【補足】
画像の一覧です。鑑定(コメント)いただいた内容も併せて載せます。
一番最後の3つは、参考文献のコピー+メモ書きになります。
参考文献:南京事件「証拠写真」を検証する(東中野修道・小林進・福永慎次郎)
album01.jpg 昭和天皇
album02.jpg 谷第六師団長
・album02.jpgは眼鏡を外されていますが、谷寿夫第六師団長です。
album03.jpg 大谷智子様
album04.jpg 松井石根閣下
・松井石根(いわね)
中支那方面軍司令官(南京攻略戦の陸軍側最上位指揮官)。大将。
album05.jpg 大佐2名+慰問中の写真
・album05.jpgの左は第47連隊長長谷川正憲大佐、右は不明確ですが大佐の肩章が見えます。
同一旅団(第11旅団)の第13連隊(熊本)長 岡本保之大佐 ではないかと思います。
album06.jpg 柳川中將閣下+粟津兵 南京一番乗六勇士
・柳川中將
第一〇軍司令官・柳川平助中将。第六師団の上級司令部でした。
・粟津定一等兵
南京一番のりと言う写真は襟の連隊番号でもわかりますが
47連隊(大分)の粟津定一等兵(当時、写真では上等兵の肩章です)ですね。
中華門をよじ登られた三明中隊の六人のうちのおひとりです。野津町出身のようです。
album07.jpg うちのじーさんの若かりし頃(たぶん)
album08.jpg 餅つき+スナップショット
album09.jpg 九二式重機関銃
album10.jpg 日出生台での集合写真+祖父の手書きメモ
album10.jpgに興味深いことが書いてあります。右上部に
昭12.12.12/南京城外/クリーク乗船/「渡河中.ニカ./戦死./后二時/負傷ノ船中ニ/彼ノ死ヲ聞キ涙/ナキヲ得ズ.」
とあります。この戦死されたニカと読めるかたは上部左に 戦死/南京/荷川取
と書いてあるかたのことなのでしょうか。47連隊は第二中隊の陣中日誌が現存
しています。郷土部隊戦記も出版されましたが、この荷川氏の名前はまだ見つかり
ません。字を読み間違っているかもしれませんが。
album11.jpg 誰?+路上駐車お断り
album12.jpg 何かのお祭りの写真+スナップショット
album13.jpg 報國第六十九号(共同漁業号)
【2005.10.31追記】
同じ中島でも一世代前の九○式二号水上偵察機二型です。
米国製Vought O2U Corsair水上観測機の製造権を中島が購入して、それを
中島Jupiter発動機に換装して、国産化したものです。
任務は同じで、急降下爆撃とかもしていました。
上海事変~日華事変初期に掛けて艦隊に配備されました。
album14.jpg 吉岡さん(祖父の先輩らしい)
album15.jpg 胸のレントゲン写真+(日支事変)我機関銃隊の活躍 中外通信社提供■■■
album16.jpg 久邇宮妃殿下
P1010002.JPG アルバムの表面
P1010005.JPG アルバムの裏面
P1010006.JPG アルバム制作元
P1010007.JPG 見開き
P1010008.JPG 見開き拡大
P1010008.JPGを読み下しますと、
昭和十三年/二月二十五日/「熊本陸軍病院にて/慰問品として受く」と読めます。
P1010009.JPG アルバム内サンプル
P28南京追撃経路
P37中華門
P40南京城攻撃・退路図
画像の一覧です。鑑定(コメント)いただいた内容も併せて載せます。
一番最後の3つは、参考文献のコピー+メモ書きになります。
参考文献:南京事件「証拠写真」を検証する(東中野修道・小林進・福永慎次郎)
album01.jpg 昭和天皇
album02.jpg 谷第六師団長
・album02.jpgは眼鏡を外されていますが、谷寿夫第六師団長です。
album03.jpg 大谷智子様
album04.jpg 松井石根閣下
・松井石根(いわね)
中支那方面軍司令官(南京攻略戦の陸軍側最上位指揮官)。大将。
