老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

暫く振りのめまい

2015-01-29 17:55:27 | 

昨日から何だかおかしいなと思っていた私の体、一晩寝れば治るだろうと思っていたがひどくなっていた。あのひどかっためまいは最近殆どなく、あってもぐるぐる回るようなことはなく何か変だなと思う程度だった。もうこのへんで完治するのかなと思っていたがやはり駄目だった。今回のは寝ていて右を向いていれば何ともないが顔を左に向けるとぐるぐる回りだす。先生に教えられた頭を叩きながら一回転してみたが治らなかった。今日は何にも予定がないから寝ていようと思い10時半頃まで寝床にいたが治らないので寝ていてもしようがないと思い起きた。でも頭をなるべく動かさないように静かに行動した。朝昼兼用のご飯を食べソファーに座ったり横になったりしていたら夕方頃にすっかり治った。耳石が理由は分からないけれど飛出しめまいが起こるらしいけれど、耳石を元に戻すか自然吸収されるのを待つかしかないようだ。昔に比べれば症状が軽くなっているのは歴然だし、兎に角治るまでの時間の差は長短でも必ず治るのだからこのまま自然に治るのを待とうと思っている。

足腰も自分流に良いと思う事を試みている。痛い日もあればかなり調子の良い日もありである。多分死ぬまで完治することは無いと思うけれどこの歳では致し方のない事、自分で出来得る生活をして行く他はないと思っている。

一羽だけ手元に残った手乗りインコ、常時出入り口を開けておくと出たり入ったり、家の中を自由に飛び回っている。そして私の肩に乗ったり手に乗ったりパソコンをしていればその上に乗って遊んでいる。とても可愛いのだが最近如何してか私の頬や手の柔らかいところを噛むようになって痛くて堪らない。「痛いっ!」って邪険に追い払う事がしばしば、でも懲りずにやってくる。言って聞かせても解る訳でなし私は少なからず恐怖心を抱いてしまう。傍に来ると身構えてしまう有様、今後如何したらよいか思案中である。

明日は雪が降るとの予報、大雪にならない事を願っている。


私と車

2015-01-24 15:29:53 | 

                   

「君、運転免許を取ってくれないか」との夫の言葉は私にとって青天の霹靂であった。結婚して5年目私が39歳の時であった。消極的な私故車を運転するなど思ってもいなかった。すぐにはOK出来ずずいぶん長い間迷ったものである。然しついに決心した。当時下の二人はまだ幼児であったから大学を卒業し家にいた長女に子供の世話を頼み教習所に通ったのである。当時女性で運転免許を取る人は少なかった。若い人は20数時間で取れるが何分歳を取っていた私故相当長い時間をかけて免許の取得をすることが出来た。
何故自家用車を持ちたかったか、その理由は会社の方とよくゴルフに行くのだがその都度会社の車で送り迎えしてくれる、ゴルフをしている間運転手さんはゴルフ場で一日中待っている、その行為が贅沢だ、申し訳ないとの思いが強く、自分で運転すればよいがそんな暇はない、故に私にその任務は任せられたというのがそもそもの始まりであった。
以後夫が亡くなるまで毎日会社への送り迎え、そしてゴルフ・テニスに行く時その他何処に行くにもすべて私の運転であった。夫が歳を取り膝が悪くなってからも車でならどんな遠いところにでも一緒に行くことが出来た事は非常に嬉しい事であった。約10年前まで私の隣、助手席には常に夫の姿があった。会社から帰って家に着くと必ず「ご苦労さん」と言ってくれたその一言がどれほど私の心を癒し、慰められ嬉しかった事か今でも忘れる事はない。

今年で運転歴は52年、車種は全て日産、緑色のツートンカラーのブルーバードから始まって現在多分8台目?去年9月に新車ニッサンノートを購入したのが上の写真。形は一寸気に入らないのだが危険防止が付いた優れもの。もう何十年もお世話になっているディーラーさんが「奥さんには最適ですよ」と(私が年寄りだからでしょう)仰る。兎に角ある物に近付くとピイッと警告音が鳴る。もっと近づくとピッ、ピッ、ピッとなり危険を感知するとぴーーーーと鳴り続きはては止まってくれる。何とも有難いのだがうるさい。家から大通りまで出る道は狭いので常時警告音が鳴りっぱなしなのだ。事故を防いでくれるのだから慣れるよりほかはないと思っている。

「これが最後の車よ」と言っても子供たちは信用してくれない。これまでに2・3回最後と言っては買い換えているのだから!!
でも今度は正真正銘本当だ。来年93歳でまだ元気ならもう一度だけ免許更新する積りであるが車の買い換えは決してしない。
皆さんは「いい加減に止めなさいよ」と思っておられるだろうけれど、私から車を取り上げられたら生活の行動範囲が狭くなってしまいそうで不安な気持ちになってしまう。車を運転するときの緊張感がなくなるから脳も衰えるだろうし・・・
危険防止の車で更に更に注意して運転しますのでご容赦お願いいたします。


