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親父が亡くなってからの各種手続きとか

2011年07月10日 | 雑記
【初回作成日:2011.8.13、最終改版日:2017.5.23】

 家族が亡くなると、悲しんでいる暇もないくらいバタバタするものです。
 このエントリでは、バタバタする原因の1つである役所の手続き・名義変更・相続等の各種事務手続きの体験記や感想を記載します。

なお、うちの実家の家族構成は次の通りです。
 ・父 = 今回亡くなった親父。実家の世帯主。
 ・母 = 同じく実家に居住。
 ・姉 = 結婚しており、実家の戸籍からは外れている。近所に在住。
 ・私 = 未婚で横浜在住。戸籍は実家(大分県)。

 親父の遺産を受ける資格がある人間は母・姉・私の3人ですが、基本的に遺産類は母が引き継ぎます。



1. 亡くなった直後に行う手続き

 ここでは亡くなった直後に行う公的な事務手続きについて記載します。

(1) 死亡届


死亡届(A3用紙・左側)


死亡診断書(A3用紙・右側)

 死亡届は死亡診断書と一緒になったA3用紙で、左半分が死亡届、右半分が死亡診断書(死体検案書)になっています。
 左の死亡届は家族が記入し、死亡診断書は死亡日時や死因等を医師が記入死亡届の用紙は病院が常備しているので、先に病院が死亡診断書の部分を記し、その後、家族に渡されるのが一般的なパターンかと。

 葬式を葬儀屋に依頼している場合は、葬儀屋が市役所に提出してくれます。市役所では死亡届と引き替えに火葬許可証が戻ってきます。

【一口メモ】
 提出前に死亡届のコピーを必ず何部か取っておくこと。後日、死亡届のコピーが必要な手続きあり。


(2) 火葬許可証・埋葬許可証


火葬許可証の入った封筒

 火葬許可証と埋葬許可証は、2枚組カーボンコピーになっています。火葬許可証はその名の通り、火葬する際に必要な重要書類です。これが無いと火葬できません。
 火葬許可証は火葬前に火葬場の事務に提出し、火葬終了後に印を押した埋葬許可証が戻ってきます。

【一口メモ】
 埋葬許可証は納骨の際に霊園に提出するものです。うちの田舎だと納骨は(火葬から日の経った)四十九日のときに行うので、バタバタしているうちに紛失しないように管理する必要があります。




2. 市役所等で葬儀後すぐに行う手続き

 ここでは亡くなってから7~10日以内に市役所で行うような、事務手続きについて記載します。今回の親父のケースでは、葬儀の翌日に行ってきました。

 まず死亡届を提出した際に、市役所の方から親族を亡くしたご家族向けに「○○を持って市役所に手続きに来て下さい」との案内文をもらうのでそれに従います。

 持参必須なのは、手続きに来た人の身分証明書(免許証)と印鑑、返却する親父の国保の保険証や印鑑証明のカード等。それと筆記具と資料整理用のファイル、銀行口座の判るもの(通帳)、各種証明書の取得に必要なお金も用意しておきます。

 市役所の窓口に行くと、親族を無くした人用の窓口巡回セットっぽい用紙(住民職権異動届)を渡されるので、必要な窓口に行っては処理済印をもらい、全部の手続きが終わったら、最初の窓口に提出して終了になります。ぶっちゃけスタンプラリー状態です。


住民職権異動届 (手続き完了後に要返却)


(1) 市民課関係の手続き

 市民課というと住民票や戸籍関連の事務を行っているところですが、今回住民記録関係の手続きは死亡届を出してすでに終わっているので、ここでは親父の印鑑登録カードを返納して終了。


(2) 市税・固定資産関係の手続き

 市税の方は、平成23年度分の住民税はすでに支払われていることもあり、職員からちょっとした説明があったのみで、この場での手続きは特に無し。変更があった分については、再計算の上、後日通知しますとのこと。

 固定資産については、家・土地の登記変更には時間がかかるものなので、「相続人代表者指定届」というものを先に提出し、親父宛の固定資産税はおかん宛てに請求が来るようにする申請書を提出。このとき固定資産税等を口座振替で納付できる申請書をもらって帰ります。


(3) 福祉・保険年金関係の手続き

 ここではまず、親父の健康保険証(国保)を返納。
 しかし後日、共済等に入院給付金の申請を行おうとした際に「入院当時、国保に加入していたことを示す書類を添付せよ」と言われて困ることに。(;´Д`)

 市役所でもそのような証明書の発行は行っていなかったため、結局返納した保険証のコピーをいただき、それで代用することに。従って、保険証は返納前にコピーを取っておくことを推奨します。

 続いて同じ窓口で葬祭費請求書が差し出されたので、これを記載して申請。これは市民が亡くなったときに葬祭費の補助として2万円頂けるというもの。申請者は喪主になるので、今回は私が申請することに。

 後日そのお金が私の銀行口座に振り込まれることになるのですが、当然のことながら種別が「公金」になっていました。公金を受け取ることは初めてだったのでちょっと感動(笑)。

 ちなみに窓口の人に「葬祭費は現金でもらえないの?」と聞いたところ、「現金渡しは銀行口座を持たないような人にしかできません」とのこと。なるほど。
 続いて介護保険資格喪失届を提出し、併せて介護保険の被保険証を返納。

 残るは年金関係の手続きですが、年金の切替関係の手続きは市役所では行えず、ちょっと遠くの年金事務所まで行く必要があるので、ここでは年金の手続きに必要な書類の一覧と、年金事務所の連絡先の書かれた紙を渡されます。

 この日の市役所での各種手続きはこれで終了。今後、名義変更や各種申請に必要となる証明書(戸籍謄本・印鑑証明・おかんの所得証明等)を各複数枚取得し、この日は市役所から撤収します。



3. 年金の切替手続き

 市役所の手続きを行ってから土日を挟んだ月曜日に、車で数十分離れたところにある年金事務所に向かいます。

 持って行かなければならない書類が色々あるので、事前に準備して年金事務所に向かいました。必要なものは全部覚えている訳ではないのですが、
 ・親父とおかんの年金証書と年金手帳
 ・戸籍謄本(親父が除籍されたことを示す資料)
 ・おかんの所得証明
 ・おかんの通帳と印鑑
などがありました。

 この日は朝一(9時前)の窓口オープンに併せて出動。業務開始の10分前に到着したのですが2番乗りでした。ただし窓口は定時前に開けてくれたので、ほとんど待つことなく手続きを開始。

