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親父を火葬して墓に入れてみる

2013年01月01日 | 雑記
【記事作成日:2013/1/1】

 私は2012年の年末は大晦日まで仕事となり、出張先で独り寂しく年越しと新年を迎えることになりました。(大きなシステム入替があると、年末年始とゴールデンウイークが潰れるのはシステム屋の宿命でもありますが…)

 そうした中、1年半前に亡くなった親父のことをふと思い出したことと、元旦は近場待機のため遠出はできないけど仕事をする必要もないというびみょーな空き時間となったことから、これまでブログに書こうと思ってそのままになっていた親父の葬儀や火葬やお墓に関して、よりにもよっておめでたい新年早々に、しかもお洒落なカフェで書き連ねていくというワイルドな行為(暴挙)に出たいと思います。

 今回の内容は、親父が病院で亡くなってから今のポジション(お墓の中)に落ち着くまでに遺体(遺骨)がどのような経緯を辿っていったのかを中心に、亡くなって納骨が終わるまでにどんな出来事があったのかを思い出しつつ、書き連ねていきたいと思います。

※ グロい写真はありませんが、以下棺桶とか骨壺とか火葬場とかの写真が出てきます。こうした話が苦手な方はご注意ください。


1. 病院で亡くなってから葬儀が終わるまで

2011年7月5日 11時過ぎ、親父が息を引き取る。
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アイバンクに検眼するため、医大の先生が親父眼球の摘出と義眼の挿入手術を行う。(詳しい経過はこちらのエントリ参照)
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エンゼルケア(ひげそりや体中の穴に詰め物をしたりとかの看護師作業)の後、親父がもっと着たかったであろうゴルフウェアに着替えさせる。
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病院からは早期に遺体を引き取るように依頼されるので、速攻で葬儀屋を手配する。(概ね半日ぐらいしかおかせてくれない)
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14時過ぎに葬儀屋が親父を迎えに来るが、この日は親父が入院していたホスピスに見学者がいたため、親父はキャスター付きのベッドに載ったまま15時近くまで出立待機となる。
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親父は布団のままリムジン型の霊柩車に乗せられて自宅に出発。病院を出て行く際、こっそり裏口を出されるようなことはされず正門を堂々と出て、病院の関係者に見送られる。(病院側のこういう対応は、私としてはとても満足でした)


親父の乗せられたリムジン型の霊柩車
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おかんの依頼では、親父は直接斎場に運ばれる予定だったのが、葬儀屋さんの気遣いにより、一旦自宅に立ち寄ることになる。そして親父を一度自宅の中に運んで、短時間ながら座敷で寝かせてあげる。親父ももう一度家に帰りたかったであろうから、最後にもう一度家に戻すことができてよかったと思う。ちなみに病院から葬祭場までの搬送費用は5~6万ぐらいでした(高い)。
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夕方頃、葬祭場に到着。親父はゴルフウェアのまま、綺麗な白い布団の上でお休みとなる。
本来ならここで枕経という死後最初に聞かせるお経があるのだが、行きつけのお寺の(一人しかいない)和尚さんが遠地に出かけていて不在のため、枕経は明日に延期となる。
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親父の入る棺桶

 その後、親父の入る棺桶や納棺セットが届く。親父はエアコンの効いた部屋の中にいるものの、そのままだと遺体が傷んでしまうので、ドライアイスを入れて親父を冷やすことに。

 納棺セットには着せ替え用の白装束等が入っているが、親父はゴルフウェアのまま最後まで行くことにしたので、大半は使わないことに。なお、うちのおばあちゃんが亡くなったときは、この白装束を着せて、すね当てや手甲を装着しました。ただし頭につける三角形の白い布(天冠)は仰々しいので最近は付けないことが多いとのこと(葬儀屋談)。また、三途の川の渡り賃である六文銭は、紙で代用します。
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・7月5日 夕方、葬儀屋との打ち合わせ。葬儀に使う会場(収容人数)の選定や骨壺のガラを決めたりする。納棺・通夜・葬儀の日時がここで決定する。

 基本的に葬儀屋への支払いは全てが終わった後でまとめて精算するが、火葬場の使用料1.5万円はこの場で先払いとなる(要印鑑)。また、会葬礼状に記載する親類の氏名を確認したり、通夜や葬儀での挨拶の例文集をもらったり、焼香順の記載するための紙をもらう。