album05.jpg 大佐2名+慰問中の写真
・album05.jpgの左は第47連隊長長谷川正憲大佐、右は不明確ですが大佐の肩章が見えます。
同一旅団(第11旅団)の第13連隊(熊本)長 岡本保之大佐 ではないかと思います。
album06.jpg 柳川中將閣下+粟津兵 南京一番乗六勇士
・柳川中將
第一〇軍司令官・柳川平助中将。第六師団の上級司令部でした。
・粟津定一等兵
南京一番のりと言う写真は襟の連隊番号でもわかりますが
47連隊(大分)の粟津定一等兵(当時、写真では上等兵の肩章です)ですね。
中華門をよじ登られた三明中隊の六人のうちのおひとりです。野津町出身のようです。
album07.jpg うちのじーさんの若かりし頃(たぶん)
album08.jpg 餅つき+スナップショット
album09.jpg 九二式重機関銃
album10.jpg 日出生台での集合写真+祖父の手書きメモ
album10.jpgに興味深いことが書いてあります。右上部に
昭12.12.12/南京城外/クリーク乗船/「渡河中.ニカ./戦死./后二時/負傷ノ船中ニ/彼ノ死ヲ聞キ涙/ナキヲ得ズ.」
とあります。この戦死されたニカと読めるかたは上部左に 戦死/南京/荷川取
と書いてあるかたのことなのでしょうか。47連隊は第二中隊の陣中日誌が現存
しています。郷土部隊戦記も出版されましたが、この荷川氏の名前はまだ見つかり
ません。字を読み間違っているかもしれませんが。
album11.jpg 誰?+路上駐車お断り
album12.jpg 何かのお祭りの写真+スナップショット
album13.jpg 報國第六十九号(共同漁業号)
【2005.10.31追記】
同じ中島でも一世代前の九○式二号水上偵察機二型です。
米国製Vought O2U Corsair水上観測機の製造権を中島が購入して、それを
中島Jupiter発動機に換装して、国産化したものです。
任務は同じで、急降下爆撃とかもしていました。
上海事変~日華事変初期に掛けて艦隊に配備されました。
album14.jpg 吉岡さん(祖父の先輩らしい)
album15.jpg 胸のレントゲン写真+(日支事変)我機関銃隊の活躍 中外通信社提供■■■
album16.jpg 久邇宮妃殿下
P1010002.JPG アルバムの表面
P1010005.JPG アルバムの裏面
P1010006.JPG アルバム制作元
P1010007.JPG 見開き
P1010008.JPG 見開き拡大
P1010008.JPGを読み下しますと、
昭和十三年/二月二十五日/「熊本陸軍病院にて/慰問品として受く」と読めます。
P1010009.JPG アルバム内サンプル
P28南京追撃経路
P37中華門
P40南京城攻撃・退路図
貴重なお写真や記録、ありがとうございます。
ところで「album12.jpg 何かのお祭りの写真+スナップショット」
は、国際情勢を劇仕立てにして行った宣伝劇?(余興?)
シナの資源を紅毛碧眼の連中が狙ってる!
というよなものにみえますね。
見ると右側の方の藪の中に「イギリス」「ロシア」とか書いた半紙も見えます。
確かにその写真には「ロシア」とか書かれてあって、いったい何をやってるところなんだろうかと思っています。(^^;)
手前の柵が踏み入り難い高さに有る事、台が其々に有る事、また台毎に立て札が有る事から展示をしているように感じました。
彼は保定攻略前に病気で内地に
帰ってきました。
家には日中戦争時の彼に関する
資料が少しだけあります。
長谷川連隊長と一緒に写ってる新聞の
写真もあります。
もしも私の曽祖父をあなたの
祖父が知っていたらお話を聞きたのですが。
ただし私が持っている歩兵47連隊に関する資料等は、
お渡しすることは可能ですよ。
また、長谷川連隊さんがお持ちの資料も是非お目にかかりたいので、
よかったら下記アドレスまでご連絡頂けると幸いです。 cars-kitahefu@mail.goo.ne.jp
よろしくお願いいたします。