 持ってきた書類の確認とか、「今の年金が、遺族年金に切り替わります」等の説明を受け、5枚ぐらいの書類に住所・氏名を書いて捺印します。

 年金の変更内容については、ぶっちゃけた話、よく判りませんでした。おかんがもらえる額が半分近くに減ることと、最初の振込が数ヶ月先になるということぐらいしか頭に残っていません。(;´Д`)
 大した手続きはしていないのですが、あっという間に40分が経過し、手続きは終了。

 おかん曰く、5年ほど前に親父とこの年金事務所で年金受給の手続きを行ったときは、高圧的な態度を示す何様な職員が対応していたとのこと。ところが今回はとても丁寧に対応して頂き、好印象でした。数年前の年金問題が、良い方向に作用したのではないかなぁと。

 ちなみに親父の年金証書は回収されましたが、年金手帳は返却されました。



4. 名義変更関連の手続き

 ここでは各種親父名義だったものを、おかん名義に変更した際の手続き内容等について記載します。基本的に名義変更と口座振替の変更手続きが中心となります。

(1) 電気(九州電力)
 名義変更については、九電の知り合いが手続きを進めてくれたので詳細は不明。後日口座振替の変更書類が届いたのでそれを返送して完了。

(2) 水道
 市役所の水道局の窓口で名義変更の手続きを行う。口座振替の変更書類も併せて提出。

(3) プロパンガス
 名義変更だけは電話で完了。元々おかんの口座から引き落とされていたので、電話だけで対応完了。

(4) 自宅の電話回線(NTT西日本)
 コールセンターに電話すると、名義変更の仮変更を行ってくれる。正式な変更処理を行うには、親父が亡くなったことを示す書類(コピー可)の提出が必要とのこと。
 後日NTTより名義変更の書類と口座振替の変更書類が郵送されるので、それに親父が除籍になったことを示す戸籍謄本のコピーを添付して手続き完了。

(5) CATV
 市役所で変更申請書を配布していたので、これを持ち帰って記入。後日ケーブルテレビ会社の窓口に出向いて提出し、対応完了。

(6) auの携帯電話解約
 全く使っていなかった、親父の携帯電話を解約する。親父が死亡したことを示す資料(会葬礼状や新聞のおくやみ欄でも可)と携帯電話と身分証明書と印鑑を持ってauショップで手続きを行う。
 ※ KDDIの死亡解約手続きの詳細は、こちらを参照
 
 通常、年間契約の携帯電話を決められた月以外で解約すると違約金が発生するが、死亡解約はそれが免除されるとのこと。auショップからは名義変更して継続使用することを勧められたが、とっとと解約したかったので、速攻で解約。せいせいする。

 <余談:auに対する恨み辛み>

 親父は生前、auの携帯を持っていたものの全然使っていませんでした(そもそも自宅ではauの電波はほとんど入らず、使えない状態)。
 「どうせなら電波の入るdocomoに乗り換えたら?」という家族の提案にも耳を貸さず、かたくなにauの携帯電話を持ち続けていました。なんでもKDDIとは仕事上のお付き合いがあったようで。

 ところが2年前に食道癌の手術を受けて満足に声が出せなくなった(通話できなくなった)ときに、「さすがに携帯はもう使わないよね」ということで、親父の了解を得て一度auショップに解約処理に向かうものの、
  「契約者本人が来るか、委任状がなければ解約はできない」
 と言われ、解約手続きは拒否されました(家族が携帯電話本体と親父の運転免許証を持っていってもダメ)。

 親父は入院中で動けないことや、食道癌になる前から手が震える病気でペン書きによる署名ができないので、委任状を書くことも難しい旨を伝えたものの、店員は「それだと解約は出来ない」との一点張り。

 結局ラチが明かず、親父が亡くなるまで2年以上放置し続け、毎月4千円ぐらいの無駄な基本料金を払い続けることに。そんな経緯もあり、うちの家族の中ではauは携帯キャリア中で最低の評価となっています。



5. 業者に手続きを依頼した名義変更

(1) 親父の車(自動車)
 知人が経営している近所のカーコンビニ倶楽部に対応を依頼。遺産の自動車は不動産のような扱いになるとのことで、おかん・私・姉で遺産分割協議書を作成することに。
 自動車用の遺産分割協議書は、車屋であればたまに扱う書類のようで、専用フォーマットがお店の方からすぐに出てきました。

 このフォーマットに車のナンバーや車台番号等を記入し、「親父の車はおかんが引き継ぐことに同意します」という旨の遺産分割協議書を作成し、おかん・私・姉が署名+実印で捺印を行います。

 その後、この遺産分割協議書と車検証とおかんの印鑑証明を添えて、車屋とつき合いのある司法書士(だったかな?)を挟んで陸運局に申請。そしておかん名義の車検証が戻ってきて手続き完了。

 車の名義変更にかかった費用は5,400円(+印鑑証明300円)でした。


(2) 自宅(土地・建物)の登記変更
 こちらは地元の司法書士に対応を依頼。自動車のときと同様に、「土地と建物はおかんが引き継ぐことに同意します」という旨の遺産分割協議書を作成し、3人が署名と実印で捺印。

 不動産に関しては自動車の時と違い、きちんと書類を揃えなければならない点がちょっと面倒です。

 ・印鑑証明は全員分必要 (実家が九州でも、横浜市民のブログ主の印鑑証明は、横浜の区役所で取得する必要あり)

 ・相続人全員の関係が判る戸籍謄本を揃える必要あり。私の場合は親父&おかんと同じ戸籍なので、私が子であることはおかんが取った戸籍謄本で確認できるのですが、結婚して籍を外れた姉に関しては、姉の戸籍謄本を取る必要がありました。(※1)

<※1:2012.7.8 追記>
 うちの実家の自治体は、姉が結婚した後で戸籍の電算化が行われたため、親父の戸籍を取っただけでは、そのときすでに除籍された姉との関係がすぐに判らない状態でした(特別なパターン)。

 通常の場合だと、実家の戸籍謄本を取りさえすれば、結婚した子供も「婚姻により除籍」された旨が記載されているので、これだけで親子関係は証明できると思います。


 これらの書類を揃えた上で、「登記変更処理を司法書士に委任します」という委任状におかんがサインし、現行の登記の書類等も揃えて名義変更処理を依頼。
 書類を揃えるまでは大変だったのですが、司法書士に全部書類を出してからは、数日で登記変更は完了しました。