骨壺サンプル(葬祭場の中にて)
※ ちなみに親父の骨壺は左の31,500円のタイプ。
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7月6日AM 枕経と納棺が行われる。
 納棺はその名の通り親父を棺桶の中に入れる。納棺の時の写真もあるのだが、さすがにブログに載せるのは自重。その後、親父入りの棺桶は台車に乗せられて控え室の祭壇前に置かれる。


控え室の祭壇+親父入り棺桶
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7月6日16:30 実家に戻っていたときに朝日新聞から電話がある。
 おくやみ欄に名前を載せるに当たり、人間違いでないか、また氏名(漢字)に誤りがないかどうかの問い合わせを受ける。(相手のオペレータさんからは、申し訳なさそうに丁寧に対応頂きました)
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7月6日17:30 葬儀屋と通夜のリハーサル。
 どの挨拶の時に誰が起立するかとかの打ち合わせを行う。親父入りの棺桶はこの段階で式場に移動。


本葬儀での親父入り棺桶(守り刀付き)
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通夜のスタートは19時からだが、それより先に弔問客がぞろぞろとやってくるので、喪主(私)やおかんはずっと式場で挨拶対応。
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19時から通夜があり、続けて通夜振る舞いがある。
親父の棺桶はここでまた控え室に移動。通夜振る舞いには、親父が会社勤めをしていた頃の同僚が多く集まり、話が色々と盛り上がる。
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7月7日 この日は13時から葬儀だが、それに先立って11時半頃より故人との最後の食事となるお斎(とき)がある。おときはご飯とお味噌汁に煮付け等がついたシンプルな食事ながら、値段は1食1800円と結構イイ値段がするため遺族的には痛い出費。(>_<)
余らせるともったいないが、足りないと恥なので計算が難しいところ。


うちの田舎のお斎(これで1800円也)
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その後、親父入りの棺桶は再び式場に移動。
 13時より葬儀が行われ、読経→焼香→挨拶の後、最後に棺桶に花を入れ、生前親父が好きだった酒がかけられた後、棺桶が閉められて出棺となる。


花が詰められた親父の棺桶
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その後、親族は火葬場に直行。遺影を持った私はリムジン霊柩車の助手席に乗り、他の親族は車数台に分乗して近くの(山奥にある)火葬場に向かう。


2. 火葬場から納骨まで

火葬場に着いたら、棺桶ごと棺桶用の台車に乗せられ、近くのミニ礼拝場に一旦運ばれます。
※ この間、葬儀屋が火葬許可書を火葬場の事務員に提出。


火葬場への棺桶搬入

ミニ礼拝場では、最後にもう一度短いお経と念仏を唱えて、本当に最期のお別れの時となります。


火葬場のミニ礼拝場+棺桶搬送用の台車

 そして最後のお祈りが終わった後で、棺桶を焼却炉用の電動台車に載せ替えて、火葬場の職員さんが炉の中にセットします。


棺桶を炉の中に入れるところ(写っているのは和尚さん)

 そして炉の扉が閉められた後、喪主の私が点火のボタンを押すことによって火葬が始まります。今までは目に見える形で故人の亡骸があったのですが、火葬後は本当に姿形が亡くなってしまうので、この火葬用の炉の中に身内を送り込むときが、本当の別れの刻を向かえる感じがして辛いです。

 一番初めに近い親類(祖父)が亡くなったときは、この火葬開始の時がかなり辛かったのですが、なぜか今回の親父のときは「ようやくこれで終わりか…」と安堵感とも言えない、なんともさばさばした感覚がありました。


火葬中(2番目の炉が使用中)

 その後、焼き場の職員さんにお心付けという名の賄賂(相場:数千円)を渡して控え室へ。その際に炉の鍵を渡されます。


預かった炉の鍵

 うちの田舎の火葬場だと、焼き上がりまで90分ほどかかるので、その間和室やロビーでティータイムとなる。


収骨室の入口

 焼き上がる10分程前に館内放送で「そろそろ焼き上がり」の連絡があるのでそれを受けてバタバタとお茶セットや持ち込んだお菓子類の片付けを開始。その後、収骨室に集合します。


収骨室の中

 収骨室は吉野家のカウンターチックなU字型になっていて、ここに棺桶を載せていた熱々の台車が運び込まれます。


骨拾いの箸(黒い箸と白い箸を1本ずつ使用)

 その後、火葬場の職員の話を聞きながら台車上に残った熱々の骨を箸で拾って骨壺に収納していきます。なお、うちの身内の間では、前述のお心付けの有無(と金額の上下)によってこのときの対応が丁寧になるかぞんざいになるか差が出てくるということが定説となっています。


