老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

月下美人の開花

2012-09-29 10:47:12 | 

開花2日前、Uの字型になるともうじき開花します 咲く日の午後2時頃、Uの字型が直角になります 8時頃開き始めました。この写真は8時半頃です

10時頃です。二鉢に夫々花が一つづつ咲きました 11時頃です 次の朝です。ご苦労様!

昨年ぐんと小さく剪定してしまったので、今年の開花は期待していなかった月下美人が二鉢に一つづつ花を咲かせてくれた。小さな蕾を見つけた時の喜びは大きかった。月下美人は夜咲くので毎年開花する一週間位前に居間の食卓に運んでくる。そして毎日今日か今日かと愉しみに待つのだ。最近ではどんな状態になったら咲くのかが分かって来たので27日の朝「今日は咲くぞ!」って「でももし咲かなかったら明日は教室で帰りが遅いから萎み始めた頃しか見る事が出来ない、今日咲いてよ~」って願いに願った。やはり思った通り咲いてくれた。
神秘的な月下美人の開花を始めて見た4年ころ前から、誰かとこの素敵な瞬間を共有したいな~と思っても何時も私一人なのだ。然しこの日次男が来る事になっていたので始めて一緒に見る事が出来ると嬉しかった。次男は始めてであった様だ。何時もは遅く帰るのにこの日に限って仕事があるから7時半頃帰ると言う。だから開花寸前に帰って行ってしまったから一寸残念ではあったが、「こうこうなのよ」としっかり説明だけは出来たのでま~良かったと思っている。
一夜限りの花の命ではあっても人をこれ程感動させてくれる月下美人に感謝したい気持ちである。
そう言えばもう何年前になるであろうか、次女も月下美人を育てているのだが、夏皆が軽井沢に集まり家を留守にする最中に開花すると言う事で車に積んで持って来た事があった。開花した夜皆で感動し愛でたものであった。

次男は最近4日間ばかり仕事で東北に行って来たようだ。接した方々が皆とても優しく人情あふれる応対に痛く感激していた。あちらでレンタカーを借り700キロ位の道程を一人で運転したそうだ。若い頃免許は取得しているが、車も持たず、私の様にしょっちゅう運転する機会もなかった次男「大丈夫だった?久し振りの運転?怖くなかった~」の私の問いに「平気だったよ、昔習った事って良く覚えているもんだね~」といとも平然と言っていた。「流石だな~私なんてレンタカーなんて絶対運転したくないし自分の車だけで充分と思っているのに~」そう言えば40年ほど前タクシーとぶっかって一カ月ばかり車の修理にかかりその間運転しなかったら車が帰って来て乗るのが怖かった。殆ど乗らない次男が平気なんて凄~いって驚いた。
でも私の胸の内では「無事で良かった~」の思いが強かった。

災害後の陸前高田他の写真を沢山見せてくれた。当時の様な惨憺たる情景こそないけれど、所々に山積みされ持って行き場のないガレキ、鉄骨の家は残ってはいるが家の中は空洞で住む事は不可、広い野原の様になっているが家々の土台だけは残っている。至る所押し寄せた海水は引かずに「え!これって川?」って質問した場所数知れず、そんな中にコスモスが綺麗に咲いている風景を見て、自然とは過酷なものと思うと同時に何時かはこのコスモスのように癒される事もあるんだと私の気持ちは悲喜こもごもであった。
復興は程遠い様ではあるけれど、より良い環境作りを果たし住人が再び戻ってくる事が出来る様祈り願いたい。

 

 

 


秦野にて&墓参り

2012-09-22 19:55:54 | 

大磯プリンスホテルから眺めた海です

19日から21日まで秦野に行って来た。

20日  婿さんは朝早くからゴルフに出掛けた。「私達も何処かへ行こうよ、暫く振りに海が見たいね~」と言う事になり車を走らせた。家から真っ直ぐ海に向かうと二の宮に出る。そこから湘南道路を少し走り、お昼時でもあったので大磯プリンスホテルに入り海を眺めながらバイキングを食べた。ホテルの下の浜辺は大磯ロングビーチになっている。其処までは行かなかったけれど、広~い~~い綺麗な海を満喫し気分は上々であった。