 なお、登記変更にかかった費用は全部で10万円ぐらいでした。


(3) 株式の名義変更
 親父が会社勤めをしていた頃、従業員持ち株会でちまちま溜めていた株がバカにならない額で残っており、これを引き継ぐことに。
 しかし我が家は亡くなった親父を含めて、普段から株に手を出している人は皆無。何をどうすりゃええのか、さっぱり判りません。(;´Д`)

 そうしたところ、元同僚の知人が会社のOB会経由で手続き方法を問い合わせてくれて、名義手続きに必要な書類一式を送ってもらう。それによると親父の株は昔は会社が管理していたのだが、その後中央三井信託銀行で管理されているとのことで、そこに対して相続申請の手続きが必要とのこと。

 手続きに当たっては、株式の移し替え先となる証券口座が必要となるため、まずは証券口座を作成することから始めることに。銀行口座を持っている新生銀行のホームページを見たところ、提携している楽天証券の口座なら新生銀行経由ですぐに作れそうなので、とりあえずそこにお願いしてみる。

 次のような感じで手続きを行うが
 ・新生銀行のサポートに電話して証券口座開設の申請書送付依頼
   ↓
 ・申請用紙が数日後自宅に届く
   ↓
 ・必要事項を書いて郵送する
   ↓
 ・「書類に不備があったため受け付けられませんでした」との通知ハガキが2週間後ぐらいに届く(泣)
   ↓
 ・書類は返送されないため、申請書の取り寄せからやり直し(;´Д`)
   ↓
 ・申請書を再送付して、ようやく証券口座の開設完了

 ということで、証券口座を作るのに1ヶ月近くかかってしまうことに。

 予想外に時間がかかってしまったものの、続いて本丸である株式の相続申請を行う。ここで提出するのは「共同相続人同意書」と「口座振替申請書」の2つ。

 「共同相続人同意書」は遺産分割協議書のようなもので、
  ・持っている株の会社名
  ・被相続人の情報
  ・共同相続人の情報
  ・未受領配当金の継承内容
 を記載するようになっています。

 被相続人の欄には、6000株を持っていた親父が何月何日に死亡した(相続が発生した)との情報を記入。
 相続人の欄には、遺産を受ける権利のあるおかん・姉・私の3人がそれぞれ住所・氏名を自筆で記入し、相続する株数を書き、実印を押印。今回は私が代表して株を預かることになったので、おかんと姉の株数は0、私のところに6000と記載。
 未受領配当金の継承内容欄には、「未受領配当金は全期おいらが受けます」との内容を記載。

 続いて、口座振替申請書を記入。この申請書には
  ・持っている株の会社名
  ・今の株式所有者の名義(親父)
  ・振替対象の株式数(今回だと6000)
  ・振替先の口座明細(おいらの証券口座)
 を記載。

 口座明細には、加入者口座コード21桁を記入する欄があったが、手元の 証券口座情報には21桁のコードは載っていないため、再度新生銀行のサポートに問い合わせて確認。
 私の場合だと下記のような21桁のコードになっていました。
 「楽天証券の機構加入者コード(7桁)+私の証券口座番号(9桁)+00010」

 最後は、これらの申請書に実家の戸籍謄本+姉の戸籍謄本+3人分の印鑑証明(おかん+姉+私)を揃えて、中央三井信託銀行に送付。それから2週間後くらいに、私の証券口座に無事に株式が移管されました。

 今回の相続した株は1社分だけだったのですが、複数の株がある場合は、「共同相続人同意書」と「口座振替申請書」を持っている株の会社の数だけ用意する必要があります。関係者の署名・実印・印鑑証明もその分必要です。株をいろいろ持っている場合は、相続手続きが大変そうです…



6. 親父の銀行口座(預金)について (2012.6.15 追記)

 誰がチクるのか判りませんが(公的機関から連絡が行くんでしょうが)、銀行口座はその名義人が亡くなると、わずか数日でロックされてしまい、口座の中の金を下ろすことも、入金を受けることもできなくなってしまいます。

 そしてロックされた口座の金を下ろすには、相続人全員で遺産分割協議書を作成して銀行に提出する必要があり、手間も時間もかかります。このことは祖父母が亡くなった際に経験済みであったので、今回に関しては早めに手を打っていました。

 具体的には親父がまだ動ける頃に、親父自身が自分の葬式代として予め何百万かを下ろしていました。そして親父が亡くなった当日、義兄に頼んで残っていた百何十万のお金全額を2回ぐらいに分けて引き出しました。
 そのおかげで、銀行預金に関しては手間を掛けずに対処できました。

【一口メモ】
 ・うちの親父みたいに先が長くないことが判っている場合は、本人の意識があるうちに通帳(+キャッシュカード)+通帳印の在処とカードの暗証番号を確認しておくことを推奨します。

 ・使う頻度の少ない第2・第3口座は、予め全額を引き出しておいた方が手間がかからないと思います。  

 ・引き落としの発生するメイン口座は、一日当たりの引き出し限度額以内のお金を口座に残しておいて、名義人が亡くなったら速攻で全額を引き出すとよいでしょう。

 ・口座名義人の死後すぐに各種引き落とし口座の変更を行ったとしても、直近の請求は前の口座の方に来てしまいます。しかしその場合でも、後日「引き落としが出来ませんでした」という旨の振込用紙入り請求書が送られてきますので、それで支払えばOKです。

 ・引き落としできなかった分については請求書が来るのですが、「入金できなかった」という連絡は来るかどうか判りません。口座の入金履歴を見て、遺族が引き続き受け取れる権利のある入金案件であれば口座変更の手続きを行いましょう。


7. 参考リンク

 ・遺族の手続一覧 (中野・杉並行政書士事務所)…コメント頂いた本職の方のリンク先です。各種手続きの詳細がまとまっています。



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親父の目玉をアイバンクに提供してみる

2011年07月08日 | 雑記
【初回作成日:2011.8.13、最終改版日:2011.9.2】

 このエントリでは、(親父の意志というか遺志により)その眼球をアイバンクに提供したときの体験や感想を記載します。


1. アイバンクへの登録を決意するまで

2011年7月1日(金)

 この日横浜から福岡出張していた私は、余命少ない親父と週末を過ごすべく、その足で大分の実家に帰省。22時頃に最寄り駅に到着。普段は母(おかん)が向かえに来てくれることが多いのだが、おかんは現在病院に泊まり込みで親父の近くにいるため、今回は姉が向かえに来てくれる。
 そして実家に帰って一息ついたときに、次のようなことを言われる。

 「父ちゃんの財布から臓器提供意志表示カードが見つかった。実際に提供するかどうかは、長男であるあなたが考えなさい。」
と。


親父の財布から見つかった臓器提供意志表示カード(表)