骨壺・箸・すりこぎ

 うちの田舎だと、骨は足から頭の方にかけて回収していきます。途中、大腿骨のような骨壺に入らないくらいの長い骨は、すりこぎで半分に折ったりして強引に骨壺に入るようにします。初めて骨上げに参加したときは、この行為に抵抗感があったのですが、(人生の)ベテランクラスになると
「はい、ぼんやりせんで、ちゃっちゃとやるで~」
みたいな感じで、てきぱきと済ませていきます。

 私も「父ちゃん、ごめんな~」と心の中で思いつつ、骨を折り潰して骨壺の中に入れてきます。

 その後、「生前の本人の面影がある」と言われるのど仏の骨(※)に関して火葬場職員の説明があった後、最後に頭蓋骨(頭頂部)の骨をトップに載っけて骨壺の蓋を閉めて骨上げは完了となります。
※ のど仏の骨と言われていますが、実際には首の骨の一部です。

 また、火葬場職員によると太い骨の骨髄を見ると亡くなる前に闘病生活を送っていたか、事故等で急に亡くなられたのか、薄々判別がつくとのこと。理由は闘病生活が長いと、薬の影響で骨髄に茶色等の色が残るが、健康だった人の場合は白い骨になるとのことらしい。
 なお、うちの親父は食道癌で亡くなる2年前から薬漬け状態だったので、やっぱり骨髄に色がついていました。

 その後、親父の骨壺は四角いケースに入れられ、白い布に包まれて、喪主(私)の手に抱えられて再度葬祭場に戻ってきます。ちなみにこの段階の骨壺は、骨が熱を持っている関係で、長時間触れていられないくらいに熱くなっていました。


精進落としでの親父の骨壺・位牌・遺影・卒塔婆(そとば)

 うちの田舎だと、亡くなってから1週間後に行われる最初の法要(初七日)は焼き場から戻ってきたときに行われます。そこで若干手短に最後お経を上げてもらった後で、精進落としの食事会となります。これでようやく長い長い一日が終わります。



自宅の後飾り壇

 精進落としが終わった後、親父の骨壺は自宅に戻ってきます。うちの田舎では、納骨は基本的に四十九日法要の後で行われるのですが、それまでの間は、自宅の白い後飾り壇(ダンボール製)に置かれます。写真では骨壺に白い布がかかったままになっていますが、これは取らないといけないということを後で知って(知ってる人から怒られて)、その後慌てて外しました。



うちのお墓

 そして約1ヶ月半後の四十九日法要のときに、自宅から親父の骨壺と白木の位牌と卒塔婆を持ってお寺に行って法要を行います。その後続いてお墓に行って納骨となります。場所によっては、火葬場でもらう埋葬許可証を納骨時に霊園に提出する必要があるかと思いますが、うちの実家の墓地では不要でした。


墓の扉をオープン

 納骨の際、表の重たい石を退かせて、骨壺を中に置きます。なお、この作業を私が実施しようとしたところ、入口のスペースが私の肩幅より狭くて中に入ることができなかったため、代わりにおかんにいれてもらうことになりました…



墓の中

親父は、先客の婆さんと一緒に墓に入ることになりました。


3. 最後に

 葬儀や火葬や埋葬(納骨)は、誰しも長いこと生きていれば経験せざるを得ないイベントですが、送り出す方の身内は悲しんでいる暇もないくらいにバタバタしているものです。また親族以外の人が葬儀関係の写真を撮影したりすることは失礼になるので、あまりやらないものです。

 葬儀関連のイベントは、何度か一連の流れを実体験をしないと理解することは難しい部分がありますが、今回は喪主が私で対象がうちの親父だったということもあり、幾分不謹慎な部分があるかもしれませんが、一連の流れや体験をブログにしてみました。

 このブログを通じて、今後身内を送り出す側になった方の(少しでも)参考になってくれれば、うちの親父も喜んでくれるんではないでしょうか。



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7 コメント

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以前コメントさせていただいたなんじです。 (なんじ)
2013-03-23 11:35:11
前のコメントでは、温かいレスありがとうございました。
先月、僕も父を見送りました。

結局、あれから前立腺癌は終息していたのですが、昨年12月に病院を受診し、新たに胆管癌にかかっていることが判明。
そのまま入院となったのですがすでに手遅れで、先月19日に旅立ちました。