21日  この日は3人で先ず戸川公園に行った。もう何回も来ているけれど、季節が違えば咲いている花も違うし、水無川を挟んで高低差のある公園は景色も異って愉しめる。坂を上ったり下ったり写真を撮りながら心地よい散策の時を愉しんだ。

戸川公園の全景です 何の木かは分からないけれど色付いた葉が綺麗でした コスモスが咲いていました
  栗が一杯生っていました。直ぐ食べられそうです

もう一箇所平塚の「花菜ガーデン」に足を延ばす。此処も四季折々に咲く花はとても綺麗。

シュウメイギク ハマナス 
クレマチス これもクレマチスです 様々な種類のムクゲがありました
 黄花コスモス、ズームで撮りました 

夕方5時過ぎ頃、ある場所でダイヤモンド富士が見えると言うので愉しみにしていたが、生憎雲が掛かっていて見る事が出来なかった。婿さんは勿論私も良い写真を撮ろうと大いに期待していたので非常に残念であった。

次の日お墓参りに行く為長女を乗せ10時過ぎ東京に帰って来た。

今日は10時半に家を出て墓参りをする事になっていた。それまで時間があるからと長女は庭に出て一働きしてくれた。と言うのは駐車場の後ろにある渋柿が今年も沢山生っているのだが、ある枝に沢山実が付いていて、その枝の実が大きくなるにつれ重くなりだんだんしな垂れて来て車を回転する時車の屋根にぶつかりごろごろいって動き回り、気になっていた。駐車場の屋根に持ち上げられないものかと思ってはいたが、この老人の手には負えない。この難仕事を娘がやってくれたのだ。私は下からこうしたらいいんじゃない!あ~したらいいんじゃ~ないと口先だけで勝手な事を言うだけ、娘は大きな高い脚立に乗って孤軍奮闘、本当に大変だったろうけれど、屋根の上に重い一枝を持ち上げる事が出来た。「男性だったら難なくやれるだろうに女性は力も弱いし大変よね~」と言いながらも見事やってくれた長女さん本当に有難う。

休む暇もなく墓参りに向かった。道路も霊園も非常な混雑であった。長男夫婦も来てくれ4人で一生懸命草取りをし綺麗になった処で一列に並び頭を下げ夫々の思いで祈りを捧げた。

 

 

 



 


春日神社のお祭り

2012-09-16 15:30:39 | 

  

  

昨日、今日とこの界隈は春日神社のお祭りであった。もう何十年も前になるだろうか!若い頃は子供達と歩いて20分位の場所にある神社内で行われる夜店に行ったりして愉しんだものだし、神輿担ぎも良く見たものだった。それからだんだんと神社には行かなくなって家の前を通る神輿担ぎだけを見に出たものであった。夫が亡くなって以来神輿を見る事さえなくなっていた。
何故か今日、太鼓の音が聞こえワッショイ、ワッショイの声が聞こえて来た時、行って見たいな!っていう気持ちになった。カメラ片手に何時も車だけが出入りする門のシャッターを開け、下駄をつっかけて3軒先の五日市街道に出て行った。そんなに大したものではないと思っていたのに先ず先導車、次が子供が担ぐ神輿、次が女性だけが担いでいる神輿、そしてしんがりが男性である。小さい神輿を担ぐ子供達は可愛い。女性のパワーは凄い。神輿が一番大きいのか男性が担ぐ人数が多かったし、全員真っ白な衣装は中々のものであった。
女性だけで担ぐ神輿は始めて見たが、最近の女性は男性に劣らず強くなったものだな~と思う。子供から大人まで一丸となって真剣に担ぐ姿は力強く美しくさえ感じた。
家の傍に交番があるが、4.5人のお巡りさんが交通整理に必至になっていた。
先日ブログ仲間のSさんのお嬢さんが二日間神輿を担いで勢力を出し切り、終わってバタンキューと寝てしまったと言う事を聞いていたので、今日担いだ女性たちもさぞや疲れた事と思う。でも達成感のある気持良い疲れであったに違いない。
日本人はお祭り好きな人種である様だが、町会の皆が力を合わせて愉しむ行事は素晴らしい事だと思う。人類がある限り何時までも続く行事であるのだろう。
久し振りに神輿担ぎを見て気分はスカッとした。