親父の財布から見つかった臓器提供意志表示カード(裏)


 目の前に出されたボロっちいカードを見てみると、確かに12年前に親父とおかんが署名した臓器提供意志表示カードが。そういえば、自分も含めて家族揃ってこのカードを書いたなぁ…と、昔の記憶が甦ってきます。

 私自身は臓器提供には理解があり、「死んだ後だったら、使えるものは何でも使って構わんよ」という考えの持ち主。親父もそんなタイプで、意志表示カードには全部の臓器を提供しても構わない旨の記載がありました。

 本人がいいと思っているなら、迷うことなく提供すればいいじゃん…と思われるかもしれませんが、困ったのは親父が意思を表示したのは12年も前だという点。ひねくれ者の親父のことだから、「やっぱりやめた。あの世に行って目が見えないと困るから、目玉は取り出したりするな。」とか、今現在は思ってるかもしれません。

 親父にその意志を確認したいところですが、末期癌で強い苦痛のある親父は、苦痛が酷いときは(モルヒネ等の麻薬より強力な鎮痛作用のある)麻酔薬で眠っていることも多く、起きていても薬の影響でうまく意思疎通が取れないことも多くなっています。

 もしこのまま亡くなったら、提供するかどうかは自分で判断しなければなりません。激しく困ってしまいました。(;´Д`)

家族に意見を聞いてみたところ、
 ・おかん=「父ちゃんがよければ問題なし。好きにさせたって。」
 ・姉貴 =「どっちの結論でもよい。あんたが決めな。」
ということで、結局ボールは自分の手に戻ってくることに。

この日はいろいろ思い悩みながら就寝。



2011年7月2日(土)

 この日は親父が入院している病院で、家族揃っての説明を受ける。その中で、親父の余命はあと1週間持つか持たないかということや、亡くなった後の処置などについて説明を受ける。その打ち合わせの際に、先生に臓器提供意志表示カードのことを話すと

 「臓器提供は義務ではないので、ご家族でじっくり考えてください。ただし提供される際には、病院側もサポートします。この病院でも過去にアイバンクへ献眼した患者さんがいます。」

とのこと。そしてアイバンクに献眼するのであれば、
 ・事前にアイバンク協会に確認して欲しい点があること(後述)。

 ・普通であれば臨終後より直ちに実施するエンゼルケア(※補足1)は、献眼処置後に実施することになるので、親父と一緒に自宅に戻れる時間が遅くなってしまうこと。

に注意する必要があるとの説明を受ける。

※補足1: エンゼルケアについて
 エンゼルケアは、死後遺体を拭いたり、化粧をしたり、尻・耳・鼻の穴に詰め物をして体液が漏れないようにする作業のこと。看護師さんが行う。
 参考リンク: エンゼルケア (漂流生活的看護記録)


 その後、姉を病院に残して私とおかんは一旦自宅に戻るが、その間に姉が

 「こんなもの(意志表示カード)が出てきたけど、どけえすんのな?」

 と親父に対してダイレクトに確認。

 そうすると、この日体調が若干よかった親父は

 「死んだ後なら何やっても構わん。腎臓もやって構わんけど、癌治療の薬で傷んでるから、内臓は使えんやろうなあ。」

 と答えたとのこと。格好いいぜ、父ちゃん。(つД`)
 親父の意志が確認できたので、迷い無く、その旨をアイバンクへ伝えることに。


2. アイバンクへ連絡・登録してみる

2011年7月3日(日)

 この日の昼頃、アイバンクに連絡してみることに。ネットで調べると、アイバンクは各都道府県に事務所があって、詳しくは最寄りのアイバンクに問い合わせるとよいらしい。大半のアイバンクの事務所は、医師会や医科大学の中にあるっぽい。

<参考リンク>
 ・(財)日本アイバンク協会の公式サイト
 ・最寄りのアイバンク 連絡先一覧

 大分県では、医大(※補足2)の眼科が担当になっているとのこと。

※補足2:
  ここでいう“医大”とは大分大学医学部(旧大分医科大学)のこと。大分県人が単に「医大」というときは、デフォルトで旧挟間町にある元大分医大の医学部+付属病院を指す。(豆知識)


 早速大分のアイバンクに電話をかけ、単刀直入に「末期癌でそろそろ死にそうな親父が、アイバンクに目を提供したいと言っているのですが、どうすりゃええでしょうか?」と聞いたところ、とても申し訳なさそうに(丁寧に)対応をいただく。

 そのときの電話では、次のような内容の確認・連絡を行う。

【アイバンクから聞かれたこと・連絡事項】
 ・(ドナーになる予定の)親父の名前と年齢。

 ・家族の名前と連絡先。
   → とりあえずこのときは、姉の携帯を第一連絡先に指定。

 ・入院している病院と主治医名。
   → 「角膜移植に影響のある感染症にかかっていないか等を、事前に主治医に確認させて頂きます」とのこと。

 ・亡くなったときに連絡を頂ければ、直ちにスタッフ(医大の眼科医)が眼球の摘出にお伺いするとのこと。

 ・移植に使うのは角膜という目の表面の部分だが、移植準備の関係で眼球そのものを取り出す必要があるので、ご了承頂きたいとのこと。

 ・ただし眼球摘出後に義眼を入れるため、見た目は変わらないとのこと。

また、病院の先生から聞いておいてと言われた点について確認することに。

【病院の先生からアイバンクに確認しておいてと言われたこと(及びその回答)】
 ・Q: 亡くなった時間が夜間でも、アイバンクは対応できるか?
   → A: 24H体制なので対応可能。この電話にかけてもらえればOK。

 ・Q: 病院側で必要な手順等はあるか?
   → A: ドナー(遺族)側・病院側とも、特に対応不要。

 ・Q: 眼球摘出の所要時間はどのくらい?
   → A: 小一時間程度。場所は病院のベッドのままで可。

 ・Q: 連絡してからアイバンクの人が病院到着までに要する時間は?
   → A: 恐らく一時間程度、長くても2時間か。
      (ちなみに眼球摘出のタイムリミットは死後6時間程度らしい)

とのこと。事前登録はその場で完了。
この日は、その後福岡空港経由で帰京。



3. 親父が亡くなった当日の記録(献眼処理)

2011年7月5日(火)

 前日の夜遅くに親父が危篤との連絡を受けた私は、羽田を6時台に出発する始発便で再び大分へとんぼ返りすることに(横浜滞在時間、わずか1日半)。
 大分空港からレンタカーを借りて病院に直行した私は、9時半に病院に到着。病院到着時にはまだ息のあった親父も、家族や仲の良かった会社時代の同僚にワイワイがやがや見守られながら、ついに11:21に永眠。(T_T)