事前にきたへふさんのお父様をお見送りされた経緯を拝見させて頂いてので、葬儀の流れなどがある程度頭の中にイメージ出来て、すごくありがたかったです。

父とは入院中、改めて濃密な時間を過ごすことができたと思います。
しかしもう少し早く、癌の兆候に気づいてあげられたら、、という後悔も。

これからは寂しさに耐え続けなくてはいけない毎日ですが、少しでも父が生きてきた意義を、残された自分が果たしていければと思っています。
返信する
なんじさんへ (ブログ主)
2013-03-24 11:57:55
御尊父様がお亡くなりになられたとのことで、お悔やみ申し上げます。

私(&家族)の場合は、親父が亡くなってしばらくはバタバタしていて、
悲しんでいる暇もなかったような状態でしたが、それが落ち着いてからは、
本来親父が居るべきいつもの場所に親父が居ないことをふと寂しく感じ、
そして親父が二度とここに戻ってくることはないのかと思うと、
悲しみがぶり返すというか、しんみりしてしまいました…。

ただしその後思うようになったのは、不慮の事故や先の震災のように、
心の準備もない状態でいきなり肉親と永遠に別れることになってしまった
方々の辛苦を思うと、うちの親父や家族のように事前に死ぬ準備を行って
その時を迎えられるということが、どれだけ恵まれた(有り難い)ことで
あるかと思うようになりました。

なんじさんも最後に親父さんと濃密な時間を過ごせたということですので
この点に関しては、なんじさんも親父さんも幸せであったと考えられては
いかがでしょうか?
(肉親を亡くされたばかりの方に幸せなんで表現を使うのは失礼かも
しれませんが、ご容赦ください)

これからも法要や手続き等でいろいろと大変だと思われますが、
お体に気をつけてお過ごしください。
返信する
はじめまして。 (じゃねっと)
2013-10-03 01:11:01
父を亡くしたばかりで、家庭環境が似ていたのでとても親しみを覚えました。
私は嫁いだ長女なのですが、手続き等のお話、とてお参考になりました。
地方によっていろいろ式の流れに多少の違いはあるにせよ、「ああ、そうそう」と思い出してしまいました。

まだ初七日を迎えたばかりなので、これから手続き等参考にさせて頂きます。初めてのことで、このように写真に記録しておく余裕もなく、後悔しています。
忙しさにかまけてすでに忘れてしまっていることもあるのは寂しい限りです。

このようなブログに出会えたことにとても感謝しています。ありがとうございました。

返信する
じゃねっとさんへ (ブログ主)
2013-10-03 19:47:43
コメントありがとうございます。
こんなブログですが、参考になれたということで幸いです。
初七日が終わられたところということは、これからもまだまだ法要が続くと思いますが、
お体に気をつけて、お父様を極楽浄土に送り出してくださいませ。
返信する
勉強になりました (親の最期を見たくない小心者)
2016-12-18 22:25:34
去年3月に祖母が逝去して、久しぶりに葬式を体験しましたが、やはり実感がわきませんでした、父の母だったので父が喪主でしたが、ほんとに様々な手配や手続きで忙殺されていました。
自分も九州なんで、葬儀の風習が似てるなと感じました。自分にも近い将来嫌でも喪主になる日がくるのでしょうが、果してブログ主様や父の様に最後まで責務を全う出来るか不安でなりません、(笑)
あと、臓器提供意思カード自分も書きましたが、提供までの手順がよくわかり勉強になりました。ありがとうございましたm(_ _)m
最後に御尊父さまの男らしさ、ブログ主様のユーモアを交えたブログに感謝します
年末押し迫っていますが、何より御体ご自愛くださいませ。
2016・12/18
返信する
コメントありがとうございました (ブログ主)
2016-12-18 23:23:18
こんなブログでもお役に立てたようで幸いです。

うちの場合は、親父が癌で余命2~3年と宣告されて以降、
その日が来ることを覚悟できていた(心の準備ができていた)のが大きいですね。

それでもやっぱり肉親が亡くなったときは相当に凹みました。
もし元気な状態からの急死だったりしたことなど想像したら、
とても対応できていた自信はありませんです…
また見に来てくださいね!
返信する
Unknown (まっちー)
2019-03-07 16:17:35
すみません。コメント失礼します。画像で写っていた火葬場は臼津葬斎場でしょうか?大変回答しにくい質問ですが、答えていただけると幸いです。
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