渾沌滅七竅

生命ある無秩序を愛する渾沌。

程々の断捨離

2020年12月28日 | 日記

1人で、生を授かり、暫しこの世にわらじを脱ぐことになった訳ではない。

また、死ぬ時を己で始末し、見届けられる訳にも行かない。

通常は、見守る両親を笑顔にしつゝ生を受け、見守る子供達を悲しませながら逝くものだろう。

その意味で、人生の入口・出口共、一人で入り、一人で出て行くものだが、人生の過程にある段階では、通常、人はたった一人で生きている訳ではない。  両親や子供達家族、更に、多くの他人との関わり合いの中で生きているのであり、世話することも、世話になることも多々あり、まさに、共助だ。

ならば、その関わり合いにそこそこ浸かったら良いとも考えるところだ。

出口に向かって、断捨離し、さっぱりとさせることもなく、寧ろ、関わりを残しておく方が、より自然で人間的だと思う様になったもの。  厄介になるね、と素直に言いたい。

人生って、そんなに綺麗ですっきりした、絵に描いた様なものなんだろうか。

 

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「意識高いね」?

2020年12月28日 | 日記

政治の話題をテーマにすると、よく言われるフレーズ。

特に、若い学生やサラリーマンからも聞かされる言葉だが、昭和の時代を過ぎ、平成生まれの方々も、いい歳になり社会を背負って立つ年頃。

にも拘らず、このフレーズは、今以って生きながらえている。  若者たちは、一体どこで、そんな教育を受けて来たのだろうか。  

相も変わらず、「民は依らしむべし、知らしむべからず」を身に付けてしまっている。 「そこに自分の考えはあるか」との音楽評論家・故吉田秀和氏の問い掛けが、常に思い起こされる。 今から、ざっと40年程前、老いて尚名声を欲しいまゝにし来日、巨匠・ホロビッツの演奏を「骨董品」として酷評したもので、伝説の演奏者の演奏に盲目的に酔う聴衆に疑問を投げ掛けたセリフ。

日本の為政者にとっては、好都合で、若者が民主主義・自由・制度改革等を掲げて活発に社会活動の旗を高く掲げる東アジアや東南アジアの某国の動きや北欧の某国の様に、政治が日常で語られるのは、鬱陶しいのだろう。

若い人々が、前総理の言動をどの様に見ているのか、その声も聞こえて来ないが。

それにしても、K大学の「意識の高い?」学生達が「No Youth No Japan」(若者なくして、日本の将来はないの意)活動を始めていて注目されているが、本当に日本社会を変革させる当り前の力になって欲しいものだが。

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