 亡くなった直後より、立ち会っていた人たちが一斉に親戚や関係各所に電話連絡を開始する中、いの一番に姉がアイバンクに連絡。到着予定等は、折り返しで連絡をもらうことになる。

 12:00頃より、看護婦さんと姉によるエンゼルケアを開始。ただしこのときは、これから目の手術を行う頸部より上の部分には手をつけず、体を拭いたり服を着せ替えたりするような作業を開始する。その後アイバンクより、12:45頃に病院に到着予定との連絡がある。

 そして12:35頃、予定より10分早くクーラーボックスを持ったアイバンクの担当者(医大の女医さん)1名が到着。これから親父の目玉を取り出して、あのボックスに入れて持ち帰るのかと思うと、あまり良い気はしなかった。

キャンパーズコレクションスーパークールボックス(37L) CC37L-DX ブルー
クリエーター情報なし
キャンパーズコレクション

 ↑クーラーボックスのイメージ (実際に女医さんが持っていたものは赤白系のもの)



親父が入院していた207号個室。ここで眼球の摘出が行われる。

 アイバンクの人が来たので、エンゼルケアを行っていた看護婦さんには一旦退席いただき、女医さん+私+姉でこれから行う作業の説明を受ける。

 はじめに献眼いただけることへの感謝のお言葉があり、続いて同意書等への署名を行う。署名した紙は3枚あり、1枚は献眼への同意書、1枚は葬儀の際にアイバンクからの献花を希望するかどうかの紙、もう1枚は失念。

 希望すれば目玉を取り出す作業を見学できたかもしれないが、さすがに自重。その間家族はラウンジで待機するが、葬儀屋への連絡とかで忙しい状態。そうしているうちに献眼処理は13:35には完了。(予定通り1時間弱で完了)

 献眼処理の終わった親父の顔を見ると、下まぶたのところにちょっとした縫合後の傷(しわ)と凹みがあったものの、目立たないレベル。

「目玉を取り出した後、見られないような顔になっていたらどうしよう」

と危惧していたものの、このレベルであったら全然大丈夫。
 その後親父は、中断していたエンゼルケアの続きを受けるが、シャンプーし、髭を剃り、顔のマッサージを受け(これで目元のしわが取れたらしい)、さらにたっぷり時間をかけてメイクされた親父は、「目の手術した」と聞かされなければ、全く気付かないレベルの元の顔に復帰。これで一安心。

 その後、病院の人のお見送りを受け、自宅を経由して葬祭場に入る。この日は線香番の姉の旦那を残して、自宅に引き上げる。


4. 親父の通夜と葬式の記録

2011年7月6日(水)

 この日はお通夜の日。午前中に納棺を行う。アイバンク関係のイベントでは、アイバンクから姉の携帯に葬祭場の場所や通夜・葬儀日程に関する確認の電話が入る。夕方の通夜が始まる頃までには大分県のアイバンク協会よりお花が届けられる。


アイバンクからのお花1


アイバンクからのお花2

 通夜のお参りに来て、親父の顔を見ようとする人には、
 「きれいな目してるだろ、義眼入れてるんだぜ、それ」

 といってアイバンクに目玉を提供したことを説明する。(※補足3)

※補足3: 実際の口調とは多少異なる場合があります。


2011年7月7日(木)

 この日は葬儀の日。葬儀は13時開催であり、11時過ぎより葬祭場の人と式の段取り確認を行う。
その際に
 ・葬儀の10分前(12:50)よりアイバンクからの感謝状贈呈が行われる
 ・葬儀中、アイバンクからの弔辞がある
との説明を受ける。

そして祭壇の横に2つの感謝状が置かれ、予定通り葬儀前に感謝状贈呈式が行われる。


2つの感謝状(県知事とアイバンクから)

 そして13時より葬儀(お坊さんの読経)が開始され、焼香後の弔辞にて、大分県知事の代理の方から弔辞が読み上げられる。その中で
 ・親父の目は、まもなく医大で2名に移植される予定
 ・厚生労働省からも感謝状が贈られる予定
とのことも取り上げられる。ちょっとびっくり。

※ ちなみにアイバンクからのお香典はありません。香典をもらったら金で目を売ったように邪推される恐れがあるので、当然と言えば当然ですが。

 こうして葬儀は無事に終わり、火葬・初七日法要・取り上げ(食事会)を経て、長い一日が終了。



5. その後

2011年7月15日(金)

アイバンクの方に、葬儀への参列&お花をいただいた件の御礼の電話を入れる。その際にダメ元で

「葬儀の弔辞の中で、親父の目がまもなく移植に使われるって聞いたのですが、その結果はどうでしたでしょうか?」

 と聞いてみたところ、確認して折り返しで連絡をくれるとのこと。
そしてしばらくしてアイバンクより連絡があり、
 ・親父の目は60代の男性と70代の女性に移植され、手術は無事終了。現在はその経過待ちになっている。

 ・執刀医の先生曰く、「きれいな角膜でした」とのこと。

 とりあえず親父の目が無事に使えたということで、送り出した方としてもとても嬉しく感じる。やったぜ、親父! いいことやったぜ、親父!


2011年8月上旬

 実家にアイバンクの方から「初盆を前に」ということで、ろうそくとお線香のセットが届く。また葬儀の際に話のあった、厚生労働大臣からの感謝状も届く。それと一緒に入っていたお手紙によると、親父の角膜の移植を受けた人は、無事に目が見えるようになったとのこと。本当によかったです。(´∀`)



6. ドナーの家族になってみた感想(全体を通して)

・アイバンクに献眼するということは、肉親の体の一部を切り取る (今回は目玉をえぐり出す)ということですが、死んだ後とはいえ、身内がそのようなことをされることに、拒否感が無いと言ったらウソになるかと思います。
 ※ 「想像したら負け」な部分も多いですが。

・遺族としては、なるべく綺麗な(生前と変わらない)格好で故人を送り出したいとの思いがあります。そのため今回、献眼する際に一番恐れていたことは「献眼後、見るに堪えない姿になったらどうしよう」ということでした。しかしそれは杞憂であることが判って、安心しました。

・親父の目が他の方に移植されたことにより、親父の一部が今でもどこかで生きているのかと思うと、とても嬉しい気持ちになります。親父の目を受け取った方には、退職後の楽しい時間を満足に過ごすことが出来なかった親父の分だけ、その目にいい光景をみさせてあげて欲しいと考えることしきりです。