待ちわびた秋の到来です

2012-09-12 10:11:39 | 

10冊目の「軽井沢の記録」の冊子が完成した。A4を袋とじにし47枚で一冊、厚さ約1センチの冊子を13冊作った。編集には写真が多いので取捨選択等に多大の時間を要したが、印刷、製本は2日で仕上げる事が出来た。10冊目なので年々やり方も工夫しながら上達し、今回は一番良く出来たかな~とほくそ笑んでいる。
スーパーファイン紙が611枚、カラーインクを20個使ったから金額は相当なものであるが、製本は自分でするから労力だけで済む。全行程を知っているのは私と長女だけだが、日記の様なものであり写真が主であるので、見るだけでも愉しい。
涼しい毎日を過ごしたあの日々からもう1カ月が過ぎ去ってしまったが、この冊子を見る事で皆に想い出を愉しんで貰えたら嬉しいと思っている。
愉しい作業ではあったが、やはり出来上がるとホッとする。重荷が下りた様な!!


又一つ歳をとりました

2012-09-05 19:44:37 | 

夏枯れで掲載する庭の花がありません。

今日は私の誕生日であった。関東大震災から89年、その5日後に生まれた私も89歳になったのである。
人生89年はとてつもなく長~い一生であったと痛感する。
つるべで水を汲み上げた時代から、世の中は驚くばかりの進歩を遂げ続けているが、不思議な事だらけのその真っ只中に未だ身を置く事の出来る私はなんと幸せな事なのだろう。
父母の温育を受けた34年間、夫との48年間の生活、そして寡婦としての約8年間、その時代々々によって考え方も生活も夫々の違いはあるけれど、その時々を真剣に生きて来た事だけは確かであると思っている。
頭が痛い、眩暈がする、血圧が上がる、、ここが悪い、あそこが悪いとしょっちゅう言い続けながら、それでも生死に関わる病気になった事はなく、89年間もの長い人生を生き続けて来られたのが不思議な様である。自分の事は他人を煩わせずにする事が出来るし、歳を取るに従って頭痛も、眩暈も殆どなくなったし、血圧も低くなり一寸腰が痛いだけの今の状態に驚きを感じつつ本当に有難いと思っている。
この先何時まで生きる事が出来るか分からないけれど、何時死んでも悔いのない様にしておきたいし、まだまだ健康である限りはこの世で沢山愉しみ精一杯の毎日を生きたいと切に願っている。

昨夜は一日早かったけれど、三女が孫二人を連れ外食で私の誕生を祝ってくれ、愉しいひと時を過ごす事が出来た。長女からは「明日お母さんの誕生日でしょ~そっちに行こうかしら」と電話があったので「これからNチャン達が祝ってくれるのよ」と言ったら「それっじゃもう行かなくていいわね~」との返事、来てくれるのは嬉しいけれど、わざわざ遠くから来て貰うのも悪いと思い「お気持ちだけ有難くお受けしますね」と言って電話を切ったいきさつもあった。
今日は長男・次女から祝いの電話をもらった。そう言えば次男からはなんの音沙汰もないな~多分忙しくて忘れているのかもしれないし、遅くに掛かって来るのかも!!  この歳までこの家で一人住まいをつつがなく過ごせるのも一重に5人の子供達の支えがあってこそと感謝の気持一杯である。
来年は卆寿を迎える。90歳に向かってゆっくり歩く一年でありたい。


遠来の客!

2012-09-03 21:01:55 | 

ピンクの芙蓉咲いています

一昨日と昨日2日間に亘って久し振りの雨。枯れる寸前にあった庭の植物にとっては恵みの雨だった。その雨も驟雨のようなざ~っと来ては止み又暫くするとざ~っと来る変な降り方であった。なにはともあれあの残暑がこの雨で一息ついたようである。
夕べはその雨を気にしながら夕刻から「六本木ヒルズ サロンコンサート2012 藤原真理 チェロ・リサイタル」を聴きに行って来た。長男が誘ってくれた久し振りの音楽会であった。100人位の聴衆、演奏者を目の前にしてチェロの素敵な演奏を心行くまで味わった。往きがけに一寸降られたけれ土砂降りにもあわず長男と愉しい時間を過ごす事が出来た。

