の特異すぎる個性が全面展開していて、行く先々でおちゃらけのオーラを放ち場を盛り上げる(爆)。減らず口を叩きながらも、けっこう(彼の立場としては)筋の通った物言いをしているあたりも可笑しい。ヒロイン役の安達祐実をはじめ渡辺哲、佐藤仁美、西田幸治(笑い飯)と多士済々な面子が持ち味を発揮し、笹野高史と藤田弓子の海千山千ぶりは言うまでもない。

 亀井亨の演出はオフビートながらツボを押さえた玄妙なもので、最後までテンションが落ちない。そして痛快なラスト。人間、いかに不遇な状況でもやる気とチャンスさえあれば何とかなってしまうものだという、作者の楽天性が垣間見えて微笑ましい。聞けばTVドラマからのスピンアウト企画だというが、これだけ楽しませてくれれば“テレビ番組の二次使用は遺憾だ!”などと野暮は言うまい。とにかく観て決して損はしない快作である。
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「山形スクリーム」

2009-08-12 06:13:48 | 映画の感想(や行)

 竹中直人の“わかる人にしか分からない悪ふざけ”にノレるかどうかで作品の評価が決まってくる。私はといえば、けっこう楽しんだクチだ(笑)。竹中は監督として今まで5本もの映画を手掛けているが、いずれも個人的には評価出来ない内容だった。だが今回の作品は幾分マシだと思う。

 それは、今までの諸作で職業的な映画監督として力量が不足していることを露呈させた彼にとって、残された唯一の道に脇目もふらずに邁進しているからに他ならない。その“唯一の道”とは何かというと、芸人としてのネタを映画全体で全面展開させることだ。かつて滝田洋二郎監督が竹中主演で撮った「痴漢電車 下着検札」と同じ方法論である(笑)。

 山形県の山深い村で平家の落ち武者の亡霊が復活。たまたま歴史研究部のフィールドワークで村に来ていた女子高生グループとのバトルが展開するというストーリーは、まるであって無いようなもの。全編これ一発系ギャグとキャストの悪ノリが延々と続く。しかもそれは40代以上の観客じゃないと絶対に分からないようなレトロな内容と、楽屋落ちと、コアな映画ファン以外は理解不能のマニアックなものがえらく多い。しかも徹底的にベタで、少しでもソフィスティケートしようとした形跡は皆無。

 本作に対して否定的な評価を下す者は“対象者限定の独りよがりの自己満足映画だ!”とでも言うのだろうが、私は逆に“オレってこれしか出来ないんだよ!”といった作者の開き直りが感じられて苦笑しつつも納得してしまった。竹中自身が落ち武者の一人として出演し、胃のもたれるような濃い演技をすれば、温水洋一だの由紀さおりだのといった脇役もアクの強さ全開。さらにはマイコのハジけたパフォーマンスには絶句する。

 しかし、決してドラマが空中分解しないのは、映画のまん中に成海璃子をもってきた御陰である。珍しく実年齢と同じ役柄に扮している彼女だが、他の3人の女子高生役(紗綾、桐谷美玲、波瑠)が今風のスポーティな雰囲気であるのに対して、成海は(体重面でも ^^;)重量感たっぷりだ。周りがどんなにフザけていてもブレないのである。逆に言えば、彼女を画面の中央に据えておけば、どんな無茶も出来るということだ。以前の「罪とか罰とか」と同じコンセプトである(爆)。

 栗コーダーカルテットによる音楽も快調だが、準主役の若造を演じたAKIRAとかいうのがEXILEのメンバーであることにはビックリした。ミュージシャンの映画進出としてはマーケティング面で“成功”しているのかどうかは不明だが(笑)、なかなかコアなキャスティングではある。
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「夜がまた来る」

2009-04-15 06:32:10 | 映画の感想(や行)
 94年作品。石井隆の監督第6作。コアな映画ファンならば先刻御承知だが、劇画家でもある石井は“名美と村木の物語”をライフワークとしている。手掛けた映画は秀作もあれば凡作もあるが、この映画はかなりクォリティが高い。まさに快作だ。

 潜入捜査中の麻薬Gメン(永島敏行)が運河に浮かんだ。しかも麻薬の横流しの濡れ衣を着せられている。復讐を誓う妻・名美(夏川結衣)は組織のボス(寺田農)をつけ狙うが、ボスの親衛隊の一人・村木(根津甚八)に邪魔される。だが、ボス暗殺に失敗し、危機一髪の名美をかばったのも村木であった。いつしか二人は強い絆で結ばれていくのだが・・・・。