・臓器提供に関しては、「どうせ死んだら2日後には骨になってしまうのだから、使えるものがあれば、それを必要とする人に回してあげてもいいんじゃないの?」という考えは、親父が病気になる以前から持っているのですが、その思いは特に葬儀と火葬が終わって一息ついてから、さらに強く感じるようになりました。

 前述の通り、亡くなった直後は「親父の体の一部を切り取る」ことに若干の拒否感があったのですが、火葬が終わって骨の欠片になって骨壺の中に入った親父を見てると、親父の生きた体の一部をこの世に残せてよかったと思います。

・今回、親父の目玉を提供したことについての家族の考えは、
   「とってもいいことをした。やってよかった。」
 の一点のみ。これは全員一致で、自信を持って言えます。

・うちのおかんは、(新しく切り替わった国保の保険証の裏にある)臓器提供の意思表示欄に迷い無く丸を付けて、おいらの署名を求めてきました。おいらもレーシック手術を受けてしまった身ですが、もしこの目が使えるのなら親父と同じように使って欲しいと思います。



7. 献眼後の見た目について(詳細)

 これからアイバンクへの献眼を考えている方は、やはり術後の見た目が気になると思いますので、参考までにうちの親父がどうであったかの詳細を記載します。

(1) 献眼処置の直後について
 前述の通り、下まぶたのところにちょっとした縫合後の傷(しわ)と凹みができていました。目立たないレベルではありますが、死んだ直後と比べるとさすがに違いは分かる状態です。
 そのときの写真(目の周りの周辺)がありますので、見たい方はどうぞ。グロ画像ではありませんが、一応死体写真の一部なので閲覧注意ということで。リンクは貼らず、URLのみ晒します。
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/c2/e91a581b8fc2cd231b83d0e9cf6477d5.jpg


(2) 見た目の回復について
 こちらも前述の通り、献眼処置が終わった後で顔や目の周りをマッサージしてあげると、しわが取れて見た目は本当に通常に近い状態に戻りました。そしてまぶたを閉じてあげると、献眼したことは判らなくなります。

 親父の目は翌日の通夜の頃までは閉じていたのですが、その後時間が経つに連れて、薄目が開くようになってきました…。そうなってくると義眼の瞳が見えてくるのですが、義眼は良くできていて、ぱっと見た感じでは、本物の目と全然区別が付きませんでした。

 ちなみにWikipediaで義眼の項目を見てみると、アイバンク用には装着感を考慮せず、燃える素材で出来た義眼が使われているとのこと。なるほど。



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アイバンクへの挑戦
坪田 一男
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親父をホスピスで看取ってみる

2011年07月07日 | 雑記
【初回作成日:2012.9.29】

 このエントリでは、末期癌だった親父が終末医療を受け、看取ることになった(そして大変お世話になった)ホスピスでの体験記や感想を記載します。


1. ホスピスへの入院を検討してみる

 2011年のゴールデンウイークのときのこと。この頃の親父はすでに体調がかなり悪くなっており、本人の口から

 「もう、なごねーわい」
  (標準語訳: 私の寿命はもう長くはありません)

という言葉が出てくるようになる。また、「お腹の中にずっしりとした鉄の玉が入っているようだ」とも。

 また、かなり強めの痛み止めの薬を飲んでいるにも関わらず、我慢強い親父が痛みによる苦痛を訴えたり、食事も満足に取れない状態だったので、思い切って姉の方から切り出してみることに。

 「ゆふみ行ったらどげな」
 (標準語訳:大分ゆふみ病院に行ってみてはどうでしょうか?)

と。
 大分ゆふみ病院とは大分県で最初に出来たホスピスで、姉貴はそこの院長先生とツテがあるとのこと。ちなみにホスピスとは、主に末期癌の患者を対象に苦痛緩和等を主体とした終末医療を行い、人間らしい最後を向かえるための施設というか病院になります。

 ホスピスに行くということは、
 「生きてこの家に戻ることはありません」ということを覚悟するという意味でもあるのですが、親父も家族もそんなことはとっくに承知。

 それに対して親父も「判ったわ」ということで、とりあえず病院の下見というか説明会を聞きに行ってみることに。


2011年5月2日(月)

 この日は姉と一緒に、親父が治療を受けている大分県立病院に脚を運ぶ。その際に、主治医の先生にゆふみ病院への紹介状を書いてもらう。また、ゆふみ病院に入院するためには、治療履歴等や現在の病状が書かれた情報提供書や、レントゲン写真の提出が必要となるためセットで頂いてくる。併せて、ゆふみ病院に面談の予約を入れる。



2. 大分ゆふみ病院に下見に行ってみる

2011年5月6日(金)

 ゴールデンウイークの合間の平日であるこの日に、家族揃ってゆふみ病院へ。親父の車に家族4人が乗り込み、姉貴が運転する。家族4人が一緒に車に乗るなんて、20年以上前(私が小学校の頃)、今は亡き祖父母のところへ帰省したとき以来なのではなかろうかと。

 そして、「こうして家族揃ってドライブできるのもこれが最後なんだろうなぁ…」と思うと、思わず涙が出てきてしまいそうになる。(つД`)

 せっかくなので、家族水入らずのドライブシーンを動画に残そうとデジカメで撮影するが、親父を含めてあまり喋るようなこともなく、私はほぼドライブレコーダー状態に。

 そして1時間足らずでゆふみ病院に到着。病院に着いてからは、予約していた面談の時間まで少々時間があったので、院内の庭を散歩したり、ラウンジのソファーで休んだり、コーヒーを頂いたりする。



大分ゆふみ病院・入口


大分ゆふみ病院・庭のお花


ラウンジにて

 ゆふみ病院に入ってまず感じたことは、なんというか 「病院臭くない」こと。

 祖父が亡くなったときに入院していた病院は半分老人ホームのような状況で、消毒薬と屎尿の臭いの混じったのような独特な病院の臭いがしていたのに対し、この病院はそういった感じがありませんでした。

 また、「ホスピス=そろそろ死にそうな人ばっかり=暗い雰囲気」という勝手な思い込みがあったのですが、実際にはそうではなく、ラウンジはお洒落で落ち着いたカフェテリアのようになっていました。私達も、そのボランティアの方から美味しい紅茶をいただきました。
 そこの患者さんたちはボランティアの人と一緒に手芸品を作ったり、お茶を楽しんだり、お見舞いに来た人と談笑したり、車いすで外の空気を吸って庭のお花を愛でたりしていました。