今日昼一寸前に三重県に住んでいる姪(兄の長女)から突然「私今東京に来ているんだけれどこれから行ってもいい~」との電話が入った。「どうぞどうぞ大歓迎よ」って返事し待つ事1時間。今年3月末に姉達と三重に行った時一寸会った時以来であったが、ひょろっと背が高く痩せてはいるけれど元気そうな懐かしい姪の姿を目にして嬉しかった。「如何して東京に出て来たの?」と聞いたら「母親の誕生日なので会いに来たんだけど家のベルを鳴らしても返事がなく、何時も持っている鍵を忘れてしまい、何としても入ることができなかったの」「お母さんは家の中にいたんでしょ~」って聞いたら「いたんだけど母親は耳が凄く悪くてベルなんか聞こえないのよ~諦めて叔母さんに会って行こうと思った訳」と言う事だった。
私の結婚前一緒に住んでいた頃、まだ幼なかった姪と私はとても仲良しだった。何時も手をつないで買い物などに行ったものであった。「私叔母さんが大好きだったの」と言っていた。もう60歳近くなる姪だけれど、大好きな叔母さんに会いに来てくれるなんてこんな嬉しい事はない。1時から4時半頃まで普通では話せない様な苦労話を全て吐露してくれた。早くに夫に死に別れ幼ない4人の子供を女手一つで立派に育て上げた偉い姪だと言う事は知っていたけれど、その苦労が並大抵ではなかった事を知った「人間生きるって言う事は本当に大変な事なのよね~」と二人はしみじみ語り合った。
帰りしなに、「叔母さんと話して元気が湧いたし、頑張ろうって思えたわ~」と言ってくれた。「これから必ずいい事があるからね~」って励ました。
叔母と姪の懐かしさ溢れる半日であった。


秋の季節になりました

2012-09-01 10:11:33 | 

タデの一種です 渋柿がたわわに生っています

残暑お見舞い申し上げます。

一年の3分の2を終え愈々秋の季節に入った。秋とは言えこの残暑は何時まで続くのだろう。でももう一寸の辛抱。
この暑さでは庭にも出られず、植物は伸び放題、長~い間咲いているオミナエシ・サルスベリ以外の花は殆どない。涼しくなったらあれもしたいこれもしたいと心積りばかりである。
甘柿は今年生り年である筈なのに、沢山実が落ちてしまい収穫は望めそうにない。然し渋柿は去年に続きたわわに生っている。写真の渋柿は一枝に沢山生り過ぎて重くしな垂れ、車の回転の時屋根の上でゴロゴロぶつかっている始末、でも勿体なくて切れずにいる。去年失敗した吊るし柿、今年は何とか上手に作りたいものと思っている。

昨日は2カ月振りの内科診察日で暑い中を出掛けた。軽井沢に行った以外何処にも出掛けなかったから電車に乗ったのも一カ月振り。何時もの先生の笑顔に迎えられ病院に来たとは思えないリラックスした気持であった。
首を触り「柔らかいね~」と仰る。柔らかいと言う事は甲状腺の症状が悪いものではないと言うことのようだ。「Tさんは90歳になるんだね~」と「あと一年で90歳になります」と言ったら「元気でいいね~」って仰って下さる。
血圧は上が137、下が66とすこぶる好調、160・170が当たり前だった6・7年前を思うと不思議な様である。あの頃は老いた夫を抱えさぞ大変だったのだろうな~と思う。一人になって自由気儘に過ごせるようになり血圧はどんどん下がり始めたのである。夫に対して何か後ろめたい気持が無きにしも非ずであるが、でも天国で夫は私の健康を喜んでいてくれるに違いない。夫が亡くなった歳まで後4年、義母が亡くなった101歳までは12年もまだ残されている。そんなに生きられるだろうか!生きたとしてもそれは非常にしんどい自分一人ではなし得ぬ事、子供等に多大の迷惑を掛ける事になるのは必至である。でも、命ある限りは精一杯生きたいし、将来どんな状況になっても素直にあるがままの気持ちで人生を終えたいと思っている。

今朝一寸の間久し振りに雨が降ったが、今(午前11時)辺りが急に暗くなって雨が降り始めた。庭の草木の為にも本降りの雨が欲しいと願っている。