 冒頭の名美と夫のベッド・シーンでの、愛のあるセックスをしっとりと描く演出は好感が持てるが、夫が殺され組織の男たちから輪姦され、自殺未遂まで起こし、開き直ったように反撃に転ずるその後のドラマティックな展開を活かす重要な伏線になっている。

 石井の前作(正確には前々作)「ヌードの夜」(93年)がなぜ失敗したかというと、名美のキャラクターを主体性がなくて依頼心が強い“うっとおしい女”にしてしまったからである。でも、今回の名美は違う。自分から行動する女、戦う女なのである。しかし、アメリカ映画でたまに見られる“女性優位の単純アクション”(なんじゃそりゃ)では決してなく、重大なピンチになると村木がちゃんと助けに来る。ツッパってはいるが、どこか男の庇護を喚起するような弱さを持っているあたり、実に観客の心の琴線に触れるヒロイン像なのだ(女性の観客は違う感想を持つだろうけど)。

 いつもの石井作品のような観念的でジメジメしたイメージはほどよく抑えられ、昔の日活アクションみたいな、わかりやすい娯楽活劇としての面が強調されている(そういえばこの題名は小林旭の「さすらい」の歌詞からとったものだ)。クライマックスの主人公たちと悪者どもの決闘シーンなど、迫力ある展開で手に汗を握らせた。もちろん、シャブ中になった名美を村木が立ち直させる場面での、フェイドイン&フェイドアウトを多用する画面処理など、得意技もしっかり出している。

 根津はじめ、悪役の寺田や椎名桔平も好演だが、何といっても健気なヒロインに扮する夏川の熱演が注目だ。これが映画デビュー作で、全編服を着ている場面の方が少ないという設定ながら、キレのいい身体の動きはアクション映画にぴったりである。残念ながら公開当時は限られた上映で本作を実際目にした観客は少ないが、現時点でビデオ等をチェックする価値はある。安川午朗の音楽も素晴らしい。
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「夢」

2009-02-17 06:28:12 | 映画の感想(や行)
 90年作品。巨匠・黒澤明監督によるオムニバス形式の映画で、文字通り「夢」の物語が8つならんでいる。各エピソードの前には「こんな夢を見た」というタイトルが入り、前作「乱」やその前の「影武者」とは違った作者のプライベート・フィルム的性質の作品だ。で、私はこの巨匠がどんな「夢」を描いてくれるのかと、楽しみにしていたのだが・・・・。

 第一話「狐の嫁入り」は一番マシな作品だ。霧のかかった森の中を行く狐たちの行列が楽しく(凝ったメイクと振付けで見せる)、ファンタジー性も十分だ。はっきり言ってこの映画はここで終わっていた方がよかった(でもそれじゃ長編映画にはならないが)。第二話「桃の精」も、まだ許せる。「日本昔ばなし」みたいなストーリーもさることながら桃の木の精霊たちがみせる雅楽と舞は、海外の映画ファンにも受けただろう。

 で、ここからあとはまったくダメ。第三話「雪あらし」は、単なる「雪女」の話。ストレートでまったく面白くないし、冒頭の雪山をさまよう男たちの息遣いが延々と続くあたりは“かんべんしてよ”と言いたくなる。第四話「トンネル」は実に珍妙。戦争で生き残った隊長の前に死んだ部下の亡霊が出てきて、彼らに自分たちが死んだことを納得させる話。延々と続く元隊長の演説にはうんざりしたが、ラスト、“まわれ、右!”の号令であっさりと亡霊たちがトンネルの中に消えていくところだけは笑った。第五話「鴉」はゴッホの絵の中を主人公が歩き回る場面が精妙なSFXで描かれているが、ただ、それだけの作品。

 第六話「赤富士」第七話「鬼哭」は核の恐怖を描く・・・・といえばきこえはいいが、実に説教臭いつくりで、観ていて不愉快だった。ヘタクソな特撮が画面をよりいっそう盛り下げてくれる。第八話「水車のある村」は前の二話の回答ともいうべき作品、とはいっても、笠智衆が出てきて“やっぱり自然はエエのう”と、ありがたい説教をしてくれる退屈極まりないハナシである。ラストで延々と続く“葬式踊り”にあきれているうちに、観ているこちらも“夢”の中・・・・。

 「夢」とタイトルがついているのに、ほとんどのエピソードに“夢”がない。こういう形式の映画ならもっともっと想像力を発揮して、文字通り「夢」のような映像で観客を圧倒してほしかった(もちろん。悪夢だってかまわないが)。本作に限らず、カラーになってからの黒澤作品は全盛期のモノクロ作品の足元にも及ばない。
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