 その後、面談予定の時間になり、病院の院長先生と女性スタッフの方、及び、親父を含む家族4人の合計6人で病院の説明を受ける。ここでまず最初に言われたことは、

 「この病院は、末期癌の患者向けの苦痛を和らげるような医療を行うところで、治癒に向けた積極的な医療を行う病院ではありません。」
と。

 もちろん、家族一同そういったことは重々承知しておりますと。そして

 「“患者さん自身がこの病院に入りたい”という意志を持っていることが、この病院に入るための第一条件です。ここは家で手に負えない患者の面倒を診てもらいたいがために送り込むような、“家族が入って欲しい”と思う病院ではありません。」
と。

 それを聞いた親父は、「ここには私の意志で来ました」とはっきり回答。なんか涙が出てきそうです。(つД`)

 親父の意思も確認できたので、後は入院に向けた具体的な話に入るのですが、その際に次のようなことを言われます。

 「この病院に入る方には、まずは1週間のお試し入院をしてもらいます。この入院を通して、患者さんはこの病院が合っているかどうかを確認し、病院側は苦痛緩和方法等の治療方針を確認します。
 その後、一旦退院して出来る限り自宅で過ごして頂き、次に本当に具合が悪くなったときに、病院側で即時受け入れを行います。」
と。

 なるほど、これなら死ぬ直前まで馴染みのある自宅で余生を過ごすことができ、緊急時も即受け入れてくれるので家族も安心です。よく考えられています。
 ただしお試し入院に関しては、現在病室の空き待ち&順番待ち状態のため、今の段階では日程を決めることはできず、恐らく2週間程度待つことになるかもしれないとのこと。こればかりは仕方がありません。

 その後、医療費に関する説明を受けたり、入院同意書(連帯保証人)の紙を前もって書いたりする。そして患者用(親父)と家族(おかん)用のアンケートシートが渡される。

患者用のアンケートシートには、
 ・医者から本人に対して、病名/病状をどう伝えて欲しいか?
  (正確に全てを伝えて欲しいのか? 伝えて欲しくないのか?)

 ・同じく病状を伝えたい人、伝えたくない人はいるか?

 ・意思疎通が困難になった場合は、誰に医療方針を確認すべきか?

等の項目が書かれていたが、家族全員がどういう状況なのか理解していること、また隠し事するようなこともないので、

 「病状は正確に伝える」
 「病状を伝えたくない人は無し」
 「意思疎通が困難になった場合は、おかんか姉貴に任せる」

という内容を記入して提出。ちなみに親父は癌になる前から手が震える病気でペン書きができないため、結局親父用のシートも家族で書いてしまう。

また、家族用のアンケートシートには、
 ・家族構成と何かあった場合の連絡先

 ・親父の病気のことについてどう聞いているか?

 ・入院の際に、どのような希望を持たれているか?

等の項目が書かれていたが、

 「先が長くないことも知ってるので、親父の好きなようにさせたって。苦痛が酷いようなら麻薬打ちすぎで余命が短くなっても構わないので、最大限苦痛を緩和する方向でよろしくね(意訳)」

という内容で提出。親父には

 「『迷惑なこと言ったりして、あまりに手がかかるようであれば、早めに処分して構いません』って書いて出しといたよ!(笑)」

っと言ったところ

 「ばかたれ!(笑)」

と言って怒られる。看護婦さんも含み笑い。(うちの家って、こんなことが言い合える家庭です)

 続いてスタッフの方と一緒に病室の見学に伺う。ゆふみ病院は、病室は多くないものの全てが個室。また、個室でも1日5000円と1万円の差額ベッドの病室もあります。


5000円の差額ベッドの部屋より

 差額ベッドのある部屋では大人が横になれる2畳のスペースがあり、身内の人が寝泊まりできるようになっていました。また別料金で貸し布団や病院食(要事前予約)のサービスもありました。この日は下見を終えて、そのまま帰宅。



3. その後、親父が亡くなるまで

 下見の2週間後ぐらいに空きのベッドが出たので、お試し入院となる。1回目の入院当時の親父の具合は非常に悪くて、お試しではなく、本当にここままここで息を引き取ってしまうのではないかという状況に。

 ところがそこから信じられないレベルで体調がよくなり、食道癌の手術後より全く口にすることの出来なかったわかめの味噌汁すら口に出来るようになる。
(わかめ類は喉に引っかかるため、手術後は口に出来なかった)

 これにはうちのおかんも半ば呆れかえったような状態となる。そして6月上旬に一度退院し、自宅に戻る。この頃の親父の体調はよく、この間に知人らが次々と見舞いに来る。
 葬式の時に使った遺影になる写真も、このときに元会社の同僚がスナップ写真として撮ってくれる。この頃は本当に体調がよくて、冬まで持つのではとの話も出てくる。

 しかしながら、6月下旬に親父の具合が再び悪化。水も飲めない状況になり、ゆふみ病院に連絡して即再入院へ。

「2回目の入院=もう本当に最期」

ということはみんな認識していたので、覚悟を決める。

 この時親父は、おかんと対してホームポジションの座椅子の後ろに隠してあった(丁寧に紙に包んだ)100万円の札束を3つほどを渡す。皆までは言わんが、「俺の葬式代として使え」ということかと。



亡くなる3日ぐらい前の親父 (体のどの面をベッドにつけても辛いらしく、『身の置き所のない』と表現される苦しい状況となる)

 再入院した親父は、まずは苦痛を取ることを主体とした治療を受ける。この頃の親父はモルヒネすら効きにくい状態となっており、苦痛の酷い状態はより強力な麻酔薬を使うことに。麻酔薬を使うと意思疎通も満足にできなくなるので、「もう親父と会話できないのか…」と思うと涙が出てくる。


2011年7月2日(土)

この日は病院から家族に対して説明が行われる。
まず院長先生からの説明内容としては、
 ・そろそろ最期の日を迎えそうであること。
 ・容態はいつ急変するかは判らないこと。
 ・基本的に救命措置は行わないこと。
 ・アイバンクに献眼する場合は、死後の処置の前に摘出作業が発生するので、その後の対応遅れること。
等の話がある。

 続いて看護婦さんとのお話があり、最期を向かえる際の家族向けの手引きをもらい、亡くなった後にどのような作業が発生するのか等の説明を受ける。このときに、亡くなった後に親父に着せ替えたい服を決めておいて、予め病院に持って来ておいて欲しいとの話がある。

 この日の親父は、会話が出来る程度に体調はよかったため、死後着た衣服については直接本人に聞くことに。服についてはゴルフウェアに決定。この後、しばらく病院に付き添いっきりで疲れ気味であったおかんを自分の運転する車に載せて実家に連れて帰る。