富士山と海

2015-01-16 15:56:27 | 

  

 

昨日は秦野で一日中雨で家に閉じ込められていた。然し今日は打って変わった真っ青な晴天、「何処かに行こう」という事になった。私の要望で先ず富士山、それから富士山と同様私の大好きな海を見に行くことになった。
一昨日こちらに来る途中何時も車の中から目にする富士山が、曇っていたので絶対見えないと思っていたら雲の前にくっきり何時もと変わった様子で見る事が出来嬉しかったのだが、今日の富士山は青い空に本当に綺麗に素晴らしく映えていた。
次は海。西湘バイパスを走り茅ヶ崎付近の海の傍に車を止め砂浜に降り立った。此処で海の遥か向こうに再び富士山を眺める事が出来たし、遠くにうっすらと見える伊豆半島、何処までも続く広い相模湾を見渡しながら私の気持ちは最高であった。カメラを向けながら暫し至福の時を過ごし帰路についた。
帰り道何処を走っていても位置は刻々変わるけれど前に、横に、後ろに常に富士山の姿を見る事が出来最高な気分であった。私の要望を叶えてくれた娘夫婦に感謝であった。

今夜帰ります。

 


二か月振りの秦野にて

2015-01-15 12:11:00 | 

最近の庭の花

  
真っ白い水仙です               さざんか                 まゆはけおもと

 
  庭には赤・白のマンリョウがあちこちに沢山見られます

12月は秦野に来なかったが昨日久し振りにこちらに来た。 昨日まで晴天が続いていたのに今日は朝から雨が一日中降り続き、平野部でも雪が降るかもしれないとの予報を耳にする。 明日は回復するらしいけれどここ秦野は今夜雪が降るかもしれない、もし雪が積もったら明日の夜東京に帰れるだろうかといらぬ心配で頭は一杯。心配しても始まらぬと思いなおして何処にも外出はできないから久し振りにブログを掲載しようとパソコンに向かっている。3日に載せて以来12日振りのブログ、大して書くこともないけれど暫く庭の花を載せていないから載せようと思ったが庭も現在は寂しいもので上の写真位である。
パソコンに向かっていても娘が傍に来るとついお喋りに夢中になって遅々として進まない。明日は晴れの予報だからもしかして何処かに連れて行ってもらえるかもしれないと期待している。 


2015年新年会

2015-01-03 19:57:51 | 

あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願い申し上げます。

  

昨日恒例の新年会が行われた。
今年は長男一家が喪中のため参加出来なかったが、その他は一人残らず25名集ることができた。海外赴任中の二人の孫も正月休暇を利用して来てくれ一年あるいは半年ぶりに会いあうことが出来会は盛り上がった。大人はそれぞれに何時も話し合うことが出来ない相手と熱心に思いを語り合っていたし、女性群は台所でお餅を焼いて25人分のお雑煮をよそったり運んだり忙しく、子供たち幼稚園、小学生の5人は仲良く遊びに夢中、私は足の痛みがあって座ってすべてを皆に任せっぱなしではあったが、何時もの事ながら和気あいあいの楽しい雰囲気で終始した。
お年玉、カレンダー、今年は上手にできた干し柿も貰い最後に残った料理を沢山貰い「またね」と言い合いながら笑顔で帰っていった。
毎年大きなケーキを長男の嫁が作ってくれるのだが、今年は来られないのでケーキは無しかと諦めていたら作ってくれ会が始まる前に長男が息子と共に持ってきてくれ、会うことも出来たし嬉しかった。自分たちは会に出られないのに皆の為に作ってくれるなんて本当にその気持ちが嬉しく感謝であった。
年の初めのイベントも無事終わり私の心は安堵で満ち足りた。

何時もは潮が引いたような寂しさを思うのだが今年は次男が泊まるというし、次女も明日予定があるから泊まることになっていたので3人で又ひとしきり話が弾み気が付けば1時を過ぎていた。

三日

次女の予定とは施設に叔母(私の姉)を見舞う事であった。「叔母さんに会いたい」とかねがね言っていた次女、もう何十年も前になるが結婚式に着るドレスを姉に作ってもらったと言う。次男を西荻窪の駅で下し二人は施設に向かった。長い年月会うことが無かったのにちゃんと名前を憶えていてくれた事に次女は感激していた。「結婚式の服を作って下さったんですよ有難う」と言っても姉はすっかり忘れているようだった。姉が昔の事をいろいろ話すと次女は叔母を慈しむように優しく笑顔で接してくれている様子を私は本当に有難いと思って眺めていた。私達の訪れを嬉しそうにしていた姉も別れれば直ちにその喜びを忘れてしまうのだが、それでも私はもっと頻繁に姉を見舞わなければならないと思った。この前会った時と変わらず元気でいてくれたことが本当に嬉しかった。

三が日も過ぎ明日から普通の生活に戻るが、この一年も元気でいられるようにと願っている。ブログを通して皆様との交流も続けられたら嬉しいし、PC教室でも更にいろんな事を学びたいと思っている。どうかよろしくお願い致します。