 実家で闘病生活中の親父は、座敷にパラマウントベッドを置いて一日中双眼鏡で野鳥を眺めるような生活を送ってきたのだが、今後座敷は来客等でバタバタすることからベッドを片付けることに。

「親父のベッドを片付ける=もう親父が生きてこの家に戻ることはない」

 ことの現実を突きつけられて、思わず涙が出てくる。その後の葬儀や火葬などは淡々とこなしていたので、今思えば、このときが一番悲しい思いをしていた気がします。

 その間おかんは、親父に着せるゴルフウェアを選定。ほとんど着る機会の無かった、まだ新しいお洒落なウェアを選ぶが、おかんもおかんで、感極まって泣き出してしまう。

 この日は看病疲れのひどいおかんを実家に残して、自分一人で病院に行き、親父のすぐ近くで泊まり込むことにする。この日の親父は麻酔薬がなくても大丈夫な時間ができたので親父と最後の会話をする。

 自分が会ったことのない父方の祖父(親父の父)ってどんな人だったのか聞いてみたところ、祖父は親父が物心がつく前に亡くなったので、親父自身も全然覚えがないとのこと。他に親父のパソコンに残ったデータをどうするかとの話とかもする。


2011年7月3日(日)

 この日は姉とその子供(私の甥っ子、親父の孫)がやってくる。遊び盛りの小学生の甥っ子2名は、近くにいると強烈にやかましいので、闘病中は親父の近くに行かないように指導されていた。 そんなこともあり、この日も病室から追い出そうとしたが、親父は「今日はいい」とのこと。

 そして親父は、小学生の小遣いとしては相応しくない額である諭吉さんの紙幣を何枚かティッシュに包んだものを
「小遣いあげられるのも、これが最後だから」
といって渡してあげる。

 その後、姉が自分と交代で親父に付き添い、甥っ子は自分が連れて帰る。結局この日の会話が、親父との本当に最後の会話となる。

 私はこの後、大分から帰京。しかし翌7月4日の23時過ぎに危篤の連絡を受けて、7月5日の朝一の便で再び大分にとんぼ返りする。


2011年7月5日(火)

 朝一の便で大分空港に着いた私は、空港近くでレンタカーを借りて高速道路をひた走り、朝9時過ぎにゆふみ病院に到着。このときの親父は、まだ苦しそうに息をし、意識は無い状態。自分は

  「父ちゃん、頑張れ」

と声をかけるが、おかんは

  「もう頑張らんでもいいんで」

と涙ながらに声をかける。そして到着から約2時間後に、家族や知人に見守られて息を引き取る。

 近くにいても親の死に目に会えない人がいる中で、関東在住の自分がこの場に立ち会えたことはとても幸せなことだと感じる。逆に親父が、私が戻ってくるまで待っててくれたのかと思うと、涙が出てきてしまう。(つД`)



4. 親父が亡ってからの対応

 親父が息を引き取った後、家族とお見舞いに来ていた人が集まる中、院長先生直々に最後の診断をしていただく。心臓と息が止まったことや瞳孔反応の確認を行って、11時XX分に死亡を確認。この時間が死亡届けに記載する死亡日時となる。(今後の手続きで必要になるので、遺族は死亡日時を覚えておく必要あり)

 その後、悲しんでいる暇もなく親戚やらへの連絡に忙殺される中、親父は首より下の部分のエンゼルケアを受け、おかんが持って来たゴルフウェアに着せ替えられる。その後、アイバンクへのドナー対応(眼球提供)を行う。
アイバンクの件に関しては、こちらのエントリを参照

 アイバンクの対応が終わった後に続いて、看護婦さんによる親父の首より上の部分のお手入れに入る。このときの親父は髪は綺麗に洗髪されて、ドライヤーで乾かして、綺麗にセットしてもらえる。顔はひげを剃った後で、女性の化粧のようにしっかりファンデーションを載せて、自然な形で化粧を行ってくれる。親父の化粧はしっかりしていて、2日後の葬儀が終わるまで、崩れることなく持ってくれる。

 その後、親父は布団ごとベッドの台車に乗せられて、病院のスタッフの方に見送られながら、病院前で待機していたリムジン型の洋型霊柩車にて自宅経由で斎場へ向かいます。



5. ホスピスにお世話になった全体的な感想

 一言でいうと「とてもお世話になりました」という感謝の言葉に尽きます。亡くなった親父については、末期癌の苦痛を極力緩和してくれましたし、私ら身内についても、亡くなる前後でサポートを頂けました。おかげで親父も家族らもしっかり“死ぬ準備をして”その時を迎えられたと思っています。(特に家族の心の準備ができました)

 また、親父が亡くなった後も、まるで生きている人間と同じように丁寧に対応して頂けました。これはあたかも親父を俳優のように

 “これから(葬式という)晴れ舞台に送り出してくれた”

ような感じがして、身内としてはとても嬉しく感じました。月並みの感想ですが、自分が病気で最期の時を迎えるときがあれば、この病院のお世話になりたいと思いました。

 大分ゆふみ病院の先生及びスタッフの方々、大変お世話になりました。




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親父を癌で亡くしてみる【インデックスページ】

2011年07月05日 | 雑記
【初回作成日:2011.7.29、最終改版日:2017.8.11】


葬祭場の控え室 with 親父の入った棺桶


 2011年7月5日、食道癌を患っていた親父がこの世を去りました。癌が発覚した約2年前から亡くなるまでの間、そして亡くなってからも(かなりの想定外なことを含む)いろいろな出来事がありましたので、そのときの体験記を今後少しずつブログに残していきたいと思います。

 このページは、その記事に関するインデックスページとなります。


記事へのリンク&作成予定

(1) 癌の告知と大手術の立会 (予定)
 食道癌と診断され、そのときに受けた告知のことや、親父が大手術を受けたときの体験記を作成予定です。

(2) 親父をホスピスで看取ってみる
 病床末期の親父が、ホスピスで終末医療を受けたことに関する体験記です。(2012.9.29作成)

(3) 親父の目玉をアイバンクに提供してみる
 親父がアイバンクのドナーになったことに関する体験記です。

(4) 親父を火葬して墓に入れてみる
 亡くなってから四十九日の納骨終えるまでに発生したイベント(特に葬儀・火葬関係)に関する体験記です。

(5) 親父が亡くなってからの各種手続きとか
 親父が亡くなったことで発生する各種行政手続きや、名義変更等に関する体験記です。

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